カインは小刻みに休憩をとりながらではあったが自分の部屋で日々の仕事をこなした。
 ケイナが一週間前後で目覚めるかもしれない、という報告を受けたのはデスクに向かい始めて2日目の、まだ朝の早いうちだった。
 すぐにでも『アライド』に行きたくなる気持ちを必死で抑えた。
 アシュアが行くならいろいろ詳しく様子を知ることができるだろう。それまで待つしかない。
 小さな音がしてティが部屋に入ってきた。
 彼女は前よりはだいぶん少ない紙束を持ってやってきた。
 ほとんどの書類は全部データで目の前のマシンに転送されてくるようになったので紙になるものが少なくなったからだ。
 彼女はオフィスでやっていたのと同じようにカインのデスクの上に紙束を置き、そのまま部屋を出ていきかけて、ソファに脱ぎっぱなしになっていたカインの白いシャツを持ち上げてハンガーにかけた。そのあとテーブルを拭き、汚れたカップを洗浄機にいれ、部屋の中を片付け始めた。
「ティ」
 カインは声をかけた。
「それはきみの仕事じゃない。ほうっておいてくれていいよ」
「でも、今はハウスキーパーも入って来られませんよね?」
 ティはそう答えると再びぱたぱたと動き始めた。カインは小さくかぶりを振って再び書類に目を落とした。
「食事、ちゃんととってます?」
 彼女は動き回りながらカインに尋ねた。
「まあ…… それなりに」
 カインは書類を見つめたままで答えた。
「昨日は何を?」
「覚えてないよ。別に気にもしていないし」
 カインは思わず顔をあげて苦笑した。
「カインさんて、ほんとに食べることには執着がないんですね」
 ティは呆れた顔でカインを見た。
「ドクターと栄養士がプログラムしていったんだ。別に体に悪いものじゃないからそれでいいだろ」
 素っ気無くそう答えると、カインは別の書類を数枚とりあげた。
「ティ、これをヨクに渡して。第3セクションの統計がおかしい。あと、ラビス社からの納入原料の量が聞いていたものと違う。確認して欲しい。ここにチェック入れてるから」
 書類を差し出されてティは慌ててデスクに駆け寄ったが、自分の手が濡れていることに気づき、急いで自分のスカートで拭い取ろうとした。
「あっと……」
 カインがそれを見咎めた。
「そういうのはだめ。ちゃんと拭いてきて」
 ティは顔を赤らめると手を拭きに行き、再びデスクの前に戻ってきた。
「だからいいって言ったのに」
 カインは椅子の背もたれによりかかると彼女の顔を見上げた。
「すみません」
 ティは肩をすくめていたずらを咎められた子供のような顔をした。
「やってくれるのはありがたいけど……」
 カインはため息をつき、彼女から視線をそらした。
「ずいぶん疲れた顔してる……。顔色悪いよ?」
 ティは戸惑ったように自分の頬に手をあてた。
「マスコミはきみのほうまで直接コンタクトをとろうとしてくる?」
 カインが尋ねるとティはかぶりを振った。
「ヨクがかなりガードを固めてくれたので今は全然ありません。事件の直後は大変だったけれど……。ヨクがここのビルの中に部屋を確保してくれて、自宅の荷物もほとんどこっちに移動させたんです」
 カインはそれを聞いて彼女に目を向けないまま眉をひそめた。
 ティまで軟禁状態か……。
「でも、あと一ヶ月くらいのことだろうとヨクは言ってました。少しの我慢ですから」
 ティはカインの顔を覗き込むと明るく言った。
「だといいよな……」
 カインはデスクの上に肘をつくと頬杖をついた。そしてふと思い出して彼女の顔を見た。
「きみはお母さんとふたり暮らしじゃなかったの」
 ティは笑みを見せた。
「母はたまたまですけど、二ヶ月前に『コリュボス』のほうに引っ越したんです。気管支が弱くて……。あっちのほうがまだ環境はいいので。母にまでは影響は及ばないと思います」
「そう……。良かった……」
 ヨクは結婚していないから家族はいない。たぶん彼も居住をビル内に移動させているだろう。広報を担当しているスタンリーやそのほか何人かの重役たちも同じかもしれない。
「みんなに…… 負担をかけてしまったな。スタンリーも大変だろう」
「カインさん」
 ティは言った。その顔に再びいたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。
「スタンリーが双子だってご存知ないんですか?」
「え?」
 カインが目を丸くすると、ティはくすくす笑った。
「双子なんです。ラン・スタンリーとエン・スタンリー。見た目もそっくり。あのふたりの区別をつけるのはとっても難しいんですよ」
 双子……。カインはスタンリーの生真面目そうな顔を思い出した。ああいう顔がそっくりそのままもうひとつ存在するというのか。
「スタンリーは社外対応の中でもクレームやトラブルの大変な部分を担っているんです。大変だから交互に対応するんです。でも、いつどっちになっているのかは分かりません。直の上司くらいしか知らないんじゃないかしら。だから心配ご無用。たぶんきっちり交互に週休をとっていると思います」
「はー……」
 カインは声をあげて息を漏らした。
「会社の中でも知らないことが多いんだな……。ぼくはてっきりスタンリーはひとりだと思った」
「会ったことはあります?」
 ティは書類をとりあげた。
「うん……。もうだいぶん前だけど……。双子だなんて聞いていなかった」
「ランとエンのどちらだったのかしらね。あの人たち、たとえ社長の呼び出しでも休みの日は出て来ないわ。そういうところ、すごくきっちりしてます。誰も触れない自分だけのスイッチを持ってるみたい。そのスイッチが切り替わらないと片方は動かない。でも、彼らへの信頼は絶大です」
「そうだろうね……」
 カインはぼんやりと宙を見つめた。
 あのエレベーターホールで会ったケイナも、ケイナの双子の片割れだとしたら……?
(まさかね)
 カインは苦笑した。ばかばかしい……。
 『トイ・チャイルド』の資料は全て目を通した。最後の子供はケイナとセレスだけだったはずだ。
「きみも双子だなんて言わないでくれよ」
 カインが言うと、ティは笑った。
「わたしは一人っ子です」
 そして書類を片手に踵を返しかけて、ふと足をとめた。
「カインさん……」
 再び書類に目を落としかけていたカインは顔をあげた。
「スタンリーの奥さんって、双子なんですって」
 彼女の言葉にカインは怪訝そうな顔をした。ティは一瞬目を落としたあとカインの顔を見た。
「それぞれ姉妹の双子の奥さんと結婚したんですって。双子って好きになるタイプも似てるみたい」
「ふうん?」
 カインは彼女が何を言わんとしているか理解しかねていた。
「彼は運よく双子の姉妹と出会ったかもしれないけど、そんなラッキーなことってそうそうあるわけじゃないと思うんです」
「うん…… まあ、そうだね……。それがどうかしたの?」
「いえ……」
 ティは幽かに笑った。
「それだけです」
 カインは部屋を出て行く彼女の後ろ姿を不思議そうに見送った。