教室を出たいのに、男子生徒達が出入り口を塞いでいた。邪魔だと思ったとき、そこに坂内耀が三人の男子生徒達に取り囲まれていることに中瀬は気がついた。
「ちょっと、そこ邪魔なんだけど……」
 先頭を歩いていた中瀬の友達の言葉ですんなりと道が空く。中瀬は耀を横目に見ながら通り過ぎた。
 目が合うとすぐに逸らした耀。いつからあんなにおどおどするようになったのだろう。
 ずっと同じ学校に通っていたから耀のことはよく知っている。でもまともに話したことがないからすれ違っても中瀬は無愛想になってしまう。それは耀の前だけじゃなく、誰にだってそうだから冷たい雰囲気がするとよく言われていた。
 中にはそこが魅力的だと言い寄ってくる男子もいたけど、中瀬は一度も相手にしなかった。じろじろ見てきたら容赦なく睨み返す。先ほども男子の視線を感じて嫌気がさしていた。
「出入り口に八頭(やず)君がいて、ちょっと緊張したね」
「だったら、もっと丁寧に『どけて下さい』って言うべきだったんじゃないの?」
「でも気持ちを悟られたくなくて変な態度になっちゃうよね」
 廊下に出て三人の女子達が話すのを中瀬は黙って聞いていた。
 話題に出てきた八頭はクラスでも目立って女子の間ではかっこいいといわれている。中瀬には興味がなかったが「だけどアピールしてもよかったんじゃない?」と適当に話を合わせていた。
「中瀬さん、もしかして八頭君のこと好きなの?」
 どうしてみんなそういうことを聞きたがるのだろう。男子にもてる中瀬はいつも女子たちから好きな人を詮索されてきた。中瀬の好きな人が自分の好きな人と被ることをみんな恐れるからだ。
「まっさか。私はそんなの興味ないから」
「じゃあ、中瀬さんはどういう人が好みなの?」
「うーん、私はピンクのゾウが見える人がいいな」
「はぁ? 何それ?」
 いつもこうやって馬鹿げたことを口にする。それで呆れてみんなそれ以上訊いてこない。ちょっと変な空気が流れるけど中瀬は慣れっこだった。
 その時、素早く横切ってスタスタと前を歩いていった存在が目に入った。耀だった。昔と比べて背が伸びたんだなと中瀬は彼の背中を見ていた。
「ねぇ、八頭君と坂内君って仲いいのかな?」
 中瀬が訊く。
「坂内君ってまだ友達できなくていつもひとりでいる人だよね。そんな人が八頭君みたいなタイプとは合わなさそうだけど?」
「じゃあ、さっき一緒にいたのはもしかして虐められてたとか?」
 中瀬の虐めの発言に女子たちはすぐに反発した。
「あんなかっこいい八頭君はそんなことしないよ、ねぇ」
「そうだよ、意地悪なことするわけないじゃん」
「絶対にないない」
 三人の女子達は認めなかった。
 みんな八頭ばかり見ていたから、耀の立場に目が行かなかったのだろう。中瀬だけが、耀の異常な態度に気がついて疑問を持っていた。
「ねぇ、これからどこかに寄っていかない?」
「うん、それいいね」
「行こう、行こう」
 まだ友達に成り立てだからみんなその距離を縮めて仲良くなろうと努力する。でも中瀬だけは違った。
「私は帰る」
 はっきりと伝え、周りの空気が少しギクシャクした。
「そ、そっか、じゃあ、また今度ね」
 周りは中瀬に気を遣っている。
 でも中瀬にとって、目の前にいる女子たちは、まだクラスメイトA、B、Cと記号で表すような仲で、ただ一緒にいるだけだ。
 もしここで嫌われてひとりになってもいいと思っているくらいだった。
 ずっとそんな風に一匹狼として過ごしてきた。
 とにかく人付き合いに関心がなかった。ずっと心に冷たいものを抱えている気分でいる。だから、ピンクのゾウとふざけたものを口にするとふと優しくなれる気がした。
 ピンクのゾウは壊れた者にしか見えない特別なものとして扱われることを中瀬は最近になって知った。それを英語で『Seeing pink elephants(ピンクのゾウが見える)』という。それは婉曲的にアルコールや薬物で幻覚症状が出ているヤバさを表しているらしい。でもピンクのゾウは国が違えば神として崇められ、願いが叶う幸せのゾウとして崇拝されるところもある。結局はどんな意味を持っていてもいいのだ。
 中瀬にとってもピンクのゾウはまた違った意味を持っていた。かつてピンクのゾウは居た。だからいつかピンクのゾウが帰ってくるその日を淡く待っていた。