ハルドはクレイ夫妻の家からそう遠くない墓地の一角に埋葬されていた。
 ハルドの墓が近いからクレイ夫妻はあの家に住んでいるとさえ思える。
 家の前で咲いていたらしい淡い色の小さな花が供えらえていた。
「最期には会えなかったの」
 墓前に立つアシュアの後ろでフェイが言った。
「眠るみたいな感じで亡くなったって聞いたけれど……。でも、セレスのことはずっと気にしてたわ。それと…… ケイナ・カートさんと」
 アシュアはうなずいた。
 ひざまづいて白い墓石に手を触れた。家を出るときにフェイが持たせてくれた花を墓石の上に置いた。
(クレイ指揮官、おれ、ちゃんとみんなを守りますから)
 アシュアはそう心の中でつぶやき、立ち上がると彼の墓前で敬礼をした。
 ケヴィンは黙ってずっとアシュアの後ろに立って彼を見つめていた。
 墓前から離れようと向き直ったとき、フェイがアシュアを見上げた。
「あの…… ひとつお願いをしていいかしら」
「なんですか?」
 アシュアが尋ねると、フェイはしばらくためらったのち口を開いた。
「たぶん、もう見つからないとは思うんだけど…… なかなか諦めきれなくて。ハルドは両親の形見のブレスレットを持っていたはずなの。それが葬儀のあとに遺品を調べたときにはなかったの」
「ブレスレット……?」
 アシュアは首をかしげてつぶやいた。
「セレスが同じものを持っていたのよ。あの子たちの両親はお揃いでそれを持っていたから、事故で亡くしたときに形見でそれぞれに渡してやったの」
 『トイ・チャイルド』の暗号が刻印されたプレートのついたブレスレットなのだろうか……。
 ハルドさんも持っていたのか。
 アシュアは口を引き結んだ。
「ハルドは腕が太くてつけることができなかったから身につけていなかったらしいの。とるものもとりあえずっていう感じで慌ててこっちに来たし、もしかしたら地球に置いてきたんじゃないかと思うけれど……」
「ハルドの荷物はもう処分されているだろう。今から探すのは無理だ」
 ケヴィンが口を挟んだ。
「諦めたほうがいい」
「いえ、探してみます」
 アシュアは答えた。
「カート司令官が関わっておられたことだし……。そうそう個人物を廃棄処分にはしたりしないと思いますので」
「お願いします」
 アシュアの顔を見つめてフェイは言った。
 『トイ・チャイルド』のブレスレット? なんだか危ないな……。
 アシュアは頭の隅でちらりとそう思った。

 クレイ夫妻に別れを告げ、アシュアはそのままエアポートに向かった。
 出発までまだ間があったがゆっくり時間を潰せるほどの余裕もない。アシュアはロビーに向かって歩きだした。
 小さなスタンドカフェが目に入ったがそのまま素通りした。
 この星は地球と同じような雰囲気を持ちながら何か違う。最初は漠然としていたが、今は何となく分かりかけていた。
 この星には「食」に関する貪欲な文化がないのだ。
 『ノマド』でのハーブのお茶や自然のもので作った食事に慣れていたアシュアは、『アライド』で口にするすべてのものが味気なかった。
 クレイ夫妻の家に行ったとき甘い香りに心が和んだのは、ここに来て初めて遭遇した「食べるもの」としての安心を感じたからだろう。
 おそらく『アライド』の血は食に関する執着を必要としないのだろう。
 生命を維持できればそれでいい。その程度のものなのかもしれない。
 ヨクにしつこく言われなければまともに食事をとろうとしないカインの状態が理解できたような気がした。
 彼はそれでも地球の血が濃いから味覚がある。口に何かを入れることから得られる満足感を知っている。ほんのいっときだけだったが、『ノマド』にいたときのカインはハーブのお茶を美味しそうに飲んでいた。たったそれだけでも彼には救いがある。
 もしカインがそうした地球人としての血を持たずに『アライド』に住むことになったら、ワーカホリックにすぐ陥る彼はあっという間に餓死してしまうだろう。
 アシュアはロビーに着くと周囲を見回した。
「座って待ってるしかないかな……」
 そうつぶやくと何列か並んだ椅子の一番近いところに座った。
 クレイ夫妻が出るときに気を利かせて持たせてくれた焼き菓子を入れた小さな紙包みを思い出して、ポケットから取り出すと口に放り込んだ。
 『アライド』のエアポートは思いのほか閑散としていて、アシュアのほかには数名程度しかいない。もっと仕事がらみで人の行き来があると思っていただけに意外だった。
 カインは今頃仕事をしているだろう。
 出発さえすれば9時間で地球のエアポートに着く。カインのオフィスには午後8時くらいに着けるかな……。
 腕を組んでそんなことをぼんやり考えているうちに眠気が襲った。
 時差ぼけかな、とちらりと思った。地球を出たときは確か昼だったと思う。
 こっちについてもやっぱり昼だったし、夜は少しも暗くならなかった。
 眠ったつもりでも眠れていなかったのかもしれない。
 こくんと首が前に倒れてはっとして顔をあげると、目の前に人が立っていたのでぎょっとした。
「アシュア・セスさんですよね?」
 立っていたのは若い女性だった。化粧気のない顔に黒いまっすぐな髪をひとつに束ねて背に垂らしている。
「ホテルに行ったらもう出られたって聞いたので…… 慌てました」
「あの……」
 アシュアはかすかに息をきらしている彼女の顔を怪訝そうに見あげた。濡れたような真っ黒な瞳が自分を見下ろしている。
「どちらさん?」
「『ゼロ・ダリ』のナナです。ケイナの治療に携わっている……。ケイナが目覚めました。来ていただけますか?」
 アシュアは呆然として彼女の顔を見つめた。

 ナナと名乗った女性にふわふわと上下運動をする苦手な乗用車に乗せられて、アシュアはケイナのいる『ゼロ・ダリ』まで戻った。
「あと、4、5日かかるって昨日……」
「ええ、そうです」
 建物に入り、アシュアの先に立って早足に靴音を響かせながらナナは答えた。
「2時間前から急に脳波に変化が見られて、あっという間に覚醒に向かったんです」
 2時間前……。クレイ夫妻の家に行った頃かな。アシュアは考えた。
「あの、覚醒って、要は目が覚めたってこと? その、目がぱっちりと?」
 間抜けな質問だと思いつつ、アシュアはナナの背に向かって尋ねた。
 背に垂れたしっぽのような黒い髪が飛び跳ねるように揺れている。
「目は開いていると思いますけれど、アイガードをつけているから外からは分かりません」
「アイガード?」
 アシュアは首をかしげた。
「目につけられているマスクです。眼球の動きがきちんと彼の脳の指令に馴染むまで外界からの刺激を受けないように保護しているんです。説明しましたよね?」
 ナナはせわしない口調で答えた。
「え、ああ、すいません」
 アシュアは頭を掻いた。
「ケイナは何かしゃべった?」
 再び尋ねると、ナナは前を向いたまま無言だった。
「あの……」
 アシュアが声をかけると、ナナは扉のひとつに立ち止まり、壁のロックを外しながら彼を振り向いた。
「ええ」
 彼女は言った。
「しゃべりました。『アシュア』と」
 アシュアは呆然として部屋に入るナナを見た。
 ケイナがおれの名前を?
「早く入って」
 促されてアシュアは慌てて部屋に足を踏み入れた。
 ケイナは来たときと同じようにベッドに横たえられていた。体につけられているチューブは残っていたが、違っていたのはその数だった。半分くらいは取り去られているかもしれない。
 ナナがベッドのそばに立っていたがアシュアはしばらく近づけなかった。
 部屋、暗いな……。
 頭の隅でそんなことを考えた。天井が高い上にライトが淡い光なので視界がはっきりしない。
「こちらへどうぞ」
 ナナの声がして、アシュアは足を踏み出した。そして横たわるケイナの脇に立った。
「……ア……」
 唇が開いてかすかな声がケイナの口から漏れた。
「……シュ……」
「ケイナ」
 アシュアは思わずケイナの顔に自分の顔を近づけた。
「おれ、ここだよ、アシュアだ。分かる?」
「……ア……」
「うん、ここにいる」
 彼の手をとろうとして革の感触が触れてぎょっとして手をひっこめた。
 ケイナの左腕……。アシュアはベッドの反対側に回り込むと包まれていないほうの手をとった。取り上げた途端に彼の指から確かな反応がかえってきた。
「……て……」
「え?」
 アシュアは彼の口元に耳を近づけた。しかし彼は話さなかった。
「急には無理です。少しずついきましょう」
 ナナが言った。
 ケイナ…… ケイナ、目が覚めてるのか? おまえ、おれのこと覚えてるのか?
 アシュアは必死になって彼の顔を見つめたが、ケイナは上を向いたままで、覆われた目は開いているのか閉じているのかも分からない。
 半開きの口から時々呼吸とは違う息が漏れたが、彼の声はもう聞こえなかった。