靴を履き替えて外に出れば、校門を出ようとしている耀の後姿を目にした。途中までは帰り道が同じだ。中瀬は小走りに近づき、耀の後ろを付け出した。気づかれたらどうしようと思いつつ、そうなれば面白いかもしれないと成り行きに任せる。
いつ自分の存在に気づくか、後ろから視線を強く投げかけていると、結局気づいてほしいことに気がついた。
耀とは仲良くないけども、いつか話してみたいと中瀬は思っていた。たまに目が合っても耀は中瀬を避けて白々しく視線を逸らす。それがもどかしいし、何度も続けば腹も立ってくる。そのうち無意識で挑戦的に視線を向けるようになってしまった。それが逆効果なのに中瀬は気づいてなかった。
しばらく観察していると、耀の歩き方が不安定に見えてくる。ふらふらっとしたり、ジグザグに進んで普通じゃない。心ここに在らずぼんやりとしながら、機械仕掛けに足の機能だけが動いていた。
危なっかしいと思っていると、案の定、年老いた女性に突っ込んでいった。
「あっ!」
中瀬は声が漏れたと同時に立ち止まる。心配しながら様子を窺っていると、ピンクのゾウという言葉が聞こえてびっくりしてしまった。
ふたりが話す様子から知り合いなのかと徐々に距離を詰めているうちに今度は『モモちゃん』と自分の名前が呼ばれたから、つい『それって私のこと?』と口をはさんでしまった。しかも自分でもびっくりするぐらい自然に。
耀は中瀬が現れて驚いているし、中瀬もこの偶然の出会いに自分が関係していることで急激に体に電流が走ったような刺激を感じ鳥肌が立っていた。
この出会いは随分前から約束されていたことのようにも思え、まだその本質に気がついていない何かをしなければならない使命が湧き起こる。自分でも一体何が起こっているのかわからないのだけど何かが起こる予感を感じてしまう。衝撃的で不思議な感覚が中瀬の中でバチバチとスパークしていた。
その気持ちを説明しようとすると、延々と回りくどく話さないといけないのだけど、それが決して誰にも通じないと分かっている感覚。敢えて手短に言えば、中瀬は一瞬の間に、目覚めたようにはっとしたのだった。
まるでピンクのゾウがラッパを吹くように鼻を鳴らして合図をしたような驚きを感じていた。
その老婆が礼子先生と気づくや否や、懐かしさも同時に味わうのだけど、すぐに事情を知ると顔が曇った。
礼子の首から提げていたもの。それはヘルプカードだった。そこに礼子の抱える問題と連絡先が書いてある。中瀬はすぐに理解した。
『ピンクのゾウは本当にいる』
今礼子は幼稚園のときの自分たちを思い出している。だったら、礼子先生のいうとおりにしてみよう。それは願ってもない中瀬のしたいことでもあった。今の自分の皮を脱いで無邪気な頃に戻りたい。そんな思いを時々感じていた。
「ほら、何をぼんやりしてるの? 早く行くよ」
事情を飲み込めてない耀に向かって中瀬は指示する。
「行くってどこへ?」
先に中瀬と礼子が歩き出すと、耀は仕方なくついてくる。
「ほら、危ないからヨウちゃんとモモちゃんはちゃんと手を繋いで歩いてね」
礼子に言われて耀は目をまるくする。
「ちょっと、中瀬さん、一体どうなってるの?」
中瀬の耳元に小声で話す耀。
「ほら、先生の言うとおりにしないと」
中瀬は手を差し出す。
「えっ、ちょっと待って。手を繋げってこと?」
耀はあたふたした。
「だって、礼子先生は私たちが幼稚園児だと思ってるんだから、言うこと聞いてそうしてあげよう」
「ええ!?」
ひときわ大きく耀が声を上げたのは中瀬が耀の手を本当に握ったからだった。
耀の顔が真っ赤になるのを中瀬は面白そうに笑っていた。
「誰かに見られたら大変だよ」
恥ずかしさで耀は硬く縮こまる。
「昔は手を繋いでも当たり前に思っていたよね。子供の頃に当たり前に思っていたことって、年月を重ねると消えていくよね。そしてもっと年を積み重ねると沢山のことを思い出せなくなっていく不運があるのかもしれない」
中瀬は礼子に視線を向けた。礼子は鼻歌交じりに楽しそうに微笑んでいた。そのメロディは『ぞうさんの歌』だった。
中瀬は礼子と一緒に歌いだす。耀と繋いでいた手を大きく振りながら童心に返っていた。
「ねぇ、いつまでこうしているの? 誰かが見たら誤解するよ」
「あのさ、坂内君っていつからそんなおどおどするような人になったの? 昔は私を庇ってくれていたのに」
「そんなことしたことないけど」
「あるよ。ピンクのゾウがいるって言ってくれたじゃない」
「ええ、僕、そんなこと言ったっけ?」
耀は覚えてなかった。でもずっと頭の中でそれを考えて歩いていたからピンクのゾウと聞くと体が反応する。
「ねぇ、ピンクのゾウはちゃんとついて来ている?」
礼子が二人に訊いた。
「ええ、いつだって側にいますよ」と中瀬は答える。
横で耀は「えっ?」と驚く。
「そう、よかった」
安心する礼子。とても穏やかな表情だった。
「あのさ、そのピンクのゾウだけど、本当に礼子先生と中瀬さんにも見えるの?」
また中瀬の耳元に向かって耀は小声で訊いた。
耀の言葉に中瀬は笑顔になった。
「坂内君も見えていたんでしょ?」
耀はなんて答えたらいいのかわからなかった。だけど、中瀬が笑っていたからつられて笑わずにはいられなかった。それは自分もピンクのゾウが見えると肯定したに等しい。
それを冷やかすようにピンクのゾウが含み笑いをしている様子が耀の頭に浮かんでいた。
中瀬はまたぞうさんの歌を歌いだす。礼子も歌いだした。その雰囲気に飲まれ、自然と耀も小さく口ずさんでいた。
いつ自分の存在に気づくか、後ろから視線を強く投げかけていると、結局気づいてほしいことに気がついた。
耀とは仲良くないけども、いつか話してみたいと中瀬は思っていた。たまに目が合っても耀は中瀬を避けて白々しく視線を逸らす。それがもどかしいし、何度も続けば腹も立ってくる。そのうち無意識で挑戦的に視線を向けるようになってしまった。それが逆効果なのに中瀬は気づいてなかった。
しばらく観察していると、耀の歩き方が不安定に見えてくる。ふらふらっとしたり、ジグザグに進んで普通じゃない。心ここに在らずぼんやりとしながら、機械仕掛けに足の機能だけが動いていた。
危なっかしいと思っていると、案の定、年老いた女性に突っ込んでいった。
「あっ!」
中瀬は声が漏れたと同時に立ち止まる。心配しながら様子を窺っていると、ピンクのゾウという言葉が聞こえてびっくりしてしまった。
ふたりが話す様子から知り合いなのかと徐々に距離を詰めているうちに今度は『モモちゃん』と自分の名前が呼ばれたから、つい『それって私のこと?』と口をはさんでしまった。しかも自分でもびっくりするぐらい自然に。
耀は中瀬が現れて驚いているし、中瀬もこの偶然の出会いに自分が関係していることで急激に体に電流が走ったような刺激を感じ鳥肌が立っていた。
この出会いは随分前から約束されていたことのようにも思え、まだその本質に気がついていない何かをしなければならない使命が湧き起こる。自分でも一体何が起こっているのかわからないのだけど何かが起こる予感を感じてしまう。衝撃的で不思議な感覚が中瀬の中でバチバチとスパークしていた。
その気持ちを説明しようとすると、延々と回りくどく話さないといけないのだけど、それが決して誰にも通じないと分かっている感覚。敢えて手短に言えば、中瀬は一瞬の間に、目覚めたようにはっとしたのだった。
まるでピンクのゾウがラッパを吹くように鼻を鳴らして合図をしたような驚きを感じていた。
その老婆が礼子先生と気づくや否や、懐かしさも同時に味わうのだけど、すぐに事情を知ると顔が曇った。
礼子の首から提げていたもの。それはヘルプカードだった。そこに礼子の抱える問題と連絡先が書いてある。中瀬はすぐに理解した。
『ピンクのゾウは本当にいる』
今礼子は幼稚園のときの自分たちを思い出している。だったら、礼子先生のいうとおりにしてみよう。それは願ってもない中瀬のしたいことでもあった。今の自分の皮を脱いで無邪気な頃に戻りたい。そんな思いを時々感じていた。
「ほら、何をぼんやりしてるの? 早く行くよ」
事情を飲み込めてない耀に向かって中瀬は指示する。
「行くってどこへ?」
先に中瀬と礼子が歩き出すと、耀は仕方なくついてくる。
「ほら、危ないからヨウちゃんとモモちゃんはちゃんと手を繋いで歩いてね」
礼子に言われて耀は目をまるくする。
「ちょっと、中瀬さん、一体どうなってるの?」
中瀬の耳元に小声で話す耀。
「ほら、先生の言うとおりにしないと」
中瀬は手を差し出す。
「えっ、ちょっと待って。手を繋げってこと?」
耀はあたふたした。
「だって、礼子先生は私たちが幼稚園児だと思ってるんだから、言うこと聞いてそうしてあげよう」
「ええ!?」
ひときわ大きく耀が声を上げたのは中瀬が耀の手を本当に握ったからだった。
耀の顔が真っ赤になるのを中瀬は面白そうに笑っていた。
「誰かに見られたら大変だよ」
恥ずかしさで耀は硬く縮こまる。
「昔は手を繋いでも当たり前に思っていたよね。子供の頃に当たり前に思っていたことって、年月を重ねると消えていくよね。そしてもっと年を積み重ねると沢山のことを思い出せなくなっていく不運があるのかもしれない」
中瀬は礼子に視線を向けた。礼子は鼻歌交じりに楽しそうに微笑んでいた。そのメロディは『ぞうさんの歌』だった。
中瀬は礼子と一緒に歌いだす。耀と繋いでいた手を大きく振りながら童心に返っていた。
「ねぇ、いつまでこうしているの? 誰かが見たら誤解するよ」
「あのさ、坂内君っていつからそんなおどおどするような人になったの? 昔は私を庇ってくれていたのに」
「そんなことしたことないけど」
「あるよ。ピンクのゾウがいるって言ってくれたじゃない」
「ええ、僕、そんなこと言ったっけ?」
耀は覚えてなかった。でもずっと頭の中でそれを考えて歩いていたからピンクのゾウと聞くと体が反応する。
「ねぇ、ピンクのゾウはちゃんとついて来ている?」
礼子が二人に訊いた。
「ええ、いつだって側にいますよ」と中瀬は答える。
横で耀は「えっ?」と驚く。
「そう、よかった」
安心する礼子。とても穏やかな表情だった。
「あのさ、そのピンクのゾウだけど、本当に礼子先生と中瀬さんにも見えるの?」
また中瀬の耳元に向かって耀は小声で訊いた。
耀の言葉に中瀬は笑顔になった。
「坂内君も見えていたんでしょ?」
耀はなんて答えたらいいのかわからなかった。だけど、中瀬が笑っていたからつられて笑わずにはいられなかった。それは自分もピンクのゾウが見えると肯定したに等しい。
それを冷やかすようにピンクのゾウが含み笑いをしている様子が耀の頭に浮かんでいた。
中瀬はまたぞうさんの歌を歌いだす。礼子も歌いだした。その雰囲気に飲まれ、自然と耀も小さく口ずさんでいた。