『ノマド』からの連絡を絶たれていたアシュアは、ブランとダイが小さな通信機を持って帰っていると言った。
リィのサーバを介さないのと、アシュアの生体反応でなければ繋がらないのだという。
当面はよほどのことがない限り連絡をすることもないだろうから、ということをリンクから言われたらしい。
ブランとダイがこちらに来てしまった今、アシュアもあえて自分から向こうに連絡をする必要性を感じていなかった。
直接いろいろ聞いてみたい気持ちもあったが、たぶん聞いたところでエリドがケイナに話した以上のことを自分に言ってくれるとも思えなかった。
片方の腕をなくした『あいつ』が次にどう動くのかは誰にも分からない。
ただ、リィ・カンパニーの社員全員がカートの警護の元に物々しい雰囲気で仕事をすることになってしまったことだけは確かだった。
クルーレはさすがに部下たちに軍服は着用させず、社員に紛れて警護する方法をとったが、社員の不安が大きくなっていくのが分かる。こんな状態が何ヶ月も続くのは良くないということは明らかだった。
リアは夫のアシュアや子供たちとともにセレスの身の回りの世話も甲斐甲斐しくこなしていた。
セレスはブランとダイが戻って来てからは、ずっと彼らと一緒にいる。3人で連れ立ってカインのオフィスに現れることもあった。
セレスがオフィスに現れると忙しいときはティが止めるのだが、そうするとセレスから激しい憎悪の視線を向けられるようだった。一度は言葉でせっつかれて困ったらしい。
「どうして? カインさんはわたしに会うのが嫌なの?」
「そうじゃないわ」
ティは言った。
「ここは仕事をする場所で、カインさんにはいろんなことに対しての責任があるの。あなたのことを大切に思っていても、そのときにやらなければらないことも……」
ティは束の間口をつぐんだ。前に、自分がカインに言った言葉をふと思い出したのだ。ブランが熱を出したとき、出て行こうとするカインをなじった。
カインはきっと同じことが言いたかったのかもしれない。
「やらなければならないことも…… あるのよ」
泣き出しそうになるセレスを、いつもブランとダイがなだめて連れて行った。その後ろ姿はまるで小さな子供のようだった。
何度かそういうことを繰り返していくうちセレスの言葉は次第にエスカレートしていった。
「あなたのことは嫌いよ」
セレスはティを睨みつけて言った。
「お姉ちゃん……」
ブランが止めたが、その時のセレスは聞かなかった。
「あなたはカインを独り占めにしたいんだわ」
ティの顔が強張った。
「自分がカインにとって一番だと思ってるんでしょう? わたし、知ってるわ。あなたはカインが好きなのよ。だからわたしを近づけさせたくないんだわ」
邪気のない大きな緑色の目と、子供のようなあどけない表情をするセレスの口から出たとは思えない敵意に満ちた口調だった。
「セレス、いい加減にして」
さすがにティも怒った。
「そんな個人的なことで言ってるんじゃないのよ」
「あなたやヨクはオフィスに入るじゃない」
「聞き分けのないことを言わないで。あなたはもう充分、分かる年齢のはずよ」
彼女のきっぱりした口調にセレスの顔が悔しそうに歪んだ。
セレスがさらに言い募ろうと口を開きかけたとき、オフィスのドアを乱暴に蹴飛ばす音がした。
全員が振り向くと、ケイナが険しい顔で壁に身をもたせかけて立っているのが見えた。
腕を組んで鋭い目で自分を睨みつける彼の表情を見てセレスの顔があっという間に固く凍った。
「お姉ちゃん…… 戻ろう?」
ブランが気遣わしげにセレスの手をとった。セレスは唇を噛んで俯いた。
ケイナの視線から身を遠ざけるようにしてオフィスを出て行くセレスを見送ったあと、ティはケイナに顔を向けた。
「ケイナ……」
声をかけると彼はこちらにちらりと視線を向けたあと、顔を背けてオフィスを出て行った。
ケイナの肩とすれ違いでティのオフィスにやってきたヨクは、澱んだ重い空気を敏感に感じ取って、眉をひそめた。
「どうしたんだ?」
彼は尋ねたが、ティは何も言えずにかぶりを振っただけだった。
セレスは直接オフィスに来ることができなくなった。
カインの予定はリアがティに確認をとり、大丈夫ならリアも一緒に来るという物々しい状態となった。その苦渋の判断をしたのは、カインだった。
「彼女は…… 15歳か、16歳くらいのはずよね?」
ティはカインに尋ねたが、カインは彼女の問いには答えなかった。
冷たく凍って眠っていたセレスは16歳で時間が止まっていたが、『グリーン・アイズ』はいったいいくつだったのだろう。時間が止まってしまったのは、セレスではなく、『グリーン・アイズ』のほうだ。彼女の時計は7年前に永遠に凍りついてしまったのだ。
カインの記憶の中の彼女は痩せ衰えてセレスよりはずっと年が下のような気がしていた。
ケイナはあまり表情には出さないが、忍耐力もそのうち限界に達するだろうことは誰の目にも明らかだった。
ケイナの顔を見るたびに現れるセレスの警戒心はあまりにも露骨だった。まるで汚らわしいものでも見るような目つきだ。あんな顔をされたら誰だって気分を悪くするだろう。
ケイナはオフィスにセレスが入ってくれば自分が出て行くという方法をとっていたが、それは自分だけならまだ我慢ができるという状態だ。しかし、中身がいくら『グリーン・アイズ』であっても、セレスの姿で彼女が他にわがままをぶつけるのを見ることは途方もなく辛いに違いない。
カインは時々、『グリーン・アイズ』は自分に会いに来るのではなく、ケイナを苦しめたいがためにオフィスに来るのではと思うことがある。
ここに来ればケイナがいると分かっていて彼女はやってくる。そのたびに強烈な嫌悪感をケイナに向ける。
なんとかしなければと思うのに、カインには何も方法が思い浮かばなかった。
彼女を抱きしめればいいのか? 彼女が自分に向ける愛情を受け止めてやればいいのか?
受け止める? 何をどうやって? どうすれば彼女は癒されるというのか。
どんなに彼女が『グリーン・アイズ』だと分かっていても、セレスはセレスだ。
彼女が手を伸ばしてくるだけで、無意識に身構えてしまう。
浮かべた笑みすらもこわばってしまう。
『グリーン・アイズ』は最後に「生きてね」と言った。
何も見えなくなったモニターの向こうから、カインは確かに彼女の声を聞いた。
それなのに、どうして彼女はケイナを忌み嫌うのだろう。
カインにはそれが分からなかった。
その日もカインが仕事に区切りをつけて一息ついていると、ブランとダイがセレスの手を引いてオフィスに現れた。
ケイナの顔を見るなり、いつものようにセレスの顔に警戒心が現れる。
一緒についてきたリアが気遣わしげな視線を向けたのを感じたが、ケイナはそのまま部屋を出た。
ティのオフィスの前を通りかかると開いたままのドアの向こうでヨクとティが話している姿が見え、ヨクがケイナに気づいて声をかけてきた。
「ケイナ、こっちでコーヒーでも飲んでいかないか」
「アシュアは?」
ケイナは立ち止まると顔を巡らせて尋ねた。アシュアはヨクと一緒にいるはずだった。
「おれのプラニカの調子が悪くてな。ちょっとした電気系統の不良みたいで、これくらいなら直せるからと言うから頼むことにした」
ヨクの答えにケイナは何かひっかかるものを感じながらうなずいた。
「ケイナ、あとでカインに言うつもりなんだが、2週間後のウォーター・ガイド社の打ち合せの時はきみも同行してくれないか」
「どうして?」
ケイナがかすかに怪訝な顔をすると、ヨクは肩をすくめた。
「あそこ、多人数でぞろぞろ行くのはどうも敬遠するみたいなんだよ。アシュアがきみとならふたりで大丈夫だからと言うし……」
クルーレは重役のひとりひとりに何人もの護衛を配置させていた。ヨクにはアシュアのほかに4人の護衛がつく。客先に直接会うところまで同行するのはアシュアだけだが、確かに客先には異様な光景に映るだろう。
「頼むよ」
顔をしかめて言うヨクの言葉にケイナはうなずいた。
「カインがそれでいいと言うなら」
ヨクはほっとしたような表情を見せた。
「プラニカはもう駐車場に?」
再びティに顔を向けようとしていたヨクは、ん? というようにケイナを見た。
「そうだよ?」
「ヨクの駐車スペースはどこ?」
「地下3階の5060だけど……」
「ちょっと行ってくる」
ケイナは踵を返した。
「ケイナ、コーヒー入れるわよ」
「もう戻ってくると思うぞ?」
ヨクとティの声が追いかけてきたが、ケイナはそのまま駐車場に向かった。
なんだか嫌な気持ちだ。
あいつはここのところ何の動きもしていない。
腕をなくしたから?
でも、腕が直っていたら?
バッカードとエストランドがまだ生きている間に修理されていたら?
思わず足が速くなった。
エレベーターで地下まで降り、駐車場のフロアに続く扉を開くと左右にずらりと並んだ無数の車庫が見えた。アシュアはどこだろう。
ケイナは足を踏み出した。
リィのサーバを介さないのと、アシュアの生体反応でなければ繋がらないのだという。
当面はよほどのことがない限り連絡をすることもないだろうから、ということをリンクから言われたらしい。
ブランとダイがこちらに来てしまった今、アシュアもあえて自分から向こうに連絡をする必要性を感じていなかった。
直接いろいろ聞いてみたい気持ちもあったが、たぶん聞いたところでエリドがケイナに話した以上のことを自分に言ってくれるとも思えなかった。
片方の腕をなくした『あいつ』が次にどう動くのかは誰にも分からない。
ただ、リィ・カンパニーの社員全員がカートの警護の元に物々しい雰囲気で仕事をすることになってしまったことだけは確かだった。
クルーレはさすがに部下たちに軍服は着用させず、社員に紛れて警護する方法をとったが、社員の不安が大きくなっていくのが分かる。こんな状態が何ヶ月も続くのは良くないということは明らかだった。
リアは夫のアシュアや子供たちとともにセレスの身の回りの世話も甲斐甲斐しくこなしていた。
セレスはブランとダイが戻って来てからは、ずっと彼らと一緒にいる。3人で連れ立ってカインのオフィスに現れることもあった。
セレスがオフィスに現れると忙しいときはティが止めるのだが、そうするとセレスから激しい憎悪の視線を向けられるようだった。一度は言葉でせっつかれて困ったらしい。
「どうして? カインさんはわたしに会うのが嫌なの?」
「そうじゃないわ」
ティは言った。
「ここは仕事をする場所で、カインさんにはいろんなことに対しての責任があるの。あなたのことを大切に思っていても、そのときにやらなければらないことも……」
ティは束の間口をつぐんだ。前に、自分がカインに言った言葉をふと思い出したのだ。ブランが熱を出したとき、出て行こうとするカインをなじった。
カインはきっと同じことが言いたかったのかもしれない。
「やらなければならないことも…… あるのよ」
泣き出しそうになるセレスを、いつもブランとダイがなだめて連れて行った。その後ろ姿はまるで小さな子供のようだった。
何度かそういうことを繰り返していくうちセレスの言葉は次第にエスカレートしていった。
「あなたのことは嫌いよ」
セレスはティを睨みつけて言った。
「お姉ちゃん……」
ブランが止めたが、その時のセレスは聞かなかった。
「あなたはカインを独り占めにしたいんだわ」
ティの顔が強張った。
「自分がカインにとって一番だと思ってるんでしょう? わたし、知ってるわ。あなたはカインが好きなのよ。だからわたしを近づけさせたくないんだわ」
邪気のない大きな緑色の目と、子供のようなあどけない表情をするセレスの口から出たとは思えない敵意に満ちた口調だった。
「セレス、いい加減にして」
さすがにティも怒った。
「そんな個人的なことで言ってるんじゃないのよ」
「あなたやヨクはオフィスに入るじゃない」
「聞き分けのないことを言わないで。あなたはもう充分、分かる年齢のはずよ」
彼女のきっぱりした口調にセレスの顔が悔しそうに歪んだ。
セレスがさらに言い募ろうと口を開きかけたとき、オフィスのドアを乱暴に蹴飛ばす音がした。
全員が振り向くと、ケイナが険しい顔で壁に身をもたせかけて立っているのが見えた。
腕を組んで鋭い目で自分を睨みつける彼の表情を見てセレスの顔があっという間に固く凍った。
「お姉ちゃん…… 戻ろう?」
ブランが気遣わしげにセレスの手をとった。セレスは唇を噛んで俯いた。
ケイナの視線から身を遠ざけるようにしてオフィスを出て行くセレスを見送ったあと、ティはケイナに顔を向けた。
「ケイナ……」
声をかけると彼はこちらにちらりと視線を向けたあと、顔を背けてオフィスを出て行った。
ケイナの肩とすれ違いでティのオフィスにやってきたヨクは、澱んだ重い空気を敏感に感じ取って、眉をひそめた。
「どうしたんだ?」
彼は尋ねたが、ティは何も言えずにかぶりを振っただけだった。
セレスは直接オフィスに来ることができなくなった。
カインの予定はリアがティに確認をとり、大丈夫ならリアも一緒に来るという物々しい状態となった。その苦渋の判断をしたのは、カインだった。
「彼女は…… 15歳か、16歳くらいのはずよね?」
ティはカインに尋ねたが、カインは彼女の問いには答えなかった。
冷たく凍って眠っていたセレスは16歳で時間が止まっていたが、『グリーン・アイズ』はいったいいくつだったのだろう。時間が止まってしまったのは、セレスではなく、『グリーン・アイズ』のほうだ。彼女の時計は7年前に永遠に凍りついてしまったのだ。
カインの記憶の中の彼女は痩せ衰えてセレスよりはずっと年が下のような気がしていた。
ケイナはあまり表情には出さないが、忍耐力もそのうち限界に達するだろうことは誰の目にも明らかだった。
ケイナの顔を見るたびに現れるセレスの警戒心はあまりにも露骨だった。まるで汚らわしいものでも見るような目つきだ。あんな顔をされたら誰だって気分を悪くするだろう。
ケイナはオフィスにセレスが入ってくれば自分が出て行くという方法をとっていたが、それは自分だけならまだ我慢ができるという状態だ。しかし、中身がいくら『グリーン・アイズ』であっても、セレスの姿で彼女が他にわがままをぶつけるのを見ることは途方もなく辛いに違いない。
カインは時々、『グリーン・アイズ』は自分に会いに来るのではなく、ケイナを苦しめたいがためにオフィスに来るのではと思うことがある。
ここに来ればケイナがいると分かっていて彼女はやってくる。そのたびに強烈な嫌悪感をケイナに向ける。
なんとかしなければと思うのに、カインには何も方法が思い浮かばなかった。
彼女を抱きしめればいいのか? 彼女が自分に向ける愛情を受け止めてやればいいのか?
受け止める? 何をどうやって? どうすれば彼女は癒されるというのか。
どんなに彼女が『グリーン・アイズ』だと分かっていても、セレスはセレスだ。
彼女が手を伸ばしてくるだけで、無意識に身構えてしまう。
浮かべた笑みすらもこわばってしまう。
『グリーン・アイズ』は最後に「生きてね」と言った。
何も見えなくなったモニターの向こうから、カインは確かに彼女の声を聞いた。
それなのに、どうして彼女はケイナを忌み嫌うのだろう。
カインにはそれが分からなかった。
その日もカインが仕事に区切りをつけて一息ついていると、ブランとダイがセレスの手を引いてオフィスに現れた。
ケイナの顔を見るなり、いつものようにセレスの顔に警戒心が現れる。
一緒についてきたリアが気遣わしげな視線を向けたのを感じたが、ケイナはそのまま部屋を出た。
ティのオフィスの前を通りかかると開いたままのドアの向こうでヨクとティが話している姿が見え、ヨクがケイナに気づいて声をかけてきた。
「ケイナ、こっちでコーヒーでも飲んでいかないか」
「アシュアは?」
ケイナは立ち止まると顔を巡らせて尋ねた。アシュアはヨクと一緒にいるはずだった。
「おれのプラニカの調子が悪くてな。ちょっとした電気系統の不良みたいで、これくらいなら直せるからと言うから頼むことにした」
ヨクの答えにケイナは何かひっかかるものを感じながらうなずいた。
「ケイナ、あとでカインに言うつもりなんだが、2週間後のウォーター・ガイド社の打ち合せの時はきみも同行してくれないか」
「どうして?」
ケイナがかすかに怪訝な顔をすると、ヨクは肩をすくめた。
「あそこ、多人数でぞろぞろ行くのはどうも敬遠するみたいなんだよ。アシュアがきみとならふたりで大丈夫だからと言うし……」
クルーレは重役のひとりひとりに何人もの護衛を配置させていた。ヨクにはアシュアのほかに4人の護衛がつく。客先に直接会うところまで同行するのはアシュアだけだが、確かに客先には異様な光景に映るだろう。
「頼むよ」
顔をしかめて言うヨクの言葉にケイナはうなずいた。
「カインがそれでいいと言うなら」
ヨクはほっとしたような表情を見せた。
「プラニカはもう駐車場に?」
再びティに顔を向けようとしていたヨクは、ん? というようにケイナを見た。
「そうだよ?」
「ヨクの駐車スペースはどこ?」
「地下3階の5060だけど……」
「ちょっと行ってくる」
ケイナは踵を返した。
「ケイナ、コーヒー入れるわよ」
「もう戻ってくると思うぞ?」
ヨクとティの声が追いかけてきたが、ケイナはそのまま駐車場に向かった。
なんだか嫌な気持ちだ。
あいつはここのところ何の動きもしていない。
腕をなくしたから?
でも、腕が直っていたら?
バッカードとエストランドがまだ生きている間に修理されていたら?
思わず足が速くなった。
エレベーターで地下まで降り、駐車場のフロアに続く扉を開くと左右にずらりと並んだ無数の車庫が見えた。アシュアはどこだろう。
ケイナは足を踏み出した。