ひとしきり吐いたあと、ケイナはクルーレたちとともに監視用の部屋に戻った。
 バッカードの身代わりになっていた男はノブとヨハンが連行していった。
「住民登録の詐称罪だな。一緒に青少年の無許可労役に関する摘発もできそうだが」
 クルーレはケイナに言った。
「本人だったらどうする気だったんだ」
 ブーツを自分のものに履きかえるケイナにクルーレが言うと、ケイナは肩をすくめた。
「最初におれを見たときの反応で違うってわかってた」
「バッカードは近眼だったよ」
 ダフルが言ったが、ケイナは無言で借りていたジャケットをダフルに渡した。
 ジャケットを受け取ってダフルは父親を見上げた。
 クルーレは何も言わなかった。
 どうしてこのわずか18歳の少年の無謀な行いを許してしまったのだろう。
 いつもの自分なら部下にでもこんな行動は許さないだろう。
 クルーレは自分でも分からなかった。
 ほとんど何の経験も積んでいないというのに、この子は人を自分に従わせる目を持っている。それが少し不気味だった。
 ケイナはクルーレの視線を浴びながら顔を不機嫌そうに逸らせた。
「言葉としての確証が欲しかっただけだ。『たぶん』な感覚だけじゃ説得できない。手荒いまねはしたくなかったけど……」
「とりあえずリィ社長に報告をしなければならない。一緒に戻ってくれるね?」
 クルーレが言うと、ケイナは目を逸らせたまま答えなかった。
「戻らないわけにはいかないぞ、ケイナ」
 諭すように言うクルーレの顔にケイナは目を向けた。
「『ノマド』を探す」
 クルーレがめずらしくあんぐりと口を開けた。ケイナの言葉がよほど突拍子もないことだったのだろう。
「アシュアのコミュニティを探す。彼らはきっと何か知ってる」
 クルーレは勘弁してくれというように首を振った。
「十分無謀なことはやっただろう? わたしが行けと言えるとでも思っているのか。それに『ノマド』にコンタクトを取ることが難しいことはきみも知っているだろう」
「知ってるけど、道がないわけじゃない」
 ケイナは言い募った。
「バッカードは偽者だった。ハルドさんも顔を変えている。遺体はきっと別の人間だ。でも、顔を変えて全く別人の生活をさせることを実行しているのは『A・Jオフィス』なんだ。『ノマド』は絶対何か知ってる」
 ダフルが不安そうに父親を見た。彼は何の話かさっぱり分かってはいなかったが、ケイナが話していることが尋常ではないことは感じたようだ。
「敵なのか味方なのかは分からない。でも、行く。アシュアの子供たちもコミュニティにいるんだ」
「もし彼らが味方ではなかったらどうするんだ」
 クルーレが言うと、ケイナは首を振った。
「分からない。でも敵じゃないと思ってる」
「なぜ」
 また『勘』か? クルーレは思わず顔をしかめた。
「彼らはリアを置いていった。リアは表だった能力はないけど、夢見の血を引いてる。それにダイとブランの母親だ。アシュアは全ての通信機を没収されてしまったけれど、リアがいることで『ノマド』はアシュアとリアを守っている」
 クルーレは分からないというように首を振った。彼にとって夢見のことは理解しがたかった。
「何をどう言ってもわたしにはきみを行かせることはできない。ましてやひとりで。カート社長もリィ社長も反対するだろう」
「あ、じゃあ、ぼくが一緒に」
 いきなりダフルが言い出したので、クルーレもケイナも彼に目を向けた。
「ここの見張りも今日で終わりでしょう? ぼくも明日からは別の任務になるわけだし」
「ばかなことを言うな! おまえは下級兵だぞ。おまえにケイナの護衛が務まると思っているのか」
 クルーレが目を剥いた。
「プランニングと操縦だけは成績が良かったよ」
 ダフルは目を輝かせていた。
「あ、あと捜査も。人探しなら自信あります」
 クルーレは顔をしかめて額に手を当てたが、ダフルは嬉しそうにケイナの横に並んだ。
「一番いいのは、お父さんの息子ということだ。それなら社長を説得できるでしょう?」
 ケイナは横に立つ彼に目を向けた。さっきちらりと見た彼の真剣な顔が思い出された。通信機を投げてよこしたのも瞬時の的確な判断だった。
 この人は気弱そうに見えてかなり頭の回転が速いのかもしれない。
「お父さん、命令を」
 ダフルは急かすようにクルーレを見たが、彼はまだ迷っているようだった。
 ケイナは踵を返した。迷っている時間が惜しかった。それを見てクルーレは仕方なくうなずいた。
「必ず連絡を入れるんだ。わたしのところに直に」
「分かりました!」
 ダフルは嬉しくてたまらないというように敬礼をしてケイナのあとを追った。

 カインはモニターから視線を外すと椅子の背もたれに身を預けて大きく息を吐いた。
 キーボードの上に置かれたまま、全く動いていない自分の指先に何度も気づいた。
 ケイナがいなくなって3日になる。
 バッカードの身代わり報告を受けて、プロジェクトに関わったスタッフは全員遺伝子レベルでの本人確認をした。いなくなっていたのはバッカードだけだった。
 恐ろしいと思ったのは、声紋や虹彩チェックでもバッカードはこれまでひっかからなかったということだ。と、いうことは、声はともかく、彼は眼球の移植までもしたことになる。
 そこまでして何をしようとしている? 『ゼロ・ダリ』という金の成る木を見つけたつもりなのか?
 それともリィ・カンパニーへの恨みか?
 一昨日ケイナが『コリュボス』に向かったとクルーレから知らされた。
「あいつ、昔のアパートに行ったんじゃないかな……」
 アシュアがそれを聞いてつぶやいた。
「『ノマド』の居場所を知るために、きっとジェ二ファに会うつもりなんだ」
 『コリュボス』に行くとしたら、それしかないだろう。夢見の力を持つ彼女に、アシュアのいたコミュニティの場所を特定してもらうつもりなのだ。
 ケイナは8年前、『コリュボス』のアパートにいた。何らかの事情で『ノマド』のコミュニティから出た者が多く住んでいるアパートで、そこでジェ二ファはケイナを可愛がっていたようだが、そもそも、そのアパートが存在しているのか、ジェ二ファ自身がそこにいるのかは分からない。
 アパートが存在して、もし、彼女が今もまだそのアパートにいたとしても、あまりにも遠い地球と『コリュボス』という距離を超えて、彼女が夢見の力でコミュニティの場所を見つけ出せるものなのか、カインには疑問だった。
(でも……)
 カインは握った手を顎に押し当てた。
 自分はケイナの夢の中に入ったことがある。
 地球にいて、薬で眠っている間に『コリュボス』にいたケイナの意識の中に入り込んだ。
 ケイナはきっとそのことを思い出したのかもしれない。
 クルーレはケイナの行く先を告げる以外多くを語ってくれなかった。
「カート、としてケイナは動いています。申し訳ありません」
 彼は苦渋に満ちた表情でそう言った。
「ユージーはなんと言っているんです」
 カインが尋ねると、クルーレはさらに沈鬱な表情になった。
「あなたと同じ気持ちです、リィ社長。ひとりでなんとかしようなどと狂気の沙汰だと」
 カインはクルーレの顔を見つめて口を引き結んだ。彼を睨みつけそうになって慌てて視線を逸らせた。
 クルーレは嘘をついている……。そう思った。
 ケイナはもともと、ユージーの指示でカンパニーに送られてきている。その意味を、今まではリィがケイナ自身の体を管理し、彼自身が自分のそばにいてくれるためのものだと思っていた。
 でも、違った。
 カートは最初から『ノマド』の存在を疑っていた。ケイナの前で『ノマド』は怪しいとキーワードをちらつかせた。名目上、ケイナは自分の護衛をしてくれているような形になっていたが、『ノマド』として生活するアシュアのそばにいることがそもそものケイナの存在の意味だったのだ。
 自分で知らないうちに『ノマド』の思惑通りに動いてしまいそうになるのはアシュアだ。
 ケイナは意識せずともアシュアの様子を見ていただろう。
 そして何らかの動きが出たとき、『ノマド』にもっとも接近しやすいのはアシュアではない。ケイナだ。現にアシュアはコミュニティから弾き出されている。
 この事態をユージーはずっと前に予測していたのだろう。
 ケイナなら『ノマド』に乗り込める。リィにいれば、誰の指示がなくてもケイナなら自分で動く。
 そうでしょう、クルーレ?
 問いたくなる気持ちをカインは抑えた。面と向かってクルーレが、はいそうです、と言うはずはない。もともとケイナに対して、リィは彼の体の管理をする以外に何の権限もないのだ。
 彼と自分が友人である、ということ以外は。
 今となってはケイナ自身もユージーの意図が全部分かっただろう。その上で彼はみずから動き出した。
(おれはずるいんだよ)
 以前、そう言ったユージーの言葉が思い出される。
 カインは視線を落として宙を見つめた。
 クルーレと話してからずっと決心がつきかねていることがある。
 いなくなったバッカードは本来消去するはずだった多くの情報を携えて『アライド』に飛び立っているだろう。それはすでにエストランドの手に渡っているかもしれない。このふたりだけは野放しにはできない。ケイナは『ノマド』に行ったあとは、必ず『アライド』に飛ぶはずだ。
 それだけは、やはり、させたくない。
 カインは束の間ぎゅっと目を閉じると、顔をあげた。
 ヨクが入ってきたとき、ちょうどカインはクルーレに直接連絡を入れているところだった。
 声をかけようとしていたヨクは、通信中と知って黙って彼のデスクに近づいてきた。
「どうされましたか」
 クルーレはいつもと変わらぬ落ち着いた声で画面の向こうにいた。
「お忙しいところすみません……」
 カインはそう言うと、呼吸を整えるように一度大きく息を吐いた。クルーレの表情が少し訝しげになった。
「カートと契約がしたいと思っています」
カインの言葉にヨクが目を細めた。カートと契約? いったい何の。
「友人として……  ケイナにこれ以上危ない橋を渡らせたくない。彼より先にお願いをしたい。……カート社長にお会いできますか」
 ヨクが思い当たって目を見開いた。
「カイン!」
 ヨクが飛び掛りそうになったので、カインは彼に手を突き出した。口を出すなというカインの鋭い目を見てヨクは顔をこわばらせた。
「契約は不要でしょう」
 クルーレは静かに答えた。
「既に発ちました」
 カインとヨクは呆然として画面の中のクルーレを見た。
 ふたりの顔を見てクルーレはかすかに笑みを浮かべた。
「ご心配なさらずに。まずは交渉です。そちらはこのことは知らなかったことにしてください。サン・バッカードは既にリィに所属しているわけではありません。あなたは『リィ・カンパニー』としてできる限りのことはしておられた。エストランドとバッカードの接点を作ったのはカートに責任があります。そう、お考えください」
 何も言えなかった。
 交渉? そんな生易しいことをするつもりなどないだろう。相手がノーと言えばどうするかは目に見えている。
 そのあとは…… きっと……。
「ケイナの動きよりも早く手を打たなくてはということもあります。彼は彼で『ノマド』で何かを掴んでくるでしょう。近いうちにカート社長よりあなたに面会の申し込みがあると思います」
 クルーレの言葉に体中の血管が縮んだような気持ちになった。
「……分かりました」
 かろうじてうなずくとクルーレは画面から消えた。見つめるヨクの顔をカインはかすかに震えながら見上げた。
「なんで、こんなことを」
 ヨクはカインを非難するような口調で言った。
「きみがひとりで決断するようなことじゃない」
 カインはそれには答えず、デスクに肘をつくと、両手に額を埋めた。
「月で500万。それを50年間……。半世紀だよ。なおかつ、『リィ・カンパニー』が存続するまで親族を含めた『身の安全を保証する』、と契約を交わした。それが破られたんだからバッカードにだって覚悟はあったということです。契約書をちゃんと理解していれば分かっていたはずだ」
 ヨクは口を引き結んでかすかにかぶりを振った。
「リィもカートも後ろめたいことだらけだ……」
 カインは呻くようにつぶやいた。
「背負えるのか……?」
 ヨクのかすれた声にカインはかぶりを振った。
「わかりません…… でも、それしかないと思う」
 背負えるかどうかなんて分からないよ。本当はそう言いたかった。
 すでに『ホライズン』があるのに。
 カインは顔をあげて、ヨクを見上げた。
「準備を…… お願いします。動かせる資金の調整と融資計画書を。カートはたぶん『ゼロ・ダリ』を買収したあと、リィの許容範囲内で売却するはずだ」
 ヨクはしばらくカインを見つめたあと、部屋を出て行った。
 『ゼロ・ダリ』をカートから切り離す。
 それには『リィ・カンパニー』が所有し、全権限を持つしかない。
 少なくとも、ユージーはそうするのが一番いいと、自分を信頼してくれたのだ。
 サン・バッカードとエストランド・カートを闇に葬って。
 それに応えるしかない。