「あくまで聖女ですので、以後お見知り置きを」 妹への復讐のために自殺して怨霊になりたかっただけなのに、なぜか二度目の人生では聖女として修行させられています

 アンジェリカは、侍女たちを守るために、ティーポットを手に取り、アリエルのカップに注ぐ。
 トクトクと、琥珀色の液体がティーカップに流れていく音が、妙に耳障りだった。

「ありがとう、お姉様。大好きよ」

 感情がないありがとうを、アンジェリカは何度も聞かされたからだろう。
 ただの騒音にしか、アンジェリカには聞こえなかった。

「さ、お姉様もどうぞ」

 そう言いながら、アリエルは手を膝の上に置いたまま。

(自分は、私のために手を動かす気はないってわけね……)

「アンジェリカ様、私がやります」
「ありがとう」

 アンジェリカについてくれている侍女が、急いで私のティーカップに注いでくれた。
 田舎から出てきて、家族を養うために働いていると教えてくれたその侍女は、この城にいる誰よりも純粋で、気立てが良い娘で、私のお気に入りだった。
 名前は、コレットと言う。
 1度聖堂に入り、聖女見習いになったが、聖女の生活が合わなかったために還俗したと、コレット本人から聞いたことがあった。
 アンジェリカがコレットについて知っているのはこの事だけだが、コレットがニコニコと私の側で笑ってくれるのを見ていることが、アンジェリカは好きだった。
 コレットは、アンジェリカにとってたった1人の安らぎをくれる存在だった。
 さらに、彼女が淹れる紅茶も、アンジェリカは好きだった。
 温度や香り、舌触りが完璧な紅茶を毎回出してくれるから。何故そんなことができるのかの理由は、知らなかった。

 アンジェリカのティーカップにお茶がタプタプと入ったと同時に

「さあ、いただきましょう」

 と、アリエルがティーカップに口をつけた時が、まさに悪夢の始まり。
 まず、陶器が割れる音がした。
 それから、アリエルが「あっ……」と目を大きく開けて苦しみ出した。
 何事か、と私を含めた全員が戸惑っている間に、アリエルはテーブルに突っ伏した。
 チョコレートケーキが無惨にもアリエルの手によってぐにゃりと潰されたタイミングで、誰かが叫んだ。

「毒だ!!アリエル様が、毒を盛られたんだ!!!」

 それからすぐ、侍医がやってきてアリエルは自室に運ばれた。
 同時に2名、アリエル暗殺未遂の罪で捕らえられた。
 1人は、このお茶を用意した侍女コレット。
 そしてもう1人は……アンジェリカ。

 ソレイユ国第1王子の寵姫の毒殺未遂に加わり、将来の王位継承者の殺害の罪が加わったのは、それからたった1日後のこと。
 毒殺未遂だけであれば、まだ裁判が開かれる猶予はあった。
 だが問題は、将来の王位継承者を殺した事の方だった。
 王家の殺害は、例えこの世にまだ誕生していなかったとしても死刑になると、ソレイユ国法典には書かれていた。
 方法は、絞首。街中に作られた絞首台まで、ほぼ裸同然の格好で連れて行かれるのだ。
 そして、弁明の機会すら与えられず、国王の合図で紐がかけられ、あっという間に命を刈り取られる。
 それが、王族を殺した者が迎えなくてはいけない強制的な最期。例外は、1つもなかった。
 例えそれが、身に覚えのない罪だったとしても。そして、王族に嫁いだ人間だったとしても、だ。
 アンジェリカとコレットは、アリエルが毒で倒れたその日に死刑を言い渡された。
 アンジェリカのことを実の娘だと言ってくれた国王によって。

「私は知りません!」

 喉が切り裂かれるような大きな声で、アンジェリカは叫んだ。
 また唯一、アンジェリカの母も

「この子がそんなことをするはずありません」

 とアンジェリカを庇ってくれた。
 だが、そのせいで母も共謀罪として死刑が言い渡されてしまった。物的証拠は何も出ていないと言うのに。
 せめて実の父の公爵さえアンジェリカを庇ってくれれば救いもあっただろう。
 だが、公爵はアンジェリカと自分の正妻でもあるアンジェリカの母を、とかげのしっぽのように簡単に切り落とした。

「こんな汚物、フィロサフィール家ではありません。牛に食わせようが海に流そうが、お好きに処分してください」

 こんな馬鹿な話があるだろうか。

「1週間後、この者たちを死刑にする」

 国王の冷たい声が響き渡る中で、アンジェリカたちは牢獄へと引きずられていった。

(私……何も知らない……!)

 コレットも「自分ではない、信じて欲しい」と泣き叫んだ。
 コレットがそんな事をするはずがない人間だということは、アンジェリカが誰よりも良くわかっていた。
 それにアンジェリカの母は「何も知らないと訴えた」アンジェリカを信じただけだ。
 それなのに、たった1人……アリエルの、倒れる前に言い放った一言だけで、アンジェリカたち3人の命が明日、奪われることになった。
 処刑という言葉はまさに、その残虐さに正義を乗せるのに都合がいい言葉だと、アンジェリカは思った。
 
「アンジェリカお姉様が、侍女にやらせたの。間違いないわ」

 この言葉を聞いて、アンジェリカはやっと気づくことができた。
 アリエルが何故、アンジェリカをわざわざお茶会に誘ったのか。
 
(やはり、裏があったのね……)

 このお茶会こそが、アンジェリカを徹底的に追い詰めるための手段だったのだ。
 気付いた時には、もう手遅れだったが。
 
 アンジェリカは冷たい牢獄の中で、冷たいパンがドブネズミに齧られるのを見つめた。
 その度に、たくさんの虚しさと悔しさが、涙と共に溢れ出した。
 
(これだけ、私は尽くしてきたのに……それでも、ダメだったの……?)

 公爵にも、ルイにも、そしてこのソレイユ国の国民のためにも。
 でも、こんな状況になっても誰も助けてくれない。
 それどころか、まるでゴミを見るような目でアンジェリカに訴えかけてきた。
 「お前なんか早く消えてしまえ」
 と。
 
(こんな結末のために、私は歯を食いしばって生きてきたわけではなかったのに)

 アンジェリカはただ、この世界に自分が生まれてしまった理由が欲しかった。
 「生きていても良いよ」と、誰かに言って欲しかった。
 だから、自分を押し殺してでも耐えてきたのに。

(なんて、無様なのかしら……)

 思えば、誰かの理想通りに頑張れば、アンジェリカの理想通りの言葉や反応が貰えるなんて、誰も言っていなかった。
 ただ勝手に「そうなるだろう」と、催眠術にかかったようにアンジェリカは信じ込んでいた。
 その結果が、これだ。
 ネズミは、いつの間にか去っていた。好き勝手に齧ったパンだけを残して。
 もうそのパンは、誰かが食べたいと思う程の価値は、消えている。
 アンジェリカは、自分もまた、このパンと同じなのだと悟ってしまった。
 飽きるまで食べた残飯の事など気にしない。
 別の人間が食べようが、無惨に踏み潰されようが。

(もっと早く気づけば、私は……私の人生を取り戻せたのかしら……?)

 何度も、何度も何度も繰り返し考えては、アンジェリカは自分の愚かさを恨めしく思った。
 
 そうして、やってきた命の終わり。
 そこでアンジェリカは、衝撃的な光景を目にした。

「ど、どうして……」

 縄で手を縛られ、処刑人たちに引っ張られるアンジェリカを高みの見物していたのは、国王陛下とルイ、そして横にアリエルがいた。
 とても、元気そうだった。
 1週間前に毒を盛られたはずの人間が、どうして和かに座っていられるのだろうか。
 アンジェリカは、理解が追いつかなかった。
 ただ、雲一つない太陽の光に照らされたはちみつ色の髪が、アンジェリカの目を潰してくるくらい、眩しくて痛かった。
 
「何を見ている!」

 アンジェリカは、処刑人によって頭を殴られて1度地面を見させられた。
 その時、ぽたりと地面にアンジェリカの血の花が咲く。
 どんどん、その花は増えていく。
 まるで、アンジェリカの死地へと案内するかのように……。

(…………私は…………ここで終わってしまうのね)

 この時までは、ただ、悲しさと虚しさと、そこからくる吐き気だけがアンジェリカを支配した。
 けれど、そんな私に最後の大きな感情……怒りを爆発させるきっかけが、訪れた。
 それは、私が絞首台の下につき、すでに死地へと旅立った2人の亡骸を眺めさせられた時。

「ふふふ」

 声がした。
 甘い、砂糖水のような声が。
 アンジェリカは、自分が、呼ばれたような気がした。
 だから、顔を上げたのだ。
 すると、合ってしまった。
 アンジェリカと同じ……けれどもずっと邪悪に輝くブルーサファイアの色の目と。
 その瞬間、それはひどく醜い三日月の形に変わった。
 
(そういうこと…………なの…………)

 アンジェリカは、気づいてしまった。
 全て、アリエルが仕組んだことであることに。
 
(きっと、毒も自分で入れたのだろう。死なない程度に)

 目的はたった1つ。
 アリエルにとって邪魔なアンジェリカを消すため。
 ただ、それだけ。
 コレットと母の犠牲なんて、アリエルにはどうでもいい事。
 ついでに死んでしまった虫、くらいにしか思っていないのだろう。
 アリエルが望んだのは、アンジェリカの死。
 ルイの正妃の肩書きを、アンジェリカが持っている。
 きっと、理由はそれだけ。
 アリエルは、私が持つものを奪うことが大好きだから。
 自分が1番ではないことが、何よりも許せないから。

 アンジェリカが簡単に推測できてしまうくらいに、アリエルの唇は邪悪に動いたのだ。

「お姉様、早く死んで」

 と。
 (私には、それしかなかったのに……それだけにすがるしか、なかったのに……!)


 アリエルが見たいのは、無様にアンジェリカが豚肉のようにぶら下がることだろうと、アンジェリカは思った。
 もしかすると、石をぶつけたり、蹴りを入れる気かもしれない。
 そうして、飽きたら捨てるのだ。
 あの、ネズミが食べ散らかしたパンのように。
 それが、アリエルという、皆が天使と呼ぶ女の正体。
 
(そんな天使の皮を被った悪魔が、私を死の旅路に導こうなんて……許せるはずは、ない……!)

「何をする……!」

 アンジェリカは、自分を捕えている縄を持つ処刑人の股間に蹴りを入れた。
 処刑人は、一瞬怯んだ。
 アンジェリカは、それを見逃さなかった。
 アンジェリカが死ぬのを、今か今かと待っている蛆虫共は騒ぎ立てた。

「大人しく死ね!」
「死んじまえ!」

 そんな声が轟く中、アンジェリカは叫んだ。
 はちみつ色の悪魔に向かって。

「あなたなんかにこれ以上、私の命を自由になんかさせない!!」

 アンジェリカの言葉に、はちみつ色の悪魔は笑った。
 「何ができるの? あなたは死ぬのよ?」
 と言いたげな顔をして。

(生きている間は、他人の意のままに操られた。死ぬ時くらいは、自分の意思で死にたい。生まれる時には、場所も家族も選べないのだから……!)
 この時、アンジェリカはふと、思い出した。
 かつて読んだ本には、こう書いてあったのを。
 自分で死を選んだ人間は、神の国には行けずに怨霊として彷徨い続けると。
 
(素晴らしいじゃない……)

 アンジェリカは、微かに微笑んでから再び叫んだ。
 
「この魂をかけて、あなた達を死ぬまで呪い続けてやるわ!!」

 呪い。
 この言葉で、空気が変わったのがアンジェリカには分かった。
 やめろと、誰かが叫んだ。
 でも、もう誰が叫んだのかなんか、アンジェリカには分からなかった。
 すでにアンジェリカはこの時、自らの歯で舌を噛み切ったのだから。
 でも、痛みは全くなかった。
 生きている時よりずっと、アンジェリカはこの瞬間、確かに幸せだった。
 それは、自分の意思で、自分の人生の最期を決めることができたから。
 
 アンジェリカの視界も思考も、あっという間に黒く染まった。
 アンジェリカが、ほんの少しでも振り向いて欲しいと思った、ルイの髪のような色が、人生の最期に見た色になったことだけは、アンジェリカは納得いかなかった。

 そして次にアンジェリカの意識が戻った時、目の前に見たこともないような美しい扉があった。
 それは、宙に浮いていた。

「扉が、浮いてる……?」

 無意識にアンジェリカは声を出していた。
 そしてまた1つ、アンジェリカは気づいた。
 
(口の中が痛くないし、血の味もしない。舌を思いっきり噛み切ったはずなのに……それどころか、妙に身体が軽いわ)

 処刑場に連れて行かれる直前まで、腐った水を飲まされたり、国民たちに石をぶつけられていたので、アンジェリカの身体は立っていることすらやっとな状態だった。

(どういう事なのかしら……?)

 疑問が、次々と浮かび上がってくる。
 だが、それらを考えようとアンジェリカが顔を上げると、浮いている扉から漏れる光が目に入った。

(温かい……)

 ふかふかの毛布に包まれているかのような、心地よい光が自分を呼んでいる気がすると、アンジェリカは感じた。
 でも、その扉に近づく方法がアンジェリカには分からなかった。

(ジャンプすれば、届くかしら?)

 目算して、2階建てのお屋敷程度の高さだとアンジェリカは考えた。
 羽が生えたように身体が軽いので、今なら飛べるのではないかとアンジェリカは思ったので、右足を蹴ってジャンプしようとした。
 その時だった。声がアンジェリカの真上から降ってきたのは。

「君はあの扉には近づけないよ」

 見上げると、いつの間にか階段の形をした雲がそこにあった。
 そして、降りてくる人影が見えた。

「…………誰?」

 アンジェリカは警戒した。
 階段の形をしていても、雲は雲。
 肉と骨と水分の重さを持つ人間が、その上を歩けるはずはない。
 つまり、声をかけてきたのは人間ではない可能性が高い……ということになるから。

「あなた、人間じゃないわね?」

 再び、アンジェリカは尋ねた。

「どうして、そんなことを聞くのかな?」
「雲の上を歩ける人間なんて、いるはずないもの」

 すると「あはははは」と笑う声が聞こえてきた。

「そうだね、ご名答。僕は人間ではないよ。君は、どうかな?」
「……え?」
「君の足元は、何?」

 そう言われ、アンジェリカはすぐさま自分の足元を確認した。

「きゃっ!!!」

 アンジェリカは、血の気が引きそうな思いをした。
 アンジェリカの足元にも、雲が広がっていたから。
 雲は、小さな水や氷の粒が集まってできているもので、土や石のような個体ではない。

(落ちる……!?)

 咄嗟にアンジェリカはジャンプをしてしまった
 さっきは2階建てのお屋敷の屋根程度の高さまでは跳べるのではないかと思ったが、実際はアンジェリカがバレエのレッスンで跳べる最高の高さまでが限界だった。
 でも不思議なことに、アンジェリカの足が、雲を突き破って下に落ちることはなかった。
 それどころか、普通なら「とんっ」と着地の足音や感覚があるはずなのに、一切それがない。

「ど、どういうこと?」
「君の今の状態が、幽霊だからだよ」

 気がつけば、白いワンピースのようなものとズボンを履いた、白銀の髪を持つ美人がアンジェリカを見下ろしていた。
 少し低いテノールの声でなければ、アンジェリカは確実に女性と間違えていたかもしれない。

「あなた……本当に誰なの……?」
「君たちがルナ教の神って呼んでる存在……って言った方が、通じるかな」
「ルナ教の神? あなたが?」
「そう」

 ルナ教。それはソレイユ国民のほとんどが信じている宗教の名前。
 アンジェリカたちの世界を作った神は月の化身であり、神が送る月の光によってアンジェリカたちの心身は操られていると言われている。
 アンジェリカも、王妃教育の一環で宗教学も学んだ。
 だが、アンジェリカにはその概念がイマイチ理解できず、ただ知識として「そういうものだ」と捉えるので精一杯だった。
 家庭教師に「もう少し具体的に教えて欲しい」と聞いたこともあったが、「そういうものとして考えてください」の一点張りだった。
 それに、神という存在にアンジェリカはどうにも懐疑的だった。
 王族の義務の1つに、街にあるルナ教聖堂での慈善活動があった。
 そこは、今日食べるものがない人々が救済を求めて日々集まっていた。
 アンジェリカは王族を代表して、王室の貯蔵庫に眠っていた穀物で作られたお粥を配った。
 城で調理され、聖堂まで運ばれるまでに冷めたお粥は、1度でも貴族の食事を口にしたことがあったならばとても食べられたものではないだろう。
 まして、調理された穀物は、城では食べきれず袋に入ったまま眠り続けていたもので、とても王族に出せる代物ではないと判断されたものだ。
 その穀物は、ソレイユ国で農業を営む人たちによって税として納められているもの。貯蔵庫にどれだけ余っていたとしても、納める仕組みを変えることはなかった。
 
 お粥の配布時、アンジェリカは聖堂院長と名乗る老人からこう説明された。
 人数が多いからと、スプーン5口分程しか木で作られたスープ用の皿にお粥を入れないでください、と。
 目の前には、明らかに顔色が青く、痩せ細った人々が手を震わせながらスープ皿を私に差し出している。
 後は、無我夢中だった。
 言われた通り、スプーン5口分を溢さないようにお皿に入れることだけに全神経を注いだ。
 受け取った人たちからは

「ありがとうございます、王妃様」
「神に感謝をします」

 と、声をかけ続けられた。
 アンジェリカは、俯いたまま顔をあげることをしなかった。
 この人たちと言葉を交わすことそのものが、悪いことのように思えたから。

(城に帰れば、無理やり食べたくない肉を食べさせられる。それがずっと嫌だと思っているのに)
 
 新鮮な食事を毛嫌いする私と、古い穀物すら泣きながら求める貧民達。
 どちらも同じ神に祈るのだ。
 アンジェリカは食事を拒否したいと望み、彼らは食事を求めたいという望み。
 でも結局、神は私たちの望みを叶えることなどできない。
 神という単語を口にすれば、心に希望の炎を灯せるというまやかしだけを残酷に与え続ける。
 この、聖堂でのお粥配布がきっかけで、アンジェリカは「神とは所詮、そんなものなのだ」と思うようになっていた。

 だから、目の前の美人がそのルナ教の神だと聞かされて、アンジェリカはつい反射的にこう言ってしまった。

「あの役立たずか」
「や、役立たず!?」

 アンジェリカの言葉が、自称神にとっては余程ショックだったらしい。
 
「そうよ、あなた何にも仕事してないじゃない」
「してるよ!? そもそも僕の仕事を何だと思ってるの!?」

 さっきまでの偉そうな口調が一変し、駄々をこねる子供のような話し方になった。

「人々の願いを叶えるんでしょう? それなのに、あなたちっとも叶えようとしないじゃない」
「確かに、君たち人間は何でもかんでも僕にお願いしてくるけど、全部の願いなんか叶えられるわけないでしょう!?」
「それは、あなたに能力がないから?」
「どうしてそうなるの! わかりやすい例え話してあげるから、それで納得して」

 そう言うと、自称神はわざとらしく咳払いをした。

「例えば、街中にものすごくかっこいい男の人がいるでしょう。その人を二人の女性が好きになった」

 アンジェリカは、たったそれだけ聞いただけで、この話の続きを聞くのが嫌だと思った。
 けれど自称神は、わかりやすく、嫌悪の表情になっているであろうアンジェリカの顔など一切見ないまま、話を続けた。

「二人の女性が、男の人と結婚したいと言っても、結局一人しか選べないでしょう。つまりどちらかの望みは切り捨てないといけないんだ。分かる?」

 そこまで自称神が自信満々に話し終わったところで、アンジェリカは自称神の胸ぐらを思いっきり掴んでいた。

「ほんっと…………神って無能ね」
「え?」
「男が二人と結婚したいと思わせることも、二人の女性が男を諦めるように仕向けることも、どちらかにより相応しい男を差し出すとか、方法はいくらでもあるでしょう? そんなこともしないで、ただ望みを切り捨てる? 職務怠慢にも程があるわ!」
「ちょっ……く、苦しい…………」

(いけないわ、つい熱くなってしまった)

 アンジェリカがぱっと手を離すと、自称神は酸素を必死に取り込もうと、深呼吸をしばらく繰り返した。
 
「君は…………神という存在のことが嫌いみたいだね」
「……は?」
「神だけじゃない。この世の全てを君は恨んでいる。そうだろう?」
「確認しないと分からない程、無能ってわけね」

 仮にも、この自称神が本当の神だと言うのなら、アンジェリカがさっきまで何をされていたのか知っていても良いだろうに。

「僕が分かるのは、起きた事実だけさ。君が妹の策略に引っかかって処刑されそうになったこととか、ね。ソレイユ国第1王子の正妃殿」
「私のことを、からかっていらっしゃるの?」
「勝手にそう解釈しているのは、君の方だ。僕のことを敵と認定して。僕はちっとも、君に害を与えるつもりはなかったのに、勝手に君が暴走したんだよ。むしろそうだな……僕の方がちょっと迷惑してる」
「…………迷惑?」
「そう。僕はね、君という人間のことはとても気に入っていたんだよ」
「どういうこと?」
「本当の性根を隠して、国民の為、愛する男の為に尽くす姿こそ、次の神候補に相応しい」

(次の、神候補……?)

「あのまま、ちゃんと処刑されてくれていたら、君のことはあの世で大切に保護して、神様教育してあげるつもりだったのに、自殺なんかしちゃって……」
「ちょ、ちょっと待って……」

(神様教育? 何それ……)

「君が自殺してくれたおかげで、僕は君をあの世に連れていけなくなったんだよ。ねえ……どうしてくれるの?」
「自殺したから、あの世に行けない?」
「そう。あの扉が、あの世への入口なのさ」

(やっぱり、そうなのね)

 アンジェリカは、あの世に関する物語を読んだことがあった。
 川や森、トンネルなど、あの世への入口の表現は数多く見てきた。
 その中の1つに、空にある扉も確かにあった。

「普通に死んでくれていたら、君の足元にもあの扉に通じる雲の階段がちゃんとできて、『ようこそあの世へパーティー』が君のために開けたのに」
「……何なの、そのふざけた名前のパーティーは」
「君は本当に冗談が通じないよね。生真面目で、頑固で融通がきかない。そこが、僕にとっては魅力的だったわけだけど」
「魅力……」

(そんなことを他人から言われたのは、一体何年振りかしら……)

 アンジェリカは遠い過去に思いを馳せた。
 
「そ、僕はね、君を将来の神候補にしたいと思っていたんだ」
「神候補? それって、どういうことですの?」
「神は、何もずっと存在するわけではないんだよ」
「そうなの?」
「どんな存在でも始まりがあれば終わりもある。その理は、神も一緒さ。僕もいずれ神ではなくなり、新しい神が生まれる。神は、相応しいと思われる魂が候補として選出され、その中から決めることになっているんだ」
「知らなかった……」

 神とは、絶対的な唯一の存在であると、当たり前のようにアンジェリカは子供の頃から教わっていたから。

「その、次の神候補の中にね、君がいたんだよ」
「そんなこと、急に言われましても……」

 アンジェリカにとって、神は遠い空の上にいる存在だった。
 もちろん、自分が神になるかもしれないなんてこと、一度も考えたことすらなかったアンジェリカは、戸惑いを隠しきれない。

「だから僕たちは決めていたんだ。君がこちらの世界に来たら、神になるための修行を積んでもらおうと。それなのに君は……本当に、とんでもないことをしてくれたね」

 神と名乗る男……自称神は、大きなため息を吐いた。
 その息がアンジェリカの頬にかかった。
 他の男……特に父である公爵にそうされた時は気分が最悪に悪くなったのに、自称神の息は、春に吹く風の匂いのようだとアンジェリカは思った。

「本来だったら、君は自殺してからこの場所に来ることもできず、現世を悪霊として彷徨ってもらうしかなかったわけだけど……」

 そう言うと、自称神が急にアンジェリカの髪に手を伸ばそうとしてきた。
 アンジェリカは、咄嗟に後ろに下がった。
 髪の手は、ギリギリ私には届かなかった。
 アンジェリカはホッとした。
 自称神の手は、そのまま今度は自分の白銀の髪をポリポリとかき始めた。
 そんな仕草すら、美しいとアンジェリカは思った。

「他のやつは、さすがに君を諦めるべきだと言ったんだ。自殺をした人間は神にふさわしくはないからと」

(この自称神以外に、神と呼ばれる存在がいるのかしら……?)

「でもね、僕は……君をどうしても諦められなくてね」
「はあ……」
「だから、裏技を使うことにしたんだ」
「うら……わざ……」
「そう、裏技。滅多に使ってはいけない究極の神力さ」

 自称神はそう言うと、どこから取り出したのか砂時計をアンジェリカに見せた。
 砂はまるで、夜空に輝く星のようにキラキラと輝いていた。

「僕は、確かに君が言う通り、役立たずな時もあるかもしれない。……いや、違うな。むしろ、基本的に僕は、役立たずでいなければいけないんだ。何故なら、僕が持たされている神の力が、どれだけの影響力を持つかは自覚をしているから。だから……使い所はちゃんと分かっているつもりだ」
「力の、使い所……?」

 無意識に、アンジェリカは自分の手のひらを見つめていた。
 力と聞いて、真っ先にそうしないといけない気がしたのだ。
 
「そのうちのまず1つを、君にあげよう。僕がこの砂時計を回せば、君の人生は遡ることができる」
「そ、それって……」

 アンジェリカの王妃教育が始まる前は、ほんの少しだが趣味の小説を読む時間があった。
 その小説の中でよく使われていたのが「死に戻り」「魂還り」と呼ばれる、死者が過去へ戻る現象。
 アンジェリカも、「死にたい」と思った時は何度も読み返しては、現実逃避してきた。
 でもそれは、物理学的には絶対に不可能だからこそだ。
 ところが、それが可能なのだと、自称神はアンジェリカに言い放ったのだ。

「随分と、疑っているみたいだね」
「…………だって、無理だもの」
「何故?」
「本には……時間を巻き戻すのは無理だと書いてあったわ」

 子供の頃に何度か、アンジェリカは時間が巻き戻ればいいのにと願ったことがあった。
 その度に歴史書や科学書など、思いつく限りの本を読み、方法がないかをアンジェリカは探し求めた。けれど、何も見つからなかった。

「君は、本に書いてあることが全て正しいと思っているの?」
「少なくとも、馬鹿達のうるさい噂話よりは、正しいと思っているわ」
「なるほど……。うん。でもそれはね、君たちの世界に僕たちが与えている条件の結果だから」
「与えている条件……ですって?」

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