「よう、久しぶり。」
翌日、約束の10時きっかりにアシュアはティに導かれてオフィスに入ってきた。
くるくるとした真っ赤な巻き毛を相変わらず頭の後ろできつくひとつにゆわえている。この妙なヘアスタイルがアシュアはなぜか似合う。アシュアの後ろで部屋を出て行こうと背を向けるティの顔が少し赤くなっているのをカインは見た。彼女が出て行ったのを確かめたあと彼は咎めるような視線をアシュアに向けた。
「また彼女に何か言っただろう」
「いいや、別に?」
アシュアはテイが出て行ったほうをちらと振り向くと、いたずらっぽく笑いながら答えた。カインは仏頂面でため息をついた。
「ヨクに何を吹き込まれたのか知らないけど、彼女に余計なこと言うなよ」
「でも、彼女の誕生日には花を贈ったんだろ?」
「だから……」
カインはいい加減にしろというように片手を振り上げ、椅子の背もたれに体重を預けた。
「ヨクの言うことにいちいち振り回されんなよ。あれはヨクが勝手にやったんだ」
「あ、そうなの」
アシュアは目を丸くして肩をすくめた。
「おまえにしちゃ、けっこうやるな、と思ってたのに」
カインはどうしようもないな、というようにかぶりを振ると横に置いていたジャケットを掴んで立ち上がった。
「30分で『ホライズン』に着きたい。プラニカ、運転してくれるか?」
「ああ、いいよ」
アシュアは屈託のない笑みを浮かべて答えた。
ふたりがオフィスを出ると秘書室からティが慌てたように飛び出してきた。ゆるやかにいくつもの弧を描く褐色の髪が淡いオレンジ色のセーターの上で揺れている。彼女が近づくと、ふわりと甘い香りが漂った。
「お戻りは今日中ですね」
ジャケットに腕を通しかけていたカインは足をとめると不思議そうに彼女の顔を見た。
「そうだよ。昨日言っただろ? なんで?」
「あ、いえ……」
彼女が横のアシュアの顔にちらりと視線を向けて、言うか言うまいか迷うような表情をしたのでカインは目を細めた。
「なに?」
「いえ、なんでもありません。すみません……」
ティははにかんだように笑みを浮かべた。カインはジャケットの襟を正しながら苦笑した。
「昨日ヨクにも護衛だなんだって言われたけど、そういう心配は不要だよ。外出くらい、これまで何度もしてるだろ?」
「そうそう、大丈夫。今日は最高のボディガードと一緒なんだから」
カインの肩越しに顔を突き出してアシュアも口を挟んだ。ティはそれを見て笑みを浮かべたままうなずいた。
「わかりました。申し訳ありません」
そしてかすかな甘い香りとともに秘書室に戻っていった。カインは少し小首をかしげると再び歩き始めた。
「やっぱ、あれかな、ミストラルの社長の事件が不安を煽ってるのかな」
アシュアは言った。
「さあ…… どうなんだろう」
カインは曖昧に答えた。
一週間ほど前、ミストラル食品会社の社長が何者かに襲われる事件があった。ひとりで外出中に背後から撃たれた。幸いにも弾は肩をかすめていっただけで済んだのだが、犯人はいまだに見つかっていない。ミストラルは半年前に1000人ほどを解雇した。新しく建てたアクアプランツの栽培農場が失敗に終わって経営難に陥ったからで、犯人もその時の解雇者のひとりではないかという見方もあった。カインはミストラルなど比にならないほどの解雇者を出した企業のトップなのだから、ティの心配もうなずける。
エレベーターで地下のパーキングまで降りると、カインはアシュアに5番車庫の扉を指し示した。ここに降りてくる間にカイン自身を察知してプラニカが最も近い車庫まで運ばれてくる。カインはプラニカの運転はできるが、アシュアといるときはいつも彼に運転を頼む。どうやらカインはプラニカよりもヴィル(浮遊型バイク)の運転のほうが性に合っているらしかった。
アシュアはプラニカに乗り込んで横に座るカインのほうをちらりと見た。
「なあ、カイン」
「なに」
カインはこちらには目を向けず生返事をする。アシュアはほんの束の間言おうか言うまいか迷ったが、思い切って口を開いた。
「あのさ、おまえ、人を好きになることを怖がってないか?」
「え?」
唐突なアシュアの質問にびっくりしてカインは彼に目を向けた。
「いや…… 何となくそんな気がして」
プラニカは滑るようにパーキングを出ると、地下のハイウェイを走り出した。運転席で前を見つめながらアシュアは言葉を続けた。
「ケイナとセレスのことが気になっているのは分かるけれど、あいつらはまだまだこれからたくさんの時間が必要なんだ。その前におまえが自分のことを考えても、あいつらは別に怒ったりしないと思うぜ」
カインはその言葉を聞いてかすかに眉をひそめた。前を向いているアシュアはそれには気がつかない。
「そりゃ、もともとの原因は確かにカンパニーにあったかもしれないけど……」
「ティのことを言ってるの?」
カインはアシュアの言葉をさえぎった。声に少し怒気を含んでいる。アシュアが慌ててカインの顔に目を向けると、彼はうんざりしたように小さくかぶりを振った。
「ティはいい子だよ……。頭もいいし、秘書として優秀だ。でも、だからってそれが恋愛感情につながるかどうかは別問題だろ」
「んん、まあ、お互いの気持ちってのはあるだろうけどさ……」
アシュアは指で鼻の頭を軽く掻いて苦笑した。
「でもさ、ふたりとも傍目で見ていても悪い雰囲気じゃないんだけど」
「仕事のパートナーが険悪ムードだったらシャレにならないだろ」
カインは不機嫌そうにそう言うと、地下のハイウエイの天井で光のラインを引きながら後ろに流れていくライトに目を向けた。
「ヨクもおまえも、揃って煽るようなことばかりして……。はっきり言って迷惑なんだよ」
「迷惑なんだ?」
アシュアは思わずカインの顔を見た。
「じゃ、彼女はおまえにとってそういう対象じゃないってこと?」
「アシュア」
カインの語気が鋭くなった。
「この話題、やめないか」
ぴしゃりと言われてアシュアは口をへの字に歪めるとしかたなくうなずいた。
翌日、約束の10時きっかりにアシュアはティに導かれてオフィスに入ってきた。
くるくるとした真っ赤な巻き毛を相変わらず頭の後ろできつくひとつにゆわえている。この妙なヘアスタイルがアシュアはなぜか似合う。アシュアの後ろで部屋を出て行こうと背を向けるティの顔が少し赤くなっているのをカインは見た。彼女が出て行ったのを確かめたあと彼は咎めるような視線をアシュアに向けた。
「また彼女に何か言っただろう」
「いいや、別に?」
アシュアはテイが出て行ったほうをちらと振り向くと、いたずらっぽく笑いながら答えた。カインは仏頂面でため息をついた。
「ヨクに何を吹き込まれたのか知らないけど、彼女に余計なこと言うなよ」
「でも、彼女の誕生日には花を贈ったんだろ?」
「だから……」
カインはいい加減にしろというように片手を振り上げ、椅子の背もたれに体重を預けた。
「ヨクの言うことにいちいち振り回されんなよ。あれはヨクが勝手にやったんだ」
「あ、そうなの」
アシュアは目を丸くして肩をすくめた。
「おまえにしちゃ、けっこうやるな、と思ってたのに」
カインはどうしようもないな、というようにかぶりを振ると横に置いていたジャケットを掴んで立ち上がった。
「30分で『ホライズン』に着きたい。プラニカ、運転してくれるか?」
「ああ、いいよ」
アシュアは屈託のない笑みを浮かべて答えた。
ふたりがオフィスを出ると秘書室からティが慌てたように飛び出してきた。ゆるやかにいくつもの弧を描く褐色の髪が淡いオレンジ色のセーターの上で揺れている。彼女が近づくと、ふわりと甘い香りが漂った。
「お戻りは今日中ですね」
ジャケットに腕を通しかけていたカインは足をとめると不思議そうに彼女の顔を見た。
「そうだよ。昨日言っただろ? なんで?」
「あ、いえ……」
彼女が横のアシュアの顔にちらりと視線を向けて、言うか言うまいか迷うような表情をしたのでカインは目を細めた。
「なに?」
「いえ、なんでもありません。すみません……」
ティははにかんだように笑みを浮かべた。カインはジャケットの襟を正しながら苦笑した。
「昨日ヨクにも護衛だなんだって言われたけど、そういう心配は不要だよ。外出くらい、これまで何度もしてるだろ?」
「そうそう、大丈夫。今日は最高のボディガードと一緒なんだから」
カインの肩越しに顔を突き出してアシュアも口を挟んだ。ティはそれを見て笑みを浮かべたままうなずいた。
「わかりました。申し訳ありません」
そしてかすかな甘い香りとともに秘書室に戻っていった。カインは少し小首をかしげると再び歩き始めた。
「やっぱ、あれかな、ミストラルの社長の事件が不安を煽ってるのかな」
アシュアは言った。
「さあ…… どうなんだろう」
カインは曖昧に答えた。
一週間ほど前、ミストラル食品会社の社長が何者かに襲われる事件があった。ひとりで外出中に背後から撃たれた。幸いにも弾は肩をかすめていっただけで済んだのだが、犯人はいまだに見つかっていない。ミストラルは半年前に1000人ほどを解雇した。新しく建てたアクアプランツの栽培農場が失敗に終わって経営難に陥ったからで、犯人もその時の解雇者のひとりではないかという見方もあった。カインはミストラルなど比にならないほどの解雇者を出した企業のトップなのだから、ティの心配もうなずける。
エレベーターで地下のパーキングまで降りると、カインはアシュアに5番車庫の扉を指し示した。ここに降りてくる間にカイン自身を察知してプラニカが最も近い車庫まで運ばれてくる。カインはプラニカの運転はできるが、アシュアといるときはいつも彼に運転を頼む。どうやらカインはプラニカよりもヴィル(浮遊型バイク)の運転のほうが性に合っているらしかった。
アシュアはプラニカに乗り込んで横に座るカインのほうをちらりと見た。
「なあ、カイン」
「なに」
カインはこちらには目を向けず生返事をする。アシュアはほんの束の間言おうか言うまいか迷ったが、思い切って口を開いた。
「あのさ、おまえ、人を好きになることを怖がってないか?」
「え?」
唐突なアシュアの質問にびっくりしてカインは彼に目を向けた。
「いや…… 何となくそんな気がして」
プラニカは滑るようにパーキングを出ると、地下のハイウェイを走り出した。運転席で前を見つめながらアシュアは言葉を続けた。
「ケイナとセレスのことが気になっているのは分かるけれど、あいつらはまだまだこれからたくさんの時間が必要なんだ。その前におまえが自分のことを考えても、あいつらは別に怒ったりしないと思うぜ」
カインはその言葉を聞いてかすかに眉をひそめた。前を向いているアシュアはそれには気がつかない。
「そりゃ、もともとの原因は確かにカンパニーにあったかもしれないけど……」
「ティのことを言ってるの?」
カインはアシュアの言葉をさえぎった。声に少し怒気を含んでいる。アシュアが慌ててカインの顔に目を向けると、彼はうんざりしたように小さくかぶりを振った。
「ティはいい子だよ……。頭もいいし、秘書として優秀だ。でも、だからってそれが恋愛感情につながるかどうかは別問題だろ」
「んん、まあ、お互いの気持ちってのはあるだろうけどさ……」
アシュアは指で鼻の頭を軽く掻いて苦笑した。
「でもさ、ふたりとも傍目で見ていても悪い雰囲気じゃないんだけど」
「仕事のパートナーが険悪ムードだったらシャレにならないだろ」
カインは不機嫌そうにそう言うと、地下のハイウエイの天井で光のラインを引きながら後ろに流れていくライトに目を向けた。
「ヨクもおまえも、揃って煽るようなことばかりして……。はっきり言って迷惑なんだよ」
「迷惑なんだ?」
アシュアは思わずカインの顔を見た。
「じゃ、彼女はおまえにとってそういう対象じゃないってこと?」
「アシュア」
カインの語気が鋭くなった。
「この話題、やめないか」
ぴしゃりと言われてアシュアは口をへの字に歪めるとしかたなくうなずいた。