花茶会を終えて屋敷に返ってきた柚子を、子鬼たちが出迎える。
「あーい」
「あーいあーい」
「ただいま。子鬼ちゃん」
 ぴょんぴょんと柚子の肩に飛び乗った子鬼に続いて、まろとみるくが自分たちもいるぞと寄ってくる。
「アオーン」
「ニャウン」
 スリスリと頭を寄せる二匹の頭を撫でてあげてから、柚子は辺りをうかがう。
「龍は今日もいないの?」
「うん」
「どこにもいない」
 子鬼の答えに「そう……」とつぶやく。
 いつもなら花嫁しか出席できない花茶会にすら、撫子にわがままを言って無理やりついてきていたのに、今日はついてこなかった。
 今も龍の姿はない。
 まあ、そばにいずとも加護の効果が消えることはないそうなので、柚子の護衛に四六時中一緒にいる意味はないのだ。
 柚子になにかあったとしてもすぐに分かり、駆けつけられるそうな。
 本当なのか正直疑っているが、龍は霊獣。
 いつもまろやみるくの餌食となり、頼りなさそうに見えるが、一応霊獣なのである。
 龍は夕食前に、玲夜とともに帰ってきた。
「おかえりなさい、玲夜」
「ただいま、柚子」
 いつものように頬へキスをされると、玲夜は着替えに部屋へ向かった。
 その場に残った龍はくるんと柚子の腕にからみつく。
「今日もお社へ行っていたの?」
『うむ。あの方のご機嫌うかがいにな』
「でも、神様は姿を見せるの?」
『見せずとも声は聞こえる。まあ、今はまだ寝ておられる時間が長いがな』
 神様がどういう状態なのか、柚子にはいまいち理解できていない。
 目覚めたかと思ったら寝ぼけていると言ったり、寝ていると言ったり、いったいどれなのか。
『柚子に会いに来るそうだ』
「会いに、来る?」
 呼び出されるではなく、“会いに来る”とはいったい全体どういうことだ。
『その時になれば分かるであろう』
 できれば周りに迷惑にならない形で会いたいものだ。
 少しすると雪乃が夕食の準備ができたと呼びに来た。
 向かえば玲夜もちょうど着いたところ。
 ふたり向かい合うようにして座る。
 高級料亭で出てくるような料理を、勉強のためになるとじっくり観察して味わいながら食べる柚子は、玲夜に話すことがあったのを思い出す。
「玲夜」
「どうした?」
 甘く囁くような返事とともに微笑みが返ってきて、柚子は一瞬ときめいてしまったが、気を取り直す。
「今日花茶会に行ってきたでしょう? そこで、穂香様っていう、この間パーティーでもお会いした花嫁が離婚したらしいの」
 途端に険しくなる玲夜の顔。
「鎌崎と同じと言いたいのか?」
「うん。パーティーの時の穂香様の旦那様はとても執着しているように見えた。穂香様が外へ出る理由になってる花茶会も、それを主催する撫子様やお義母様のことすら不満そうに文句を言ってたぐらいだったもの」
「……ああ、あのあやかしか」
 納得した様子の玲夜は、どうやら、たくさんいた出席者の中で、柚子の言っている穂香の旦那がどの人物なのか一致したらしい。
「離婚するなんておかしいって、撫子様も穂香様の周辺を調べてらしたみたい。神器のことを話すと、なにか分かったら教えてくださるって」
「そうか。確かに妖狐の当主の協力もある方が見つけやすいとは思うが……」
 その時、玲夜はなにかに気付いた様子で「そういえば……」と、つぶやいた。
「今思い出したが、鎌崎に会いにいったパーティーの時、その穂香という花嫁とも会っているな」
「そうなの?」
「ああ。柚子と花茶会で一緒したと言っていた。死んだような目をした女だったのを記憶している」
 玲夜が険しい顔をするものだから、柚子まで釣られて難しい顔をしてしまう。
 これはただの偶然か、それとも……。
「玲夜」
「分かっている。その穂香という者も調べてみよう」
「うん」
 玲夜が動いてくれるなら安心だ。
 しかし、そうなると、もう柚子にできることはない。
 ただ、報告を待つだけだ。
「話は変わるんだけど、花梨のこと、玲夜は聞いたんだよね?」
 柚子は顔色をうかがうように玲夜に視線を向ける。
「ああ、妖狐の当主から聞いている。あのふたりをどうするかは柚子次第だと答えてある」
「玲夜はそれでいいの?」
 鬼龍院と孤雪で決められたふたりの処遇なのに、自分が決定権を持っていいものなのか疑問だった。
「あのふたりに危害を加えられたのは柚子だからな。決めるのは俺でも父さんでもなく柚子だ。父さんもそれで問題ないと言っているし、柚子の好きにしたらいい」
「……ふたりを許してもいいって思ったんだけど、それでもよかった?」
「柚子がそれを望むならな」
 玲夜からの反対がなく、柚子はほっとした。
「花梨がいまだに瑶太を思い続けているってのは、正直びっくりしたの。花梨はあやかしの花嫁に選ばれた優越感で彼と一緒にいるんだと思ってたから」
「俺も同じだ」
「あれからもう五年経った。人が変われるには十分な時間だと思うの。私だって変わったでしょう?」
「そうだな」
 両親のように変わらなかった人もいるが、自分は昔より強くなれたと思えるから……。
「たぶんね、もう仲よくはできないと思うの。どれだけ花梨が変わったか分からないけど、撫子様が許してもいいって思えるほどなんだから相当なんだと思う。でも、私たちの間には見えない大きな亀裂があって、それは一生ついて回る気がする。わざわざ会いに行こうとも思わないし、花梨も同じだと思う」
 会ったところでなにを話していいか分からない。
「今さら姉妹なんて都合のいい言葉は使えないし、使ってほしくないけど、花梨の人生は花梨のものだから、私が選んでいいものじゃない。瑶太とこの先どうしていくかは、花梨たちがふたりで決めていくことだと思う……」
 だから、柚子はもういいと思った。
「柚子がそれでいいなら俺は賛成する」
 いつの間にか隣に来ていた玲夜が柚子の頭を引き寄せる。
 玲夜の胸に頭を寄せる柚子はそっと目を閉じた。
「あやかしの本能は厄介なものだって撫子様がおっしゃってたんだけど、その時神器のことが頭をよぎったの。あやかしの本能を消してしまう神器。神様は悪用されてるって。だけど、蛇塚君は使ってみたいとも言ってた」
 柚子は玲夜から頭を離し、見上げる。
「玲夜はどう思う? 瑶太はいまだにあきらめられず花梨を思い続けていたみたいだけど、それほど強い想いは逆に苦しくはないのかな? いっそ本能をなくしてしまった方が、あやかしも花嫁も楽になるんじゃないのかな?」
 柚子の純粋な眼差しが玲夜を見つめる。
 玲夜は少し考えるように沈黙した後、柚子の頬に触れた。
「確かにあやかしが花嫁を想う本能は誰よりも強い。場合によっては、いっそなかった方が楽だと感じるのかもしれない。けれど、この本能のおかげで俺は柚子に出会えた。この尽きることのない感情に一生気付かぬまま過ごしていたかもしれないと思うと、俺は恐怖すら感じる」
 玲夜は柚子の両頬を包むように手を添えた。
「俺はなかった方がよかったなんて思わない」
「……でも、私ね、神様から神器の話を聞いてから考えるの。もしも花嫁じゃなかったら、玲夜は私を好きにはならなかったんじゃないかって。花嫁だから好きなのであって、花嫁じゃなくなったら、私は簡単に捨てられるんじゃないのかな? 神器を使われたあやかしが簡単に花嫁の興味をなくしたように。それが怖い……」
 花嫁を選ぶのはあやかしの本能。
 その本能をなくしただけで、あれだけ執着していた思いを忘れ去ったように興味をなくすあやかしたちに、柚子は恐れを抱いた。
 もしも玲夜に神器が使われたら。
 他の花嫁のように自分は用なしになってしまうのではないか。
 恐怖を訴える柚子に、玲夜は包むように添えていた手で柚子の両頬をつまむ。
 まろの猫パンチよりもずいぶんと弱い力ではあったけれど、そんなことをあまりされない柚子は目を瞬いた。
 玲夜は若干怒っているように見えた。
「玲夜?」
「俺を舐めるな。確かに出会いは柚子が花嫁だったからだ。そこはどうしようもない事実だから認めるしかない。けれど、今ある柚子への想いは、神器程度の力でなくすようなものじゃない」
 柚子の不安を吹き飛ばすように力強く告げられた想いに、柚子はなぜだが泣きそうになった。
「私が花嫁じゃなくなっても好きでいてくれる?」
「当たり前だ。そんなに不安だというなら、神器を見つけたら神に返す前に使ってみるか?」
 自分で言っていて良案だと思ったのか、「そうだな。そうしよう」と、玲夜はひとり決意を固めている。
 だが、神器を使うのはさすがにマズイ。
「……それはやめておいた方がいいかも。神様も神器が使われたらあやかしにどんな影響があるか分からないって言ってたし」
 本気で使いそうな勢いの玲夜に、柚子は表情を変えクスクスと笑う。
 また自分の弱さが顔を出してしまった。
 以前よりは強くなったと実感していても、どうしても弱かった頃の自分が消えてはくれない。
 変われたつもりでも変われていない。
 もっと強くありたい。
 多少のことでは揺れぬ強靱な心を手に入れたい。
 それがきっと玲夜の隣に立つ自信につながるはずだから。

 その日の夜、夢を見た。
 桜が舞う中、空には少し欠けた月。
 目の前には社と、長く白い髪をたなびかせた神が立っていた。
 柚子は真っ暗な周囲を見回す。
「神様……。ここは?」
『柚子の夢の中だ』
「夢?」
 夢と言うにはあまりにリアルだ。
 手足の感覚も、頬を撫でる風の心地よさまで感じる。
『少しだが力を使う余力ができたので、柚子の夢の中に入ったのだよ。夢の中ならいつでも会えるし、迷惑もかけないだろう?』
「そうですね」
 どうやら神なりに気を遣ってくれているらしい。
 以前に神に呼び出された時に多くの人へ迷惑をかけてしまったことを考えると、その気遣いは大変助かるが、夢の中に突然神が現れたら柚子もびっくりだ。
 これはちゃんと目が覚めるのだろうか。
 あまりにも現実的すぎて、ちょっと心配になってきた。
 それにしても美しい空間だなと、桜の花に気を取られていると、気付かぬうちに神が柚子の目の前に立っていた。
 手も届くその距離感に少し驚いた柚子だったが、顔には出さず神の様子をうかがっていると、おもむろに神が柚子の頭を撫で始めた。
 それはもう楽しそうに、にこやかな顔をしながら。
 あまりにも楽しそうというか嬉しそうだったので、拒否することもできなかった。
『柚子は本当にかわいいな。だが、ずいぶんと大変な時間を過ごしてきたようだ。それなのに、歪まずここまでよく育った』
 まるで孫の成長を喜ぶ祖父のように微笑む神に、柚子はなんとも言えない気持ちになる。
 こんなにベタベタとさわられているのに、嫌な気にはならないのが不思議だ。
 柚子に触れる手にいやらしさを感じないからかもしれない。
 他意はなく、心から純粋に柚子をかわいがっている。
「あの、神器のことなんですけど、まだ見つかっていなくて……」
『ああ、それならいつでも問題ない。見つかればいいし、見つからなければ、それはそれで構わない』
「えっ! 構わないんですか!?」
 早く神器を探さねばと多くの人が探し回っているというのに。
『前にも言ったが、あれはもともとサクのために作ったもの。サクはもういないのだから、どちらでもいい』
「でも、神器が悪用されているからって、気にされていたのではないのですか? あやかしにも影響があるからと」
『サクのための道具を勝手に使われているようだから不快なだけだ。神器が使われた時のあやかしの悪影響を気にしていたら、そもそも神器など作っていない』
「えー」
 思っていたのと違うと、柚子は呆気にとられた。
「じゃあ、どうして私に探すように依頼したんですか?」
『柚子には必要かと思ったから』
「私にですか?」
 まさかそこで自分の名前が出てくると思わず、柚子は困惑した様子。
『サクの時のように、鬼に愛想を尽かしたら、神器が必要になってくるだろう?』
 なんの悪気も悪意もなく、神は柚子の髪を撫でながら首を傾ける。
『鬼が嫌になったら使うといい』
「つ、使いません!」
 柚子は慌てて否定するが、神は『遠慮することはない』と、信じてくれない。
「私は玲夜とずっと一緒にいたいんです。なのでそんな神器なんて必要ないです」
 そう訴えると、神は目を丸くした後、くつくつと笑い出した。
『そなたはサクと同じことを言うのだな』
「サクさんも?」
『ああ。そんなもの必要ないから壊してくれと、大きな石を持ってきて叩き壊そうとしていた。まあ、そんなことで神の作った道具が壊れるはずもないというのに、かわいい子だ』
 柚子には分かる。
 その時のサクの必死さが。
 けれど、今と同じように、神には伝わらなかったのだろう。
「あの、じゃあ、神器は見つからなくてもいいんですか?」
『いや、念のため探しておくれ。柚子が使うかは別として、私の力によってできたものだ。管理もできない者に持たせておけないから』
 管理もできないとは、烏羽家のことを言っているのだろうか。
 そもそもどうして烏羽家は神器を手放したのだろうか。
 神なら知っているのか。
「あの……」
 柚子が声をかけたその時、以前のように神の姿が桜の花びらに溶けていく。
「神様!?」
『時間のようだ。また会いに来るよ、私のかわいい神子』
 桜吹雪が柚子を襲い、はっと目を覚ました柚子の目に飛び込んできたのは、見慣れた天井だ。
 目が覚めたのかと、ぼうとしていると……。
「柚子!」
 玲夜が視界に飛び込んできた。
「玲夜?」
「大丈夫か!? どこか悪いところはないか!」
 ずいぶんと鬼気迫った様子に、まだ少し寝ぼけていた柚子は一気に覚醒する。
「玲夜、どうしたの? そんな大騒ぎしなくても……」
「なに言ってるんだ。丸二日眠っていたんだぞ」
「二日!?」
 夢の中では体感で数十分程度だったというのに、現実世界ではそんなに経っていたなんて。
 驚きのあまり声を失う。
「そうだ。声をかけても揺すっても目を覚まさないから、どれだけ心配したか。医者に診せても眠っているだけだというし」
 よほど心配してくれていたのだろう。
 まだ不安そうにしている玲夜を見て、これはもうさすがに怒っていいのではないだろうかと、柚子は神に対して思った。
「夢の中で神様に会ったの」
「神に?」
「神様が、夢の中なら迷惑をかけないだろうって。それなのに、まさか二日も寝てるなんて……」
 どっちにしろ迷惑をかけているではないか。
 柚子の話を聞いて、玲夜のこめかみに青筋が浮かぶ。
「もういっそ社をぶち壊すか……」
 不穏な言葉を吐く玲夜を沈めてから、柚子は再び心配をかけた千夜や沙良、屋敷の人たちに謝罪行脚することになったのだった。
 今回は眠っているだけということで、透子や撫子には連絡がいっていなかったのが幸いだった。
 無駄に心配をかけずにすんだ。