「ちょっと休憩させて。」
 3時間ほどキューブを走らせたのち、ナナはそう言って停まった。
 赤い山を5つほど越えたかもしれない。うっすらと夜が明け始めていた。
 アシュアが外を見ると、大小の岩が点在する赤い大地が広がっていた。
 ナナはキューブの外に出ると煙草をくわえた。
 ケイナが外に出たのでアシュアもキューブから降り、こわばった体を伸ばした。
「ここ、どこ」
 アシュアは見渡す限り真っ赤な土がむき出しのままの無機質な風景を見て尋ねた。
 走ってきたまっすぐの道と真っ白なキューブの車体が蛍光色のように見える。
 ナナはキューブにもたれかかり、煙を吐き出した。右手から来る風が煙をあっという間に運んでいく。
「メインタウンとは違う自治区よ。居住区がもう少し先にあるわ。でも、そこも通り過ぎるから」
 ナナはため息をついた。
「連絡をしないと。あなたのわがままを伝えるのは気が重いわ」
 ナナはケイナを睨みつけたが、ケイナは黙ったまま空を見上げている。
「『A・Jオフィス』に行かないっていっても、星間機が動くのはいつになるかわからないわよ。それまでどうするのよ」
「前は北極圏に降りたじゃない」
 ケイナが空を見上げたまま言ったので、ナナは目を細めた。
「エアポートがなくったって、降りることができるだろ」
「なに言ってるの」
 ナナは呆れたように言うとケイナから目を逸らせてかぶりを振った。
「それは違法よ」
 ケイナは何も言わなかった。
 ナナはキューブの中にあった灰皿で煙草を消すと、再びケイナを見た。
「とりあえず、連絡するわよ。いい?」
「フォル・カートと話をさせて」
 ケイナは相変わらず空を見つめて言った。ナナは訝しそうに彼を見た。
「副社長と? どうして副社長を知ってるの?」
 ケイナはガラスの奥の目をちらりとナナに向けたきり何も言わなかった。ナナは首を振った。
「訳、わからないわ……」
 そして通信機をとりあげた。ほどなくして相手が小さな画面に映った。
「ナナ。何してた」
 若い男が言った。
「遅くなってごめんなさい。今0015ポイントにいるわ」
「なんでそんなところに」
 ナナはキューブの外に立つケイナをちらりと見た。
「お坊ちゃまがそっちには行きたくないって言ってる。意地でも地球に帰りたいんですって」
「あっちはまだエアポートが使えない。最低でも一週間は無理だ」
 ナナはケイナに目を向けた。
「ですってよ」
「フォル・カート、呼んで」
 ケイナは言った。ナナは息を吐いて呆れたように手を振り上げた。
「聞こえた? さっきからずっと副社長を呼べって言うの。この子、相当のわがまま者よ。一緒にいる大男は役に立たないし、シャレにならないわ」
 アシュアがそれを聞いてむっとした顔をした。
「どうして副社長と話がしたいの?」
「知らないわ。前は北極圏に降りたとかなんとか言ってる」
 ケイナはナナの声を聞きながら足元の小石を拾うとしばらく義手の右手で弄び、そしてその石を投げた。それは驚くほど遠くに飛んで、最後に岩にぶつかって砕けた。ナナとアシュアがその飛距離にびっくりして口を開いた。
「ナナ?」
 ナナは慌てて画面に向き直った。
「え、あ、ごめん。とりあえず副社長を呼んで」
「分かった」
 ナナはそれを聞いてからケイナに顔を向けた。
「腕、使わないで。そういう使い方、今までしたことがないでしょ?」
 たしなめる彼女の顔を見てケイナは幽かに笑った。
「じゃあ、いつ使うの」
「段階ってものがあるでしょ? やっと動くようになったばかりなのよ?」
「左と同じくらいの感覚はあるよ」
「だからって、そういう力加減を腕に覚えさせなくても……」
 続きは言えなかった。フォル・カートが画面に現れたからだ。
「副社長、お忙しいところすみません。ケイナが副社長と話がしたいと」
「いいよ。代わって」
 ナナは立ち上がると、ケイナの顔を見た。ケイナはナナの座っていた場所に腰を降ろした。
「……よく、わたしのことを覚えていたね」
 フォル・カートはケイナを見て笑みを浮かべた。彼の顔は7年前に比べて10歳以上は年老いたように見える。前はまだ黒かった髪は真っ白になっていた。
「あんたが生きてて良かった」
 ケイナは答えた。
「あなたも副社長を知っているの?」
 ナナは小さな声でアシュアに尋ねたが、アシュアは首を振った。
「いや……。おれは今初めて」
 ナナはそれを聞いて不機嫌そうにアシュアから顔を逸らせた。
「ユージーは…… どうしたの」
 ケイナの言葉にアシュアとナナがはっとした顔をした。
「目が覚めてから、誰もユージーの話をしない。おれのこと、『アライド』に運んだのはユージーなんだろ?」
「ケイナ」
 フォル・カートの声が曇った。
「ユージーは死んだのか?」
「生きているよ」
 アシュアはケイナが唇をかみ締めているのを見た。
「彼はきみが目覚める少し前に撃たれた。まだ昏睡状態だ」
「撃たれた……」
 ケイナはつぶやいた。
「誰に」
「分からない。地球のカートもこっちでも独自に調べているが、何も分かっていない」
「地球は今どうなってる。エアポートが爆破されたってどういうこと」
「今は何も分からないんだ。ケイナ、すまないな」
 ケイナはしばらく無言だった。考え込むように顔を俯かせていたが、再び画面に顔を向けた。
「おれを地球に返して欲しい」
「ケイナ……」
 フォル・カートが口を開こうとしたが、ケイナはそれを遮った。
「おれがそっちに行くのはよくない」
 ケイナは口を一瞬引き結んだ。
「あんたたちのことに巻き込まれたくない」
 ナナはアシュアの顔を見た。その目は何を吹き込んだのかと言いたそうだ。
「おれ、何も言ってないよ」
 アシュアは小さな声で抗議した。
 フォル・カートは考え込むような顔をした。
 しばらく誰も何も言わなかった。
「フォル・カート…… 考えることないだろ……」
 しばらくしてケイナが口を開いた。彼は右手を画面の前に持ち上げた。
「どう考えたって、これ、兵器だろ? 兵器じゃなきゃ、商品?」
「ケイナ!」
 ナナがびっくりして声をあげた。
「変なことを言わないで。そんなつもりでつけたんじゃないわ」
「じゃあ、あんたはあそこでのおれの治療に関する情報を一切持って来てないの?」
 ケイナの言葉にナナは口をつぐんだ。ケイナはナナから顔をそらせた。
「持って来ねぇはずがないじゃん……」
 アシュアはナナの顔を見た。下唇をかみ締めている。
 『ゼロ・ダリ』から情報を持ち出すのは、確かにスパイ行為かもしれない。しかし、彼女は彼女の立場でケイナのことを考えていたはずだ。治療経過の情報を持ち出した彼女の一番の理由は、『A・Jオフィス』に行ってからケイナの治療を続行するつもりだったからだろう。
「ナナ」
 フォル・カートが呼んだので、ナナはびくりとして画面を覗き込んだ。
「はい」
「その先に居住区があるな」
「はい」
「ちょっと大変になるが、キューブはそこで降りて20552ポイントまで歩いて行くんだ」
「20552?」
 ナナはケイナの上から腕を伸ばして折りたたんでいた地図を引き出した。
「山越えしなきゃだめだわ」
 彼女は画面を見た。
「ケイナの体では無理だわ。なぜキューブに乗ってはいけないんです?」
「キューブはレーダーに映ってしまうからだよ」
 フォル・カートの言葉にナナは黙り込んだ。
「20552は軍用の小型星間機を飛ばすのに一番都合がいい場所だ。前もそこから飛んだ」
「前もそこからって……」
 ナナはケイナの顔を見た。ケイナは何も言わない。
「必要なものは居住区で揃えろ。どんなにゆっくり歩いたところで3日か4日で着くはずだ」
 ナナは不安そうな顔になった。
「地球に着いたときにはカートが迎えを寄越すだろう。治療情報はケイナに渡してやるといい」
「副社長……」
「彼らを星間機に乗せるところまでがきみの役目だ。いいね」
 ナナは諦めた。
「はい」
 彼女が答えると、フォル・カートはうなずいた。
「ケイナ。条件がある」
 ケイナは画面に顔を向けた。
「これから何を知ることになっても、きみは一切関わるな」
 ケイナは無言だった。アシュアとナナは顔を見合わせた。しばらくして彼は口を開いた。
「……知ることの内容による」
「巻き込まれたくないんだろう? 約束できないのなら、星間機は飛ばさない」
「あんたの首をへし折りに行ってもいいよ」
「ケイナ、いい加減にしなさいよ!」
 ナナが怒った。ケイナが腕を伸ばしてナナの顔をぐいっと押し出したので、アシュアはよろけて転びそうになる彼女の体を慌てて支えた。
「おれが大切に思う人の命に関わることなら約束できない」
 アシュアは思わずケイナの顔を見た。
(すっげぇ、やばい気がする……)
 冷や汗が浮かんだ。
 フォル・カートはかすかに笑みを浮かべた。
「なら、命がけで守れ。それが約束だ」
「ちょっ……」
 ナナが抗議の声をあげる前にフォル・カートは画面から消えていた。
 ケイナはナナを見た。
「行こうか」
 ナナはケイナを睨みつけた。
「何のためにあなたを助けたと思ってるの。命がけ? どうして? あなたは一度死にかけてるのよ!?」
 ケイナは悔しそうなナナの顔をしばらく見つめた。そして答えた。
「分かってる。ごめんな……」
 ナナの目がびっくりしたように見開かれた。
 アシュアが凍りついたまま動こうとしない彼女の肩に手を置くと、ナナは苛立たしそうにその手を払いのけた。
 邪険な態度をとりながらも、かすかに彼女が口元を震わせているのをアシュアは見た。