「午後2時半にヨクはランド社で打ち合わせをする。打ち合わせ自体は30分ほどのものだ。そのあと、プラニカでケイナと一緒にS-552ブロックへ。一度プラニカから降りてヨクだけがショップに入る。そこでアシュアと入れ替わる。アシュアと入れ替わったあと、ケイナと別れる。つまり、ヨクの単独行動のシチュエーションを作る」
 カインは地図を前に説明をした。ケイナ、セレス、アシュア、クルーレ、ヨク、リアの6人が覗き込んでいる。
「カートがバッカードの見張りに使っていたビルがここ。クルーレとぼくはここにいる。それ以外に周辺に約40名、クルーレの部隊が見張りに立ってくれる。本当はもう少し投入したいところだけれど、あまり目立っても良くない。これがぎりぎりの人数だ」
 そうですね? というようにカインがクルーレに目を向けると、クルーレは無言でうなずいた。
「ショップのオーナーはカートと懇意なんだそうだ。従業員のふたりがクルーレの部下だ。ヨクは店の裏手のほうから誘導する。リアはオフィスで子供たちと待機。セレスは……」
 カインは言葉を切ってセレスを見た。
 記憶が戻ったと思ったら自分も一緒に行くと言い出したセレスに戸惑っていた。

 オフィスに入ってくるなり、彼女が猛然と自分のデスクに走り寄って飛びついてときは、身構えるヒマもなかった。
 勢いが強すぎてカインは彼女に抱きつかれたまま大きな椅子と共に床にひっくり返った。頭を打たなかったのは奇跡としか言いようがない。
 びっくりしたのと怒りがこみあげるのとで、セレスが何かを言おうとするのを遮って、かなりきつく叱った。
「ごめんなさい、ちょっと待って!」
 そう言って、来たときと同じように慌しく出て行ったと思ったら、今度はケイナに引きずられて戻ってきた。それもまたカインを混乱させる光景だった。
 どうして『グリーン・アイズ』をケイナが引きずって戻ってくる?
 朝っぱらからまたひと悶着起こるのか? 勘弁してくれ。
 ひっくり返った椅子を仏頂面で起こしながら、カインの頭の中にはそのことしか浮かばなかった。だから、違う、違うとセレスが繰り返しても、何のことか分からなかった。
 セレスは困惑した表情で視線を泳がせたあと、目を輝かせてこちらを向いた。
「ねえ、カイン、『ライン』のライブラリで地球の海の映像を見せてくれたこと、覚えてる?」
 その言葉ではっとした。
「『ノマド』でクレスのお母さんに髪を切ってもらったよね。タクからもらった丸い石のことは? タクはカインのことが大好きだったよね。子供たちと木組みの人形を作った。カインは上手で、大人気だったんだよ」
 自分を見上げる大きな目をしばらく見つめ返したあと、デスクの引き出しから小さな石を取り出した。セレスがそれを見て目を輝かせた。
「まだ、持っていたの?」
「……捨てるわけがないだろ」
「タクはきっと喜ぶよ」
 セレスはカインの手から丸い石を持ち上げて嬉しそうに言った。
「どうして…… 記憶が戻ったの」
 そう尋ねると、セレスは少し寂しそうな顔をした。
「彼女の名前、知ってる?」
 名前……。ちらりと少し離れた場所に立つケイナを見た。
「……知っているよ」
 そう答えると、セレスは小さくうなずいた。
「その名前を呼んであげられたのは、ケイナしかいなかったんだ」
 何も言えなかった。
 そうだ。彼女は誰にも自分の名前を呼んでもらっていなかった。
 ぼくも一度も呼ばなかった。呼べなかった。
 こんな単純なことだったとは……。
「それとね」
 セレスは幽かに目を伏せた。
「ノマドのキス。彼女は亡くなる前に、ノマドのキスをしてくれたんだ」
 カインは小さくうなずいた。亡くなる前なら、もうあのときには自分にはモニターに姿が見えていなかった。
 長い長い遠回りをして、やっと彼女は帰っていったのだ。
「セレス…… お帰り」
 カインがそう言うと、セレスはためらいがちに腕を伸ばしてきた。
 カインはその腕を受け止めた。友人として彼女をしっかり抱きしめたのだった。
「カイン、あなたには感謝してる。あなたがいなかったら、わたしはここまで動けるようにはなっていなかった。今度はわたしがあなたを助けるから」
 セレスは言った。

「セレスはヨクがショップから出て来たら護衛に回って欲しい。ヨクは社のほうに送るから。とにかくあいつが現れたらなんとか北のダム湖までおびき出したい。街中は人もいるし危険だ。もし、現れなかったら…… 日を改めてまた計画の練り直しを」
 カインはそう言ってセレスに「いいね?」というように彼女の目を覗きこんだ。
「来るよ」
 セレスはその目を見つめ返して答えた。
 『グリーン・アイズ』が出て行って本当のセレスに戻ってしまうと、以前のセレスが目の前にいるような気がして女性なのに違和感がない。
「断言はできないよ」
 カインが言うとセレスはかぶりを振った。
「来るよ。わかるんだ」
 きっぱりとした口調でセレスは言い張った。
「だから、ここにいさせて」
 セレスはカインとクルーレが待機するビルを指差した。
「どうして?」
 カインは目を細めた。
「相手の気配を覚えた。覚えたから、どこか遠くからヨクを狙っても分かると思う。ここなら一番察しやすいと思うから」
「覚えたって…… きみはあいつと接触したことがないだろう……」
 カインは困惑気味に言った。セレスは大丈夫、というように笑みを見せた。
「だって、ケイナと一緒に寝たか……」
「セレスの言う通りにして」
 いきなりケイナがセレスの言葉を遮った。
「うん……? じゃあ……」
 カインは怪訝な面持ちで言葉を続けた。
「ぼくは、ここにヴィルで待機」
 カインはケイナとアシュアが別れる数ブロック先を指差した。
「何をどうしてもあいつは読んでいると思うけれど」
 カインは顔をあげるとクルーレを見た。クルーレは無言でうなずいた。
「ヨクをターゲットにするとは限らない。これは単に扇動だ。全員がターゲットになりうる覚悟で」
 カインはそう言うと、クルーレが用意した銃をセレスに渡した。受け取ったセレスはカインが手を離した途端に銃の重さで前のめりになった。
「本当に大丈夫なのか? 目が覚めてから一度もろくに体を動かしてないんだぞ?」
 セレスの細い体を見て気遣わしげにカインは言ったが、セレスは笑った。
「大丈夫。動くっていう自信がある。たぶん、前よりも」
 カインは疑わしそうにセレスを見ていたが、やがてうなずいた。
「カイン、きみはティと一緒に待機したほうがいい。何かあったら困る」
 ヨクはかぶりを振った。
「ヨク、あなたが社に戻る」
 カインは答えた。
「何を言ってるんだ…… きみはリィの社長だぞ?」
「見届けたい」
 カインはきっぱりと言った。絶対に譲らないという口調にヨクは口を引き結んだ。
「ぼくは…… 彼らとずっと行動を共にしてきたんだ…… これだけは譲れない……」
 ヨクは何も言わなかった。ちらりとクルーレに目を向けると彼はかすかに頷いてみせた。
 必ず守る、ということだろう。
「全員防弾服着用。1時間後に出る」
 カインは地図を畳んだ。全員がそれぞれの準備にとりかかるためにテーブルから離れると、クルーレはカインに歩み寄った。
「リィ社長、あの女の子は大丈夫か?」
「セレスのことですか?」
 カインはクルーレの顔を見た。クルーレはケイナと一緒に連れ立って出て行くセレスの後ろ姿をちらりと見た。
「さあ……。昨日までのことはいったい何だったんだって感じで……。正直ぼくも戸惑っています」
 カインはそう答えてため息をついた。
「もし、以前のとおりなら、彼女は唯一ケイナと同じ動きができる人間だし……」
 クルーレは信じられないといった表情だった。
「来るなと言っても絶対聞かないですよ。目が覚めてしまったらセレスは絶対にケイナとは離れない。あのふたりは普通じゃない」
「プロジェクトの子供だから?」
 クルーレの言葉にカインは彼から目を逸らせた。
「そう……。そうですね。プロジェクトの子供だ」
 クルーレはカインの顔をしばらく見つめたあと、背を向けてオフィスを出て行った。