カインはその後丸二日間、夢うつつの状態で過ごした。
『ホライズン』からの派遣医師が何度も訪れて点滴を投与していった。その中に精神安定剤でも入っていたのかもしれない。
あまり薬の効かない体質のカインだったが、それでも眠りとおしたということは、やはり体に相当ダメージがあったのだろう。
目が覚めたとき、どこかでアシュアが来たような記憶があった。
「……からな」
彼が自分を覗き込んでそう言ったように思うが、具体的に何を言ったのかは分からなかった。
ヨクの気配とティの気配も記憶があった。ふたりともそろって自分の顔を覗き込んではため息をついて去っていったように思う。
ようやく目覚めて自分の周囲を見回してみたが、点滴はされていなかったのでカインは身を起こした。
くたくたに疲れ果てた状態からは脱したようだが頭がまだしゃんとしない。
シャワーを浴びようとベッドから降りると一瞬ふらりと体がかしいだ。
あちこちにつかまりながらバスルームに向かい、熱い湯を浴びるとだいぶんすっきりしたような気がした。
洗いたての大きなタオルを肩にかけて濡れた髪をこすりながらソファに座って壁のモニターを開いた。
やはり外は大騒ぎのようだ。ヨクが担当に任命したスタンリーが画面に映し出されている。彼はヨクとそう年が変わらないだろう。もみくちゃにされながら差し出されるマイクに向かって話すことはすべてヨクが中心になって考えたシナリオ通りの言葉だろうが、彼の真面目そうな細面の表情で喋られると嘘も本当のことのように聞こえてしまうから不思議だ。
一段落ついたらスタンリーには休暇をとってもらおう……。
そんなことを考えていると来客を知らせる音が聞こえた。ロックが自動で外れたのでたぶんヨクかティだろう。
予想通り、歩幅の広い聞きなれた足音が聞こえた。
「目が覚めたのか」
ヨクは入ってくるなり不機嫌そうにそう言ってカインの隣にどっかりと腰をおろし、壁のモニターに目を向けた。
「まあ、あと一週間…… いや、二週間ってとこかな、この大騒ぎも」
ヨクのつぶやきを聞きながらカインはミネラルウォーターを取りに立ち上がった。戻ってきてヨクの分も差し出すと、彼はいらない、というようにかぶりを振った。
「ユージーの様子はどうですか」
「良いとは言えないな……」
カインの問いにヨクは画面を見つめたまま答えた。無精ひげがうっすらと顎に生えている。彼はその顎を神経質そうに指でさすっていた。
「左のこめかみあたりをかすって、左顎削って右足を抜けた。手術が長かったらしい」
カインはヨクの隣に腰掛けると無言でミネラルウォーターを口に運んだ。
「もともと体力のある男だから目が覚めさえすりゃあ復帰の可能性もあるだろうが、視神経を損傷していて、左目は失うかもしれんそうだ」
行き場のない、表現のしようのない気持ちが沸き起こる。
ユージー・カートという有能な人間の一生が一瞬のうちに変化してしまった。
カインは口を引き結ぶと手に持ったミネラルウォーターのボトルを見つめた。
「コーヒーを飲ませてもらってもいいか?」
いきなり立ち上がってそう尋ねる彼に、カインは目を向けずにうなずいた。
しばらくしてコーヒーの入ったカップをふたつ手にして戻ってきたヨクは、再びソファに座りながら口を開いた。
「アシュアは『ノマド』に帰らせた。彼にはきみの護衛をしてもらう。そういうのを伝えてきてもらおうと思って。家族がいることだし」
「アシュアに護衛を?」
「ほかの人間はだめだ」
目を細めるカインにちらりと一瞥をくれるとヨクはぴしゃりと言った。
「アシュアにはこの部屋の向かいにいてもらうことにするよ。ボディガードくらいいくらでもいるが、きみには彼のほうがいい」
アシュアとは付き合いが長い。見知らぬ他人にびったりと貼りつかれるよりはいいかもしれないが、アシュアを危険な目に合わせたくないという願いは叶わないことになる。
しかし、ケイナのような動きをする者が相手だと状況がよく分かっているアシュアしか頼れる人間はいないかもしれない。
「もう少ししたら、ティが三日分の報告書を持ってくる。それだけざっと目を通しておいてくれ」
目を合わさずに言うヨクにカインは無言でうなずいた。
彼がざりざりと顎をさする音が小さく聞こえる。髭を剃るヒマもないほど、彼も多忙な時間を過ごしていたのだろう。
「アシュアは4日後の夜にこっちに来る。『アライド』にも寄るように言っておいた」
「『アライド』に?」
カインはヨクに目を向けた。ヨクはコーヒーを一口すすってうなずいた。
「彼もケイナ・カートのことを気にしていたからな。きみは動けないから彼が行くしかないだろう。おれが行くわけにもいかんし」
カインはミネラルウォーターの瓶をテーブルに置くと、タオルで再び髪をこすった。身動きのならない自分が歯がゆい。
来客を知らせる音が鳴った。
「ティだ。何か着たほうがいいんじゃないか?」
ヨクが上半身裸のままのカインをちらりと見て言ったので、カインは立ち上がった。
カインが白いシャツをはおりながら寝室から出てくると、ティが腕いっぱいにかかえた書類をカインのデスクの上に置いているところだった。部屋のデスクはオフィスのデスクほど広くはない。書類の束を置くとコーヒーカップすらも置くゆとりがなくなった。
「ごめんなさい、こんなにたくさんお持ちして……。すぐにというわけではありませんので、調子を見ながら目を通してください」
カインの姿に気がついて、ティは申し訳なさそうに言った。そしてそばに近づいてきた。
「良かった。顔色が元に戻ったみたいですね。何か食べました?」
「いや……」
カインはティの横をすりぬけてデスクに歩み寄り、書類の山の上をぱらぱらとめくった。
「ノース・ドーム82の水浄化システム不良の原因は解明されましたか」
ヨクをちらりと振り向くと、彼が肩をすくめるのが見えた。
「ああ。たいしたことじゃなかった。人造湖の西にある砂漠の砂が流れ込んだみたいだ。システムの不良じゃなくて、フィルターの状態が悪かっただけのようだ」
「そうですか……」
そのままデスクについて仕事を始めてしまいそうなカインにティが慌てて駆け寄った。
「今すぐしなくてもいいんです。数日かけて見ていただければ……」
「明日になったらこの半分くらいがまた増えるんじゃないの?」
椅子に腰掛けて彼女を見上げて言うと、ティは困ったように眉をひそめた。
「だからもう少し待ちましょうって言ったのに」
彼女はそうつぶやいてヨクを振り返って睨んだ。
「いいんだよ。やることは山ほどあるって思っていたほうが気が紛れるし、しゃきっとするだろ」
ヨクはコーヒーをすすって答えた。
「何か食べたほうがいいです。用意してきますから」
ティはそう言うとカインの返事を待たずにさっさと部屋を出ていってしまった。
カインはそれを見送ると少し息を吐いて額に垂れかかった髪をかきあげ、早速最初の束を自分の前に置いた。
「明日の午前中にはオフィスのコンピューターのデータをこっちに全部転送するからな。デスクも適当なものをひとつ持ってくるよ」
ヨクは無感情を装って言っているが、彼自身は不本意なのだろう。そうでなければ視線をモニターに向けたままいつまでも指で顎をさすっていたりなどしない。堂々とこちらを見てそう言ってのけるはずだ。
「ヨク」
カインは言った。
「戦闘開始」
しばらくしてヨクがコーヒーカップをテーブルに置いて部屋を出て行く気配がした。
『ホライズン』からの派遣医師が何度も訪れて点滴を投与していった。その中に精神安定剤でも入っていたのかもしれない。
あまり薬の効かない体質のカインだったが、それでも眠りとおしたということは、やはり体に相当ダメージがあったのだろう。
目が覚めたとき、どこかでアシュアが来たような記憶があった。
「……からな」
彼が自分を覗き込んでそう言ったように思うが、具体的に何を言ったのかは分からなかった。
ヨクの気配とティの気配も記憶があった。ふたりともそろって自分の顔を覗き込んではため息をついて去っていったように思う。
ようやく目覚めて自分の周囲を見回してみたが、点滴はされていなかったのでカインは身を起こした。
くたくたに疲れ果てた状態からは脱したようだが頭がまだしゃんとしない。
シャワーを浴びようとベッドから降りると一瞬ふらりと体がかしいだ。
あちこちにつかまりながらバスルームに向かい、熱い湯を浴びるとだいぶんすっきりしたような気がした。
洗いたての大きなタオルを肩にかけて濡れた髪をこすりながらソファに座って壁のモニターを開いた。
やはり外は大騒ぎのようだ。ヨクが担当に任命したスタンリーが画面に映し出されている。彼はヨクとそう年が変わらないだろう。もみくちゃにされながら差し出されるマイクに向かって話すことはすべてヨクが中心になって考えたシナリオ通りの言葉だろうが、彼の真面目そうな細面の表情で喋られると嘘も本当のことのように聞こえてしまうから不思議だ。
一段落ついたらスタンリーには休暇をとってもらおう……。
そんなことを考えていると来客を知らせる音が聞こえた。ロックが自動で外れたのでたぶんヨクかティだろう。
予想通り、歩幅の広い聞きなれた足音が聞こえた。
「目が覚めたのか」
ヨクは入ってくるなり不機嫌そうにそう言ってカインの隣にどっかりと腰をおろし、壁のモニターに目を向けた。
「まあ、あと一週間…… いや、二週間ってとこかな、この大騒ぎも」
ヨクのつぶやきを聞きながらカインはミネラルウォーターを取りに立ち上がった。戻ってきてヨクの分も差し出すと、彼はいらない、というようにかぶりを振った。
「ユージーの様子はどうですか」
「良いとは言えないな……」
カインの問いにヨクは画面を見つめたまま答えた。無精ひげがうっすらと顎に生えている。彼はその顎を神経質そうに指でさすっていた。
「左のこめかみあたりをかすって、左顎削って右足を抜けた。手術が長かったらしい」
カインはヨクの隣に腰掛けると無言でミネラルウォーターを口に運んだ。
「もともと体力のある男だから目が覚めさえすりゃあ復帰の可能性もあるだろうが、視神経を損傷していて、左目は失うかもしれんそうだ」
行き場のない、表現のしようのない気持ちが沸き起こる。
ユージー・カートという有能な人間の一生が一瞬のうちに変化してしまった。
カインは口を引き結ぶと手に持ったミネラルウォーターのボトルを見つめた。
「コーヒーを飲ませてもらってもいいか?」
いきなり立ち上がってそう尋ねる彼に、カインは目を向けずにうなずいた。
しばらくしてコーヒーの入ったカップをふたつ手にして戻ってきたヨクは、再びソファに座りながら口を開いた。
「アシュアは『ノマド』に帰らせた。彼にはきみの護衛をしてもらう。そういうのを伝えてきてもらおうと思って。家族がいることだし」
「アシュアに護衛を?」
「ほかの人間はだめだ」
目を細めるカインにちらりと一瞥をくれるとヨクはぴしゃりと言った。
「アシュアにはこの部屋の向かいにいてもらうことにするよ。ボディガードくらいいくらでもいるが、きみには彼のほうがいい」
アシュアとは付き合いが長い。見知らぬ他人にびったりと貼りつかれるよりはいいかもしれないが、アシュアを危険な目に合わせたくないという願いは叶わないことになる。
しかし、ケイナのような動きをする者が相手だと状況がよく分かっているアシュアしか頼れる人間はいないかもしれない。
「もう少ししたら、ティが三日分の報告書を持ってくる。それだけざっと目を通しておいてくれ」
目を合わさずに言うヨクにカインは無言でうなずいた。
彼がざりざりと顎をさする音が小さく聞こえる。髭を剃るヒマもないほど、彼も多忙な時間を過ごしていたのだろう。
「アシュアは4日後の夜にこっちに来る。『アライド』にも寄るように言っておいた」
「『アライド』に?」
カインはヨクに目を向けた。ヨクはコーヒーを一口すすってうなずいた。
「彼もケイナ・カートのことを気にしていたからな。きみは動けないから彼が行くしかないだろう。おれが行くわけにもいかんし」
カインはミネラルウォーターの瓶をテーブルに置くと、タオルで再び髪をこすった。身動きのならない自分が歯がゆい。
来客を知らせる音が鳴った。
「ティだ。何か着たほうがいいんじゃないか?」
ヨクが上半身裸のままのカインをちらりと見て言ったので、カインは立ち上がった。
カインが白いシャツをはおりながら寝室から出てくると、ティが腕いっぱいにかかえた書類をカインのデスクの上に置いているところだった。部屋のデスクはオフィスのデスクほど広くはない。書類の束を置くとコーヒーカップすらも置くゆとりがなくなった。
「ごめんなさい、こんなにたくさんお持ちして……。すぐにというわけではありませんので、調子を見ながら目を通してください」
カインの姿に気がついて、ティは申し訳なさそうに言った。そしてそばに近づいてきた。
「良かった。顔色が元に戻ったみたいですね。何か食べました?」
「いや……」
カインはティの横をすりぬけてデスクに歩み寄り、書類の山の上をぱらぱらとめくった。
「ノース・ドーム82の水浄化システム不良の原因は解明されましたか」
ヨクをちらりと振り向くと、彼が肩をすくめるのが見えた。
「ああ。たいしたことじゃなかった。人造湖の西にある砂漠の砂が流れ込んだみたいだ。システムの不良じゃなくて、フィルターの状態が悪かっただけのようだ」
「そうですか……」
そのままデスクについて仕事を始めてしまいそうなカインにティが慌てて駆け寄った。
「今すぐしなくてもいいんです。数日かけて見ていただければ……」
「明日になったらこの半分くらいがまた増えるんじゃないの?」
椅子に腰掛けて彼女を見上げて言うと、ティは困ったように眉をひそめた。
「だからもう少し待ちましょうって言ったのに」
彼女はそうつぶやいてヨクを振り返って睨んだ。
「いいんだよ。やることは山ほどあるって思っていたほうが気が紛れるし、しゃきっとするだろ」
ヨクはコーヒーをすすって答えた。
「何か食べたほうがいいです。用意してきますから」
ティはそう言うとカインの返事を待たずにさっさと部屋を出ていってしまった。
カインはそれを見送ると少し息を吐いて額に垂れかかった髪をかきあげ、早速最初の束を自分の前に置いた。
「明日の午前中にはオフィスのコンピューターのデータをこっちに全部転送するからな。デスクも適当なものをひとつ持ってくるよ」
ヨクは無感情を装って言っているが、彼自身は不本意なのだろう。そうでなければ視線をモニターに向けたままいつまでも指で顎をさすっていたりなどしない。堂々とこちらを見てそう言ってのけるはずだ。
「ヨク」
カインは言った。
「戦闘開始」
しばらくしてヨクがコーヒーカップをテーブルに置いて部屋を出て行く気配がした。