「だから護衛をつけろと言ったんだ」
カインは遠くでヨクの怒っているような声を聞いた。いらいらとした様子が口調ににじみ出ている。
「すみません、おれがついていながら……」
これはアシュアだ。
誰かが動く気配がする。ふわりと空気が動いた。
ヨク、アシュアを責めないでくれ……。
カインはそう言おうとしたが言葉にはならなかった。自分はまだ目が覚めていないのだと悟って目を開こうとしたが、体はまだ眠りの中だった。
「ユージーはどんな様子だ?」
再びヨクの不機嫌そうな声がした。
「命はとりとめたようです。わずかに急所を外れていたようで。ただ…… まだ昏睡状態で……」
アシュアがすぐに答えた。
(そうか、ユージーは助かったのか……。良かった)
夢うつつの状態でカインは安堵した。
自分の背にどっと倒れてきたユージーの重みと、彼の体温を持った赤い血が首筋を伝って地面に垂れ落ちていく記憶が蘇る。
あの時、一瞬途方もない喪失感を味わった。
ユージー・カートという存在がこの7年間自分にとって重要な存在であったことを思い出させた。
「犯人は分からないんだな」
ヨクの声がさっきよりも遠くで聞こえる。彼は落ち着きなく歩きまわっているようだ。
「ええ。カインは何かを感じて走っていったみたいなんだけど……」
アシュアの返答を聞いて、カインはやはり無理にでも目覚めるべきだと思った。
撃ったのは『彼』だ。
身じろぎして目を開いた。
「あ、カインさん!」
ティの声がすぐ近くで聞こえた。周りがあまりにまぶしく思えて、カインは目を細めた。
「まったく、この無鉄砲者! 年上の助言はちゃんと聞くもんだ!」
「ヨク、ちょっと待って……!」
ヨクが早速ベッドに走り寄って掴みかかるようにして怒鳴ったので、ティが慌てて彼の胸に手をついて押しとどめた。それでも彼女の手を振りほどこうとするヨクに、とうとうティは怒った。
「外に放り出すわよ! ヨク!!」
ティの剣幕に、やっとヨクは渋面のままベッドから離れた。
「気分はどうですか? どこか痛むところはないですか?」
カインに向き直ってティが尋ねた。心配そうに顔を覗き込む彼女の顔を見てカインは枕の上で小さくかぶりを振った。何度もまばたきを繰り返して、ようやくそこが自分の部屋であることに気がついた。
『彼』の顔を見てからの記憶がない。たぶんそのまま気を失ったのだ。
「アシュア…… いる?」
カインは枕の上で顔を巡らせた。
「なに」
アシュアがすぐに顔を覗き込んできた。
「『アライド』の…… 『アライド』のケイナの治療施設に…… 連絡をしてみてくれないか……」
声がまだうまく出ない。カインが肘をついて身を起こそうとすると、ティが慌ててそれを止めようとした。
「いい。大丈夫だから」
カインは彼女を手で制した。
「『アライド』の『ゼロ・ダリ』に? どうして?」
アシュアは少し小首をかしげて怪訝そうに尋ねた。
「ケイナだったんだ……」
「は……?」
アシュアは目を細めてカインを見た。ようやく座る姿勢にまで起き上がったとき、カインはくらりと眩暈を感じて額を押さえた。頭が重い。ティがソファからクッションを持ってくると、枕の下にあてがってくれた。それに背をもたせかけて、カインはアシュアの顔を見た。
「エレベーターから…… ケイナが出て来たんだ…… 見間違えじゃないんだ……。あれは、ケイナだった」
アシュアは戸惑ったようにカインを見つめ、その視線をヨクとティにも向けて再びカインに目を戻した。
「そんなことあるわけないだろ。ケイナはまだ『アライド』にいて、目が覚めてないんだぞ」
少し諭すような口調だった。
「だから…… 確認してくれ。頼むよ」
懇願するように言うカインの顔を見て、アシュアは疑わしそうな表情を浮かべた。もしかしたらカインはショックでどこかおかしくなったんじゃないかと思っているような顔だ。
「ぼくは正気だよ」
カインが言ったので、アシュアはしかたなくうなずいた。ヨクに目を向けると、彼はため息をついてかすかに肩をすくめた。
「分かった。ちょっと待っていてくれ」
アシュアはそう言うと部屋を出ていった。
あとに残ったのは最高に不機嫌な表情のヨクと、わずかに目を潤ませているティだ。
窓に目を向けると、外はもう暗かった。
ベッドのサイドテーブルにいつも置いている時計に目を向けると、午後9時を過ぎていた。6時間ほど気を失っていたことになる。自分の部屋に運び込まれたということは、外傷などはなかったということだろう。
「ヨク…… 会議はどうなりました」
顔を巡らせてカインはヨクに目を向けた。両手をポケットに突っ込んで椅子の背に身をもたせかけて立っていたヨクは床に向けていた顔をあげた。
「会議のことなんか心配するな」
ぶっきらぼうにそう答えると、彼はカインから目をそらせた。不安と怒りとが混ざり合った表情だ。どこに何をぶつければいいのか分からないのだろう。
「カインさん」
ティがカインの目を覗きこむようにして言った。
「あなたはしばらく静養が必要なんです」
「してもらわないと困るんだよ」
ティの言葉が終わらないうちにヨクが畳み掛けてくる。ティはきゅっと口を引き結んでヨクをちらりと見た。そして続けた。
「対外的には怪我をしたことになっています。全治一ヶ月ほどの。社内でも限られた者以外はそういうふうに説明を受けているはずです」
それを聞いてカインは小さく息を吐いてうなずいた。
カート・コーポレーションとリィ・カンパニーのトップが揃っているときに狙撃された。それはミストラル食品会社の社長が狙撃されたことなど比ではないほどのセンセーショナルな大事件だ。公に姿を現さないほうが無難だということだろう。
ヨクは片手をポケットから出すと、疲れきったように首筋をなでた。
「頭に怪我をしたことにしたよ……。つい2時間ほど前まで恐ろしいほどマスコミが詰めかけていたんだ。そのあたりは広報担当のスタンリーが全部対応している。たぶん、彼に任せておけば今後も大丈夫だろう」
ヨクはそう言って部屋の中をぐるりと見回した。
「実際、医師からは疲労が嵩んでいるという所見があった。静養は嘘じゃないが、病院じゃなくてこっちで休んでもらってるのはマスコミシャットアウトの方針からだ。オフィスと同じビル内にあるきみの部屋でならガードもしやすい。さすがにここまではマスコミもあがって来れないからな。一週間後にきみのオフィスの必要なものはこっちに移動させるよう手配してる。多少暮らしにくくなるかもしれんが、我慢してくれ」
彼の言葉を聞きながら、カインはエアポートでのことを思い出していた。
誰もいないフロアの中で背を押し付けた壁の硬さと冷たさがまだ残っている。
エレベーターから出て来たケイナそっくりの少年の、踏み出した最初の靴音さえも耳から離れない。
そういえば……。カインはふと思った。
エアポートの監視カメラに『彼』の姿が映っているかもしれない。
「ヨク」
カインが声をかけると、ヨクは目だけをこちらに向けた。
「エアポートの監視カメラの映像の話は聞きましたか?」
「聞いたよ」
ヨクはすぐに答えた。
「何にも映っていなかった」
「映っていなかった?」
目を細めて疑わしそうに自分を見るカインにヨクは肩をすくめてみせた。
「正しくは『見えなかった』。きみが3番棟のエレベーターホールに走りこんで来たあたりから約5分間、画像が荒れた。原因は何か分からないんだそうだ。そのあとに映っていたのは、きみがエレベーターの前で倒れている姿だ」
映っていなかった……。
カインは視線を泳がせた。あのときの声は確かにケイナだった。7年たったとはいえ、忘れるはずがない。
アシュアはたぶんケイナは『アライド』で眠っているという返事を持って帰ってくるだろう。だとしたら、あのケイナはいったい誰だというのだろう。
(助かったね。カイン・リィ)
『彼』の言葉を思い出して、思わずぞくりとした。
そう、あのとき自分はユージーが落としたものを拾おうとして身をかがめた。
ユージーが撃たれたのはその直後だった。
と、いうことは、もしかしたら『彼』が狙っていたのはぼくだったのか?
でも、なぜ。
カインは遠くでヨクの怒っているような声を聞いた。いらいらとした様子が口調ににじみ出ている。
「すみません、おれがついていながら……」
これはアシュアだ。
誰かが動く気配がする。ふわりと空気が動いた。
ヨク、アシュアを責めないでくれ……。
カインはそう言おうとしたが言葉にはならなかった。自分はまだ目が覚めていないのだと悟って目を開こうとしたが、体はまだ眠りの中だった。
「ユージーはどんな様子だ?」
再びヨクの不機嫌そうな声がした。
「命はとりとめたようです。わずかに急所を外れていたようで。ただ…… まだ昏睡状態で……」
アシュアがすぐに答えた。
(そうか、ユージーは助かったのか……。良かった)
夢うつつの状態でカインは安堵した。
自分の背にどっと倒れてきたユージーの重みと、彼の体温を持った赤い血が首筋を伝って地面に垂れ落ちていく記憶が蘇る。
あの時、一瞬途方もない喪失感を味わった。
ユージー・カートという存在がこの7年間自分にとって重要な存在であったことを思い出させた。
「犯人は分からないんだな」
ヨクの声がさっきよりも遠くで聞こえる。彼は落ち着きなく歩きまわっているようだ。
「ええ。カインは何かを感じて走っていったみたいなんだけど……」
アシュアの返答を聞いて、カインはやはり無理にでも目覚めるべきだと思った。
撃ったのは『彼』だ。
身じろぎして目を開いた。
「あ、カインさん!」
ティの声がすぐ近くで聞こえた。周りがあまりにまぶしく思えて、カインは目を細めた。
「まったく、この無鉄砲者! 年上の助言はちゃんと聞くもんだ!」
「ヨク、ちょっと待って……!」
ヨクが早速ベッドに走り寄って掴みかかるようにして怒鳴ったので、ティが慌てて彼の胸に手をついて押しとどめた。それでも彼女の手を振りほどこうとするヨクに、とうとうティは怒った。
「外に放り出すわよ! ヨク!!」
ティの剣幕に、やっとヨクは渋面のままベッドから離れた。
「気分はどうですか? どこか痛むところはないですか?」
カインに向き直ってティが尋ねた。心配そうに顔を覗き込む彼女の顔を見てカインは枕の上で小さくかぶりを振った。何度もまばたきを繰り返して、ようやくそこが自分の部屋であることに気がついた。
『彼』の顔を見てからの記憶がない。たぶんそのまま気を失ったのだ。
「アシュア…… いる?」
カインは枕の上で顔を巡らせた。
「なに」
アシュアがすぐに顔を覗き込んできた。
「『アライド』の…… 『アライド』のケイナの治療施設に…… 連絡をしてみてくれないか……」
声がまだうまく出ない。カインが肘をついて身を起こそうとすると、ティが慌ててそれを止めようとした。
「いい。大丈夫だから」
カインは彼女を手で制した。
「『アライド』の『ゼロ・ダリ』に? どうして?」
アシュアは少し小首をかしげて怪訝そうに尋ねた。
「ケイナだったんだ……」
「は……?」
アシュアは目を細めてカインを見た。ようやく座る姿勢にまで起き上がったとき、カインはくらりと眩暈を感じて額を押さえた。頭が重い。ティがソファからクッションを持ってくると、枕の下にあてがってくれた。それに背をもたせかけて、カインはアシュアの顔を見た。
「エレベーターから…… ケイナが出て来たんだ…… 見間違えじゃないんだ……。あれは、ケイナだった」
アシュアは戸惑ったようにカインを見つめ、その視線をヨクとティにも向けて再びカインに目を戻した。
「そんなことあるわけないだろ。ケイナはまだ『アライド』にいて、目が覚めてないんだぞ」
少し諭すような口調だった。
「だから…… 確認してくれ。頼むよ」
懇願するように言うカインの顔を見て、アシュアは疑わしそうな表情を浮かべた。もしかしたらカインはショックでどこかおかしくなったんじゃないかと思っているような顔だ。
「ぼくは正気だよ」
カインが言ったので、アシュアはしかたなくうなずいた。ヨクに目を向けると、彼はため息をついてかすかに肩をすくめた。
「分かった。ちょっと待っていてくれ」
アシュアはそう言うと部屋を出ていった。
あとに残ったのは最高に不機嫌な表情のヨクと、わずかに目を潤ませているティだ。
窓に目を向けると、外はもう暗かった。
ベッドのサイドテーブルにいつも置いている時計に目を向けると、午後9時を過ぎていた。6時間ほど気を失っていたことになる。自分の部屋に運び込まれたということは、外傷などはなかったということだろう。
「ヨク…… 会議はどうなりました」
顔を巡らせてカインはヨクに目を向けた。両手をポケットに突っ込んで椅子の背に身をもたせかけて立っていたヨクは床に向けていた顔をあげた。
「会議のことなんか心配するな」
ぶっきらぼうにそう答えると、彼はカインから目をそらせた。不安と怒りとが混ざり合った表情だ。どこに何をぶつければいいのか分からないのだろう。
「カインさん」
ティがカインの目を覗きこむようにして言った。
「あなたはしばらく静養が必要なんです」
「してもらわないと困るんだよ」
ティの言葉が終わらないうちにヨクが畳み掛けてくる。ティはきゅっと口を引き結んでヨクをちらりと見た。そして続けた。
「対外的には怪我をしたことになっています。全治一ヶ月ほどの。社内でも限られた者以外はそういうふうに説明を受けているはずです」
それを聞いてカインは小さく息を吐いてうなずいた。
カート・コーポレーションとリィ・カンパニーのトップが揃っているときに狙撃された。それはミストラル食品会社の社長が狙撃されたことなど比ではないほどのセンセーショナルな大事件だ。公に姿を現さないほうが無難だということだろう。
ヨクは片手をポケットから出すと、疲れきったように首筋をなでた。
「頭に怪我をしたことにしたよ……。つい2時間ほど前まで恐ろしいほどマスコミが詰めかけていたんだ。そのあたりは広報担当のスタンリーが全部対応している。たぶん、彼に任せておけば今後も大丈夫だろう」
ヨクはそう言って部屋の中をぐるりと見回した。
「実際、医師からは疲労が嵩んでいるという所見があった。静養は嘘じゃないが、病院じゃなくてこっちで休んでもらってるのはマスコミシャットアウトの方針からだ。オフィスと同じビル内にあるきみの部屋でならガードもしやすい。さすがにここまではマスコミもあがって来れないからな。一週間後にきみのオフィスの必要なものはこっちに移動させるよう手配してる。多少暮らしにくくなるかもしれんが、我慢してくれ」
彼の言葉を聞きながら、カインはエアポートでのことを思い出していた。
誰もいないフロアの中で背を押し付けた壁の硬さと冷たさがまだ残っている。
エレベーターから出て来たケイナそっくりの少年の、踏み出した最初の靴音さえも耳から離れない。
そういえば……。カインはふと思った。
エアポートの監視カメラに『彼』の姿が映っているかもしれない。
「ヨク」
カインが声をかけると、ヨクは目だけをこちらに向けた。
「エアポートの監視カメラの映像の話は聞きましたか?」
「聞いたよ」
ヨクはすぐに答えた。
「何にも映っていなかった」
「映っていなかった?」
目を細めて疑わしそうに自分を見るカインにヨクは肩をすくめてみせた。
「正しくは『見えなかった』。きみが3番棟のエレベーターホールに走りこんで来たあたりから約5分間、画像が荒れた。原因は何か分からないんだそうだ。そのあとに映っていたのは、きみがエレベーターの前で倒れている姿だ」
映っていなかった……。
カインは視線を泳がせた。あのときの声は確かにケイナだった。7年たったとはいえ、忘れるはずがない。
アシュアはたぶんケイナは『アライド』で眠っているという返事を持って帰ってくるだろう。だとしたら、あのケイナはいったい誰だというのだろう。
(助かったね。カイン・リィ)
『彼』の言葉を思い出して、思わずぞくりとした。
そう、あのとき自分はユージーが落としたものを拾おうとして身をかがめた。
ユージーが撃たれたのはその直後だった。
と、いうことは、もしかしたら『彼』が狙っていたのはぼくだったのか?
でも、なぜ。