太陽は地平線へと沈み辺り一面に夜が満ち始めていた頃、私達はようやく部屋に戻ってきた。 

「あー疲れた。でも、最高の一日だったね」

 瑠衣が倒れ込むように絨毯に寝転ぶのをみて、私も続く。バーベキューの片付けやごみ捨てに想像以上の時間を費やしてしまった。壁にかけられた時計に視線を送ると時刻は十八時半過ぎ。

「美咲ー、川の水浴びちゃったから先にお風呂入るね」
「うん…分かった。」

 あくびをしながらお風呂場へと向かう瑠衣を見送ったあと、私は昨日から抱えていた違和感と向き合うことに決めた。恐らく私が瑠衣に抱く違和感は、私くらいしか気付けないと思う。たった三週間だけど、四六時中一緒にいた私にしか。

「何か悩んでんのかな?」 

 天井で灯る白熱灯に向けて、ぽつりと呟いた。よしっと拳を握りしめたあと、身体を起こす。私は今までに何度も瑠衣に救われてる、瑠衣がお風呂から出たら何か悩みでもあるのか聞いてみよう。そう意気込んだ私は、机の上に置かれたコップを手にしゴクリと水を飲み干した。

 空になったコップを机に置こうとした時、カーテンと窓の隙間に何か黒いものが隠されるように置かれていたのが目に入った。不審に思った私はカーテンを開けると、そこには瑠衣のキャンパスバッグがあった。勝手に開けるのは悪い気がしたが、瑠衣はいつも私のキャンパスバッグを勝手に開けるし日曜日になったら見せてあげると瑠衣自身も言ってたからお互い様だなと思い、私はキャンパスバッグを開けた。

 だが、視線を下ろしたまま絵を持ち上げようとしたその刹那、私は手にしていた絵を衝撃のあまり落としてしまった。

「……っ……えっ?」

 なんで?
 なんで瑠衣が知ってるの?
 一瞬私が話したのかとは思った。
 だがいくら記憶を辿っても、瑠衣に話した記憶はどこにも見当たらない。なにかの見間違いかもしれないと、震える手でもう一度絨毯に落ちた絵を手にする。それは見間違いではなかった。
 
 そこにあったのは私の子供の頃の記憶。

 描かれていたのは、湖の上に佇むコテージとボートに乗り星空を見上げる三人の家族。湖を囲う木々の配置、コテージの景観、星空、ボートに乗り込む席順など全てが私の記憶そのものだった。

 瑠衣にこのことは話してない。いや、話せなかったのだ。今週の課題『静けさ』で私が夕陽に染まるコテージを描いたのは、記憶のままに描くと、どうしても星空を見上げる母を描かなければいけなくなる。それが辛かった。だから夕暮れを時間軸に焦点をあてた。

 それに、何よりも私の身体を震えあがらせたのは、瑠衣の描いたこの絵は夜空に浮かぶ月が赤かったこと。それも私の記憶と同じだった。その日は、夕食をとった後にみていたニュース番組で偶然レッドムーンがみえるということを知り、私達家族三人は夜空の元に繰り出したのだ。

「偶然……なの?」

 誰に向けるでもなく、気付けば私はその言葉を放っていた。確かに絵の題材としてはありきたりではあると思う。似通った絵はこの世に幾らでもあるだろう。でも、細部まで私の記憶と重なり合う瑠衣の描いた絵は、何故か偶然とは思えなかった。

 私は全身の力が抜け落ち、ただ呆然とその絵をみつめた。

「あーさっぱりした。美咲もお風呂……」

 瑠衣の声が鼓膜に触れて、私はその先に視線を向ける。一瞬だけ私と瑠衣の視線が結ばれ、まだ湿り気の残る髪をバスタオルで挟んでいた瑠衣の手がゆっくりと降りていった。

「見ちゃったんだ、本当は自分から話そうと思ってたんだけど」
「どうして?なんで瑠衣が」

 絞り出すように声を吐き出したが、込み上げた感情と滲み始めた涙が滑らかに言葉を発することを阻害する。瑠衣は顔を伏せたまま、微動だにしなくなってしまった。

「なんで黙ってるの?ちゃんと答えてよ……この絵が私の記憶と重なってるのは、偶然なんだよね?……」

 私が泣き叫ぶようにそう問いかけると、瑠衣は一度大きく息を吸い込んだあと、ゆっくりと息を吐いた。

 カチカチと時を刻む音が三つ程部屋に放たれた時。

 絹のように柔らかくも優しげな眼差しを私に向けて、言った。

「みてたからだよ。美咲と一緒に、同じ景色をみてたから。」