興奮したうえにまとわりついてなかなか眠ってくれなかった双子が寝入ったあと、アシュアはテントを抜け出した。リアは子供たちと一緒に眠ってしまっている。
夢見のテントに行く前にアシュアは長老のエリドのテントに寄った。
中に入るとエリドは椅子に腰掛けてぼんやりと宙を見つめていた。
彼はもう70歳くらいになるだろうか。年はとったが浅黒く日に焼けた肌に精悍な顔つきは年齢よりもかなり若く見える。いつも凛としている彼がぼんやりと宙を見る姿はめずらしかった。
エリドはアシュアの姿を見て笑みを見せた。
「子供たちは寝たか」
「ええ」
「ブランはどんどん夢見に近づいているな」
エリドはアシュアに椅子をすすめてつぶやくように言った。
「そうなんですか?」
アシュアは座りながら彼の顔を見た。
「おれには全然わからないんだけど……」
「あの子はトリのように暗闇を見ないからな。トリは人の暗闇をどんどん吸い取って自分で自分を追い詰めていた。ブランはそういう自分に負担のかかることを最初から取り入れない本能がある」
「はあ……」
アシュアは返す言葉が見つからず、手持ち無沙汰に頭を掻いた。エリドはそれを見て笑った。
「アシュア、きみの遺伝子を引き継いでいるからだよ」
「はあ……」
アシュアはやはり同じ言葉しか返せなかった。
「歯車は噛み合う相手を見つけると勝手に回りだすからな……」
エリドは再び宙に目をやってつぶやいた。
彼は何を見ているんだろう。
彼の視線の先を追って、アシュアは再びエリドに視線を戻した。
「ケイナはここには帰らないな……」
そうつぶやくエリドにアシュアは目を細めた。
「帰らない?」
「ああ。帰らない」
エリドは視線をアシュアに向けた。
「帰れないだろう」
アシュアは困ったように彼の顔を見た。
「それって…… その…… 犯人を捕まえるとかそういうことを考えているってことですか?」
「捕まえるんじゃないよ」
エリドは言った。
「彼は大きな歯車だからな」
大きな歯車……。アシュアはため息をついた。長く『ノマド』にいるが、彼らの話はいつまでたってもすんなり頭に入ってこない。
「あの……」
アシュアは穏やかなままのエリドの顔を見つめて言った。
「夢見たちが『カインが泣いている』って言ったそうなんだけど…… おれ、どういうことか分からなくて……」
アシュアは頭を掻いた。
「今から夢見たちのところに行こうかと思ってたんですが……」
エリドはそれを聞いて笑った。
「アシュア、きみはいつも人のことばかりだな。自分のことは気にならないのか」
「いや、そりゃ、気になるといえば気になるけど、聞いたからって自分のことはどうしようもないというか……」
「人のことはお前がなんとかできるとでもいうのか?」
「長老、なんだか言葉が意地悪いです」
アシュアは恨めしそうにエリドを見た。エリドはさらに声をたてて笑った。
「心配するな。彼は辛い思いをするだろうが、乗り越えるのはひとりで、というわけではないよ」
エリドの目が穏やかにアシュアを見つめる。
「きみがリアや双子というかけがえのないものを得たように、彼の周りにもかけがえのない人たちがいるだろう。その人たちはきっと彼を支えてくれる。きみが支えられているようにね」
ヨクやティのことだろうか……。カインは彼らの顔を思い浮かべた。
「アシュア」
エリドはさらに言った。
「夢見とはいえ、今の時間を生きている人間だ。未来を生きているわけではない。今の時間で見えるものから判断をして言葉を発しているに過ぎない。だから必ずしもそれが当たるというわけではないんだ。予見は予言ではないんだよ」
「その言葉……」
アシュアはつぶやいた。
「トリも言っていたような気がする……」
エリドはうなずいた。
「トリは夢見の中でもかなり高い能力の持ち主だった。それでも彼は全部を見ることができていたわけではない。彼の悲劇は見えてしまった負の未来を自分の中に吸い取って正にしようとしたところにある。そのおかげできみは命が助かったかもしれないが、人の未来なんて、いくらでも変わってしまう。どんなに予見ができたところでそれは絶対ではない」
アシュアは目を伏せた。それを言ったら結局夢見の言葉は意味を成さないということになってしまう。
再び宙に視線を向けるエリドに、アシュアはその視線を追った。
「何を見ているんですか?」
「ああ」
エリドは笑った。
「きみの守りをしたいらしい。トリも懲りないな」
「は?」
アシュアは怪訝な顔をした。
「トリが来ているんだよ」
「え!」
アシュアは思わず立ち上がった。エリドが見ている先が自分の頭上あたりだったからだ。
「……おれ、そういうの苦手で……」
エリドはそれを聞いて可笑しそうに笑った。
「アシュア、幽霊じゃない、トリが残した思念だ。夢見は時々死んでも心だけ残していくことがある。分かりやすく言えばエネルギーの残像みたいなものかな。そのうち消えてしまう。トリはきみを守ることで最期を迎えたからね。その意識がまだ残っているんだよ」
「はあ……」
アシュアは気持ち悪そうに自分の頭上をみあげた。もちろん何も見えない。
「アシュア。トリもわたしたちもやってはいけないことをした。予見のできる夢見には侵してならない領域がある。それは人の生死に関わることだ」
エリドは宙に向けていた目を閉じた。
「命の操作はしてはならない。わたしたちはそのことを身をもって知っている。それなのにそれを破った。この報いは必ず来るだろう」
エリドは目を開けるとアシュアに顔を向けた。
「報いは甘んじて受け入れるしかないだろう。それまではわたしたちは全力できみやきみの友人たちを守ろう」
彼はアシュアの目を覗きこむようにして言った。
「大丈夫。長い旅になるかもしれないが、必ず目指すところに行ける。そう信じるんだ」
アシュアは口を引き結んでうなずいた。
テントに戻るとリアが大きな欠伸をして起き上がっていた。
アシュアの顔を見て口に手を当てると照れくさそうに笑った。
「夢見に会った?」
アシュアはかぶりを振った。
「行こうと思ってたんだけど、エリドのテントで話をしてきちゃったから……」
「長老の?」
リアはそばに横になっているブランの肩に毛布をかぶせるとベッドから降りた。
「なんだか全然納得できていないような顔ね」
仏頂面で椅子にどっかりと腰をおろすアシュアを見てリアは苦笑した。
「『ノマド』の言葉っていうのかなあ…… おれ、やっぱし、よくわかんねぇんだよな。抽象的で」
「あたしだって分からないわよ」
リアは再び小さく欠伸をするとテーブルの上のポットをとりあげた。
「夢見たちや長老の見てるものって、自分とは違うんじゃないかってよく思う。あの人たちはあたしなんかが見えないものを見てるんだわ。見えないものを説明するのって難しいわよ」
アシュアは頭上にいるかもしれないトリの姿を想像して肩をすくめた。
トリと同じ血をひいているとしても、リアにはエリドのように兄の姿を見ることはできないのだろう。
「次に戻ってくるのはいつになるかしらね」
リアは寂しそうにつぶやいた。
「あたしも一緒に行ければいいんだけど……」
「たぶん、カインはそれを望まないよ。おれがガードするのだって、ヨクに説き伏せられてやっと納得するって感じだろう」
リアは持ち上げたポットを再びテーブルに戻すと、アシュアに近づいて彼の肩に腕を回した。
「アシュア、連絡してよね。毎日でなくてもいいからさ」
アシュアはそれを聞いて笑った。
「当たり前だろ」
「カインが望まないんだったらわたしは行かないけれど、でも必要な時は遠慮しないで欲しいの。そう伝えて。ひとりで抱え込まないでって」
「うん……」
アシュアはリアを抱きしめて彼女の花の香りのする髪に顔を埋めた。
エリドの言うように長い旅になるかもしれない。何がこれから起こるのかわからないけれど、でもきっとこれが最後だろう。
何となくそんなことを考えた。
夢見のテントに行く前にアシュアは長老のエリドのテントに寄った。
中に入るとエリドは椅子に腰掛けてぼんやりと宙を見つめていた。
彼はもう70歳くらいになるだろうか。年はとったが浅黒く日に焼けた肌に精悍な顔つきは年齢よりもかなり若く見える。いつも凛としている彼がぼんやりと宙を見る姿はめずらしかった。
エリドはアシュアの姿を見て笑みを見せた。
「子供たちは寝たか」
「ええ」
「ブランはどんどん夢見に近づいているな」
エリドはアシュアに椅子をすすめてつぶやくように言った。
「そうなんですか?」
アシュアは座りながら彼の顔を見た。
「おれには全然わからないんだけど……」
「あの子はトリのように暗闇を見ないからな。トリは人の暗闇をどんどん吸い取って自分で自分を追い詰めていた。ブランはそういう自分に負担のかかることを最初から取り入れない本能がある」
「はあ……」
アシュアは返す言葉が見つからず、手持ち無沙汰に頭を掻いた。エリドはそれを見て笑った。
「アシュア、きみの遺伝子を引き継いでいるからだよ」
「はあ……」
アシュアはやはり同じ言葉しか返せなかった。
「歯車は噛み合う相手を見つけると勝手に回りだすからな……」
エリドは再び宙に目をやってつぶやいた。
彼は何を見ているんだろう。
彼の視線の先を追って、アシュアは再びエリドに視線を戻した。
「ケイナはここには帰らないな……」
そうつぶやくエリドにアシュアは目を細めた。
「帰らない?」
「ああ。帰らない」
エリドは視線をアシュアに向けた。
「帰れないだろう」
アシュアは困ったように彼の顔を見た。
「それって…… その…… 犯人を捕まえるとかそういうことを考えているってことですか?」
「捕まえるんじゃないよ」
エリドは言った。
「彼は大きな歯車だからな」
大きな歯車……。アシュアはため息をついた。長く『ノマド』にいるが、彼らの話はいつまでたってもすんなり頭に入ってこない。
「あの……」
アシュアは穏やかなままのエリドの顔を見つめて言った。
「夢見たちが『カインが泣いている』って言ったそうなんだけど…… おれ、どういうことか分からなくて……」
アシュアは頭を掻いた。
「今から夢見たちのところに行こうかと思ってたんですが……」
エリドはそれを聞いて笑った。
「アシュア、きみはいつも人のことばかりだな。自分のことは気にならないのか」
「いや、そりゃ、気になるといえば気になるけど、聞いたからって自分のことはどうしようもないというか……」
「人のことはお前がなんとかできるとでもいうのか?」
「長老、なんだか言葉が意地悪いです」
アシュアは恨めしそうにエリドを見た。エリドはさらに声をたてて笑った。
「心配するな。彼は辛い思いをするだろうが、乗り越えるのはひとりで、というわけではないよ」
エリドの目が穏やかにアシュアを見つめる。
「きみがリアや双子というかけがえのないものを得たように、彼の周りにもかけがえのない人たちがいるだろう。その人たちはきっと彼を支えてくれる。きみが支えられているようにね」
ヨクやティのことだろうか……。カインは彼らの顔を思い浮かべた。
「アシュア」
エリドはさらに言った。
「夢見とはいえ、今の時間を生きている人間だ。未来を生きているわけではない。今の時間で見えるものから判断をして言葉を発しているに過ぎない。だから必ずしもそれが当たるというわけではないんだ。予見は予言ではないんだよ」
「その言葉……」
アシュアはつぶやいた。
「トリも言っていたような気がする……」
エリドはうなずいた。
「トリは夢見の中でもかなり高い能力の持ち主だった。それでも彼は全部を見ることができていたわけではない。彼の悲劇は見えてしまった負の未来を自分の中に吸い取って正にしようとしたところにある。そのおかげできみは命が助かったかもしれないが、人の未来なんて、いくらでも変わってしまう。どんなに予見ができたところでそれは絶対ではない」
アシュアは目を伏せた。それを言ったら結局夢見の言葉は意味を成さないということになってしまう。
再び宙に視線を向けるエリドに、アシュアはその視線を追った。
「何を見ているんですか?」
「ああ」
エリドは笑った。
「きみの守りをしたいらしい。トリも懲りないな」
「は?」
アシュアは怪訝な顔をした。
「トリが来ているんだよ」
「え!」
アシュアは思わず立ち上がった。エリドが見ている先が自分の頭上あたりだったからだ。
「……おれ、そういうの苦手で……」
エリドはそれを聞いて可笑しそうに笑った。
「アシュア、幽霊じゃない、トリが残した思念だ。夢見は時々死んでも心だけ残していくことがある。分かりやすく言えばエネルギーの残像みたいなものかな。そのうち消えてしまう。トリはきみを守ることで最期を迎えたからね。その意識がまだ残っているんだよ」
「はあ……」
アシュアは気持ち悪そうに自分の頭上をみあげた。もちろん何も見えない。
「アシュア。トリもわたしたちもやってはいけないことをした。予見のできる夢見には侵してならない領域がある。それは人の生死に関わることだ」
エリドは宙に向けていた目を閉じた。
「命の操作はしてはならない。わたしたちはそのことを身をもって知っている。それなのにそれを破った。この報いは必ず来るだろう」
エリドは目を開けるとアシュアに顔を向けた。
「報いは甘んじて受け入れるしかないだろう。それまではわたしたちは全力できみやきみの友人たちを守ろう」
彼はアシュアの目を覗きこむようにして言った。
「大丈夫。長い旅になるかもしれないが、必ず目指すところに行ける。そう信じるんだ」
アシュアは口を引き結んでうなずいた。
テントに戻るとリアが大きな欠伸をして起き上がっていた。
アシュアの顔を見て口に手を当てると照れくさそうに笑った。
「夢見に会った?」
アシュアはかぶりを振った。
「行こうと思ってたんだけど、エリドのテントで話をしてきちゃったから……」
「長老の?」
リアはそばに横になっているブランの肩に毛布をかぶせるとベッドから降りた。
「なんだか全然納得できていないような顔ね」
仏頂面で椅子にどっかりと腰をおろすアシュアを見てリアは苦笑した。
「『ノマド』の言葉っていうのかなあ…… おれ、やっぱし、よくわかんねぇんだよな。抽象的で」
「あたしだって分からないわよ」
リアは再び小さく欠伸をするとテーブルの上のポットをとりあげた。
「夢見たちや長老の見てるものって、自分とは違うんじゃないかってよく思う。あの人たちはあたしなんかが見えないものを見てるんだわ。見えないものを説明するのって難しいわよ」
アシュアは頭上にいるかもしれないトリの姿を想像して肩をすくめた。
トリと同じ血をひいているとしても、リアにはエリドのように兄の姿を見ることはできないのだろう。
「次に戻ってくるのはいつになるかしらね」
リアは寂しそうにつぶやいた。
「あたしも一緒に行ければいいんだけど……」
「たぶん、カインはそれを望まないよ。おれがガードするのだって、ヨクに説き伏せられてやっと納得するって感じだろう」
リアは持ち上げたポットを再びテーブルに戻すと、アシュアに近づいて彼の肩に腕を回した。
「アシュア、連絡してよね。毎日でなくてもいいからさ」
アシュアはそれを聞いて笑った。
「当たり前だろ」
「カインが望まないんだったらわたしは行かないけれど、でも必要な時は遠慮しないで欲しいの。そう伝えて。ひとりで抱え込まないでって」
「うん……」
アシュアはリアを抱きしめて彼女の花の香りのする髪に顔を埋めた。
エリドの言うように長い旅になるかもしれない。何がこれから起こるのかわからないけれど、でもきっとこれが最後だろう。
何となくそんなことを考えた。