(行っちゃだめ……)
寝室を出る前にブランがつぶやいた言葉を思い出した。
ブランは予見していた。彼が来ることを。
(行っちゃだめなの……)
カインは銃を引き抜くと、非常階段の扉を開けて階段を飛び降り始めた。
12階から10階はホールばかりがあるフロアだ。12階では今日は何も行われていない。
(勝てないって。青い目のお兄ちゃんに)
ブラン……。
12階のドアを開けてカインは口を引き結んだ。
「でも、もう、どうしようもないだろ……」
ずきずきする頭の中で何度も聞こえるブランの声にカインは答えた。
12階には人の気配が全くなかった。
青い絨毯が敷いてある広い通路にうっすらとダウンライトがついている。
両側に並んでいるガラス貼りのホールの中も同じように明かりがついているが誰もいない。広い空間が広がっているばかりだ。空間を挟んで向こうに外の景色が見えていた。
あいつは追ってきていないのだろうか。カインは前方と背後に注意しながらゆっくりと歩いた。
ここのフロアは櫛の目のように通路が走っているが、見通しはいい。特にイベントのない日は壁のガラスが透けたままになるので人の姿はすぐに分かる。それなのに誰もいない。いるのは自分だけだ。
もし、あいつがヨクを追っていたら?
いやそんなはずはない。彼は降りた。
じゃあ、見失ったのだろうか。
後ろを見ていた顔を前に向けたとき、いきなり自分の横の壁のガラスが大きな音を立ててこなごなに砕けた。カインは思わず腕をあげて頭をかばった。
離れていたのでガラスはかぶらなかったが、大きな警報の音が響くのが分かった。それがカインを余計に緊張に陥れた。警報が鳴ったということは人が来るということだ。つまり、自分は人が来る前にカタをつけられるということになる。
反対側のガラスが再び大きな音をたてて割れた。
カインは舌打ちをすると、急いでガラスになっていない壁に身を寄せた。
いたぶられている、と思った。
本当なら一発で済むところを関係のないところを撃っている。
「早くしろよ、人が来るだろ……」
かすれた声でつぶやきながら周囲を見回したが、やはり人の気配を感じることができなかった。いったいどこで狙っている……。
次の瞬間、足に猛烈な熱を感じて床に転がった。撃たれたと知ったのは倒れたあとだった。
「つう……」
顔をしかめて身を起こすと、通路の向こうに初めて人の姿を見た。
ダウンライトの下に立ったその姿を見たとき、体中が総毛立った。
金色の髪に青い瞳。彼は銃をこちらに構えて立ち止まった。
「ふふっ……」
薄情そうな口元に笑みが浮かび、彼は小さな笑い声を漏らした。
「おまえ、誰だ!」
カインは足の痛みをこらえながら身を起こして銃を構えて言った。
体重をかけた途端に撃たれた右足から猛烈な痛みが頭の先まで貫いていった。
倒れるものか。絶対に。
カインは歯を食いしばった。
こいつはユージーを撃った。絶対に許せない。
「おまえは…… 誰だ!」
「ケイナ」
彼は言った。
「ふざけやがって……」
そうつぶやいた途端、カインの銃は弾き飛ばされていた。右手の甲が焼けた。
冗談じゃない。こっちは一発も撃ってないっていうのに。
痛みに顔を歪めながら無駄と分かりつつ、床に落ちた銃に手を伸ばそうとしたとき、再び手を撃たれた。今度は反対側の手だ。呻いた途端に右肩に熱を感じて倒れた。
足と両手と肩。体中に響く痛みに起き上がることすらできない。
こいつ、普通じゃない。
捕まえた虫の足を一本一本むしりとるような危険な気配がする。
何発も急所を外されながら弄ばれる自分の姿が脳裏に浮かんだ。
熱で皮膚をえぐりとられた両手の甲からじくりと血が滲みだしているのが目に入った。
もうだめだ、そう思ったとき、カインは自分の体を飛び越す黒いブーツの足を見た。
足は弾かれたカインの銃を蹴り、その銃が弧を描いて空中を飛んで誰かの左手にキャッチされるのをカインは目で追った。
手が銃を握った、と思った途端、すさまじい勢いで銃が連射されたので、あちこちでガラスが弾け、破片が飛び散った。自分の周囲に降り注ぐガラスにカインは思わず呻き声を漏らして身を縮ませた。
しばらくして音がなくなり、カインは自分の顔の前にコトリと銃が置かれるのを見た。
顔をあげてその手の先を見て呆然とした。
「7年もたつと、銃も性能がよくなるんだな」
自分を見下ろす青い目をカインは見た。
「ケイナ……」
かすれた声でつぶやくと、ケイナは小さく笑った。
大慌てで駆けつけたヨクに連れられてビル内の病院で手当をしたあと、オフィスに戻ったカインはドアのところで思わず立ちすくんだ。
ずらりと並んだ顔。
ケイナ、アシュア、リア、ブラン、ティ、そしてアンリ・クルーレ。
どうしてクルーレまでがここにいるのだろう。
しばらくして、ケイナとアシュアを迎えに行ったのがクルーレ自身だったのだと思い当たった。
「ご無事でなによりです」
ヨクに手を貸してもらいながらソファに腰をおろすカインにクルーレは言った。
「あなたがわざわざケイナとアシュアを?」
カインが尋ねるとクルーレはうなずいた。
「カート社長の命令ですから」
「カート社長は意識を回復したのか?」
ヨクがびっくりしてクルーレを見た。クルーレはヨクの顔に目を向け、それから呆然としているカインに再び視線を戻した。
「リィ社長、黙っていて申し訳ありませんでした。ユージー・カートはもうだいぶん前に復帰しています」
「……いつ?」
「意識を回復したのは、撃たれて1週間後です。左目の視力が若干落ちたのと、まだ歩行に難がありますが、1ヶ月ほどで復帰されました」
ユージーが復帰した……。
カインはほっと息を吐いた。
「良かった……」
「あなたのそういうところにカート社長も惚れこんでいるんでしょうね」
怪訝そうに自分を見るカインに、クルーレは幽かに笑みを浮かべた。
「カート社長はよくあなたの話をします。普通なら、まず真っ先になぜ黙っていたと怒ってもおかしくない」
「おれは腑に落ちてないよ」
ヨクは不機嫌そうに口を挟んだ。
「どうして今まで知らせてくれなかったんです?」
クルーレは彼に視線を移した。
「復帰を対外的に口にしたのは、ここが初めてです。今はまだ『A・Jオフィス』も、『ゼロ・ダリ』も、もちろん世間も知らない」
「どうして『A・Jオフィス』にまで……」
ヨクはつぶやいたが、クルーレはそれには答えず、カインに視線を戻した。
「あなたを襲った男、あなたはどうご覧になりますか?」
「どうって……」
クルーレの言葉にカインは視線を泳がせ、自分の両手に巻かれた包帯に目を向けた。
両方の手の甲に長さ10センチほどの焼け跡、右足にも肩にも同じような跡があった。
皮膚をえぐりとられたような傷だったが、薬を塗れば1ヶ月程度で完治する。キイボードを打つときに多少支障があるだろうが、化膿止めと痛み止めを服用しながらだと、日常生活は何とかこなせるだろう。とはいえ、同じような傷を体中につけまくられていることが苛立たしかった。
「……こっちに決して近づいて来ない。ぼくの狙える距離を知っているみたいだった。そのくせ向こうは遠くからピンポイントで狙ってくる。……楽しそうに笑っていた。ケイナと同じ顔で。自分のこともケイナだと言っていた」
クルーレには目を向けずにカインがそう答えると、それを聞いたティが身を震わせたので、リアが彼女の肩を抱いてやった。
「リア、ティと一緒に彼女のオフィスで待ってろ」
アシュアがそう言ったので、リアはうなずいてブランの手を引いてティと一緒に部屋を出て行った。
「同じ顔で…… ね」
クルーレがそれをちらりと見送りケイナを振り返ると、ケイナは不機嫌そうな表情で視線を床に落とした。
「腕はたいしたことないよ」
ケイナはつぶやいた。カインはケイナに目を向けた。
ケイナの姿をじっくり見るのはこれが初めてかもしれない。
痩せて髪が短くなっているが、7年前の彼とあまり変わらないように見えた。むしろ、痩せた分だけ前より顔つきが精悍な感じになったかもしれない。
義手義足という手足も服で覆われているとはいえ、言われても疑問を感じるほど全くそれと分からない。
そう…… あいつの髪は長かった。今のこのケイナではない。
7年前のあのときのケイナの姿だった。
「あれはたぶん銃の性能だ。銃だけでなけりゃ、腕が覚えていくのかもしれない……」
ケイナは視線を床に向けたまま言った。
「腕が覚える?」
アシュアが目を細めた。ケイナは肩をすくめた。
「おれと同じ、つくりものの腕だってこと」
「義手? なぜそんなことがわかるんだ……」
「単に勘でそう思っただけだ。狙う時間を与えなければ意味ない。でなきゃ、超接近戦。どっちにしても…… たいしたことない」
カインは息を吐いた。だからケイナはあのときひたすら銃を撃ちまくっていたのだろうか。
たいしたことはない、というのはケイナだから言える言葉なのかもしれない。
「結局、その男はどうしたんだ?」
「おれが追った」
ヨクの問いにアシュアが答えた。
「だいぶん警備を配置していたけど、あっという間に消えちまった。逃げ足も人並みじゃねえよ」
ヨクはそれを聞くと、クルーレをちらりと見て不機嫌そうに黙り込んだ。
あんたの部下は今ひとつ使い物にならないんじゃないの? と言いたそうな表情だったが、さすがに口に出すのはためらわれたようだ。
「あなたは何か心当たりがあるんですか?」
カインはクルーレを見上げて尋ねたが、彼は小さくかぶりを振った。
「正体は掴めていません」
ケイナが彼の言葉に反応してちらりと視線を向けた。
「ケイナとアシュアは『A・Jオフィス』の人間に手引きされて『ゼロ・ダリ』を出ています」
クルーレは言った。
「その者は出る前にケイナの治療に関するデータを『A・Jオフィス』に送り、なおかつ『ゼロ・ダリ』からは全て消去しています」
クルーレの言葉にアシュアはナナと話したときのことを思い出した。
(わたし、『ゼロ・ダリ』を出る前に『A・Jオフィス』にごっそり情報流してきた)
ナナは確かそう言っていた。
「データを流したのは、そのときだけではありません。数年前から少しずつ『A・Jオフィス』にデータを流出させています。ケイナが『ゼロ・ダリ』に行く前から。その話は長く我々には伏せられていた。カート社長はそのことを知ってから『A・Jオフィス』にも『ゼロ・ダリ』にも、必要な治療が終わったらケイナのデータの破棄を要求してきました。撃たれたのはその矢先です」
「それがカインが狙われる理由とどう繋がるんです?」
ヨクが眉を潜める。
「『A・Jオフィス』はカートと『ゼロ・ダリ』の共同出資で買収計画たててましたよね? それがカート社長の狙撃で休止になった。『A・Jオフィス』が『ゼロ・ダリ』の情報を入手するのはそれなりの理由があったんだろうが、そこはリィとは関係のないことのはずだ」
カインの言葉にクルーレはうなずいた。
「そうです。ただ我々とリィの共通点がひとつだけあります」
カインはそれを聞いて目を細めた。
「……『トイ・チャイルド・プロジェクト』? データ破棄要求に、リィも加担していると思われた……?」
カインがつぶやくと、ヨクが身を前に乗り出した。
「『トイ・チャイルド・プロジェクト』はもう終わったプロジェクトだ」
彼は憤慨したように言った。
「情報も何も残っていないんだぞ?」
「残っています」
クルーレは答えた。カインはクルーレを鋭い目で見た。
「ケイナとセレス……?」
「そう、それと、ブレスレットとネックレス」
「でも、今はもうダウンロード先には何も情報がない。治療のためにおろした時点で消去してます。ブレスレットとネックレスの記録メディアも持っているのはユージーだけのはずです」
カインは眉をひそめた。
「それ以外に何か情報収集方法があったかもしれません。あるいは持ち出されたか」
「それはない」
カインはきっぱり言った。
「プロジェクトの終了と同時に全てのデータは厳重な管理のもので破棄されました。ぼくが最後まで見届けています」
そこで束の間、言葉を切った。
「……もっとも……。人の頭の中までは消去できないけれど」
実際、カイン自身は覚えている。しかし、それは今後の管理のために頭に叩き込んだものだ
カインとクルーレの会話を聞きながら、アシュアは首をかしげた。
ブレスレットとネックレス……。ブレスレット……。
この話最近どこかで聞いたような気がする……。
そしてはっとした。
「待って、それさ…… クレイ指揮官のブレスレットじゃねえ?」
アシュアの言葉に全員が彼の顔を見た。
「クレイ指揮官のブレスレット?」
カインがつぶやくと、アシュアはこくこくとうなずいた。
「『アライド』でクレイさんに会うんだって言ったろ? あのとき、奥さんが言ったんだ。クレイ指揮官に渡したはずの形見のブレスレットがないから探してくれって、おれ、頼まれたんだよ」
クルーレがカインの顔を見たので、カインはかぶりを振った。
「クレイ指揮官のブレスレットは、指揮官がアライドに行ったときにはすでに見当たらなかったみたいだぞ?」
アシュアの言葉にカインは困惑した。
「ぼくはクレイ指揮官がブレスレットを持っていたという情報も持っていなかった。クレイ指揮官をアライドに亡命させたのはカートだったでしょう。そっちでは情報を持っていなかったんですか?」
カインの言葉にクルーレはかぶりを振った。
「持っていません」
クルーレを見たままカインはソファにもたれこんだ
「クルーレ」
ケイナがふいに口を開いた。全員がケイナに目を向けた。
「回りくどい言い方するなよ。あんたほかに情報を持ってるんじゃないの?」
射抜くようなケイナの視線にクルーレは眉を吊り上げた。
「それとも、カインにカマかけようとでもしてんのか?」
ケイナは壁から背を離すとクルーレに歩み寄り、彼を見上げた。ケイナからするとクルーレはかなりの大男だ。
「『トイ・チャイルド』の資料が流出しても、元の媒体はあの氷の下でおれは全部壊してきたし、おれやセレスが生まれて来るまでに何十年もかかってるんだ。『グリーン・アイズ』もいない」
クルーレは黙ってケイナを見下ろしていた。
「プロジェクトを再開させるつもりなら、おれとセレスを手に入れているやつが一番有利ってことになるじゃないか」
ケイナは言った。それでもクルーレは黙っていた。
「カートは全員で『トイ・チャイルド』を独占再開させようとしているんじゃないのか?」
「ケイナ」
カインが思わず口を挟んだ。
「ユージーはそれを一番望んでいないんだぞ」
ケイナはカインの顔を見たあと、視線をクルーレに戻した。クルーレはケイナの顔を見てかすかな笑みを浮かべた。
なぜ笑う? ケイナは目を細めた。
「ユージーが『A・Jオフィス』にケイナの治療情報の破棄を求めたのは、ケイナの遺伝子情報も一緒に出てしまうことを恐れたからですよね?」
カインが尋ねると、クルーレはうなずいた。
「ええ。そうです。しかし、ケイナが言ったとおり『トイ・チャイルド・プロジェクト』はデータだけがあっても再開できるものではない。『ゼロ・ダリ』にも『A・Jオフィス』にもそこまでの経済的体力はないでしょう。もちろん地球のカートにもない。ただ、あくまでも単独再開で、という前提です」
じゃあ、リィは?
カインは視線を泳がせた。
クルーレはそう聞きたいのか? ケイナの言うように何かを探ろうとしている?
「あなたを襲ったやつがケイナの言うように本当に作られた腕の持ち主ならば、『ゼロ・ダリ』は限りなく黒に近い灰色だ。現に『ゼロ・ダリ』でケイナは義手をつけられているのだから。だが、わたしはエイドリアス・カートはひとりで大きなことができるような能力の持ち主ではないと思っています。つまり、『ゼロ・ダリ』と組んでいる何者かがあるということになります」
アシュアは記憶の中のエイドリアス・カートの顔を思い出した。確かに狡猾そうだが、肝っ玉は小さそうな気がする。
「その組んでいる相手が『A・Jオフィス』である可能性もあるということですか?」
カインは尋ねたが、クルーレは肩をすくめた。
「今のところその可能性は低いでしょうが、全くの白、とも言えません」
彼はそう答えると目の前に立つケイナの顔を見た。
「きみは、あの短い時間によく相手のことを分析していたね。たいしたものだ」
「それはどうも」
ケイナは答えた。
「でも、あんたは絶対ほかに何か知ってるはずだ」
クルーレは無言だった。
「本当のことを言わないあんたは好きになれない。子供扱いされるのも嫌いだ」
ケイナはそう言い捨てるとクルーレの脇をすり抜けて部屋を出ていってしまった。
「ケイナは変わってないな……」
カインがため息まじりにぽつりとつぶやいた。
「とにかく、身を守る対策をたてたほうがいい。今は関わる全員が狙われる可能性があります。プロジェクトの再開を望まない者はきっと相手にとっては邪魔な存在だ」
クルーレの言葉にカインは目を伏せて小さくうなずいた。
寝室を出る前にブランがつぶやいた言葉を思い出した。
ブランは予見していた。彼が来ることを。
(行っちゃだめなの……)
カインは銃を引き抜くと、非常階段の扉を開けて階段を飛び降り始めた。
12階から10階はホールばかりがあるフロアだ。12階では今日は何も行われていない。
(勝てないって。青い目のお兄ちゃんに)
ブラン……。
12階のドアを開けてカインは口を引き結んだ。
「でも、もう、どうしようもないだろ……」
ずきずきする頭の中で何度も聞こえるブランの声にカインは答えた。
12階には人の気配が全くなかった。
青い絨毯が敷いてある広い通路にうっすらとダウンライトがついている。
両側に並んでいるガラス貼りのホールの中も同じように明かりがついているが誰もいない。広い空間が広がっているばかりだ。空間を挟んで向こうに外の景色が見えていた。
あいつは追ってきていないのだろうか。カインは前方と背後に注意しながらゆっくりと歩いた。
ここのフロアは櫛の目のように通路が走っているが、見通しはいい。特にイベントのない日は壁のガラスが透けたままになるので人の姿はすぐに分かる。それなのに誰もいない。いるのは自分だけだ。
もし、あいつがヨクを追っていたら?
いやそんなはずはない。彼は降りた。
じゃあ、見失ったのだろうか。
後ろを見ていた顔を前に向けたとき、いきなり自分の横の壁のガラスが大きな音を立ててこなごなに砕けた。カインは思わず腕をあげて頭をかばった。
離れていたのでガラスはかぶらなかったが、大きな警報の音が響くのが分かった。それがカインを余計に緊張に陥れた。警報が鳴ったということは人が来るということだ。つまり、自分は人が来る前にカタをつけられるということになる。
反対側のガラスが再び大きな音をたてて割れた。
カインは舌打ちをすると、急いでガラスになっていない壁に身を寄せた。
いたぶられている、と思った。
本当なら一発で済むところを関係のないところを撃っている。
「早くしろよ、人が来るだろ……」
かすれた声でつぶやきながら周囲を見回したが、やはり人の気配を感じることができなかった。いったいどこで狙っている……。
次の瞬間、足に猛烈な熱を感じて床に転がった。撃たれたと知ったのは倒れたあとだった。
「つう……」
顔をしかめて身を起こすと、通路の向こうに初めて人の姿を見た。
ダウンライトの下に立ったその姿を見たとき、体中が総毛立った。
金色の髪に青い瞳。彼は銃をこちらに構えて立ち止まった。
「ふふっ……」
薄情そうな口元に笑みが浮かび、彼は小さな笑い声を漏らした。
「おまえ、誰だ!」
カインは足の痛みをこらえながら身を起こして銃を構えて言った。
体重をかけた途端に撃たれた右足から猛烈な痛みが頭の先まで貫いていった。
倒れるものか。絶対に。
カインは歯を食いしばった。
こいつはユージーを撃った。絶対に許せない。
「おまえは…… 誰だ!」
「ケイナ」
彼は言った。
「ふざけやがって……」
そうつぶやいた途端、カインの銃は弾き飛ばされていた。右手の甲が焼けた。
冗談じゃない。こっちは一発も撃ってないっていうのに。
痛みに顔を歪めながら無駄と分かりつつ、床に落ちた銃に手を伸ばそうとしたとき、再び手を撃たれた。今度は反対側の手だ。呻いた途端に右肩に熱を感じて倒れた。
足と両手と肩。体中に響く痛みに起き上がることすらできない。
こいつ、普通じゃない。
捕まえた虫の足を一本一本むしりとるような危険な気配がする。
何発も急所を外されながら弄ばれる自分の姿が脳裏に浮かんだ。
熱で皮膚をえぐりとられた両手の甲からじくりと血が滲みだしているのが目に入った。
もうだめだ、そう思ったとき、カインは自分の体を飛び越す黒いブーツの足を見た。
足は弾かれたカインの銃を蹴り、その銃が弧を描いて空中を飛んで誰かの左手にキャッチされるのをカインは目で追った。
手が銃を握った、と思った途端、すさまじい勢いで銃が連射されたので、あちこちでガラスが弾け、破片が飛び散った。自分の周囲に降り注ぐガラスにカインは思わず呻き声を漏らして身を縮ませた。
しばらくして音がなくなり、カインは自分の顔の前にコトリと銃が置かれるのを見た。
顔をあげてその手の先を見て呆然とした。
「7年もたつと、銃も性能がよくなるんだな」
自分を見下ろす青い目をカインは見た。
「ケイナ……」
かすれた声でつぶやくと、ケイナは小さく笑った。
大慌てで駆けつけたヨクに連れられてビル内の病院で手当をしたあと、オフィスに戻ったカインはドアのところで思わず立ちすくんだ。
ずらりと並んだ顔。
ケイナ、アシュア、リア、ブラン、ティ、そしてアンリ・クルーレ。
どうしてクルーレまでがここにいるのだろう。
しばらくして、ケイナとアシュアを迎えに行ったのがクルーレ自身だったのだと思い当たった。
「ご無事でなによりです」
ヨクに手を貸してもらいながらソファに腰をおろすカインにクルーレは言った。
「あなたがわざわざケイナとアシュアを?」
カインが尋ねるとクルーレはうなずいた。
「カート社長の命令ですから」
「カート社長は意識を回復したのか?」
ヨクがびっくりしてクルーレを見た。クルーレはヨクの顔に目を向け、それから呆然としているカインに再び視線を戻した。
「リィ社長、黙っていて申し訳ありませんでした。ユージー・カートはもうだいぶん前に復帰しています」
「……いつ?」
「意識を回復したのは、撃たれて1週間後です。左目の視力が若干落ちたのと、まだ歩行に難がありますが、1ヶ月ほどで復帰されました」
ユージーが復帰した……。
カインはほっと息を吐いた。
「良かった……」
「あなたのそういうところにカート社長も惚れこんでいるんでしょうね」
怪訝そうに自分を見るカインに、クルーレは幽かに笑みを浮かべた。
「カート社長はよくあなたの話をします。普通なら、まず真っ先になぜ黙っていたと怒ってもおかしくない」
「おれは腑に落ちてないよ」
ヨクは不機嫌そうに口を挟んだ。
「どうして今まで知らせてくれなかったんです?」
クルーレは彼に視線を移した。
「復帰を対外的に口にしたのは、ここが初めてです。今はまだ『A・Jオフィス』も、『ゼロ・ダリ』も、もちろん世間も知らない」
「どうして『A・Jオフィス』にまで……」
ヨクはつぶやいたが、クルーレはそれには答えず、カインに視線を戻した。
「あなたを襲った男、あなたはどうご覧になりますか?」
「どうって……」
クルーレの言葉にカインは視線を泳がせ、自分の両手に巻かれた包帯に目を向けた。
両方の手の甲に長さ10センチほどの焼け跡、右足にも肩にも同じような跡があった。
皮膚をえぐりとられたような傷だったが、薬を塗れば1ヶ月程度で完治する。キイボードを打つときに多少支障があるだろうが、化膿止めと痛み止めを服用しながらだと、日常生活は何とかこなせるだろう。とはいえ、同じような傷を体中につけまくられていることが苛立たしかった。
「……こっちに決して近づいて来ない。ぼくの狙える距離を知っているみたいだった。そのくせ向こうは遠くからピンポイントで狙ってくる。……楽しそうに笑っていた。ケイナと同じ顔で。自分のこともケイナだと言っていた」
クルーレには目を向けずにカインがそう答えると、それを聞いたティが身を震わせたので、リアが彼女の肩を抱いてやった。
「リア、ティと一緒に彼女のオフィスで待ってろ」
アシュアがそう言ったので、リアはうなずいてブランの手を引いてティと一緒に部屋を出て行った。
「同じ顔で…… ね」
クルーレがそれをちらりと見送りケイナを振り返ると、ケイナは不機嫌そうな表情で視線を床に落とした。
「腕はたいしたことないよ」
ケイナはつぶやいた。カインはケイナに目を向けた。
ケイナの姿をじっくり見るのはこれが初めてかもしれない。
痩せて髪が短くなっているが、7年前の彼とあまり変わらないように見えた。むしろ、痩せた分だけ前より顔つきが精悍な感じになったかもしれない。
義手義足という手足も服で覆われているとはいえ、言われても疑問を感じるほど全くそれと分からない。
そう…… あいつの髪は長かった。今のこのケイナではない。
7年前のあのときのケイナの姿だった。
「あれはたぶん銃の性能だ。銃だけでなけりゃ、腕が覚えていくのかもしれない……」
ケイナは視線を床に向けたまま言った。
「腕が覚える?」
アシュアが目を細めた。ケイナは肩をすくめた。
「おれと同じ、つくりものの腕だってこと」
「義手? なぜそんなことがわかるんだ……」
「単に勘でそう思っただけだ。狙う時間を与えなければ意味ない。でなきゃ、超接近戦。どっちにしても…… たいしたことない」
カインは息を吐いた。だからケイナはあのときひたすら銃を撃ちまくっていたのだろうか。
たいしたことはない、というのはケイナだから言える言葉なのかもしれない。
「結局、その男はどうしたんだ?」
「おれが追った」
ヨクの問いにアシュアが答えた。
「だいぶん警備を配置していたけど、あっという間に消えちまった。逃げ足も人並みじゃねえよ」
ヨクはそれを聞くと、クルーレをちらりと見て不機嫌そうに黙り込んだ。
あんたの部下は今ひとつ使い物にならないんじゃないの? と言いたそうな表情だったが、さすがに口に出すのはためらわれたようだ。
「あなたは何か心当たりがあるんですか?」
カインはクルーレを見上げて尋ねたが、彼は小さくかぶりを振った。
「正体は掴めていません」
ケイナが彼の言葉に反応してちらりと視線を向けた。
「ケイナとアシュアは『A・Jオフィス』の人間に手引きされて『ゼロ・ダリ』を出ています」
クルーレは言った。
「その者は出る前にケイナの治療に関するデータを『A・Jオフィス』に送り、なおかつ『ゼロ・ダリ』からは全て消去しています」
クルーレの言葉にアシュアはナナと話したときのことを思い出した。
(わたし、『ゼロ・ダリ』を出る前に『A・Jオフィス』にごっそり情報流してきた)
ナナは確かそう言っていた。
「データを流したのは、そのときだけではありません。数年前から少しずつ『A・Jオフィス』にデータを流出させています。ケイナが『ゼロ・ダリ』に行く前から。その話は長く我々には伏せられていた。カート社長はそのことを知ってから『A・Jオフィス』にも『ゼロ・ダリ』にも、必要な治療が終わったらケイナのデータの破棄を要求してきました。撃たれたのはその矢先です」
「それがカインが狙われる理由とどう繋がるんです?」
ヨクが眉を潜める。
「『A・Jオフィス』はカートと『ゼロ・ダリ』の共同出資で買収計画たててましたよね? それがカート社長の狙撃で休止になった。『A・Jオフィス』が『ゼロ・ダリ』の情報を入手するのはそれなりの理由があったんだろうが、そこはリィとは関係のないことのはずだ」
カインの言葉にクルーレはうなずいた。
「そうです。ただ我々とリィの共通点がひとつだけあります」
カインはそれを聞いて目を細めた。
「……『トイ・チャイルド・プロジェクト』? データ破棄要求に、リィも加担していると思われた……?」
カインがつぶやくと、ヨクが身を前に乗り出した。
「『トイ・チャイルド・プロジェクト』はもう終わったプロジェクトだ」
彼は憤慨したように言った。
「情報も何も残っていないんだぞ?」
「残っています」
クルーレは答えた。カインはクルーレを鋭い目で見た。
「ケイナとセレス……?」
「そう、それと、ブレスレットとネックレス」
「でも、今はもうダウンロード先には何も情報がない。治療のためにおろした時点で消去してます。ブレスレットとネックレスの記録メディアも持っているのはユージーだけのはずです」
カインは眉をひそめた。
「それ以外に何か情報収集方法があったかもしれません。あるいは持ち出されたか」
「それはない」
カインはきっぱり言った。
「プロジェクトの終了と同時に全てのデータは厳重な管理のもので破棄されました。ぼくが最後まで見届けています」
そこで束の間、言葉を切った。
「……もっとも……。人の頭の中までは消去できないけれど」
実際、カイン自身は覚えている。しかし、それは今後の管理のために頭に叩き込んだものだ
カインとクルーレの会話を聞きながら、アシュアは首をかしげた。
ブレスレットとネックレス……。ブレスレット……。
この話最近どこかで聞いたような気がする……。
そしてはっとした。
「待って、それさ…… クレイ指揮官のブレスレットじゃねえ?」
アシュアの言葉に全員が彼の顔を見た。
「クレイ指揮官のブレスレット?」
カインがつぶやくと、アシュアはこくこくとうなずいた。
「『アライド』でクレイさんに会うんだって言ったろ? あのとき、奥さんが言ったんだ。クレイ指揮官に渡したはずの形見のブレスレットがないから探してくれって、おれ、頼まれたんだよ」
クルーレがカインの顔を見たので、カインはかぶりを振った。
「クレイ指揮官のブレスレットは、指揮官がアライドに行ったときにはすでに見当たらなかったみたいだぞ?」
アシュアの言葉にカインは困惑した。
「ぼくはクレイ指揮官がブレスレットを持っていたという情報も持っていなかった。クレイ指揮官をアライドに亡命させたのはカートだったでしょう。そっちでは情報を持っていなかったんですか?」
カインの言葉にクルーレはかぶりを振った。
「持っていません」
クルーレを見たままカインはソファにもたれこんだ
「クルーレ」
ケイナがふいに口を開いた。全員がケイナに目を向けた。
「回りくどい言い方するなよ。あんたほかに情報を持ってるんじゃないの?」
射抜くようなケイナの視線にクルーレは眉を吊り上げた。
「それとも、カインにカマかけようとでもしてんのか?」
ケイナは壁から背を離すとクルーレに歩み寄り、彼を見上げた。ケイナからするとクルーレはかなりの大男だ。
「『トイ・チャイルド』の資料が流出しても、元の媒体はあの氷の下でおれは全部壊してきたし、おれやセレスが生まれて来るまでに何十年もかかってるんだ。『グリーン・アイズ』もいない」
クルーレは黙ってケイナを見下ろしていた。
「プロジェクトを再開させるつもりなら、おれとセレスを手に入れているやつが一番有利ってことになるじゃないか」
ケイナは言った。それでもクルーレは黙っていた。
「カートは全員で『トイ・チャイルド』を独占再開させようとしているんじゃないのか?」
「ケイナ」
カインが思わず口を挟んだ。
「ユージーはそれを一番望んでいないんだぞ」
ケイナはカインの顔を見たあと、視線をクルーレに戻した。クルーレはケイナの顔を見てかすかな笑みを浮かべた。
なぜ笑う? ケイナは目を細めた。
「ユージーが『A・Jオフィス』にケイナの治療情報の破棄を求めたのは、ケイナの遺伝子情報も一緒に出てしまうことを恐れたからですよね?」
カインが尋ねると、クルーレはうなずいた。
「ええ。そうです。しかし、ケイナが言ったとおり『トイ・チャイルド・プロジェクト』はデータだけがあっても再開できるものではない。『ゼロ・ダリ』にも『A・Jオフィス』にもそこまでの経済的体力はないでしょう。もちろん地球のカートにもない。ただ、あくまでも単独再開で、という前提です」
じゃあ、リィは?
カインは視線を泳がせた。
クルーレはそう聞きたいのか? ケイナの言うように何かを探ろうとしている?
「あなたを襲ったやつがケイナの言うように本当に作られた腕の持ち主ならば、『ゼロ・ダリ』は限りなく黒に近い灰色だ。現に『ゼロ・ダリ』でケイナは義手をつけられているのだから。だが、わたしはエイドリアス・カートはひとりで大きなことができるような能力の持ち主ではないと思っています。つまり、『ゼロ・ダリ』と組んでいる何者かがあるということになります」
アシュアは記憶の中のエイドリアス・カートの顔を思い出した。確かに狡猾そうだが、肝っ玉は小さそうな気がする。
「その組んでいる相手が『A・Jオフィス』である可能性もあるということですか?」
カインは尋ねたが、クルーレは肩をすくめた。
「今のところその可能性は低いでしょうが、全くの白、とも言えません」
彼はそう答えると目の前に立つケイナの顔を見た。
「きみは、あの短い時間によく相手のことを分析していたね。たいしたものだ」
「それはどうも」
ケイナは答えた。
「でも、あんたは絶対ほかに何か知ってるはずだ」
クルーレは無言だった。
「本当のことを言わないあんたは好きになれない。子供扱いされるのも嫌いだ」
ケイナはそう言い捨てるとクルーレの脇をすり抜けて部屋を出ていってしまった。
「ケイナは変わってないな……」
カインがため息まじりにぽつりとつぶやいた。
「とにかく、身を守る対策をたてたほうがいい。今は関わる全員が狙われる可能性があります。プロジェクトの再開を望まない者はきっと相手にとっては邪魔な存在だ」
クルーレの言葉にカインは目を伏せて小さくうなずいた。