ティは向かい合って手遊びをする双子に顔を向けた。
自分の父親が危ない目に遭っているかもしれないというのに、この子たちはどうしてこんなに落ち着いているのだろう。
リアは腕を組んで壁にもたれかかり、ぼんやりと窓の外を見ている。
たくさんの兵士が警護をしてくれているとはいえ、不安にならないのだろうか。
リアの視線の先を辿って窓の外にちらりと目をやると、いつもと変わらぬビル群が目に飛び込んで来た。ドーム越しに見る空も青い。眩しいほど青い。
ティは目を逸らせると自分の手元を見つめた。
何もできない。ただ待っているしかない。そのことが辛かった。
「ねえ」
ふいにリアが話しかけたので、ティは彼女に顔を向けた。
「この服、ほんとにもらっちゃっていいのかしら」
彼女は身につけていた白いセーターの裾をつまんで言った。
「ええ……。もちろんよ」
ティは答えた。
「前に着てた赤いやつも?」
「全部あなたのものだわ。どうしたの? そんなこと聞くなんて」
ティは怪訝そうにリアの顔を見た。リアは少しはにかんだような笑みを見せた。
「こういうのを着たのって、生まれて初めてで、ちょっと嬉しかったの」
リアは白いセーターの袖口を自分の頬に押しつけた。『ノマド』では感じたことのない優しい肌触りにうっとりする。
「ずっと『ノマド』にいて、外の生活って経験がなかったの。外の世界は柔らかい服やきらきら光るものがあって素敵ね」
「あたし、きらきらするのは嫌い」
ブランが口を挟んだ。
「お母さんが持つ剣だって、ほんとうは嫌いなんだから」
ティとリアは思わず顔を見合せた。リアがくすりと笑った。
「森の中で目立たないようにするから、くすんだ色の服ばっかりだったの」
「剣を持って戦うため?」
ティが尋ねると、リアは肩をすくめた。
「好きだったから持ってただけで、あたしの剣術なんて、アシュアが教えてくれなかったらたいしたことなかったわ」
「アシュアが?」
ティはびっくりしたように小さく目を見開いた。リアはうなずいた。
「ほんとはケイナに教えてもらいたかったのに、教えてくれなかったのよ。意地悪なんだから、あの子」
ティは「意地悪」という言葉に思わず笑った。教えてと言ってもむっつりしてそっぽを向く彼の仕草が目に浮かぶようだった。
「ケイナは不思議な子ね。愛想が悪くていけすかない子だって、わたし、最初は敬遠してたの。でも、違うみたいね」
ティは自分の手元を見つめて言った。
「なんていうんだろう……。生きることに必死みたい。必死過ぎて、ほんとは脆くて折れそうなのに、人に寄りかかることもできなくて……」
「みんな、そうよ」
リアが言ったので、ティは顔をあげて彼女を見た。
「ケイナもカインもアシュアもセレスも…… みんな生きることに必死。あたしもティも」
リアは少し首をかしげてティを見た。
「あたし、ティが大好きよ。なんだか妹ができたみたいで嬉しかった。笑いながらお洋服を見て、他愛もないおしゃべりをして、それがとても楽しかった。あなたはあたしが『ノマド』の人間でもためらったり、ものめずらしそうな目をしないし、対等に話をしてくれた。もっと早くに出会ってれば良かったのにって、何度も思ったわ」
ティは目を細めた。
「なんだかお別れするような言い方ね」
「だって、あたしはもうすぐ『ノマド』に帰るんだもの」
「また来ればいいじゃない」
寂しそうな表情を見せるリアにティは言った。
「アシュアはよくここに来てるわ。あなたも来ればいいじゃない。わたしに会いに来て」
リアはそれを聞いて笑みを見せた。
「そうね」
「今度一緒にモールに買い物に行きましょうよ。リアはスタイルがいいからいろんな服を着ることができるわよ。わたしよりずっと美人だからきれいなアクセサリーも似合うわ。わたしが選んで…… そうだわ……」
ティは視線を泳がせた。
「セレスにケイナとおそろいでネックレスを買わなきゃって思ってたんだったわ……。わたしったら、すっかり忘れて……」
そうつぶやいた途端、ぽろりとティの目から涙が落ちた。泣くつもりはなかったティは自分でびっくりした。リアは慌ててティに駆け寄った。
「ごめんなさい!」
「お母さん、失敗!」
ブランが立ち上がると腰に手をあてて声を張り上げた。
「ほんと、失敗しちゃったわ。ごめんね、泣かせるつもりはなかったのに」
「わたしも泣くつもりはなかったわ」
ティはぽろぽろとこぼれる涙に自分で途方に暮れながら答えた。
肩を抱いてくれるリアに、ティはすがった。花の香りがする彼女の肩に顔を埋めて泣きじゃくった。
ヨクの声が耳に響いたのは、切っ先の反り返った相手のサーベルをほんの少しのタイミングでよけ損なってケイナが左耳の横に細い傷を作ったときだった。全員がひやりとした。
それでも見ているだけで全く手出しができない。ケイナと『彼』の動きは人並みはずれていて、銃で狙うこともできなければ直接向かっていくこともできなかった。
アシュアはケイナとの約束を守って、今にも飛び出して行きそうなセレスの腕を必死になって掴んでいた。
「答えろよ! カイン! 今どこだ!」
ヨクが怒鳴っている。ユージーやアシュアの耳にも聞こえているだろう。
「カイン! ……って、おい! 離せ!」
ばきりと鈍い音が遠くで聞こえた。ヨクはどうやらプラニカで追いかけてきたようだが、ダム湖の対岸で兵士に止められたらしい。
「総司令官、ヨク・ツカヤ氏をどうすればいいですか」
兵士の声が聞こえた。
「殴り飛ばしてプラニカでリィのビルに戻せ!」
ユージーが怒鳴った。
「なんだと……っ! 離せ! はな……」
途中で声がぷつりと切れた。通信機をもぎ取られてしまったらしい。
「……すまないな」
ユージーが言ったが、カインはちらりと彼に目を向けただけだった。
さすがに殴り飛ばしはしないだろうがいたしかたない。ヨクがここに来てもかえって足手まといなことは確かだ。
ユージーが言わなくてもたぶん自分も同じことを言っていた。
ヨクは社にいてもらわなくては困る。自分に何かあったときのために……。
ケイナが疲れてきている、と誰もが感じたのは、それから5分後だった。
もう30分以上最大限の力で飛び回っている。耳のピアスが光るたびに汗が飛び散るのが見え、表情も苦しそうだ。
同じだけ動いているのに相手の呼吸が全く乱れてこないのが不気味だった。ケイナと同じ顔をしながらその口元に笑みが浮かんでいる。
一瞬後にガツリという音がして、全員がぎょっとした。相手のサーベルを左手のノマドの剣で払い退け損なったケイナが顔を庇おうと前に出した彼の右腕に振り下ろされていた。
「ケイナ!」
押されて仰向けに倒れてしまったケイナを見てセレスが悲痛な声をあげた。アシュアは駆け寄っていきそうになる彼女の腕を必死になって掴んだ。
「離して! 離してよ!」
セレスはアシュアの顔を睨みつけて叫んだ。
「だめだ!」
アシュアはきっぱりと言った。
「ケイナがおまえには手出しをさせるなと言ったんだ!」
「なんで!」
あって当然の問いにアシュアは口を引き結んだ。
「……ケイナとの約束だ」
セレスは小さな呻き声をあげた。
「そろそろ…… 終わりにしないか?」
ケイナは必死になってサーベルの力に耐えながら『彼』の声を聞いた。
力が強い。痛みは感じなくても義手がそのまま切り落とされる恐怖を感じた。このまま振り切られたらそれでもう終わりだ。
おれが死んだら終わりなのか?
ケイナは歯を食いしばりながら考えていた。『ノマド』のシナリオはおれが死ぬことだったんだろうか。
「ハルドさん……」
ケイナは必死になって言った。
「ハルドさん、目を覚ましてくれ……。おれの声、聞こえないのか……」
『彼』は可笑しそうに笑った。
「おまえの呼んでいるやつはぐっすり眠ったまんまだよ」
ケイナは自分の腕がかすかに軋む音を聞いた。左手の剣で相手の刃を押し返そうとしたが、びくともしなかった。
「アシュア、行け!」
今なら動きが止まっている。ユージーが自分のサーベルを投げて寄越したので、アシュアは慌てて受け止めたが面食らった。
セレスをどうすればいいんだ。
「カイン、こいつをしっかり捕まえてろ!」
しかたなくアシュアはそう怒鳴ると、駆け出した。カインは慌ててセレスの腕を掴んだ。
「手ぇ出すな!」
ケイナは叫んだが、次の瞬間にはアシュアの雄叫びと鈍い音がして、目の前から相手が消えていた。
何本もの光の筋が頭上を走って行った。ユージーとカインだ。
「ケイナ、うしろ!」
起き上がってすぐにセレスの声が響き、ぎょっとして振り向きざまにノマドの剣で弧を描いたが、刃は空しく宙を切っただけだった。相手の飛び退った先にアシュアがサーベルを構えている。
「アシュア!」
思わずケイナは叫んだが、雄たけびをあげて鈍い音と共に相手の服を切り裂いたのはアシュアのサーベルのほうだった。
「ケイナ…… どうして?」
セレスのかすかに震える声でつぶやいた。
どうして? 何が?
カインは思わずセレスの顔を見た。
「ケイナはどうして手加減してるの……?」
カインははっとして、拾ったケイナの通信機を思い出した。
ケイナはもうずいぶん長く動き回っているのに、相手に全くダメージを与えていなかった。
彼は、何とかして自分の声でハルド・クレイを呼び戻そうとしている?
通信機を外したのはセレスに自分の声が聞こえないようにするためだったのか?
ケイナ…… それは無茶だ……
顔を巡らせて相手を見つけ、ケイナは左手で剣を握り直した。
自分に向かってくる自分と同じ顔を見て一瞬眩暈を感じ、小さな呻き声が漏れた。
藍色の瞳。自分と同じ海の色の瞳。
そしてハルドの目。
――首から上はハルド・クレイだ。――
エリドの言葉が蘇る。首を切り落としたらこいつは死ぬ。
分かっているのに剣を振り下ろせない。
時間が急に遅く流れていくような気がした。
目は確実に相手の動きを捉えているのに体が動かない。
「ケイナ!!」
セレスの声が聞こえたが、それでもケイナは動けなかった。
頭の中で自分の声が聞こえた。
――これからは何度目が覚めても『明日』がくる……――
サーベルの切っ先が左腕の皮膚を破りながらノマドの剣をもぎとっていった。
向こうに反れていった切っ先が再び自分に向かってきたとき、ケイナは初めて相手から目を逸らせた。
――ほんとうに、そうだったらいい……――
心臓まで響くようなガツリという衝撃があった。
戦意を失いながらもケイナは本能的に右腕で自分を庇っていた。
さっきの一撃で相手のサーベルの力を覚えた義手は重い刃を受け止めはしたが、作り物でない生身の自分の体はもう動かなかった。
急激に力が抜けていく。アシュアが声をあげて飛びかかり、相手が自分の前から消えた。
「ハルドさん…… 目を…… 覚ま……」
左腕から流れる赤い血を見つめながら、ケイナは膝が地面に落ちるのを感じた。重い衝撃が体に伝わる。
ノマドの剣……。
肩で息をつきながら顔を巡らせた。
ノマドの剣はもう…… ない。
自分の父親が危ない目に遭っているかもしれないというのに、この子たちはどうしてこんなに落ち着いているのだろう。
リアは腕を組んで壁にもたれかかり、ぼんやりと窓の外を見ている。
たくさんの兵士が警護をしてくれているとはいえ、不安にならないのだろうか。
リアの視線の先を辿って窓の外にちらりと目をやると、いつもと変わらぬビル群が目に飛び込んで来た。ドーム越しに見る空も青い。眩しいほど青い。
ティは目を逸らせると自分の手元を見つめた。
何もできない。ただ待っているしかない。そのことが辛かった。
「ねえ」
ふいにリアが話しかけたので、ティは彼女に顔を向けた。
「この服、ほんとにもらっちゃっていいのかしら」
彼女は身につけていた白いセーターの裾をつまんで言った。
「ええ……。もちろんよ」
ティは答えた。
「前に着てた赤いやつも?」
「全部あなたのものだわ。どうしたの? そんなこと聞くなんて」
ティは怪訝そうにリアの顔を見た。リアは少しはにかんだような笑みを見せた。
「こういうのを着たのって、生まれて初めてで、ちょっと嬉しかったの」
リアは白いセーターの袖口を自分の頬に押しつけた。『ノマド』では感じたことのない優しい肌触りにうっとりする。
「ずっと『ノマド』にいて、外の生活って経験がなかったの。外の世界は柔らかい服やきらきら光るものがあって素敵ね」
「あたし、きらきらするのは嫌い」
ブランが口を挟んだ。
「お母さんが持つ剣だって、ほんとうは嫌いなんだから」
ティとリアは思わず顔を見合せた。リアがくすりと笑った。
「森の中で目立たないようにするから、くすんだ色の服ばっかりだったの」
「剣を持って戦うため?」
ティが尋ねると、リアは肩をすくめた。
「好きだったから持ってただけで、あたしの剣術なんて、アシュアが教えてくれなかったらたいしたことなかったわ」
「アシュアが?」
ティはびっくりしたように小さく目を見開いた。リアはうなずいた。
「ほんとはケイナに教えてもらいたかったのに、教えてくれなかったのよ。意地悪なんだから、あの子」
ティは「意地悪」という言葉に思わず笑った。教えてと言ってもむっつりしてそっぽを向く彼の仕草が目に浮かぶようだった。
「ケイナは不思議な子ね。愛想が悪くていけすかない子だって、わたし、最初は敬遠してたの。でも、違うみたいね」
ティは自分の手元を見つめて言った。
「なんていうんだろう……。生きることに必死みたい。必死過ぎて、ほんとは脆くて折れそうなのに、人に寄りかかることもできなくて……」
「みんな、そうよ」
リアが言ったので、ティは顔をあげて彼女を見た。
「ケイナもカインもアシュアもセレスも…… みんな生きることに必死。あたしもティも」
リアは少し首をかしげてティを見た。
「あたし、ティが大好きよ。なんだか妹ができたみたいで嬉しかった。笑いながらお洋服を見て、他愛もないおしゃべりをして、それがとても楽しかった。あなたはあたしが『ノマド』の人間でもためらったり、ものめずらしそうな目をしないし、対等に話をしてくれた。もっと早くに出会ってれば良かったのにって、何度も思ったわ」
ティは目を細めた。
「なんだかお別れするような言い方ね」
「だって、あたしはもうすぐ『ノマド』に帰るんだもの」
「また来ればいいじゃない」
寂しそうな表情を見せるリアにティは言った。
「アシュアはよくここに来てるわ。あなたも来ればいいじゃない。わたしに会いに来て」
リアはそれを聞いて笑みを見せた。
「そうね」
「今度一緒にモールに買い物に行きましょうよ。リアはスタイルがいいからいろんな服を着ることができるわよ。わたしよりずっと美人だからきれいなアクセサリーも似合うわ。わたしが選んで…… そうだわ……」
ティは視線を泳がせた。
「セレスにケイナとおそろいでネックレスを買わなきゃって思ってたんだったわ……。わたしったら、すっかり忘れて……」
そうつぶやいた途端、ぽろりとティの目から涙が落ちた。泣くつもりはなかったティは自分でびっくりした。リアは慌ててティに駆け寄った。
「ごめんなさい!」
「お母さん、失敗!」
ブランが立ち上がると腰に手をあてて声を張り上げた。
「ほんと、失敗しちゃったわ。ごめんね、泣かせるつもりはなかったのに」
「わたしも泣くつもりはなかったわ」
ティはぽろぽろとこぼれる涙に自分で途方に暮れながら答えた。
肩を抱いてくれるリアに、ティはすがった。花の香りがする彼女の肩に顔を埋めて泣きじゃくった。
ヨクの声が耳に響いたのは、切っ先の反り返った相手のサーベルをほんの少しのタイミングでよけ損なってケイナが左耳の横に細い傷を作ったときだった。全員がひやりとした。
それでも見ているだけで全く手出しができない。ケイナと『彼』の動きは人並みはずれていて、銃で狙うこともできなければ直接向かっていくこともできなかった。
アシュアはケイナとの約束を守って、今にも飛び出して行きそうなセレスの腕を必死になって掴んでいた。
「答えろよ! カイン! 今どこだ!」
ヨクが怒鳴っている。ユージーやアシュアの耳にも聞こえているだろう。
「カイン! ……って、おい! 離せ!」
ばきりと鈍い音が遠くで聞こえた。ヨクはどうやらプラニカで追いかけてきたようだが、ダム湖の対岸で兵士に止められたらしい。
「総司令官、ヨク・ツカヤ氏をどうすればいいですか」
兵士の声が聞こえた。
「殴り飛ばしてプラニカでリィのビルに戻せ!」
ユージーが怒鳴った。
「なんだと……っ! 離せ! はな……」
途中で声がぷつりと切れた。通信機をもぎ取られてしまったらしい。
「……すまないな」
ユージーが言ったが、カインはちらりと彼に目を向けただけだった。
さすがに殴り飛ばしはしないだろうがいたしかたない。ヨクがここに来てもかえって足手まといなことは確かだ。
ユージーが言わなくてもたぶん自分も同じことを言っていた。
ヨクは社にいてもらわなくては困る。自分に何かあったときのために……。
ケイナが疲れてきている、と誰もが感じたのは、それから5分後だった。
もう30分以上最大限の力で飛び回っている。耳のピアスが光るたびに汗が飛び散るのが見え、表情も苦しそうだ。
同じだけ動いているのに相手の呼吸が全く乱れてこないのが不気味だった。ケイナと同じ顔をしながらその口元に笑みが浮かんでいる。
一瞬後にガツリという音がして、全員がぎょっとした。相手のサーベルを左手のノマドの剣で払い退け損なったケイナが顔を庇おうと前に出した彼の右腕に振り下ろされていた。
「ケイナ!」
押されて仰向けに倒れてしまったケイナを見てセレスが悲痛な声をあげた。アシュアは駆け寄っていきそうになる彼女の腕を必死になって掴んだ。
「離して! 離してよ!」
セレスはアシュアの顔を睨みつけて叫んだ。
「だめだ!」
アシュアはきっぱりと言った。
「ケイナがおまえには手出しをさせるなと言ったんだ!」
「なんで!」
あって当然の問いにアシュアは口を引き結んだ。
「……ケイナとの約束だ」
セレスは小さな呻き声をあげた。
「そろそろ…… 終わりにしないか?」
ケイナは必死になってサーベルの力に耐えながら『彼』の声を聞いた。
力が強い。痛みは感じなくても義手がそのまま切り落とされる恐怖を感じた。このまま振り切られたらそれでもう終わりだ。
おれが死んだら終わりなのか?
ケイナは歯を食いしばりながら考えていた。『ノマド』のシナリオはおれが死ぬことだったんだろうか。
「ハルドさん……」
ケイナは必死になって言った。
「ハルドさん、目を覚ましてくれ……。おれの声、聞こえないのか……」
『彼』は可笑しそうに笑った。
「おまえの呼んでいるやつはぐっすり眠ったまんまだよ」
ケイナは自分の腕がかすかに軋む音を聞いた。左手の剣で相手の刃を押し返そうとしたが、びくともしなかった。
「アシュア、行け!」
今なら動きが止まっている。ユージーが自分のサーベルを投げて寄越したので、アシュアは慌てて受け止めたが面食らった。
セレスをどうすればいいんだ。
「カイン、こいつをしっかり捕まえてろ!」
しかたなくアシュアはそう怒鳴ると、駆け出した。カインは慌ててセレスの腕を掴んだ。
「手ぇ出すな!」
ケイナは叫んだが、次の瞬間にはアシュアの雄叫びと鈍い音がして、目の前から相手が消えていた。
何本もの光の筋が頭上を走って行った。ユージーとカインだ。
「ケイナ、うしろ!」
起き上がってすぐにセレスの声が響き、ぎょっとして振り向きざまにノマドの剣で弧を描いたが、刃は空しく宙を切っただけだった。相手の飛び退った先にアシュアがサーベルを構えている。
「アシュア!」
思わずケイナは叫んだが、雄たけびをあげて鈍い音と共に相手の服を切り裂いたのはアシュアのサーベルのほうだった。
「ケイナ…… どうして?」
セレスのかすかに震える声でつぶやいた。
どうして? 何が?
カインは思わずセレスの顔を見た。
「ケイナはどうして手加減してるの……?」
カインははっとして、拾ったケイナの通信機を思い出した。
ケイナはもうずいぶん長く動き回っているのに、相手に全くダメージを与えていなかった。
彼は、何とかして自分の声でハルド・クレイを呼び戻そうとしている?
通信機を外したのはセレスに自分の声が聞こえないようにするためだったのか?
ケイナ…… それは無茶だ……
顔を巡らせて相手を見つけ、ケイナは左手で剣を握り直した。
自分に向かってくる自分と同じ顔を見て一瞬眩暈を感じ、小さな呻き声が漏れた。
藍色の瞳。自分と同じ海の色の瞳。
そしてハルドの目。
――首から上はハルド・クレイだ。――
エリドの言葉が蘇る。首を切り落としたらこいつは死ぬ。
分かっているのに剣を振り下ろせない。
時間が急に遅く流れていくような気がした。
目は確実に相手の動きを捉えているのに体が動かない。
「ケイナ!!」
セレスの声が聞こえたが、それでもケイナは動けなかった。
頭の中で自分の声が聞こえた。
――これからは何度目が覚めても『明日』がくる……――
サーベルの切っ先が左腕の皮膚を破りながらノマドの剣をもぎとっていった。
向こうに反れていった切っ先が再び自分に向かってきたとき、ケイナは初めて相手から目を逸らせた。
――ほんとうに、そうだったらいい……――
心臓まで響くようなガツリという衝撃があった。
戦意を失いながらもケイナは本能的に右腕で自分を庇っていた。
さっきの一撃で相手のサーベルの力を覚えた義手は重い刃を受け止めはしたが、作り物でない生身の自分の体はもう動かなかった。
急激に力が抜けていく。アシュアが声をあげて飛びかかり、相手が自分の前から消えた。
「ハルドさん…… 目を…… 覚ま……」
左腕から流れる赤い血を見つめながら、ケイナは膝が地面に落ちるのを感じた。重い衝撃が体に伝わる。
ノマドの剣……。
肩で息をつきながら顔を巡らせた。
ノマドの剣はもう…… ない。