セレスが眠ったので、リアとヨクのふたりがかりでセレスの腕をカインからそっと引き離した。
 カインはまだ身動きがとれないでいる。
「カイン…… 大丈夫?」
 リアがカインの顔を覗きこんだ。
「セレスは…… どうしてぼくの名前を呼ぶんだろう……」
 カインはつぶやいた。
「ケイナではなくて、どうしてぼくを……?」
 リアはわからないというようにかぶりを振った。
 リアに助け起こされながら立ち上がり、カインはブランを振り向いた。ブランは口を引き結んでこちらを睨みつけていた。
「ブラン…… ごめん」
 ためらいがちに言うとブランは口をゆがめた。
「痛かったもん」
 そしてしかめ面をしてみせた。
「カインさんなんか嫌い」
 ヨクが身をかがめてブランの顔を覗きこんだ。
「お嬢さん、おれからも謝るよ。申し訳なかった。うちの社長を許してやってくれよ」
「許さない。あたしのやってることをおまじないだなんて言ったもん」
 ブランはヨクを睨みつけてから、再びカインに鋭い目を向けた。
「ブラン、カインは悪気があってそんなふうに言ったんじゃないわ」
 リアが諭すように言った。
「お父さんだってケイナと手を繋いで大変だったのよ。カインならもっと大変だわ」
 ブランはリアの顔をじっと見て、それからヨクに目を向けた。最後にカインを見た。
「……いいよ。じゃあ、許してあげる」
 彼女は尊大に腕を組んで言った。
「その代わり、あたし、今日はカインさんのお部屋にお泊りする」
「え?」
 全員が目を丸くした。
「カインさんのお部屋に泊まるから」
「なに言ってんのよ? ブラン」
 リアが慌てた。
「今日はカインさんのお部屋に泊まる。もう決めた」
 ブランはきっぱりとそう言うと、くるりと身を翻してさっさと部屋から出て行ってしまった。
 リアが困ったようにカインを見た。
「あとでちゃんと言い聞かせるから」
「いいよ」
 カインは答えた。
「なんだか毒気を抜かれちゃって……」
 そうつぶやく後ろでドアーズと数人の所員がばたばたと走ってくる足音が聞こえた。
「……今日は帰ろう」
 カインの言葉にリアはいつもの泣き出しそうな顔でうなずいた。

「ブラン、寝る前にちゃんとトイレに行くのよ。それと歯も磨いて。服は脱ぎ散らかしたままじゃだめよ。分かってる?」
 ヨクの運転するプラニカの中でリアはずっと何度も同じことをブランにまくしたてていた。
「お母さん、うるさい」
 ブランはふてくされて言った。
「あたし、子供じゃないわ。ちゃんとできる」
「いつもダイと暴れるだけ暴れてそのまんま寝ちゃうじゃない!」
 リアも負けてはいない。
「ダイはいないよ!」
「カインのベッドを汚したりしたら恥ずかしいんだからね」
「そういうこと言わないでよ!」
 ふたりの様子をちらりと振り返って、ヨクは隣に座るカインに顔を寄せた。
「子供なんか預かって大丈夫なのか?」
 カインはかすかに息を吐いた。
「うん…… まあ…… 赤ん坊じゃないんだし」
「でも、一応女の子だぞ?」
「なんとかなるよ……」
 心もとなかったが、カインは答えた。
「明日、ちょっとくらい遅くっても大丈夫だからな。会議もないし。疲れてるんだろ」
 カインはうなずいた。
「あのさ……」
 ヨクは再びカインに小さな声で言った。
「手を繋ぐことがそんなに大変なことだったのか?」
 カインはちらりとヨクに目をやった。
「いや、なんだかおれにはよく分からなくて」
 ヨクは肩をすくめた。
「ぼくも分からないよ……」
 カインは答えた。
「『ノマド』のことは本当によく分からない。ただ、ブランがぼくの髪を挟んでセレスと手を繋いでいるだけで、ぼくはセレスにどんどんエネルギーを吸い取られていたみたいだ」
「へえ?」
 ヨクはやはり理解できないらしい。
「『アライド』で、アシュアがケイナと手を繋いで消耗してた。こういうの…… 本当にどうしてだかぼくにも理解できないよ……」
 カインはため息をついた。
 オフィスのあるビルに着くと、ブランは興奮して嬉しそうにプラニカから飛び降りた。
 そのままカインについて行きそうになるブランの手をリアは慌てて引っ張った。
「ブラン、まだだめ! カインはお仕事があるの!」
「やだ! カインさんところに行く!」
 ブランはリアの手を振りほどいた。
「だめだったら!」
「リア、いいよ。ぼくももうすぐ帰るし」
 カインが口を挟むと、リアは困惑した顔を彼に向けた。
「でも……」
「やった!」
 ブランはあっという間にカインの手をとった。
「あとでブランが必要なものを持ってきて。連れて帰るから」
 カインの言葉にリアはしかたなくうなずいた。
 ブランと一緒にオフィスに戻ると、ティが目を丸くした。
「今日、カインさんのお部屋にお泊りなの!」
 ブランはティにそう叫び、ばたばたとオフィスの中に駆け込んでいった。
「外出って、これだったんですか?」
 後からきたヨクにティは尋ねた。
「いや、そうじゃないんだけど……」
 ヨクは頭を掻いた。
「なんかちょっと、いろいろ説明しづらいことがあった」
「……」
 ティは訳がわからないというよう顔をした。
「お姉さん、何か飲み物ちょうだい! あたしノドがかわいちゃった」
 ブランがオフィスから叫んだ。
 ヨクとティは顔を見合わせた。
「カインさんの体調はどうなんです?」
 彼女の言葉を聞いてヨクは肩をすくめた。
「大丈夫みたいだけど……」
「病院に行ったの?」
「んん…… また話すよ。何をどう説明していいか、おれもよく分からないんだ」
 ティはしばらくヨクの顔を見つめていたが、やがてブランの飲み物を用意するために部屋に戻っていった。
 ヨクがカインのオフィスに入ると、ブランは早速ソファの上で跳ね回っていた。
「きょうは! カインさんと! お泊り!」
「ブラン」
 カインはモニターに向かいながら言った。
「少しだけ仕事するから静かにしてて」
「はーい」
 ブランは飛び跳ねるのをやめると、ソファの上で足をぶらぶらさせて座った。
「なんだか、ほんとの親子みたいだな」
 ヨクは苦笑いしながらカインのデスクに近づいた。
「失礼ね! あたしのお父さんはカインさんじゃありません」
 ブランが聞きつけて叫んだ。
「ブラン、静かにして」
 カインは言った。ブランは口を尖らせた。
「少し、体が元に戻ったのか?」
 ヨクが尋ねるとカインはモニターを見たまま小さくうなずいた。
「でも…… 手は繋げない。今夜、ブランともう一度話すよ」
 ヨクはブランをちらりと振り返ってうなずいた。
「明日、No.55の話をするよ。開発結果にあいまいな点がある。このまま続けてもかまわないんだが、品質管理の面でも再考の余地があると思う」
 カインはうなずいた。
「じゃあ、頑張ってな」
 ヨクはそう言うとオフィスを出ていった。カインは勝手に壁のモニターを開いてあちこちにチャンネルを変えて喜んでいるブランを見て小さくため息をついた。