中瀬はなぜあの時ピンクのゾウと言ったのだろう。昇降口で靴を履き替え、ふと耀は首を傾げた。それに自分の体も反応し、一瞬ハッとしたのが不思議だった。
「ピンクのゾウか」
 ふと想像してしまう。
 そうなると耀の頭の中はイメージが湧き起こり想像力が止まらない。頭の中でピンクのゾウが住んでいるかのごとく、ひとりでにその映像が浮かんで周りが見えなくなってくる。
 何か気になることや、ふと思いついたアイデアに耀は時々夢中になって自分の世界に入り込んでしまう。そうなると現実の世界と想像が混ざり合って、ありえない情景が見えてしまうのだった。
 自分が頭で作り出すものに夢中になりながら、道を歩いているときだった。目の前にいた老婆に気づかずぶつかってしまう。その時、自分が住宅街にいて、帰宅途中だったことを思い出した。
 学校を出てからここまでどうやって歩いていたのか分からないほど、耀は空想に耽っていた。
「あっ、ご、ごめんなさい。ぼんやりとしていて、人がいたことに気がつきませんでした」
 とっさに頭を下げ謝る。でも老婆の反応がなんだかおかしい。ぶつかったことは全く気にしてなくて、同じ場所で足踏みして辺りをきょろきょろしていた。
 耀はどうしようかと胸の鼓動がどんどん早くなり、おろおろしてしまう。
「私、行かなくっちゃならないの。バス停はどこかしら」
 老婆は慌てていた。
 バスはもう少し先の大通りに出なければならない。自分がお詫びに連れていけばいいのだろうか。
「えっと、おばあちゃん、僕が案内しましょうか?」
「あら、本当? 嬉しいわ。この人が案内してくれるんだって。よかったわね」
 老婆は誰もいない空間に向かって話しかけている。
 耀はぎょっとした。
「あの、他に誰かいるんですか?」
「ええ、ピンクのゾウがここに」
 その言葉を聞くや、何が起こっているのか訳がわからなくなってくる。まさに今自分も中瀬の発言でピンクのゾウを想像していたから、またそれが出てきたのが不思議でならない。
「おばあちゃん、もしかして僕が想像したものが見えちゃうの?」
 馬鹿げた質問だったけど、訊かずにはいられなかった。あまりの偶然に胸躍って耀の好奇心が刺激された。
 ――僕と同じタイプの人間かもしれない。
 空想が現実に現れて一緒にそれを想像して見てくれる人。目を輝かせて耀は期待する。
 その目に訴えられて老婆はじっと耀を見つめた。老婆もまた記憶が刺激された。
「あれっ? もしかしてヨウちゃん?」
 急に名前を呼ばれ、耀はびっくりしてしまう。
「どうして僕のことを知っているんですか?」
 耀は目をぱちくりとして、この不思議な出来事にドキドキしていた。
「ああ、やっぱりヨウちゃんなのね。それじゃ、モモちゃんはどこ?」
「えっ、モモちゃん?」
 耀は聞いたことのある響きにまたハッとした。以前にも体験したような感覚がぶわっとからだの中に湧き起こる。自分は何かを知っている。何だっけ? と考えている時だった。
「それって私のこと?」
 後ろから声がした。振り返れば、中瀬が立っていた。
「えっ、なんで中瀬さんが」
 僕が戸惑っていると老婆は顔をぱっと明るくした。
「あら、モモちゃんなの?」
 状況が飲み込めず、慌てふためいている耀の前で中瀬は冷静に老婆を見ていた。ゆっくりと近づき老婆をじっと鋭く観察した直後、中瀬の表情が優しく崩れた。
「礼子先生?」
 目の前の老婆は名前を呼ばれて一層笑顔になった。
「モモちゃん、ピンクのゾウは本当にいたわよ」
 中瀬はその言葉に驚くも冷静になって老婆の首にかかっていたIDカードのようなものを手にとって見ていた。それを見て中瀬は何かに気がつき動揺する。耀に視線を向け言葉を探すように唇を振るわせた。
「さあ、ふたりとも早く教室に戻りましょう。みんなに言わなくっちゃ。ピンクのゾウは本当にいるんだって」
「そうですね。早く行きましょう」
 中瀬は礼子の手を取って微笑んだ。でも目が潤んでいる。
 耀だけが何が起こっているのかわからない。でも礼子先生と聞いて、幼稚園のときそういう名前の先生がいたことだけは思い出した。