(頭でっかちになってて、相手を認めず鼻高々になってる秘書なんて……)
ティはふとケイナの顔を見た。
ドアを開けかけて立ち止まっているティを見て、ケイナが怪訝な顔をした。
どうしたの? と問いたげだ。ティは彼に笑みを見せた。
「待ってて。10分程度だから」
ケイナはうなずいて、対面の壁にもたれかかった。
手続きを終えて外に出るとケイナは腕を組んで壁にもたれかかり、大きなガラスがはめ込まれた窓の外を眺めていた。自分の近くを通っていく人がぶしつけなほどじろじろと見ていくことも全く気にならないようだ。
「ケイナ」
声をかけたが、彼が振り向かないので、ティは近づいてケイナの腕に手を置いた。
「ケイナ」
青い目がようやくこちらを向いた。
「終わったわよ」
「ごめん」
ケイナはめずらしく戸惑ったような表情を見せた。
「考え事してた」
「何を見ていたの?」
ティは窓の外に目を向けた。外はビルが立ち並んでいるのが見えるばかりだ。
「あれ、海?」
ケイナが指したので、ティは目を凝らした。ビル群の遥か彼方に小さく光るものがあった。
「ああ、あれ……」
ティは答えた。
「あれは生活用水をろ過精製するためのダム湖だわ。あそこのシステムは『リィ・カンパニー』が組んでる。……海を見ようと思ったらもっと南に行かなくちゃ」
ケイナは無言だった。
「海が好きなの?」
なんだかかわいいところもあるじゃない、と思いながらティは尋ねた。
ケイナは彼女の問いに首をかしげた。
「……分からない」
彼は答えた。
「見たことはあるんでしょ?」
ケイナはしばらく彼女の顔を見つめた。
どうしてこんな切なそうな目をするんだろう?
ティは彼の顔を見つめ返して思った。
「行こう」
ケイナがいきなりそう言って歩き始めたので、ティは慌てて彼のあとを追った。
海は見たことがある。
セレスと一緒に『コリュボス』を出て、地球に戻ったときに軍用機から見た。
ケイナはそれを彼女に説明する気になれなかった。
あの青い水の中に沈んでしまいたいと思っていた。
今はそんな気持ちはない。『グリーン・アイズ』が死んだからだ。
そう、そのはずだ。
それが今さらどうして海を見たいと思ったのか自分でも分からなかった。
青い水……。青い色。
ふっと気が遠くなりそうな気がした。
我に返らせたのはティの声だった。
「ねえ、ケイナ、ちょっと待ってて」
目を向けると彼女はセントラル・バンクのホールを出てすぐのモールの中の店に入っていくところだった。店の中は若い男女でひしめきあっている。
あまり人ごみで長居しないほうがいいのに。
ケイナは少し眉をひそめて彼女の後ろ姿を見送った。
しばらくして出て来た彼女が握った手を突き出したので、ケイナはそれを怪訝そうに見た。
ティは少しはにかんだ笑みを浮かべてケイナを見上げた。
「護衛をしてくれたお礼。包んでもらわずにそのままもらって来ちゃった」
ケイナは目を細めた。彼が手を出そうとしないので、ティはケイナの左手を強引に持ち上げて彼の手のひらの上で握った手を開いた。
淡く青い色の石が光っていた。
「ピアス…… つけてたんでしょ?」
ケイナの耳を見てティは言った。ケイナが思わず表情を固くしたのでティは慌てた。
「ごめんなさい……。いけなかった?」
ケイナはどう答えればいいのか分からず、戸惑ったように青い石を無言で見つめた。
「青いから…… あなたの瞳に合うかなと思ったの」
そう、赤い色じゃない。ケイナは思った。
これは、抑制装置じゃない。アクセサリーのピアスだ。
「つけてもいい?」
ティが顔を覗きこむようにして言うのをケイナはどこか遠くで聞いていた。小さくうなずいたのも自分では理解していなかったかもしれない。
ティの温かい手が耳に触れた。
「右の穴って、なんだか妙に大きいのね……」
彼女はつぶやいた。手に触れるケイナの髪がびっくりするほどなめらかで柔らかい。
この子はなにからなにまで宝飾品みたいだわ、とティは思った。
両方の耳にピアスをつけ終わると、ティはケイナの顔を覗きこんで嬉しそうに笑みを見せた。
「良かった。すごく似合ってる。これ、セレスタインよ」
「セレスタイン……」
ケイナはつぶやいた。
「『天』の意味を持つ言葉からきているらしいわ。セレスが退院したら、彼女にも同じ石でプレゼントするわね。彼女はピアスをつけていたのかしら。ネックレスのほうがいいかな」
小首をかしげて自分の顔を覗きこむ彼女の目から逃れるようにケイナは目を伏せた。セレスの記憶が戻るのはいつになるか分からない。
「セレスの名前と似ているわね。天の青、海の青。……彼女が早く元気になるといいわね」
ティは言った。
「わたしが『リィ・カンパニー』に入ったとき、セレスはもう『ホライズン』にいて、あなたは『アライド』にいたの。カインさんはあまり話してくれないから、詳しいことは知らないんだけど……。でも、みんながあなたとセレスが元気になることを願ってるっていうのはよく分かったわ。……いつか海を見に行けるといいわね。セレスとふたりで」
ケイナは思わずティの顔を見た。
彼女はなぜ、おれにこんな言葉をかけてくれるんだろう。
セレスとふたりで海を見に行く……。
そう、そんな約束をした。凍える空気の中で抱きしめあいながら、そうつぶやいた。
だから海が見たいと思ったのかもしれない。
口を開いて、ありがとう、ティ、と言いかけて、ケイナはふと顔をあげた。
人ごみで立ち止まってしまったことを悔いた。
視線を感じる。行きかう人の視線ではない。違う。
「どうしたの?」
急に険しい顔で周囲を見渡すケイナをティは目を細めて見た。が、次の瞬間には彼女はさっきまでいた店の入り口まで弾き飛ばされていた。腰を打った。痛みに顔をしかめているとガキリという鈍い音が聞こえ、何が起こったか理解できずにいるうちに、あっという間に誰かに腕を掴まれていた。
「ケイナ?」
自分の腕を掴んだ相手を見あげてティはつぶやいた。
いや、ケイナではない。さっきつけたピアスがない。
顔を巡らせると銃を構えるケイナの姿が目に入った。
「誰……?」
ティは横の少年を呆然として見つめた。どうしてこの人はケイナとそっくりなの?
モールを歩いていた人々が一斉に逃げ始めた。警報とともに店には次々と防犯用のシャッターが下りていく。
「銃はまずいんじゃないの?」
ケイナとそっくりの少年が言った。ティは掴まれた腕を振り払おうとしたが、力が強くて全く動かない。
「だったら……」
銃を構えていたケイナがそうつぶやいた次の瞬間には、再びガキリという音がして彼は目の前に立っていた。ティは自分の腕を掴む少年の腕に細いへこみができているのを見た。ケイナが剣の柄を握っている。なんだろう、この剣は。刃が見えない。
「接近戦」
ケイナは言った。遠くで何人もの足音が聞こえる。警報を聞きつけてカートの警備隊が来たのかもしれない。
「そんなものじゃびくともしないよ」
相手の少年が言った。ケイナはかすかに笑った。
「『ノマド』の剣は『覚えていく』んだよ」
細い線が見る間に深くなっていく。ティは悲鳴をあげた。腕が目の前で切り落とされていく。彼女は少年が反対側の手で握った銃をケイナの頭につきつけるのを見た。
「やめて……」
ティは懇願した。
「お願い、やめて!」
銃の発射音がしたときには、ティは突き倒されていた。周囲でたくさんの足音がする。
「ケイナ……」
夢中で呼んだ。
「ケイナ!」
「ここにいる」
力強い腕が自分を助け起こすのを感じた。
「怪我は?」
ケイナの声にティは震えながら彼の顔を見た。こめかみから一筋の赤い色が流れている。
「撃たれたの……?」
「かすっただけ」
ケイナは答えた。周囲を見回すとたくさんの兵士にぐるりと背を向けて囲まれていた。
「あとはもうカートに任せればいいから。とにかく戻ろう」
ケイナは言った。
ティはふとケイナの顔を見た。
ドアを開けかけて立ち止まっているティを見て、ケイナが怪訝な顔をした。
どうしたの? と問いたげだ。ティは彼に笑みを見せた。
「待ってて。10分程度だから」
ケイナはうなずいて、対面の壁にもたれかかった。
手続きを終えて外に出るとケイナは腕を組んで壁にもたれかかり、大きなガラスがはめ込まれた窓の外を眺めていた。自分の近くを通っていく人がぶしつけなほどじろじろと見ていくことも全く気にならないようだ。
「ケイナ」
声をかけたが、彼が振り向かないので、ティは近づいてケイナの腕に手を置いた。
「ケイナ」
青い目がようやくこちらを向いた。
「終わったわよ」
「ごめん」
ケイナはめずらしく戸惑ったような表情を見せた。
「考え事してた」
「何を見ていたの?」
ティは窓の外に目を向けた。外はビルが立ち並んでいるのが見えるばかりだ。
「あれ、海?」
ケイナが指したので、ティは目を凝らした。ビル群の遥か彼方に小さく光るものがあった。
「ああ、あれ……」
ティは答えた。
「あれは生活用水をろ過精製するためのダム湖だわ。あそこのシステムは『リィ・カンパニー』が組んでる。……海を見ようと思ったらもっと南に行かなくちゃ」
ケイナは無言だった。
「海が好きなの?」
なんだかかわいいところもあるじゃない、と思いながらティは尋ねた。
ケイナは彼女の問いに首をかしげた。
「……分からない」
彼は答えた。
「見たことはあるんでしょ?」
ケイナはしばらく彼女の顔を見つめた。
どうしてこんな切なそうな目をするんだろう?
ティは彼の顔を見つめ返して思った。
「行こう」
ケイナがいきなりそう言って歩き始めたので、ティは慌てて彼のあとを追った。
海は見たことがある。
セレスと一緒に『コリュボス』を出て、地球に戻ったときに軍用機から見た。
ケイナはそれを彼女に説明する気になれなかった。
あの青い水の中に沈んでしまいたいと思っていた。
今はそんな気持ちはない。『グリーン・アイズ』が死んだからだ。
そう、そのはずだ。
それが今さらどうして海を見たいと思ったのか自分でも分からなかった。
青い水……。青い色。
ふっと気が遠くなりそうな気がした。
我に返らせたのはティの声だった。
「ねえ、ケイナ、ちょっと待ってて」
目を向けると彼女はセントラル・バンクのホールを出てすぐのモールの中の店に入っていくところだった。店の中は若い男女でひしめきあっている。
あまり人ごみで長居しないほうがいいのに。
ケイナは少し眉をひそめて彼女の後ろ姿を見送った。
しばらくして出て来た彼女が握った手を突き出したので、ケイナはそれを怪訝そうに見た。
ティは少しはにかんだ笑みを浮かべてケイナを見上げた。
「護衛をしてくれたお礼。包んでもらわずにそのままもらって来ちゃった」
ケイナは目を細めた。彼が手を出そうとしないので、ティはケイナの左手を強引に持ち上げて彼の手のひらの上で握った手を開いた。
淡く青い色の石が光っていた。
「ピアス…… つけてたんでしょ?」
ケイナの耳を見てティは言った。ケイナが思わず表情を固くしたのでティは慌てた。
「ごめんなさい……。いけなかった?」
ケイナはどう答えればいいのか分からず、戸惑ったように青い石を無言で見つめた。
「青いから…… あなたの瞳に合うかなと思ったの」
そう、赤い色じゃない。ケイナは思った。
これは、抑制装置じゃない。アクセサリーのピアスだ。
「つけてもいい?」
ティが顔を覗きこむようにして言うのをケイナはどこか遠くで聞いていた。小さくうなずいたのも自分では理解していなかったかもしれない。
ティの温かい手が耳に触れた。
「右の穴って、なんだか妙に大きいのね……」
彼女はつぶやいた。手に触れるケイナの髪がびっくりするほどなめらかで柔らかい。
この子はなにからなにまで宝飾品みたいだわ、とティは思った。
両方の耳にピアスをつけ終わると、ティはケイナの顔を覗きこんで嬉しそうに笑みを見せた。
「良かった。すごく似合ってる。これ、セレスタインよ」
「セレスタイン……」
ケイナはつぶやいた。
「『天』の意味を持つ言葉からきているらしいわ。セレスが退院したら、彼女にも同じ石でプレゼントするわね。彼女はピアスをつけていたのかしら。ネックレスのほうがいいかな」
小首をかしげて自分の顔を覗きこむ彼女の目から逃れるようにケイナは目を伏せた。セレスの記憶が戻るのはいつになるか分からない。
「セレスの名前と似ているわね。天の青、海の青。……彼女が早く元気になるといいわね」
ティは言った。
「わたしが『リィ・カンパニー』に入ったとき、セレスはもう『ホライズン』にいて、あなたは『アライド』にいたの。カインさんはあまり話してくれないから、詳しいことは知らないんだけど……。でも、みんながあなたとセレスが元気になることを願ってるっていうのはよく分かったわ。……いつか海を見に行けるといいわね。セレスとふたりで」
ケイナは思わずティの顔を見た。
彼女はなぜ、おれにこんな言葉をかけてくれるんだろう。
セレスとふたりで海を見に行く……。
そう、そんな約束をした。凍える空気の中で抱きしめあいながら、そうつぶやいた。
だから海が見たいと思ったのかもしれない。
口を開いて、ありがとう、ティ、と言いかけて、ケイナはふと顔をあげた。
人ごみで立ち止まってしまったことを悔いた。
視線を感じる。行きかう人の視線ではない。違う。
「どうしたの?」
急に険しい顔で周囲を見渡すケイナをティは目を細めて見た。が、次の瞬間には彼女はさっきまでいた店の入り口まで弾き飛ばされていた。腰を打った。痛みに顔をしかめているとガキリという鈍い音が聞こえ、何が起こったか理解できずにいるうちに、あっという間に誰かに腕を掴まれていた。
「ケイナ?」
自分の腕を掴んだ相手を見あげてティはつぶやいた。
いや、ケイナではない。さっきつけたピアスがない。
顔を巡らせると銃を構えるケイナの姿が目に入った。
「誰……?」
ティは横の少年を呆然として見つめた。どうしてこの人はケイナとそっくりなの?
モールを歩いていた人々が一斉に逃げ始めた。警報とともに店には次々と防犯用のシャッターが下りていく。
「銃はまずいんじゃないの?」
ケイナとそっくりの少年が言った。ティは掴まれた腕を振り払おうとしたが、力が強くて全く動かない。
「だったら……」
銃を構えていたケイナがそうつぶやいた次の瞬間には、再びガキリという音がして彼は目の前に立っていた。ティは自分の腕を掴む少年の腕に細いへこみができているのを見た。ケイナが剣の柄を握っている。なんだろう、この剣は。刃が見えない。
「接近戦」
ケイナは言った。遠くで何人もの足音が聞こえる。警報を聞きつけてカートの警備隊が来たのかもしれない。
「そんなものじゃびくともしないよ」
相手の少年が言った。ケイナはかすかに笑った。
「『ノマド』の剣は『覚えていく』んだよ」
細い線が見る間に深くなっていく。ティは悲鳴をあげた。腕が目の前で切り落とされていく。彼女は少年が反対側の手で握った銃をケイナの頭につきつけるのを見た。
「やめて……」
ティは懇願した。
「お願い、やめて!」
銃の発射音がしたときには、ティは突き倒されていた。周囲でたくさんの足音がする。
「ケイナ……」
夢中で呼んだ。
「ケイナ!」
「ここにいる」
力強い腕が自分を助け起こすのを感じた。
「怪我は?」
ケイナの声にティは震えながら彼の顔を見た。こめかみから一筋の赤い色が流れている。
「撃たれたの……?」
「かすっただけ」
ケイナは答えた。周囲を見回すとたくさんの兵士にぐるりと背を向けて囲まれていた。
「あとはもうカートに任せればいいから。とにかく戻ろう」
ケイナは言った。