夜遅くなって、ティはようやく自分の部屋に戻ろうと決心した。
アシュアの子供たちを受け入れるために新しい部屋を大急ぎで手配し、ばたばたと走り回っているうちに気づいたら日が傾きかけていた。カインはかなりスケジュールを調整してくれたが、結局2時間近くも残業になった。
(わたしって、つくづく段取りが下手なんだわ……)
ティはため息をつきながらオフィスを出てドアをロックした。
明日も大忙しだ。少し早めに出社しよう。
そう思いながら振り返ったところで人影を見つけ、ぎょっとして身をすくませた。
「……ケイナ?」
人気のない廊下のダウンライトの下で光る金色の髪を見てすぐに分かった。
「いったいどうしたの!?」
慌てて駆け寄り、体中赤茶色に染まった彼の姿を見て呆然とした。まるですさまじい戦地から帰ってきたようだ。
「怪我してるの? どこ?」
すがりつくように腕に手をかけてきたティに、ケイナはかぶりを振った。
「怪我はしていない」
ティは戸惑いながら血に汚れた彼の顔を見上げた。
「カインさんを…… 呼ぼうか?」
ケイナはやはり首を振った。
「プラニカ…… 悪かった。騙して…… ごめん」
「なに言ってるの……」
ティは少し怒ったような表情になった。
「騙されたなんて思ってないわ。心配したのよ」
ケイナはティから目を逸らせると顔を俯けた。憔悴しきったような彼の顔をしばらく見つめたのち、ティはケイナの手をとった。
「その格好でよく大騒ぎにならなかったわね。とにかく…… こっち」
静まり返ったフロアをちらりと振り返り、彼女はケイナの手を掴んだまま非常階段に続くドアを開けた。
「10階分、あがらないといけないけど…… 大丈夫?」
気遣わしげに彼の顔を見たが、ケイナが無言で階段を昇り始めたのでほっとした。
カインの部屋の前を通ったとき、よほど彼を呼び出そうかと思ったが、とにかくケイナをなんとかしなければと部屋のドアを開けさせ自分も一緒に入った。
「早くシャワーを浴びて。バスルームにガウンあるから」
ケイナの背を押し、急いで明かりを付けて室温を調整した。
その言葉にケイナは緩慢に上着を脱いだが、その下の素肌も血まみれなのを見てティは顔をこわばらせた。
いったい何をしてきたんだろう。まさか人殺しじゃないよね。
でも、ケイナはカートとして動いていると聞いた。
バスルームに入っていくケイナを見送って彼が脱ぎ捨てた軍服の上着をこわごわとりあげて眺めた。
何をどうしたらこんなふうになってしまうのだろう。血にまみれているというよりは血を浴びたという感じだ。
いきなり震えがきた。恐ろしさに思わず床にへたりこんでしまいそうになって、ティは慌ててテーブルの端にしがみついた。
だめだ、しっかりしなきゃ。そう思って、数回深呼吸をした。上着はそのままそっと椅子の背にかけた。
キッチンに行って熱いお茶を用意してポットに入れ、カップと一緒にテーブルの上に置いた。
バスルームの様子を外からうかがって、カインを呼ぶためにデスクに向かい、モニターの前に座った。キーボードに手を置いた途端にケイナが出て来たので、慌てて立ち上がって彼に駆け寄った。
「ケイナ、カインさんを呼ぶから……」
そう言った彼女の鼻先で寝室のドアがばたりと閉められた。
「ケイナ、温かいお茶を用意したわよ。お腹は空いてない?」
ティは閉じられたドアの外から声をかけたが返事はなかった。
カインに連絡をしよう。そう思って再びケイナのデスクの小さな画面に向かった。カインの部屋を呼び出すと、彼はすぐに画面に現れた。
「ケイナが帰ってきた?」
何も言わないのに彼がそう言ったので、ティは目を丸くした。
「ユージーがさっき連絡をくれた。部屋にいるの?」
ティがうなずくとカインは画面から消え、すぐにやってきた。
「シャワーを浴びさせて…… 出て来たと思ったらすぐ寝室に入っちゃって」
部屋に入るなり顔を巡らせるカインを追いすがるようにしてティは言った。カインは椅子の背にかかっているケイナの上着に気づくと、立ち止まってしばらくそれを見つめた。
「全身血まみれだったの。怪我はしていないようなんだけど…… これ、どうしたの?」
ティは不安そうにカインを見上げた。カインは彼女の顔をちらりと見た。
「ダフル・クルーレが亡くなった」
ティはそれを聞いても理解できないようにカインの顔を見つめたままだった。
「クルーレの息子だよ。一緒に行動してたみたいだ」
「一緒に……?」
ティは呆然として上着に目を向けた。では、これはクルーレの息子の血なのか。
カインは口を引き結んだ。
「明日、軍の式があるけど…… リィのほうからは誰も来ないほうがいいと言われた。公の場は危険だからと」
「……わたしを襲ったあの人なの?」
「そう。それとぼくをね」
ためらいがちに尋ねるティにカインはそう答えると寝室に向かった。ノックしたが応答はない。
「ケイナ」
やはり返事はなかった。カインはそっとドアを開けた。
「ケイナ?」
中を覗き込むと暗い部屋の床に脱ぎ捨てられたバスローブとタオルが落ちているのが見えた。
とりあえず部屋着だけは身につけているものの、半ば倒れ込むような格好でケイナはベッドに横になっていた。
「ショックで別人格を作るよりましか……」
カインは寝息をたてるケイナの顔を見てつぶやいた。人の気配には人一倍敏感なケイナが、寝室に人が入って来ても飛び起きない。よほど憔悴したか、それとも、帰ってきて安心したのか……。
ユージーが連絡をくれたのは正午あたりだった。それから8時間以上も、飲まず食わずでいったい何をしていたのだろう。
彼が何かを握っていることに気づいて、そっと左手を動かしてみた。
ハルドのブレスレットがちらりと見えた。
ダフルの葬儀のあと、墓地に向かう前に葬儀の列がリィのビルの前を通るからとユージーが連絡をしてくれた。
リィ・カンパニーからは誰も参列できなかったので、気を使ってくれたのだろう。
知らされた時間にビルのエントランスまで降り、軍の経験のあるカイン、アシュア、ケイナは軍式に敬礼をしてダフルの乗った黒い大きなプラニカを見送った。
ケイナはまだ憔悴しきった表情だった。
ダフルの死はケイナだけでなく、ブランやダイにとっても衝撃であるはずだった。
しかし、ブランもダイも戻ってきた直後こそ興奮状態だったが、夜中に飛び起きたり泣いたりすることはなかった。
ケイナもカンパニーに戻ったあと眠っていた。
ダイはブランが手を繋いでいたからケイナは大丈夫なのだと言った。
『ノマド』の夢見たちが彼に代わって夜の間は苦しみを引き受けたのだという。
「ぼくらのことも、夜になると夢見たちがずっと頭を撫でてくれるんだ……。そしたら眠くなる」
アシュアとリアはそれを聞いて顔を見合わせた。
しかしカインはそのあともケイナが自分の手を見つめてじっと考え込んでいる姿を何度も見た。
ブランとダイはどこを見るでもなくぼんやりとして座り込んでいるときがあるらしい。
ほんの一瞬前まで生きて話していた人がふいにいなくなってしまう喪失感から立ち直るのには、長い時間が必要になる。カインはそのことが痛いほど分かっていた。
たぶんユージーもアシュアもリアも同じだろう。癒せるのは時間だけだ。
誰にでも平等に過ぎる時間が彼らの傷に少しずつ薄い膜を作っていく。その傷は決して治りきることはないだろうが、剥きだしになったままではないぶん、いつかは傷を治すエネルギーを自分自身の時間を生きていくエネルギーに変えていくことができる。
きっとそうだ。そうであって欲しかった。
カインたちは祈るような気持ちで3人を見守っていた。
ケイナはカンパニーを出てからの数日間を、極端に少ない言葉ではあったがセレスと子供たち以外の全員に話した。
ジェ二ファに会ってブランたちのコミュニティを教えてもらったこと、エリドに会ってあれがハルド・クレイであることの確証を得たこと。
ハルド・クレイに人工パーツをつけるのを提案したのは『ノマド』であったこと、そのためにエストランド・カートとサン・バッカードが不穏な計画を企てるきっかけとなってしまったこと。
『ノマド』はハルドを取り戻すことに失敗をしたこと。身の内にハルド・クレイを留めたままのあいつを葬るしか道はないこと……。
「ユージーにはちゃんと話しをした?」
カインが尋ねると、ケイナはかぶりを振った。
「あのときは…… 話せなかった」
「じゃあ、彼にもきちんと報告をしておいたほうがいい。きみはカートとして動いたのだから」
カインがそう言うと、ケイナは無言でうなずいた。
カインはケイナがダフルとセレスのことについては一切話さなかったことに気づいていたが、そのまま何も問わずにいることにした。
ダフルについては彼にはまだ触れられたくないことだろうし、セレスについても彼女の記憶を取り戻す術が見つかったのであればケイナは行動に移すはずだった。
それがないということは…… 分からなかったということだ。
ユージーは相当きつくケイナを突っぱねてリィに行かせたからとカインに話していた。
彼の立場としてはそうせざるをえなかっただろう。
クルーレを案じて彼のことを尋ねると、ユージーは一瞬口を引き結んだ。
「葬儀が終わったら任務に戻ると言っていた」
カインはそれを聞いて目を伏せた。あの人なら、そうするだろうとは思っていたが、次に彼と顔を合わせたときにかける言葉を見つけられないと思った。
「ユージー……」
カインはしばらく沈黙したあと口を開いた。ユージーの黒い瞳がこちらを向く。
「ぼくは、あなたの言うように、策略家じゃありません」
ユージーの表情がかすかに訝しそうになるのを捉えながら、カインは言葉を続けた。
「あなたの考えていることも、ずっとあとになってからやっと分かることが多い。今回もたぶんあなたには何か考えがあってケイナをこちらに戻したんだと思う。でも、ぼくは、あなたとは対等でありたい。ケイナをこちらに預かるのは、あなたの意思だからじゃない。ぼくの意思です」
ユージーはカインのきっぱりとした口調にかすかに目を伏せてうなずいた。
「でも、ケイナにとって、あなたの代わりはできません」
思いがけないカインの言葉にユージーは少しびっくりしたような表情でこちらを見た。
「『A・Jオフィス』のことはそちらの管轄内だ。でも、『ノマド』の動きについては、こちらにも情報をください。……彼らに対してはリィにも責任がある」
カインはそう言ったあと、ユージーの返事を待たずに通信を切り、椅子の背にもたれかかった。
ぼくらにケイナの『兄』の代わりはできない。
ユージーに友人の代わりができないように。
クルーレにとって、息子の命はひとつであったように。
誰かにとって、誰かの代わりはできない。
そしてハルド・クレイの命もひとつしかない。
無くしたくなかった命、無くさなければならない命。こんな理不尽なことがあっていいものか。
ぼくらはこれから途方もなく.辛い思いをすることになるだろう。
カインは口を引き結んで、何も映っていないモニターを見つめ続けた。
アシュアの子供たちを受け入れるために新しい部屋を大急ぎで手配し、ばたばたと走り回っているうちに気づいたら日が傾きかけていた。カインはかなりスケジュールを調整してくれたが、結局2時間近くも残業になった。
(わたしって、つくづく段取りが下手なんだわ……)
ティはため息をつきながらオフィスを出てドアをロックした。
明日も大忙しだ。少し早めに出社しよう。
そう思いながら振り返ったところで人影を見つけ、ぎょっとして身をすくませた。
「……ケイナ?」
人気のない廊下のダウンライトの下で光る金色の髪を見てすぐに分かった。
「いったいどうしたの!?」
慌てて駆け寄り、体中赤茶色に染まった彼の姿を見て呆然とした。まるですさまじい戦地から帰ってきたようだ。
「怪我してるの? どこ?」
すがりつくように腕に手をかけてきたティに、ケイナはかぶりを振った。
「怪我はしていない」
ティは戸惑いながら血に汚れた彼の顔を見上げた。
「カインさんを…… 呼ぼうか?」
ケイナはやはり首を振った。
「プラニカ…… 悪かった。騙して…… ごめん」
「なに言ってるの……」
ティは少し怒ったような表情になった。
「騙されたなんて思ってないわ。心配したのよ」
ケイナはティから目を逸らせると顔を俯けた。憔悴しきったような彼の顔をしばらく見つめたのち、ティはケイナの手をとった。
「その格好でよく大騒ぎにならなかったわね。とにかく…… こっち」
静まり返ったフロアをちらりと振り返り、彼女はケイナの手を掴んだまま非常階段に続くドアを開けた。
「10階分、あがらないといけないけど…… 大丈夫?」
気遣わしげに彼の顔を見たが、ケイナが無言で階段を昇り始めたのでほっとした。
カインの部屋の前を通ったとき、よほど彼を呼び出そうかと思ったが、とにかくケイナをなんとかしなければと部屋のドアを開けさせ自分も一緒に入った。
「早くシャワーを浴びて。バスルームにガウンあるから」
ケイナの背を押し、急いで明かりを付けて室温を調整した。
その言葉にケイナは緩慢に上着を脱いだが、その下の素肌も血まみれなのを見てティは顔をこわばらせた。
いったい何をしてきたんだろう。まさか人殺しじゃないよね。
でも、ケイナはカートとして動いていると聞いた。
バスルームに入っていくケイナを見送って彼が脱ぎ捨てた軍服の上着をこわごわとりあげて眺めた。
何をどうしたらこんなふうになってしまうのだろう。血にまみれているというよりは血を浴びたという感じだ。
いきなり震えがきた。恐ろしさに思わず床にへたりこんでしまいそうになって、ティは慌ててテーブルの端にしがみついた。
だめだ、しっかりしなきゃ。そう思って、数回深呼吸をした。上着はそのままそっと椅子の背にかけた。
キッチンに行って熱いお茶を用意してポットに入れ、カップと一緒にテーブルの上に置いた。
バスルームの様子を外からうかがって、カインを呼ぶためにデスクに向かい、モニターの前に座った。キーボードに手を置いた途端にケイナが出て来たので、慌てて立ち上がって彼に駆け寄った。
「ケイナ、カインさんを呼ぶから……」
そう言った彼女の鼻先で寝室のドアがばたりと閉められた。
「ケイナ、温かいお茶を用意したわよ。お腹は空いてない?」
ティは閉じられたドアの外から声をかけたが返事はなかった。
カインに連絡をしよう。そう思って再びケイナのデスクの小さな画面に向かった。カインの部屋を呼び出すと、彼はすぐに画面に現れた。
「ケイナが帰ってきた?」
何も言わないのに彼がそう言ったので、ティは目を丸くした。
「ユージーがさっき連絡をくれた。部屋にいるの?」
ティがうなずくとカインは画面から消え、すぐにやってきた。
「シャワーを浴びさせて…… 出て来たと思ったらすぐ寝室に入っちゃって」
部屋に入るなり顔を巡らせるカインを追いすがるようにしてティは言った。カインは椅子の背にかかっているケイナの上着に気づくと、立ち止まってしばらくそれを見つめた。
「全身血まみれだったの。怪我はしていないようなんだけど…… これ、どうしたの?」
ティは不安そうにカインを見上げた。カインは彼女の顔をちらりと見た。
「ダフル・クルーレが亡くなった」
ティはそれを聞いても理解できないようにカインの顔を見つめたままだった。
「クルーレの息子だよ。一緒に行動してたみたいだ」
「一緒に……?」
ティは呆然として上着に目を向けた。では、これはクルーレの息子の血なのか。
カインは口を引き結んだ。
「明日、軍の式があるけど…… リィのほうからは誰も来ないほうがいいと言われた。公の場は危険だからと」
「……わたしを襲ったあの人なの?」
「そう。それとぼくをね」
ためらいがちに尋ねるティにカインはそう答えると寝室に向かった。ノックしたが応答はない。
「ケイナ」
やはり返事はなかった。カインはそっとドアを開けた。
「ケイナ?」
中を覗き込むと暗い部屋の床に脱ぎ捨てられたバスローブとタオルが落ちているのが見えた。
とりあえず部屋着だけは身につけているものの、半ば倒れ込むような格好でケイナはベッドに横になっていた。
「ショックで別人格を作るよりましか……」
カインは寝息をたてるケイナの顔を見てつぶやいた。人の気配には人一倍敏感なケイナが、寝室に人が入って来ても飛び起きない。よほど憔悴したか、それとも、帰ってきて安心したのか……。
ユージーが連絡をくれたのは正午あたりだった。それから8時間以上も、飲まず食わずでいったい何をしていたのだろう。
彼が何かを握っていることに気づいて、そっと左手を動かしてみた。
ハルドのブレスレットがちらりと見えた。
ダフルの葬儀のあと、墓地に向かう前に葬儀の列がリィのビルの前を通るからとユージーが連絡をしてくれた。
リィ・カンパニーからは誰も参列できなかったので、気を使ってくれたのだろう。
知らされた時間にビルのエントランスまで降り、軍の経験のあるカイン、アシュア、ケイナは軍式に敬礼をしてダフルの乗った黒い大きなプラニカを見送った。
ケイナはまだ憔悴しきった表情だった。
ダフルの死はケイナだけでなく、ブランやダイにとっても衝撃であるはずだった。
しかし、ブランもダイも戻ってきた直後こそ興奮状態だったが、夜中に飛び起きたり泣いたりすることはなかった。
ケイナもカンパニーに戻ったあと眠っていた。
ダイはブランが手を繋いでいたからケイナは大丈夫なのだと言った。
『ノマド』の夢見たちが彼に代わって夜の間は苦しみを引き受けたのだという。
「ぼくらのことも、夜になると夢見たちがずっと頭を撫でてくれるんだ……。そしたら眠くなる」
アシュアとリアはそれを聞いて顔を見合わせた。
しかしカインはそのあともケイナが自分の手を見つめてじっと考え込んでいる姿を何度も見た。
ブランとダイはどこを見るでもなくぼんやりとして座り込んでいるときがあるらしい。
ほんの一瞬前まで生きて話していた人がふいにいなくなってしまう喪失感から立ち直るのには、長い時間が必要になる。カインはそのことが痛いほど分かっていた。
たぶんユージーもアシュアもリアも同じだろう。癒せるのは時間だけだ。
誰にでも平等に過ぎる時間が彼らの傷に少しずつ薄い膜を作っていく。その傷は決して治りきることはないだろうが、剥きだしになったままではないぶん、いつかは傷を治すエネルギーを自分自身の時間を生きていくエネルギーに変えていくことができる。
きっとそうだ。そうであって欲しかった。
カインたちは祈るような気持ちで3人を見守っていた。
ケイナはカンパニーを出てからの数日間を、極端に少ない言葉ではあったがセレスと子供たち以外の全員に話した。
ジェ二ファに会ってブランたちのコミュニティを教えてもらったこと、エリドに会ってあれがハルド・クレイであることの確証を得たこと。
ハルド・クレイに人工パーツをつけるのを提案したのは『ノマド』であったこと、そのためにエストランド・カートとサン・バッカードが不穏な計画を企てるきっかけとなってしまったこと。
『ノマド』はハルドを取り戻すことに失敗をしたこと。身の内にハルド・クレイを留めたままのあいつを葬るしか道はないこと……。
「ユージーにはちゃんと話しをした?」
カインが尋ねると、ケイナはかぶりを振った。
「あのときは…… 話せなかった」
「じゃあ、彼にもきちんと報告をしておいたほうがいい。きみはカートとして動いたのだから」
カインがそう言うと、ケイナは無言でうなずいた。
カインはケイナがダフルとセレスのことについては一切話さなかったことに気づいていたが、そのまま何も問わずにいることにした。
ダフルについては彼にはまだ触れられたくないことだろうし、セレスについても彼女の記憶を取り戻す術が見つかったのであればケイナは行動に移すはずだった。
それがないということは…… 分からなかったということだ。
ユージーは相当きつくケイナを突っぱねてリィに行かせたからとカインに話していた。
彼の立場としてはそうせざるをえなかっただろう。
クルーレを案じて彼のことを尋ねると、ユージーは一瞬口を引き結んだ。
「葬儀が終わったら任務に戻ると言っていた」
カインはそれを聞いて目を伏せた。あの人なら、そうするだろうとは思っていたが、次に彼と顔を合わせたときにかける言葉を見つけられないと思った。
「ユージー……」
カインはしばらく沈黙したあと口を開いた。ユージーの黒い瞳がこちらを向く。
「ぼくは、あなたの言うように、策略家じゃありません」
ユージーの表情がかすかに訝しそうになるのを捉えながら、カインは言葉を続けた。
「あなたの考えていることも、ずっとあとになってからやっと分かることが多い。今回もたぶんあなたには何か考えがあってケイナをこちらに戻したんだと思う。でも、ぼくは、あなたとは対等でありたい。ケイナをこちらに預かるのは、あなたの意思だからじゃない。ぼくの意思です」
ユージーはカインのきっぱりとした口調にかすかに目を伏せてうなずいた。
「でも、ケイナにとって、あなたの代わりはできません」
思いがけないカインの言葉にユージーは少しびっくりしたような表情でこちらを見た。
「『A・Jオフィス』のことはそちらの管轄内だ。でも、『ノマド』の動きについては、こちらにも情報をください。……彼らに対してはリィにも責任がある」
カインはそう言ったあと、ユージーの返事を待たずに通信を切り、椅子の背にもたれかかった。
ぼくらにケイナの『兄』の代わりはできない。
ユージーに友人の代わりができないように。
クルーレにとって、息子の命はひとつであったように。
誰かにとって、誰かの代わりはできない。
そしてハルド・クレイの命もひとつしかない。
無くしたくなかった命、無くさなければならない命。こんな理不尽なことがあっていいものか。
ぼくらはこれから途方もなく.辛い思いをすることになるだろう。
カインは口を引き結んで、何も映っていないモニターを見つめ続けた。