ドアーズに案内されてセレスのいる部屋に通されたカインは中に入るなり思わず足をすくませた。
うっすらした光の中でセレスはもうベッドを45度ほどに起こしてもらっていた。
連絡をもらってからまだ1時間程度だ。
横になったままぼんやりとしているセレスを想像していたカインは驚きを通り越してショックだった。
「ご子息、どうぞ?」
ドアーズに促されてカインはやっと歩を進めた。後ろからヨクがついてくる。
彼はたぶんここに入るのは初めてかもしれない。
「セレス……」
ベッドに近づいて声をかけると、セレスは宙を見つめていた顔を動かしにくそうにゆっくりとこちらに向けた。少し落ち窪んではいるが、緑色のガラス細工のような光を持つ目がカインを捉えた。
「もう少し顔を近づけてやってください。刺激を与えないようだいぶん光を落としていますから」
ドアーズの言葉にカインは少し身をかがめてセレスに顔を寄せた。
「セレス…… 久しぶりだな。ぼくのことが分かる?」
セレスはただカインの顔を見つめていた。わずかに開いた口から声を発することもない。両腕は手のひらを上に向けてだらりと体の両側に落ちていた。
カインは困ったな、というようにドアーズを振り向いた。しかし彼は何も言わない。しかたなく再びセレスの顔を覗きこんだ。
「ぼくのことを…… 覚えてる?」
やはり反応がなかった。ゆっくりとまばたきを繰り返しながら、ただカインの顔を見つめている。ちゃんと見えていないんじゃないだろうか。
カインは手を伸ばすとセレスの細い肩に手を置いた。かすかに彼女の体がぴくりと動くのが感じられた。
あまり刺激を与えてはいけないのかもしれない。そう思ったカインは肩から手を離すと、目の前に脱力したように置かれている彼女の右手の細い指をそっと握った。
「セレス、ケイナの目も覚めたんだよ。良かったな。彼ももうすぐこっちに戻って来る。ケイナに会えるよ」
彼女の顔を覗きこみながらそう言った。
『ケイナ』という言葉に幽かに指が動いたように思えたが、気のせいかもしれなかった。
(もしかして……)
カインは目を細めた。
(セレスは記憶を無くしているんじゃないだろうか……)
自分を見つめるセレスの目が一回ゆっくりとまばたきをしたあと、繋いだ手に降りていくのをカインは見た。
自分の手のひらの中で彼女の細い指がぎごちなく動き、今度はわずかな力で握り返すのを感じた。じっと繋がれた手を見つめる彼女の口元に小さく笑みが浮かんだ。
「……セレス?」
カインが呼ぶと、セレスは再びカインの顔に目を向けた。
彼の額から目、鼻、口元に視線を泳がせたあと、もう一度カインの目を見つめてゆっくりと目を閉じた。わずかに自分のほうに傾けられた顔がかくんとかしいだので、カインはびっくりしてドアーズを振り向いた。
「大丈夫です。眠ったんですよ。また数時間眠るでしょう。だんだん覚醒のスパンも長くなってきますから」
ドアーズは答えた。
カインはセレスと繋いだ手に視線を向けた。
ずっとケイナと手を繋ぎ続けたアシュアのことが思い出される。自分がもしそうなったらちょっとまずい。おずおずと手を離したが、ドアーズが何も言わなかったのでほっとした。
「きれいな子だな……」
ヨクがカインの背後から声をかけた。
「本当にこの子はもとは男の子だったのか?」
「うん……」
カインは答えた。少し傾けた顔はどことなく幸せそうな表情だった。
「セレスは…… 記憶を無くしているんじゃないですか?」
カインは部屋を出てからドアーズに言った。
「それはなんとも分かりませんな……。そんなふうに感じられましたか?」
ドアーズはカインを見上げて答えた。
「ケイナの名前を聞いても反応が薄かった…… もっとはっきりとリアクションするような気がしたけれど……」
カインはセレスと繋いだ自分の手を見つめて答えた。普通ならケイナの名前を聞いて無反応であるはずがない。
「今はまだぼんやりしている状態ですから、声を聞いてもあまりよく分かっていないのかもしれません」
ドアーズはそう言って、カインの顔を首をかしげて覗きこんだ。
「それで、ちょっと相談なんですがね。目が覚めたので…… 本来は誰か彼女のことをよく知っている人が近くにいるといいと思っています。これから少しずつ体の機能を回復させる訓練も始まります。苦痛を伴うこともありますから、支えになってやれる人がいることは彼女にとってもいい。どうしても難しいということであれば無理は申し上げませんが」
ドアーズの言葉にカインは考え込んだ。
誰かと言われてもアシュアは今ケイナのところにいる。自分がずっとそばについてやることもできない。
「リア……」
カインはつぶやいた。
そうだ。リアはどうだろう。
『ノマド』で彼女がセレスとケイナを見ることになるのなら、早いうちに慣れてもいいかもしれない。
でも、彼女は『ノマド』から動けるだろうか。
しかしそれ以外に思い浮かぶ人間はいなかった。
「ちょっと心当たりがあるので、連絡をとってみます。女性だし……」
それを聞いてドアーズはうなずいた。
リアを『ノマド』から出すことは気乗りがしなかったが、この際しかたがないかもしれない。アシュアに聞いてみよう。
ヨクと共に踵を返そうとしたとき、カインはふと立ち止まった。
「どうした?」
ヨクが怪訝そうな顔で彼を見た。
「今…… 揺れなかった?地震…… かな。」
ヨクは小首をかしげた。ドアーズを見ると、彼も首をかしげていた。
「別に何も感じなかったぞ?」
気のせいかな、とカインうなずいて歩き始めた。
ヨクの運転でプラニカに乗り込んだあと、しばらくしてヨクが声をあげた。
「カイン!」
びっくりして彼の指差す方向を見てカインは呆然とした。エアポートの方向から黒煙が立ち上っている。
「なんだ?ありゃあ……」
ヨクはつぶやいた。方向から察するにメインの離発着の方だ。
さっきの揺れはあれだったのだろうか。
「とりあえずカンパニーに戻るぞ」
ヨクはスピードをあげた。
カインは自分の部屋に入るなり壁のモニターを開いた。
「チェック、セキュリティ」
そう言いながらデスクの前に座った。
「こりゃ…… どうなってんだ……」
一緒に入ってきたヨクが壁のモニターを見てつぶやいた。
リィの倉庫がある主要なエアポートのほとんどに警戒体制の表示が出ている。クルーレに連絡をとろうとカインがキィを叩く前に通信が入った。カインは急いで回路を開いた。
「リィ社長」
クルーレだった。
「何があったんです」
「まだパニック状態だ」
クルーレは言った。わずかに焦りの表情が見てとれた。
「主要なエアポートの大部分で爆発が起きたらしい。管制棟は大丈夫ですが、リィの倉庫に被害があります。どうも、カートとリィが中心に狙われたみたいだ。こちらも10ほど倉庫が爆破された」
カインがヨクに目をやると、ヨクは急いで部屋を出て行った。
「メインの滑走路がやられたエアポートが10ほどある。ほとんどが星間移動用のエアポートだ。今のところ無傷なのはノース・ドームの5つのエアポートだけです」
ノース・ドーム……。カインは考え込んだ。リィはここのエアポートは利用していない。
「何が原因なんです?」
尋ねるとクルーレはかぶりを振った。
「ミストラルの社長が狙撃されて以来、小さな過激派グループがいくつかいざこざを起こしていて、今回もその可能性が高いようだが、はっきりしたことは分からない。こんなリアルタイムに統率のとれた行動を起こせる組織ではないはずなんでね。……どっちにしても今は空からの運輸は全てストップになった。着陸が必要な機を安全な場所に誘導することで手一杯になっている。リィの関連の空輸も申し訳ないがストップさせるか、誘導するかになりますよ」
カインは口元にこぶしを当てた。動揺している。なんとか気持ちを落ち着かせなければならない。
「わかりました。今ヨクが詳細を調べに行っていますから、これから飛ぶスケジュールのものはストップさせます」
カインの言葉にクルーレはうなずいた。
「クルーレさん」
彼がそのまま通信を切りそうになったので、カインは慌てて言った。
「『ゼロ・ダリ』から何か連絡がありましたか」
「いや?」
クルーレがかすかに眉をひそめた。
「こんなときに申し訳ないのですが、ケイナが地球に戻りたいという意思表示をしました。その手続きをお願いしようと思っていたんです」
「無理だな」
クルーレは即座に答えた。
「星間用のエアポートがほとんど被害を受けている。まだ明確なことは分からないが、たぶん一週間は迎えに行くこともできないだろう。カートの専用格納庫自体が数件やられている」
タイミングが良すぎないか? カインは唇を噛んだ。
ケイナが帰りたいと言った。その直後にエアポートが使えなくなった。それを繋げて考えるのは強引過ぎるのだろうか。
「『ゼロ・ダリ』には私から連絡をしてみます」
クルーレは言った。
「お願いします」
カインがそう答えるとクルーレは画面から消えた。彼が画面から消えると同時にヨクが部屋に入ってきた。後ろからティも慌てたようについてくる。
「カイン、まずいぞ。発売を宣言した新薬の原料を保管していた倉庫が2つやられた。ほかに3つ被害がある」
ヨクは手に持った紙を睨みつけながらカインのデスクに歩み寄って言った。
「被害総額は…… ざっと…… いやぁ、これは計算したくないくらいの数字だな……」
カインは握り締めたこぶしを額を押し付けた。
「原料は主に『コリュボス』からだ。追加で発注をしてもたぶん数か月はかかるだろう」
ヨクは言った。カインはティを見た。
「ティ、各部署のメインチーフを招集してください。1時間後に会議をします」
かすかに青ざめた顔をして立っていたティはうなずくと踵を返して部屋を出ていった。
「今、開発途中のものは63件でしたよね」
カインはヨクの顔を見た。
「そうだ。開発と販売、それぞれに続行と中止、あるいは休止の選別が必要だな。リスクを最小限に食い止めないと」
ヨクは答えた。
「会議までに資料が揃えられますか」
「今もうすでに準備している。現地に飛んでいる者がいるから1時間以内にはもう少し詳しい被害状況が分かるだろう」
カインはうなずいた。
「カートはなんて?」
ヨクは気づかうようにカインの顔を見て言った。
「今まだ状況把握するのと、既に動いている機を誘導するだけで精一杯みたいだ」
カインは答えた。
「……まあ、そうだろうな……」
ヨクはため息をついた。
カインは手を伸ばすとアシュアの通信機を呼び出した。しかし応答がない。
しばらく待っても応答がないので、カインは諦めた。アシュアが出られない状況にあることも考えられる。
出られない状況……?
一瞬浮かんだ不安をカインはかぶりを振って押しのけた。
「社長、行きますよ」
ヨクの言葉にカインは立ち上がった。
うっすらした光の中でセレスはもうベッドを45度ほどに起こしてもらっていた。
連絡をもらってからまだ1時間程度だ。
横になったままぼんやりとしているセレスを想像していたカインは驚きを通り越してショックだった。
「ご子息、どうぞ?」
ドアーズに促されてカインはやっと歩を進めた。後ろからヨクがついてくる。
彼はたぶんここに入るのは初めてかもしれない。
「セレス……」
ベッドに近づいて声をかけると、セレスは宙を見つめていた顔を動かしにくそうにゆっくりとこちらに向けた。少し落ち窪んではいるが、緑色のガラス細工のような光を持つ目がカインを捉えた。
「もう少し顔を近づけてやってください。刺激を与えないようだいぶん光を落としていますから」
ドアーズの言葉にカインは少し身をかがめてセレスに顔を寄せた。
「セレス…… 久しぶりだな。ぼくのことが分かる?」
セレスはただカインの顔を見つめていた。わずかに開いた口から声を発することもない。両腕は手のひらを上に向けてだらりと体の両側に落ちていた。
カインは困ったな、というようにドアーズを振り向いた。しかし彼は何も言わない。しかたなく再びセレスの顔を覗きこんだ。
「ぼくのことを…… 覚えてる?」
やはり反応がなかった。ゆっくりとまばたきを繰り返しながら、ただカインの顔を見つめている。ちゃんと見えていないんじゃないだろうか。
カインは手を伸ばすとセレスの細い肩に手を置いた。かすかに彼女の体がぴくりと動くのが感じられた。
あまり刺激を与えてはいけないのかもしれない。そう思ったカインは肩から手を離すと、目の前に脱力したように置かれている彼女の右手の細い指をそっと握った。
「セレス、ケイナの目も覚めたんだよ。良かったな。彼ももうすぐこっちに戻って来る。ケイナに会えるよ」
彼女の顔を覗きこみながらそう言った。
『ケイナ』という言葉に幽かに指が動いたように思えたが、気のせいかもしれなかった。
(もしかして……)
カインは目を細めた。
(セレスは記憶を無くしているんじゃないだろうか……)
自分を見つめるセレスの目が一回ゆっくりとまばたきをしたあと、繋いだ手に降りていくのをカインは見た。
自分の手のひらの中で彼女の細い指がぎごちなく動き、今度はわずかな力で握り返すのを感じた。じっと繋がれた手を見つめる彼女の口元に小さく笑みが浮かんだ。
「……セレス?」
カインが呼ぶと、セレスは再びカインの顔に目を向けた。
彼の額から目、鼻、口元に視線を泳がせたあと、もう一度カインの目を見つめてゆっくりと目を閉じた。わずかに自分のほうに傾けられた顔がかくんとかしいだので、カインはびっくりしてドアーズを振り向いた。
「大丈夫です。眠ったんですよ。また数時間眠るでしょう。だんだん覚醒のスパンも長くなってきますから」
ドアーズは答えた。
カインはセレスと繋いだ手に視線を向けた。
ずっとケイナと手を繋ぎ続けたアシュアのことが思い出される。自分がもしそうなったらちょっとまずい。おずおずと手を離したが、ドアーズが何も言わなかったのでほっとした。
「きれいな子だな……」
ヨクがカインの背後から声をかけた。
「本当にこの子はもとは男の子だったのか?」
「うん……」
カインは答えた。少し傾けた顔はどことなく幸せそうな表情だった。
「セレスは…… 記憶を無くしているんじゃないですか?」
カインは部屋を出てからドアーズに言った。
「それはなんとも分かりませんな……。そんなふうに感じられましたか?」
ドアーズはカインを見上げて答えた。
「ケイナの名前を聞いても反応が薄かった…… もっとはっきりとリアクションするような気がしたけれど……」
カインはセレスと繋いだ自分の手を見つめて答えた。普通ならケイナの名前を聞いて無反応であるはずがない。
「今はまだぼんやりしている状態ですから、声を聞いてもあまりよく分かっていないのかもしれません」
ドアーズはそう言って、カインの顔を首をかしげて覗きこんだ。
「それで、ちょっと相談なんですがね。目が覚めたので…… 本来は誰か彼女のことをよく知っている人が近くにいるといいと思っています。これから少しずつ体の機能を回復させる訓練も始まります。苦痛を伴うこともありますから、支えになってやれる人がいることは彼女にとってもいい。どうしても難しいということであれば無理は申し上げませんが」
ドアーズの言葉にカインは考え込んだ。
誰かと言われてもアシュアは今ケイナのところにいる。自分がずっとそばについてやることもできない。
「リア……」
カインはつぶやいた。
そうだ。リアはどうだろう。
『ノマド』で彼女がセレスとケイナを見ることになるのなら、早いうちに慣れてもいいかもしれない。
でも、彼女は『ノマド』から動けるだろうか。
しかしそれ以外に思い浮かぶ人間はいなかった。
「ちょっと心当たりがあるので、連絡をとってみます。女性だし……」
それを聞いてドアーズはうなずいた。
リアを『ノマド』から出すことは気乗りがしなかったが、この際しかたがないかもしれない。アシュアに聞いてみよう。
ヨクと共に踵を返そうとしたとき、カインはふと立ち止まった。
「どうした?」
ヨクが怪訝そうな顔で彼を見た。
「今…… 揺れなかった?地震…… かな。」
ヨクは小首をかしげた。ドアーズを見ると、彼も首をかしげていた。
「別に何も感じなかったぞ?」
気のせいかな、とカインうなずいて歩き始めた。
ヨクの運転でプラニカに乗り込んだあと、しばらくしてヨクが声をあげた。
「カイン!」
びっくりして彼の指差す方向を見てカインは呆然とした。エアポートの方向から黒煙が立ち上っている。
「なんだ?ありゃあ……」
ヨクはつぶやいた。方向から察するにメインの離発着の方だ。
さっきの揺れはあれだったのだろうか。
「とりあえずカンパニーに戻るぞ」
ヨクはスピードをあげた。
カインは自分の部屋に入るなり壁のモニターを開いた。
「チェック、セキュリティ」
そう言いながらデスクの前に座った。
「こりゃ…… どうなってんだ……」
一緒に入ってきたヨクが壁のモニターを見てつぶやいた。
リィの倉庫がある主要なエアポートのほとんどに警戒体制の表示が出ている。クルーレに連絡をとろうとカインがキィを叩く前に通信が入った。カインは急いで回路を開いた。
「リィ社長」
クルーレだった。
「何があったんです」
「まだパニック状態だ」
クルーレは言った。わずかに焦りの表情が見てとれた。
「主要なエアポートの大部分で爆発が起きたらしい。管制棟は大丈夫ですが、リィの倉庫に被害があります。どうも、カートとリィが中心に狙われたみたいだ。こちらも10ほど倉庫が爆破された」
カインがヨクに目をやると、ヨクは急いで部屋を出て行った。
「メインの滑走路がやられたエアポートが10ほどある。ほとんどが星間移動用のエアポートだ。今のところ無傷なのはノース・ドームの5つのエアポートだけです」
ノース・ドーム……。カインは考え込んだ。リィはここのエアポートは利用していない。
「何が原因なんです?」
尋ねるとクルーレはかぶりを振った。
「ミストラルの社長が狙撃されて以来、小さな過激派グループがいくつかいざこざを起こしていて、今回もその可能性が高いようだが、はっきりしたことは分からない。こんなリアルタイムに統率のとれた行動を起こせる組織ではないはずなんでね。……どっちにしても今は空からの運輸は全てストップになった。着陸が必要な機を安全な場所に誘導することで手一杯になっている。リィの関連の空輸も申し訳ないがストップさせるか、誘導するかになりますよ」
カインは口元にこぶしを当てた。動揺している。なんとか気持ちを落ち着かせなければならない。
「わかりました。今ヨクが詳細を調べに行っていますから、これから飛ぶスケジュールのものはストップさせます」
カインの言葉にクルーレはうなずいた。
「クルーレさん」
彼がそのまま通信を切りそうになったので、カインは慌てて言った。
「『ゼロ・ダリ』から何か連絡がありましたか」
「いや?」
クルーレがかすかに眉をひそめた。
「こんなときに申し訳ないのですが、ケイナが地球に戻りたいという意思表示をしました。その手続きをお願いしようと思っていたんです」
「無理だな」
クルーレは即座に答えた。
「星間用のエアポートがほとんど被害を受けている。まだ明確なことは分からないが、たぶん一週間は迎えに行くこともできないだろう。カートの専用格納庫自体が数件やられている」
タイミングが良すぎないか? カインは唇を噛んだ。
ケイナが帰りたいと言った。その直後にエアポートが使えなくなった。それを繋げて考えるのは強引過ぎるのだろうか。
「『ゼロ・ダリ』には私から連絡をしてみます」
クルーレは言った。
「お願いします」
カインがそう答えるとクルーレは画面から消えた。彼が画面から消えると同時にヨクが部屋に入ってきた。後ろからティも慌てたようについてくる。
「カイン、まずいぞ。発売を宣言した新薬の原料を保管していた倉庫が2つやられた。ほかに3つ被害がある」
ヨクは手に持った紙を睨みつけながらカインのデスクに歩み寄って言った。
「被害総額は…… ざっと…… いやぁ、これは計算したくないくらいの数字だな……」
カインは握り締めたこぶしを額を押し付けた。
「原料は主に『コリュボス』からだ。追加で発注をしてもたぶん数か月はかかるだろう」
ヨクは言った。カインはティを見た。
「ティ、各部署のメインチーフを招集してください。1時間後に会議をします」
かすかに青ざめた顔をして立っていたティはうなずくと踵を返して部屋を出ていった。
「今、開発途中のものは63件でしたよね」
カインはヨクの顔を見た。
「そうだ。開発と販売、それぞれに続行と中止、あるいは休止の選別が必要だな。リスクを最小限に食い止めないと」
ヨクは答えた。
「会議までに資料が揃えられますか」
「今もうすでに準備している。現地に飛んでいる者がいるから1時間以内にはもう少し詳しい被害状況が分かるだろう」
カインはうなずいた。
「カートはなんて?」
ヨクは気づかうようにカインの顔を見て言った。
「今まだ状況把握するのと、既に動いている機を誘導するだけで精一杯みたいだ」
カインは答えた。
「……まあ、そうだろうな……」
ヨクはため息をついた。
カインは手を伸ばすとアシュアの通信機を呼び出した。しかし応答がない。
しばらく待っても応答がないので、カインは諦めた。アシュアが出られない状況にあることも考えられる。
出られない状況……?
一瞬浮かんだ不安をカインはかぶりを振って押しのけた。
「社長、行きますよ」
ヨクの言葉にカインは立ち上がった。