アシュアはプラニカのドアを開けて運転席に上半身をもぐりこませ、何度かスイッチを入れてみた。
 ちかちかと点滅するランプを見て、たぶんこれならすぐに修理できるだろうと思った。
 再びプラニカの外に身を出したとき、背後に人の気配を感じて振り返った。
「なんだ。誰かと思った」
 ケイナの姿を見てアシュアは笑みを見せ、またプラニカに身をかがめた。
「すぐに直りそうだけど、これ、たぶんそろそろ新しいのに替えないといけないような気がするんだよな」
「アシュア」
「ん?」
 顔を振りむかせる前にアシュアは脇腹に感じる銃口に身を固くした。
「おまえは…… 隙だらけだな」
 耳元で声が聞こえた。
「うるせえ!」
 身を避けて振り向きざまにこぶしを突き出したが、あっという間によけられた。
 姿勢を崩した相手が再び銃を構えるのと同時にアシュアは自分の銃を引き抜いていた。
「なんで同じ顔なのか、やっと理由が分かったような気がするぜ……」
 アシュアはそう言いながら引き金を引いた。何発も撃って、あちらこちらで飛び散る火花が消えたあと、相手の姿は消えていた。
「アシュア!」
 反対側から本物のケイナが走って来る姿を見てアシュアは息を吐いた。
「ケイナ、追うな!」
 アシュアを追い越して相手の逃げた方向に走って行こうとするケイナにアシュアは叫んだ。
「なんで!」
 ケイナが険しい目を向けた。
「上に戻るほうが先だ」
 アシュアはそう言うとプラニカのドアを乱暴に閉めた。

「これだけ警護があって堂々と入ってきやがる。あいつ相当やばいぞ」
 オフィスに戻ったアシュアは言った。ばたばたと騒々しい足音をたててリアが飛び込んできた。
「一番やばいのはあいつの腕、また生えてるってことだ」
 カインは目の前のクルーレに目を向けた。クルーレは険しい顔で口を引き結んでいる。
 堂々と敵が入ってきてしまったという失態に言葉も出ない。
 カインは彼の目の下にわずかに黒いクマができているのを見て、目を逸らせた。
「リア、おまえはブランやダイと一緒にいろ」
 アシュアはリアの顔を見るなり言った。
「でも……」
「子供たちだけにしちゃだめだ」
「ティのオフィスで待っていればいいよ」
 カインの口添えを聞いてリアは駆け出して行った。
「なおかつ、ぱっと見ただけじゃあケイナ自身と見分けがつかねぇ」
 アシュアは再び皆に顔を向けて言った。
「ケイナではないと分かる部分は?」
「ピアス」
 カインの問いにアシュアは即座に答えた。
「あいつはピアスはつけてない。少なくとも今んところは。まあ、髪型も違うけど」
「じゃあ、ピアスをつけられてしまったら見分けがつかないってことか」
 ヨクがつぶやいた。ケイナ自身は不機嫌そうな表情だ。
「よくよく見りゃ、ケイナとは身長も違うし、体格だって違う。でも、そんなこと誰もが瞬時に見てとるのは不可能だぜ」
 アシュアは口を歪めて言った。
「業務を一時停止しよう」
 カインがきっぱりとした口調で言ったので、全員が彼の顔を見た。
「社員の命のほうが大切だ。全員を帰宅させるように。期限は未定。有給にするから、指示があるまで自宅待機するようにと伝えよう」
「カイン、でもそれは……」
 ヨクが口を出すとカインはかぶりを振った。
「それ以外に方法はないよ。今まで通り業務を続けてどういう方法がとれる? ケイナ自身の行動範囲の規制、警備チェック、増員、それでなんとかなると? それでも侵入してきたときに、オフィスの中が戦場になるぞ」
「相手はひとりだ。いくら遊びといっても社員ひとりひとりを狙うような回りくどいことはしないだろう」
 ヨクは引き下がらなかった。
「遊びの意味が違うんじゃないでしょうか……」
 ふいにクルーレが口を開いた。カインが思わず彼の顔を見ると、クルーレは厳しい顔で彼を見つめ返した。
「わたしは、人を殺すことを遊びにしているのではないと思う」
「じゃあ、なんだっていうんです」
 カインが言うと、クルーレは気遣わしげにケイナをちらりと見た。
「ターゲットはケイナだ」
 カインは呆気にとられてクルーレを見た。慌ててケイナに目を向けたが、彼は口を引き結んで床を見つめているだけだった。
 クルーレの言ったことが最初から分かっていたような表情だ。
「ケイナがそばにいた人間、傷つけられるとケイナが苦しむ人間。……そういう人間を狙って混乱させようとしているように思える。もともと彼の目標はあなたとカート社長だったはずだ。それが、ティを狙った。次はダフル、そしてアシュアだ。わたしの部下が襲われたとき、相手は明確ではなかったが、わたしも最初は彼のターゲットは無差別だと思っていた。でも、今となってはあれば全く別の犯人か、あるいはそっちこそが目的を錯乱するための遊びだったと思える」
「まさか……」
 カインはつぶやいたが、それに言葉を繋げる者はいなかった。
 ケイナがそばにいる人間。ケイナがそばにいた人間。
 あいつは傷つけるとケイナがきっと怒るだろうと思う人間を狙い、ケイナの怒りを駆って喜んでいる。ダフルを殺し、ケイナが嘆き悲しむ姿をどこかで見てほくそえんでいる?
 でも、どうしてそんなことを。
「ケイナが直接知らない人間を狙ったところで彼にとって意味はない。無差別ではない分、こちらとしても対処を考えることができるということです」
 クルーレは言った。
「対処って……」
 ヨクが困惑したようにかぶりを振った。
「どんな対処があるっていうんだ。半ば軟禁のような状態でずっと閉じこもっていろと?」
「ひとつだけ方法があるかもしれない……」
「方法?」
 宙を見つめながらつぶやいたカインの言葉にヨクは怪訝な顔をした。そのあと、ケイナ以外の全員の顔が自分を向いたので、彼は慌てた。
「ちょっと待て!」
 ヨクは座っていたソファから立ち上がった。
「ちょっと…… 待て」
 周りを、というよりは、自分を落ち着かせるようにヨクは両手を広げた。
「そういうこと、いきなり言われても困る。心の…… 心の準備をさせてくれ」
「万が一のときのために、銃の撃ち方をお教えします」
 クルーレは言った。
「万が一のときは、もう銃を撃つゆとりなんてないと思うよ」
 ヨクは彼の顔を見て悲しそうにため息まじりに答えた。

「ここをしっかり固定させて……。重かったら両方の手で持っても構わないから」
 アシュアに銃を持たせてもらって、おっかなびっくりのヨクをちらりと見たあと、ケイナは部屋をあとにした。カインが出ていく彼に気づいたが何も言わなかった。
 カインのオフィスのドアを背にしたまま、ケイナは床を見つめて立ち尽くした。
 自分が中心にいて周りの人間が狙われていく。
 ティの護衛をしていなければ、彼女は危ない目に遭うことはなかった。
 もし、ダフルと一緒でなければ彼は死ぬことはなかった。
 『ビート』にいたアシュアを狙うのは、あいつにも大きな負担がかかる。ユージーも二度と彼に隙を見せたりはしないだろう。カインだってもともとは『ビート』のメンバーだ。それに彼は勘がいい。あの時は撃たれたかもしれないが、同じことにはひっかからない。軍人であるクルーレを狙うことも論外だ。
 『ノマド』の守護を受けているブランやダイ、リアはともかく、ヨクやティは無力だ。滅多にオフィスの外に出ないティを別にすると、単純に次に危ないのはヨクということになる。
 セレスは? セレスはどうなのだろう。セレスは『ノマド』の守護の対象になっているんだろうか。
 そう考えていると、ティのオフィスから部屋に戻ろうと出て来たリアたちが目に入った。
 ブランと手を繋いでいたセレスが、ケイナの顔を見てさっと表情を強張らせる。
 大きな緑色の目に嫌悪感がありありと現れた。
(『グリーン・アイズ』……)
 ケイナも表情を固くした。
 何度見てもこの表情には怒りとも悲しみともつかない気持ちが沸き起こる。
 『グリーン・アイズ』は間違って起こされた。それが『ノマド』の守護になるはずがない。
 そう思った途端、自分の横をすり抜けて行こうとするセレスの腕を掴んでいた。
 緑の目が驚愕したように見開かれた。
「ケイナ、どうしたの」
 リアがびっくりしてケイナに言ったが、ケイナは掴んだ腕を放さなかった。
「何が望みなんだ……」
 ケイナはセレスに言った。
「なんで…… セレスの体に入ってる? いったいどうして欲しいんだ」
「ケイナ、だめよ!」
 リアが慌てて彼の手からセレスを引き離した。騒ぎに気づいてティも慌ててオフィスから顔を出した。
「セレスが混乱しちゃうわ。だめよ」
 セレスは目を見開いたまま震えている。
「セレスじゃねぇだろ!」
「だめだったら!」
 リアはケイナを引き離すと彼の肩を押さえて壁に押しつけた。ケイナは鋭い目でリアを睨みつけて彼女の手をふりほどこうとしたが、リアも負けてはいなかった。
「落ち着いてよ! セレスがどこかで見て苦しんでるかもしれないのよ?」
 次の言葉を投げかけようとしていたケイナの口がぎゅっと引き結ばれた。
「ケイナ。辛いだろうけど、分かって」
 リアは懇願するように言った。
 ケイナは苛立たしそうにリアの手を払いのけると、セレスの顔をちらりと見て踵を返した。
 ブランはケイナの背を見送ったあと、セレスと繋いでいる自分の手に目を移した。そしてその目を今度はダイに向けた。ダイはブランの顔を黙って見つめ返した。
「あんたたち、部屋に戻って」
 リアは言った。ケイナの動揺に彼女の気持ちもまだ治まっていなかった。夢見の力はあまりないはずなのに、人の激しい感情は触れてしまうと彼女の体に跳ね返ってくる。
「セレスと部屋に戻りなさい」
 苦しげに額に手をあてる母親を見てダイとブランはうなずいた。
「お姉ちゃん、行こう」
 廊下を歩いていく3人を見送って、ティがリアに近づいた。
「リア、大丈夫?」
 声をかけると、リアは顔をあげてティを見た。
「もう辛い」
 リアは力ない笑みを浮かべた。
「受け止めてと全身でカインを見るセレスを見るのが辛い。まるで忌む者を見るようにケイナを睨みつけるセレスを見るのが辛い。ケイナが苦しむ表情をするのが辛い」
 リアは顔を歪めた。
「ティ、あなたも辛いわよね、カインを恋焦がれるように見つめるセレスなんて」
「わたしは…… 何もできないから……」
 ティは答えた。自分に向けられたリアの視線から逃れるように彼女は顔を俯けた。
「何もできない自分が辛いわ」
 リアは小さくうなずいた。
「あたしもよ。どうすることもできないわ……」
 ティが目をあげると、リアは今にも泣き出しそうな顔で彼女を見つめ返した。
「いらないから消しちゃうのって、どうなのって考えたこともあった。『グリーン・アイズ』はずっと孤独で寂しかったんだと思う。でも、カインは絶対彼女を受け入れないわ。それを強要するのは、カインにとってもケイナにとっても…… あなたにとっても残酷よ」
 ティは目を伏せた。