ドアーズの姿が見えなくなったところでカインはよろめくように壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んでしまった。
「しっかりしろよ、大丈夫か」
 アシュアはびっくりしてカインの顔を覗き込んだ。
「びっくりした……」
 カインはため息をついて、アシュアに無理につくったような笑みを見せた。
「久しぶりだとこんなに負担になるんだな……」
「何か見えたのか?」
「よく分からないんだ……」
 カインは目を押さえてつぶやいた。
「ケイナに会えと言われた……」
「ケイナに? 誰に?」
「セレスに」
 アシュアは呆然としてカインを見つめた。
「ち、ちょっと、とにかくプラニカまで戻ろう……」
 アシュアはカインを抱きかかえるようにして立ち上がらせた。『見える』力が体に負担をかける。『アライド』の血の早い老いの原因はこのせいじゃないだろうか。カインを支えて歩きながらアシュアは思った。厄介なのはこの力は自分では全くコントロールがきかない点だ。
 プラニカの座席に座らせるとカインはまだ憔悴しきった様子だった。だるそうに目を閉じ、うつむいて額に手を当てている。
「ユージーとの約束にはまだ時間がある。どこかで休んでいくか」
 アシュアが運転席に座りながらそう言うと、カインはかぶりを振った。
「休んだところで10分20分だろ……。エアポートに向かおう……」
「でも、そんな状態じゃ……」
「大丈夫だよ」
 カインは顔をあげると数回瞬きをして背を伸ばした。
「久しぶりだから驚いただけだ。セレスが目覚めたら、また何度かこういうことがあるのかもしれないな。そのうち慣れるよ」
 アシュアは返す言葉が見つからなかった。
 走り出したプラニカの中でしばらく沈黙が続いたあと、カインが少しかすれた声で口を開いた。
「アシュア、今そっちのほうはどうなっている?」
 アシュアはちらりとカインに目を向けた。無理をしないで黙ってりゃいいのにと思ったが、それでも返事をした。
「今、サウスドームの西の端の森に拠点を置いているんだ。あそこは一番大きい森だし、何より気温や気圧が安定している。たぶん相当長い期間あそこにいることになるだろうと思うよ」
 サウスドームは確かに安定している場所だ。何よりもカインのいるオフィスにそう遠くない。アシュアたちがそこに拠点を移したのは、どちらかといえばカインのことを考えてのうえだろうということは容易に察しがついた。
 アシュアは遊牧民『ノマド』で生まれ育った女性、リアと結婚したが、子供たちがある程度大きくなるまでという条件を自分で作って、リアと共に『ノマド』のコミュニティに留まっていた。
 双子のダイとブランが4歳になった時から時々カインの補佐を努めている。アシュアの望みはカインのそばでずっと一緒に仕事がしたい、ということのようだったが、カインはそれを突っぱねた。
 アシュアが『ノマド』にいることは『ノマド』とコンタクトをとりやすくなるという利点があったし、何よりアシュアがカンパニーの仕事をするとなったとき、リアや子供たちが一緒にこちらに来るとは考えにくいからだった。リア自身はその決心はついていると言っていたが、生まれたときからずっと『ノマド』で暮らしてきた彼女がこちらの世界に馴染むにはかなりの努力が必要だろう。そういう負担はかけたくなかった。
「リンクと、あとひとり、フラワーって女性が時々『ホライズン』や『アライド』のほうからレクチャー受けているって話は前にしただろ?」
「……うん……」
 カインはうなずいた。
「あのふたりがセレスとケイナの治療を主に担うことになると思う。必要な機材ももう搬入されている。子供らもだいぶん大きくなったから、日常的なことはリアが受け持つよ。というかさ、あいつ張り切りまくってる」
 アシュアの言葉にカインは少し笑った。リアの有頂天ぶりが目に見えるようだ。
 リアは感情表現がストレートだ。彼女には7年前に亡くなった双子の兄がいたが、同じ双子でも全く性格が違った。
 リアはなんでも本音そのままでぶつかってくるタイプだが、兄のトリは逆に真意の分からない言葉を連ねることが多かった。
 彼は予見の力を持つという『夢見』という立場であったからかもしれない。
 トリはアシュアの身代わりとなって亡くなったと聞いた。
 アシュアがそのことを口にしたのはもうずいぶん前に一度きりだ。アシュアの気持ちを考えてカインもそれ以上に詳しくは聞いていない。
「子供たちは元気?」
 カインはアシュアに目を向けた。目の充血が少しとれたようだ。
 子供の話題になってアシュアは嬉しそうに笑顔を見せた。
「ああ、元気、元気。もうすぐ7歳になるからなあ。もっと小さい時は、なんか、トリとリアのミニチュア見ているみたいな気がしたけど、今はそうでもないよ。ダイは完璧おれ似だね。あいつは将来大物になる」
 カインは思わずくすりと笑った。
「双子だろ? ダイがおまえ似なら、ブランもおまえ似ってことになっちまう」
「いや、ブランはリアに似てるよ。あの負けん気の強さは間違いないね」
 アシュアは思い切り顔をしかめてみせた。
「子供たちには…… やっぱり予見の力があるのか?」
 ためらいがちにカインが尋ねると、アシュアは小首をかしげた。
「さあ…… どうかなあ。それらしき様子は今までなかったよ。夢見たちはブランにその力を強く感じるって言っていたけど、昔聞いていたトリの幼い頃のようなこともないし……。でも……」
 アシュアが言いよどんだので、カインは怪訝そうにアシュアを見た。アシュアはそれに気づいて何でもない、というように笑みを見せた。
「たいしたことじゃないんだよ。ブランは光るものが嫌いなんだ」
「光るもの?」
 カインは目を細めた。
「うん。なんつうか、光を反射してぴかっとするやつっていうのかな。金属とか、ガラスみたいなものとか。だから『ノマド』の人間がよく身につけている石の装飾品なんかも嫌いなんだよ。木の実や草の実を乾燥させて、自分でそれで首飾りを作ってた。なんかちょっと不恰好なやつだったけどな」
「ふうん……」
 光るものが嫌い……。カインはさっき目の前に起こった閃光を思い出した。
 何を意味するのだろう、あの光は。
 カインの『見える』力はよほどのことがない限り、具体的な形で出現することはない。抽象的な言葉だったり、光だったり、色だったりと、それらから今後起こる「何か」を判断することはあまりにも難しいことだった。
 『ノマド』の夢見たちはもっと具体的に『見る』のだろうか。リアの兄のトリや夢見たちならセレスからのメッセージの意味が分かったのだろうか。
「女の子はいろいろ難しいよ。ダイはおっとりしてるんだけど、ブランはいろいろ口やかましくてさ。昔のリア見てるみたいでうるさくってしようがねえ」
 アシュアはまだ有頂天になってしゃべっている。
 アシュアはもう完全に親の立場なんだな。
 カインは心の中でつぶやいた。アシュアがこんなに子煩悩だなんて、昔は想像もしなかった。
 彼を自分の下で働かせるなんて、やっぱりできない。アシュアを命の危険にさらすなんてできない。
 ハイウェイの先にエアポートの建物が見えてきたのを見つめながらカインは思った。