ユージーは黒い軍機でエアポートに着陸すると相変わらずの全身黒づくめの姿を見せ、カインに笑みを浮かべて片手をあげてみせた。彼は決してスーツは着ない。いつも軍服だ。今となっては彼がスーツ姿になるほうが違和感があるかもしれない。
「わざわざ来てもらってすまなかったな」
 ユージーが差し出す手をカインは握り返した。彼が降りたあとから数人の兵士が降りてくるのが見えた。やはりユージーも護衛をつけているらしい。ユージーはカインの後ろのアシュアの顔に目を向けた。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
「それだけが取り柄なもんで」
 アシュアは笑ってユージーの差し出した手を握り返した。
「セレスの様子はどうだった?」
 ユージーの言葉にカインはうなずいた。
「だいぶん覚醒に近づいているようだった。完全に覚醒するにはあともう少し時間が必要だけれど、確実らしい」
「そうか」
 ユージーは顔をほころばせた。
「良かった」
 一見、近寄りがたい雰囲気に見えるユージーだったが、こういう時に本当に嬉しそうな表情をするのが彼のいいところかもしれない。
「『アライド』のケイナはどんな調子です?」
 カインは尋ねた。
「安定してるよ」
 ユージーは笑みを浮かべたまま答えた。
「あいつもほんの少しだけれど覚醒の脳波が出ることがあるらしい」
「じゃあ……」
(どうして、連絡がしばらくなかったんです?)
 そう尋ねようとしてカインは戸惑った。ユージーの表情にあまりにも緊迫感がない。そのことが逆に尋ねることをためらわせた。
「一度ケイナに会いに行ってみようと思っているんですが……」
 カインがそう言うと、そこで初めてユージーの顔にかすかな変化が見えた。ほんの一瞬だが、彼は口を引き結んだ。
「何か?」
  彼の目を覗きこむようにして尋ねるカインに、ユージーはすぐに元の表情に戻った。
「いや、いいと思うよ」
 ユージーはそう答え、カインの顔を見た。
「だが、ケイナは以前とは違うぞ」
「それは分かってます。一度、ケイナの姿を映像で送ってもらいましたから」
 ケイナの姿を見たのはもう一年半も前だ。
 以前の自分の体の一部と同じように機能する義手に義足、それに義眼がつけられたケイナは、当時はその部分は黒いプロテクターに覆われていた。顔の上半分も覆われていただろう。形のいい鼻と薄情そうな唇、そして金色の髪でケイナと判別できた。
 でも、映像ではどうしてもできないことがある。それは実際に彼に触れることだ。セレスに触れたときのように、ケイナに触れればもしかしたら彼からもメッセージが届くかもしれない。セレスはそのために自分にメッセージを送ったのかもしれない。カインはそう考えていた。
「ユージー……」
 さらに言い募ろうとするカインをユージーは手で制した。
「分かってる。どうして半年間連絡がなかったかと聞きたいんだろう?」
 カインは息を吐いた。
「ええ。すみません」
「機に入って話をしよう。ちょっと渡したいものもあるんだ」
 ユージーはそう言いながら、胸のポケットに手を差し入れながら軍機のほうに向き直った。黒い軍仕様のジャケットの下に防弾服の濃いグレイの色がちらりと見えた。
 ユージーも防弾服を身につけているんだな。そう思ったとき、ポケットから抜いた彼の手について、白い小さな紙がひらりと地面に落ちていった。ユージーがそれに気づいて向き直ったが、カインのほうが先に拾おうと身をかがめた。そのとき、ぽつりとカインの頬に水滴が落ちた。
『雨?』
 そう思って、ここはドームの中だと思い直すのはほんの一瞬のことだっただろう。紙を拾って身を起こす前にどっと自分の背に何かが崩れ落ちてきて立ち上がれなくなり、カインはびっくりして両手を地面についた。
「カイン!!」
 アシュアの叫び声が聞こえても何があったか分からなかった。次の瞬間、自分の首筋から頬を伝って赤い水がたらたらと地面に流れ落ちてきた。
 カインはやっと何が起こったかを悟った。
 全身の力を振り絞って身を起こすと、自分に覆いかぶさるようにして倒れたユージーを必死になって抱えた。だがあっという間にアシュアの腕ではがいじめにされ、彼から引き離された。
「ユージーを早く病院へ運べ!」
 ものすごい勢いで軍機から離され、建物の影に引きずられながら頭上でアシュアがほかの兵士たちに怒鳴っているのをカインは聞いた。
 ユージーが…… 撃たれた……?
 ようやくカインの頭に事態が明確な言葉となって浮かんだが、それでもまだ白いもやの中でやみくもに手を振り回してもがいているような混沌とした状態だった。
「動くなよ!」
 アシュアが自分に覆いかぶさるようにして怒鳴っていたが、その声もどこか遠くから聞こえているようで、カインは返事をかえすことができなかった。濡れた感じのする首に手をやると、禍々しいほど赤い血が手のひらにべっとりとついた。
 アシュアが呻き声をあげながら大きな手でカインの頭と首を掴む。必死になって傷を調べようとしているようだ。
「ち、違う……」
 カインは搾り出すような声でようやく返事をした。
「違う。ぼくは大丈夫だ。心配…… ないよ……」
 アシュアがほっと安堵の息を漏らした。
 ユージー……。ばかな。ユージーが撃たれるなんて。
 彼はそんな無防備な人間じゃない。離れた場所からだって彼は銃口を感じることができるはずだ。
「ここにいろ。動くなよ。絶対に! 動くなよ!」
 アシュアはきっぱりとそう言うと、まだ地面に倒れたままのユージーに駆けていった。
 騒然とした中で救急のサイレンが鳴り響くのを聞きながら、カインは上空に目を走らせた。カチカチという音が鳴る。いったい何の音だろうと耳を澄ませて、それが自分の体が震えて歯が鳴っていることに気づき、慌てて手で顔を押さえた。その手も途方もなく震えていた。
 どこだ……。彼はどこから狙われた?
 カインは歯を無理やり食いしばると再び目をあげた。
 ゲートを取り巻く建物のどこかに必ずそいつがいるはずだ。まだ時間はたっていない。そいつは建物の中にいる。ユージーは防弾服を身につけていた。そのわずかな隙間を狙って撃つにはそんなに離れた距離ではない。
 いや……。
 カインは襲いかかる不安に眩暈を感じた。
 そもそもそんな狙撃ができるものなのか?
 手をあげるとその先に建物のざらざらとした壁の感触があった。カインは必死になって壁を支えに立ち上がると、もう一度ぐるりと周囲を見回した。
 ユージーの機が着いた183番ゲートからかなり離れた建物のひとつに目を向けたとき、カインの目に淡く閃光が走ってみえた。
 覚えのある光だった。セレスと手を繋いだときに見た光……。
 このことだったのか?
 自分の口からかすかな呻き声が漏れるのを感じながら、カインは身をひるがえして走り出していた。
「カイン……! まてっ……!」
 アシュアが叫ぶ声を聞いたが、そのまま走った。走りながら、馬鹿なことをしていると少し冷静になり始めた自分の一部が自分を戒める言葉を聞いた。
 そう、馬鹿なことをしている。
 まだ足だって半分震えている。今にももつれて転んでしまいそうだ。
 おまけに何の武器も持っていない。護身用の銃さえも持っていない。
 いくら建物の中にいるとしても、そいつを自分が捕まえることができるとでも?
 頭の中でぐるぐると考えながら息をきらしてたどり着いた先はエレベーターの並ぶフロアだった。フロアには誰もいない。一般の客が利用するフロアではなかったようだ。それが救いだった。荒い息をつきながらカインは自分の肩がじっとりと濡れているのを感じていた。きっとユージーの血で首から肩にかけて真っ赤に染まっているに違いない。こんな姿を人前にさらしたらパニックが起こっただろう。
 無人のフロアは不気味なほど静まり返っていた。3階ほどの高さの吹き抜けの高い天井にガラス張りの壁。かすかにエアポートの建物全体に流れる音楽が聞こえてくる。淡いベージュ色の人造石を敷き詰めた床が光っていた。
 カインは10基あるエレベーターの扉を見て回ったが、どれも上階に行くものばかりだ。最後のひとつが下降しているのを見て、カインは立ち止まった。
 230階、299階、298階……。ゆっくりと数字が下がっていく。カインはそれを見てとると、自分を落ち着かせるように扉の前で目を閉じて息を整えようとした。ユージーを撃ったやつがこれで降りてくる可能性は低い。そんなことをしなくても途中の階から別の建物に接続している。普通ならそれで逃げてしまうはずだ。それでもそのエレベーターの前から動けなかった。
 エレベーターが5階まできたとき、数秒ためらってからカインはドアの右側の壁に身を寄せた。ひんやりとした壁の感触が背中に伝わる。そのときには既にエレベーターは2階になっていた。
 シュン、というかすかな音を立てて、エレベーターが着いたことを知らせるライトがついた。ドアがゆっくりと開いていく音がする。
 せっかく息を整えたのに、カインは自分の心臓が爆発でもしそうなほど動悸を打ち、再び呼吸が荒くなるのを感じた。頭もずきずきする。
開いたドアから中の人間の最初の一歩の足が見えたとき、その息が一瞬止まった。
 次の一歩で、相手の後ろ姿がカインの前に立った。
 出て来たのはすらりとした体躯の少年だった。
 眩暈がする。数歩フロアに踏み出した少年の後姿を凝視しながら、カインはパニックに陥りそうになった。
 そんなばかな。そんなばかな。
 同じ言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。
 少年は壁に貼りついているカインをゆっくりと振り返った。
 一生忘れることはないと思っていた顔がそこにあった。
 青い瞳に薄情そうな唇。うっすらと浮かべた笑みは凍りつきそうなほど冷たかった。
 少年は、カインに向かって人差し指を突き出しながら左腕を持ち上げた。
 彼の指がぴたりとカインの額を捉えた。
「助かったね、カイン・リィ」

 小さくそうつぶやいた声は、間違いなく『彼』自身の声だった。