初めから結末がわかっているのなら、なおのこと避けなければならないこと。
 いくら傷つこうが、いくらつらかろうが、譲れない。
 その後に控える死を越えたさきに待つ痛みや後悔は、きっと手遅れによって生まれたものではないと、俺はたとえ綺麗事でもそう思いたいのだ。

「──母さんは、それほど強く俺の心に棲みついてたんだろうね。日常の些細なことに母さんの面影を感じてさ、忘れたくても忘れられない。今もどこかで、笑って生きてるような気がしてしまう」

 ただ、俺が見つけられていないだけなのではないかと、そう思ってしまう。
 きっと、誰しもが経験することだ。長い時の流れで風化された思い出に悲しまなくなることを──それを受け入れたというのならば、またべつだけれど。
 時間の経過とともに、たしかに痛みは減っていく。忘れていく。
 それでもはっきりと心に残った傷は決して癒えることはないと、俺は知っている。

「……俺はね、もう二度と同じ過ちは犯したくないんだよ」

「っ……」

「鈴が好きだから。彼女が大切だからこそ、最期までそばにいたい。時間を無駄にしたくない。今を……鈴と一緒にいれる今を、精一杯、大事にしたい」

 俺は静かに腰を浮かして、弟くんの目尻に浮かぶ雫を指先で弾いた。
 病院全体を支配する消毒の香りは、あの頃まだ幼かった俺が感じていたものと変わらない冷たさを孕んでいる。救われる命と救われない命を天秤にかけることなどできなくて、常に行われている命のやり取りは、きっと人が目を背けがちなものだ。
 結局、生と死が対にあることを、人は最期まで受け入れることはない。

「鈴に似て優しい弟くんは、こんな俺にも気遣いを向けてくれるけど。……たまには、君のそのままをぶつけてみてもいいんじゃないかな」

「お、れの、そのまま……?」

「うん。今だからこそ伝えられること。今だからこそできること。なんでもそうだけど、やりたいこと、しなければならないことをちゃんと見極めないとだめだよ。そうじゃなきゃ、俺みたいに後悔することになるからね」

 鈴と重なる黒髪をさらりと撫でて、俺は「帰るね」とその場を後にした。
 しまったな、と思う。こんな話をするつもりではなかったのに。
 だが、きっと今の弟くんにはひとりで考える時間が必要だ。