「身近で誰かを失うってさ、たぶん誰もが経験することだろうけど、それを深く考えたりはしないだろ。友だちも家族もいて当たり前。自分にも相手にもフツーに明日は来ると思ってて、毎朝変わらずおはよって言えるもんだと勘違いしてんだよ」
隼も俺に倣って立ち上がり、こちらへゆっくりと歩いてくる。隣に並んで桜の木を見上げながら、その奥に見える夕日に目を遣り、眩しそうに睫毛を震わせた。
「でも、そうじゃないんだよな。おまえはお母さんのことがあるからとっくに気づいてんのかもしれないけど、どんな瞬間だって別れの可能性はあってさ」
「……うん」
「別れを恐れて関わらないのは簡単なんだ。だけど、そうやって仮に俺がおまえと関わってこなかったら、って考えると……正直そっちのが怖いね、俺は」
隼はぽつりと独り言のように落として、視線だけ俺の方を向いた。
「俺には病気のことなんて想像もできないし、わかったふりもするつもりはねえ。結局それは知ったかぶりにしかならないしな。だけど、そのうえで言わせてもらうなら、もうおまえのなかでは答え出てんじゃね? ってことくらいだな」
「答えが、もう出てる……? 俺の?」
「おう。だって描きたいって思える世界に、小鳥遊さんがしてくれたんだろ」
心臓のいちばん深いところを、ぐさりと容赦なく貫かれたような気がした。
形容しがたい衝撃と戸惑いが同時に胸を走る。視界がぐらぐら揺れた。
「そんな世界を、結生は今生きてるんだ。どう見えてんのかは知らねえけど、生きて、描きたいって思ってる。生きてる意味なんて、そんなんで充分じゃないの?」
「……俺、は……」
ああそうか。やっぱり俺は、描きたいのだ。色づいたこの世界を、鈴が色づけてくれたこの世界を、どうしようもなく描き残しておきたいのだ。
そして──……彼女が生きた証明を、したい。
「っ、ありがとう。隼」
「お、おう?」
思い立つが否や、俺はばっと踵を返した。
いまだ空白だった日常使いのキャンバスを見て、これじゃない、と思う。
俺が描きたいのは、描き残したいのは、このサイズでは到底収まらない。
ああ、どうして今さら。どうして俺は、いつもいつも、たったひとつの事実に気づくだけで長い時間がかかってしまうのだろう。本当にだめなやつだ。
でも……そうだ。そうだった。他でもない鈴が言ってくれたんじゃないか。
俺には絵しかないんじゃない。
絵があるんだって。それはすごく特別なことなんだって。
できることがある。今この瞬間を生きる意味がある。それが未来へ繋がっていくかどうかはわからないけれど、きっとこれは──俺の、答えだ。