『アライド』に行ったアシュアから連絡があったのは翌日の午後だった。
「目は覚めてないんだけど……。おれ、ちょっとショックだった」
 アシュアはそう言うと、画面越しに小さなディスクをかざしてみせた。
「今、ケイナの画像をそっちに転送するから」
 しばらくしてカインは画面に映し出されたケイナの姿に息を呑んだ。
 流れるように美しかった金髪は短く刈られ、両目は黒いガラスをはめこまれたアイマスクのようなものをつけられている。右腕は肩から先、左足は足の付け根から先を黒い革のようなもので覆われていた。まるでぴったりとした手袋と足袋をつけているような感じだ。
 むき出しのままの上半身はげっそりと痩せてあばら骨が浮き出ている。昔のケイナの面影がなかった。同じ昏睡状態でも、セレスとは雲泥の差だ。
「右目に義眼が入れてあるんだそうだ。右腕と左足も義手義足だな。目覚めて実際に自分の体に定着するまでは覆いは外せないんだと」
 アシュアの声が聞こえた。
「自分のもののように動かすのにも少し時間がかかるらしい。慣れると人工皮膚の下は機械だってことは誰も気づかないくらいになるって話だった」
 カインは画面から目をそらせるとデスクに肘をついてこめかみを押さえた。
 なんとも言いようのない気分だった。
「そっち、どうだ? 具合は?」
 いつの間にか画面がアシュアに切り替わっていた。
「ああ…… うん……」
 カインは顔をあげた。
「体調はもう大丈夫。今は自分の部屋に軟禁状態だよ。ここで仕事をしている」
「ユージーは変わらないみたいだな」
「うん……」
 カインはうなずいた。
「容態は安定しているみたいだけれど」
「ケイナはあと4、5日かかるみたいだし、おれ、一度そっちに戻るから。安定はしてるみたいだから心配しなくていいよ」
「アシュア」
「なに?」
 声をかけるとアシュアの鳶色の目がこちらを見つめ返した。
「『ノマド』のほうは大丈夫だったのか」
「大丈夫って?」
「リアや…… 子供たちと離れることになるし……」
 ああ、という顔をして、アシュアは笑みを見せた。
「喜んで見送ってくれたよ。そりゃ、並みの心配くらいはしたと思うけど。でもさ……」
 アシュアはかすかに照れくさそうな顔をした。
「おれもリアもおまえの力になれるってこと誇りに思うし、そうしたいって願ってるよ」
 カインは目を伏せた。
「そうか。ごめんな。ありがとう」
「おまえらしくない返事」
 アシュアはそう言うと笑った。そして何かを思い出したような顔になった。
「あ、それでな、明日帰る前にクレイ夫妻に会おうかと思ってるんだ」
「え?」
 カインは目を細めた。
「クレイ夫妻って……」
「ん。セレスの両親……」
 急なことにカインは言葉を失って画面のアシュアを見た。
 セレスの養父母はカート司令官が兄のハルドと共に『アライド』に逃亡させた。
 ハルドは5年前に亡くなったが、『アライド』に埋葬されたので夫妻はそのままアライドに住んでいる。
 アシュアは首のうしろを手で撫でた。
「クレイ指揮官とはあんまり面識なかったけど、せっかくこっちに来たから墓参りくらいしとこうかなと思って。あと、クレイさんもセレスの様子を知りたいだろうし……」
「そうか……」
 カインはつぶやいた。
「ぼくも一度行かないといけないはずなのに……」
「そのあたりは分かってくれているよ。じゃ、明日の夜にはそっちに行くから。また詳しい話は戻ったときにな」
 アシュアは片手をあげると画面から消えた。
 アシュアの姿の消えた画面を見つめ続けてカインは妙に不安な気持ちに陥った。
 ケイナの姿を見たからだけではない。頭の中の遠くのほうに、ちらりちらりと小さな炎のようなイメージが浮かぶ。それはいいイメージではなかった。
 でも、何を表しているのかも分からなかった。

 その夜、カインがシャワーを浴びてタオルで濡れた髪をこすっているといきなり来客を知らせる音が鳴った。カインは慌てて近くに放り出してあったシャツをはおって部屋の外を映すモニターを見た。立っていたのがティだったのでドアのロックを外したが、もう時間は午後10時を過ぎている。こんな時間に彼女が来るとは思わなかった。
「よいしょっと……」
 ティはカインを押しのけると部屋の中央まで歩いて行き、両腕に大事そうに抱えたものをテーブルの上に置いた。腕からはさらに紙袋をさげている。
「ああ、重かった。ごめんなさい、こんな時間に。もうすぐヨクも来ますから」
「なに?」
 カインはテーブルに置かれたものを見つめた。すっぽりと分厚い布でくるまれている丸い形のものだった。
「シチュー」
 彼女はそう言って笑みを見せた。
「は?」
「野菜たっぷりの。ヨクはパンが焼けるんですって。嘘みたいでしょ? ついでにとっておきのワインも持ってくるって。社員レストランの厨房のハリスが材料を用意してくれて。彼はドレッシングも作ってくれたのよ。ハーブ一杯で元気が出るって。サラダ、作るわね」
 彼女は矢継ぎ早にそう言うと、紙袋からさっさと野菜類を取り出し始めた。
「ち、ちょっと待って。どういうこと」
 カインは呆然としてテーブルに次々に並べられる野菜類を見た。
「どういうことって……」
 ティは彼の顔を見て笑った。
「食べるんです」
 カインはあんぐりと口をあけた。もうこれから休もうと思っていたのに。
「お腹減ってません?」
「ぼくは夕方少し食べたから……」
 カインは困惑したように言った。
「もうちょっとくらい食べられるでしょ?」
 そう言って野菜を抱えてさっさとキッチンに入っていくティを、カインは慌てて追いかけた。
「ティ、どういうこと」
「食べるの」
 腕を掴むカインに彼女は再び言った。今度は真顔できっぱりとした調子だった。
「一ヶ月かもしれないけど…… それ以上になるかもしれない。犯人が捕まるまでは緊張状態が続きます。体調を万全にしておかなくちゃ。カインさん、あなただけじゃない、わたしも、ヨクも」
 彼女はそういうとレタスの葉を一枚ずつはがしていった。
「ディナーメーカーの食事なんかだめです。お腹と栄養は満たされても気持ちは満たされない。みんなで一緒に食べて元気になろうってヨクと話したんです」
 そこで彼女はカインの顔を見た。
「明日はアシュアも帰ってきますよね。毎日というわけにはいかないけど、今度は彼も一緒に」
 カインは何も言えずに彼女の顔を見つめた。ティはレタスを抱えたままカインを見上げた。
「カインさんは、こういうの嫌いですか? 仕事の仲間とプライベートの時間までっていうのは嫌かしら」
「いや…… そういうんじゃないけど……」
 カインは戸惑いながら彼女の顔を見つめた。ティの茶色い瞳に自分の姿が映っている。それを見て、アイマスクで覆われたケイナの顔を思い出した。
 あの青い目に自分の姿が映るのはいつのことだろう。
 形の良い鼻と薄情そうな唇はそのままだった。短く刈られてしまった金髪が痛々しかった。
 カインはティの唇に目を向けた。
 小さな口。ケイナとは違う少しぽってりと厚みをもった口。
 この唇にもぼくはずいぶん前から惹かれていたんだった。
 仕事の仲間とプライベートの時間まで? そんな夢のような時間は今までなかったじゃないか。
 彼女の唇に触れてみたい、と思って手をあげかけた瞬間、来客を知らせる音がして大きな足音がどかどかと近づいてきた。
「持ってきたぞ! パン!」
 そう言ってヨクが意気揚々と紙包みをかかげてキッチンに顔を覗かせた。その途端、彼の顔が気まずそうになった。
「取り込み中?」
「サラダを作っているところ」
 ティが笑った。
「ヨクも手伝ってください」
 カインがキッチンから出て行こうとしたので、ヨクがその腕を掴んだ。
「タイミング、悪かった?」
 小さく言う彼にカインは思わず笑った。
「美味しそうだね、パン。いいにおいがしてる」
 カインはヨクから紙包みを取るとリビングに戻っていった。
 ティが入ったあと、ドアをロックしとくんだった……。
 頭の隅でちらりと考えた。