「あのね、結生はあなたに出逢うまで本当に人形そのものだったのよ。感情どこに忘れてきたのってくらいなにかが欠落してた。だから、ようやく人間らしくなってきた今……そう、今がいちばん大事だったのに……っ」
沙那先輩は震える手で掴んでいた私の肩を離して、グッと唇をかみ締めた。
「あいつは、心の行き場を見失ってるのよ」
「……沙那先輩?」
「どんな感情も捉えられない生きた人形。それがあたしが出会った結生だったわ。恋愛なんてとんでもない……そんなの、最初からわかってたことだった」
つぶやきを落としながら、沙那先輩は私に背を向ける。
震えた肩。震えた声。泣いているのかと思ったけれど、聞けないのがもどかしい。
「わかってたのに、どうして……?」
「そんなところに惹かれちゃったのよ。危うい、ほっとけない、あたしが守らなきゃって。けど、あたしには無理だった。たったの一ミリも掴めなかった。結生の心を」
沙那先輩の言わんとしていることは、なんとなく理解できる。
けれど、それはほんの少し、私のなかのユイ先輩とズレていた。
たしかにユイ先輩は感情の起伏が少ないし、表情に出ないから思考回路も読み取りづらい。その点では『人形』という喩えは、至極、的を射ているのだろう。
でも、決して心がないわけではないのだ。むしろ人一倍、繊細だと思う。
──だって心がない人に、あんな絵を描けるわけがないから。
「……あなたは違うのよ。小鳥遊さん」
「私、ですか?」
「あなたはもう掴んでる。きっとあたしにはわからない世界を見てるんでしょうね。皮肉なことに、自分が外側にいるとそれが嫌というくらい感じられるわ」
顔を拭うような仕草をしてから、沙那先輩がおずおずと振り返る。
深みのある栗色の瞳は、淡く濡れそぼって頼りなく左右に揺れていた。
「あいつは今、変わろうとしてるの」
いくつもの感情が複雑に入り交じる、名前のない色。これを表現できるのはきっとユイ先輩くらいだろうななんて、頭の隅っこでぼんやりと考える。
「それはきっとあなたのおかげで、あなたの存在ありきのものなのよ。正直、悔しいし羨ましいけど。でも、あいつは放っておいたらいつまでも……それこそ延々と底なし沼にいるから。だから、あなたが必要なの」
「……私、ユイ先輩にとってそんなに重要な存在なんですか」