パーティーが行われてから一週間ほど経ったある日、柚子の元に花茶会の招待状が届いた。
 今回もお手伝いとしての参加要請だ。
 柚子はほとんど考える時間も取らず、狐の折り紙に参加を告げた。
 トテトテと歩いて消えていく狐を微笑ましく見送ってから、花茶会に参加する旨を玲夜に報告へ向かった。
 それを聞いた玲夜は少しだけ不満そう。
「最近はずいぶんと頻繁に行われているんだな」
「そうなの? 花茶会がどれぐらいの頻度で行われるものなのか、私はまだ知らないから、なんとも言えないんだけど」
「母さんも、妖狐の当主も、早く柚子に仕切れるようになってもらいたいんだろ」
「まだ先は遠そうだなぁ」
 柚子には花茶会を仕切る自分の姿が想像できなかった。
 花茶会の中心にいるのが桜子だったなら、想像もたやすいのだが。
 しかし、主家の妻である柚子を置いて、仕える桜子が出しゃばるなどあり得ない。
 そんな下手をする桜子ではないだろう。
 なので、柚子がなんとか沙良と撫子から仕切り方を吸収して覚えるしかないのである。
「うーん……」
 自分にできるだろうかと、不安は尽きない。
 思わず唸ってしまう柚子の腕を引いて、玲夜はあぐらを掻いた足の上に柚子を座らせる。
 自然と近くなる玲夜との距離に、柚子はドキドキしてしまう。
 結婚したからと言って、玲夜を前に心がときめくのは結婚前と変わらないのだ。
「柚子のペースで頑張ればいい」
 そう微笑んで柚子の頬にキスをする玲夜。
 どこまでも甘く蕩けるように、甘やかすので、柚子はついついすがってしまうのだ。
「ほんと玲夜は私にもっと厳しくした方がいいと思う」
 不満だけど不満じゃない。
 この相反する気持ちをどう説明したらいいだろうか。
「柚子はしっかり頑張ってるからな。そうじゃなければ俺も厳しくしている」
「……ありがとう」
 注意しても玲夜が柚子を甘やかすのは変わりないようだ。
 玲夜の優しさに報いるように頑張るのが、柚子のできること。

 そして挑んだ花茶会。
 沙良と撫子を中心につつがなく進行する中、柚子は他の花嫁から驚愕の話を聞く。
「えっ! 穂香さんが離婚されたんですか!?」
 人違いかと思ったが、間違いなく柚子の知る穂香だという。
「そうらしい。聞いた時はわらわも驚いたが、事実のようじゃ」
 撫子のことなのできちんと確認したのだろう。
 それなら信じざるを得ない。
「あやかしと花嫁の離婚なんてあまり聞いたことぎありませんのにね」
「それにほら、穂香様の旦那様はあやかしの中でも特に執着が強かったですのに」
「ええ。花茶会に出席させることすら難色を示されるほどでしたよね」
「そんな方がよく穂香様を手放されたものです。とても考えられません」
 誰もが信じられないのか、穂香に関する会話が止まらない。
 彼女たちは花嫁だからこそ、あやかしの執着をよく知っている。
 一度結婚してしまえば、離婚したいと望んでも、あやかし側が受け入れるなんて奇跡に近い。
 柚子のように外で働くのを許される自体めったになく、それゆえ私財もなければ社会経験もない。
 そんな花嫁が離婚したとしても外の世界で生きていくのは難しいため、泣く泣く離婚できずにいる花嫁は少なくないようだ。
 そんな中での穂香の離婚は、花嫁たちに衝撃を与えた。
 だが、この場にいる花嫁の中で柚子が一番驚愕しているかもしれない。
 花嫁に執着するあやかしが離婚に応じるなんて。
 しかも、一週間前に柚子は穂香が旦那と一緒にいる姿を見たばかりだ。
 穂香の旦那から感じた病的なほどに強い執着心は、たった一週間で変わるようなものとは思えない。
 柚子の頭をよぎったのは、神器である。
 もし神器によってあやかしの本能が消されたのなら、離婚になったとしても合点がいく。
 風臣が突然芽衣への興味をなくしたように、穂香に興味がなくなったとすれば、説明がつく。
 柚子は静かに撫子の背後に回り、周りに聞こえないように囁く。
「撫子様、花茶会が終わった後、お時間をいただけるでしょうか?」
「かまわぬよ。わらわからも話があるのでのう」
 扇で口元を隠しながら撫子から了承の言葉をもらった。
 撫子には先日柚子が行方不明になった時に捜索をしてくれた礼もまだだった。
 もちろんその日のうちに手紙で礼状は送っておいたが、直接感謝を伝えたいし、こうして顔を合わせているのだから伝えるのが礼儀だろう。
 しかし、他の花嫁もいるこの場でする話ではないと、もともと花茶会の後に時間をもらうつもりでいた。
 神や神器についても、撫子には話していいかと千夜に承諾をもらっているので、諸々話す予定ではあった。
 そこに穂香の話が加わるだけである。
 おかげで神器の捜索が進展するかもしれない。
 いまだ行方知らずの神器は、鬼龍院の権力を持ってしても、捜索は難航していた。
 穂香の件が神器を探す手がかりになるといいのだが。
 早く茶会を終えて撫子と話したいのをそわそわしながら堪えていると、花嫁しか参加できないこの場に、突然男性が入ってきた。
 びっくりする柚子だけでなく、他の花嫁たちも驚いたように目を大きくして固まった。
 撫子と同じ白銀の髪に、整った容姿は撫子とどことなく似ている。
 困惑する一同の中で、撫子は今にも舌打ちしそうな表情で男性をねめつけた。
「藤史郎。なにゆえここに来たのじゃ。そちを呼んだ覚えはないぞえ」
「菜々子を迎えに来ただけです」
 藤史朗と呼ばれた男性は、花嫁の中のひとりに目をやる。
 彼女は菜々子と呼ばれる人で、柚子とは今回の花茶会が初対面だ。
 口数が少なく、どちらかというと自分から発言するより人の話を聞いて小さく笑っている方が多い彼女への感想は、大人しく淑やかな人である。
 そんな彼女が、先程までの柔らかな表情から一変して、男性が姿を見せるや、憎々しげな表情を浮かべているではないか。
 柚子が困惑していると、桜子がそっと教えてくれる。
「あの方は孤雪藤史朗様です。撫子様の一番上のご子息で、菜々子様の旦那様でいらっしゃいます」
 柚子は声を出しそうになったのをなんとか堪え、声なく驚いた。
 撫子の息子というには撫子と変わらぬ年齢のように見える。
 撫子が特別なだけなのか、千夜といい撫子といい、見た目が若すぎる。
「ということは、菜々子様は撫子様の義理の娘になるんですか?」
 柚子も桜子のように声を落として問いかける。
「ええ。そうなります」
 そこで柚子は思い出す。
 撫子の息子ということは、藤悟の兄ということだ。
 藤悟は、以前に長男が一番撫子に似ていると言っていた気がする。
 確かにじっくり見てみると、ふたりはよく似ていた。
 顔立ちだけでなく、髪や目の色までそっくりだ。
 藤史朗は、やや高圧的な様子で、菜々子のそばまで行くと、無理やり腕を掴んだ。
「いやっ」
 菜々子が藤史朗の手を振り払おうと動く。
「藤史朗!」
 撫子も窘めるように息子の名を呼ぶが、藤史朗は菜々子の腕を掴んだままだ。
「もういいだろう。十分花茶会を楽しんだはずだ」
「まだ終わっていないわ」
 菜々子は必死に逃れようと腕を動かすが、人間の、それも女性の力ではあやかしに到底かなわない。
 ますます撫子の顔が怖くなっていく。
「藤史朗、やめよ。たとえ息子のお前といえども、わらわの茶会を汚すことは許さぬ」
「母上は黙っていてください。そもそも俺はこの花茶会には反対なんだ。別に他の花嫁が参加するのまで止めませんが、菜々子まで巻き込まないでいただきたい」
「その菜々子が望んでおるのじゃ」
 玲夜にも負けぬ威圧感を自分の息子にぶつける撫子は、はっと息をのむほどに美しい。
 その場は完全に撫子に支配されていた。
 にもかかわらず、撫子の横でニコニコと微笑んでいる沙良は大物だ。
 さすが鬼龍院当主の妻をするだけあると感心する。
 さらには撫子が作り出した空気が、菜々子を後押ししているようにも感じた。
「お義母様の言う通りよ。あなたはいつもそう。私の意見を無視して、勝手なことばかり言って。花茶会に出たいと願ったのは私の方よ。他の方々に迷惑をかけないで! ここは花嫁のためのお茶会。部外者は出ていってちょうだい!」
 大人しそうな第一印象から打って変わって、自分の意思を強気に伝える菜々子に、柚子だけでなく菜々子の旦那である藤史朗も驚いた顔をしている。
 菜々子のあまりの剣幕に、言葉も失うほどびっくりしているようだ。
「よう言うた。それでこそ我が娘じゃ」
 撫子は満足そうに笑みを浮かべてから、一瞬で笑みを消して閉じた扇を藤史朗に突きつける。
「聞いたか、藤史朗? そちは招かれざる客である。即刻部屋から出ていけ」
 撫子の静かな怒りに、藤史朗は今にも舌打ちしそうなほど顔をしかめる。
 そして、一拍の後に己を落ち着かせるように小さく深呼吸した。
「……分かりました。今回は引きます。しかし、俺が認めていないことは心に留め置いてください。たとえ母上といえども、花嫁を奪う権利はない。俺の許可なく菜々子を外に出すのは許しません」
「そちの許可など必要としておらぬわ」
 しっしっと、ハエでも払うように手を動かして、撫子は藤史朗を追いやる。
 藤史朗が部屋からいなくなると、なんとも言えぬ空気が流れた。
「皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ございません」
 菜々子が立ち上がると深々と頭を下げた。
「わらわからも謝罪を。わらわの愚息が騒がせた。許しておくれ」
「いいえ、そんな!」
「謝罪など不要ですわ」
「ええ。菜々子様も頭をお上げになって」
 撫子にまで謝られては、逆に花嫁たちの方が気を遣う。
「撫子ちゃんのところも大変ねぇ」
 ほのぼのと笑いながらそんなことを言う沙良は、完全に他人事だ。
 撫子は苦笑いする。
「藤史朗も、若ほどの懐の深さがあれば少しはマシなのじゃがな」
「うふふ。撫子ちゃんに褒められてたって玲夜君に伝えておくわ。苦い顔をされるだけだろうけど」
「やれやれ。あやかしの本能とは、ほんに面倒臭いものよの」
 撫子が花嫁たちを見回すと、おかしそうに笑う者、苦笑いする者、苦虫をかみつぶしたような顔になる者と様々だ。
「お義母様……」
 菜々子が眉を下げて撫子に目を向ける。
 困ったように、今にも泣きそうな顔で。
「そちの味方をしてやりたいところだが、わらわは藤史朗だけが悪いとは思っておらぬ。そちももっと話し合いをするべきではないかと思うぞ」
「はい……」
 しゅんと肩を落とす菜々子は静かに椅子に座った。
 その様子に、撫子と沙良は目を見合わせて苦笑するのだった。
 柚子も、旦那の惚気話をする者もいれば、菜々子のようにうまくいっていなさそうな夫婦を見て、複雑そうな表情になる。
「桜子さん。私、とても花嫁たちを仕切る自信がないです……」
 柚子の心からの叫びであった。
「大丈夫ですよ。柚子様ならなんとかなります」
 なんの確信があってそんなことを言うのか、桜子は自信満々ににこりと微笑んだ。

 花茶会が終わった後、柚子はあらかじめ約束していたように、撫子と話し合う時間を作ってもらった。
 その場に沙良も桜子もおらず、撫子とのふたりきり。
 撫子を前にするとどうにも緊張してしまう。
 撫子といるのが嫌なわけではない。
 悪い緊張感というよりは、いい意味での緊張感だ。
 女性でありながら当主として一族をまとめ、誰よりも強い存在感と艶やかさ、独特な空気持つ撫子には憧憬すら浮かぶ。
 とても超えられるとは思えない人。
 お手本にしたいと思う桜子とはまた違った憧れである。
「今日は騒がせてしまったのう。愚息に驚いたのではないかえ?」
「えっと、す、少しだけ……」
 取り繕ったところで、撫子にはお見通しだろうと、柚子は素直な感想を述べた。
 撫子は別に怒りはせず、むしろ楽しげに笑う。
「ほほほっ、ほんに柚子は素直な子じゃのう」
「すみません……」
「よいよい。それが柚子のよいところじゃ」
 一通り笑い終えると、扇をパチンと閉じ、やや困り顔で口を開いた。
「わらわには三人の息子がおってのう。三人ともなんとも個性的に育ってしまった……。特に三男の藤悟ときたら……」
 やらやれというように撫子は扇で頭を押さえた。
 撫子は柚子が藤悟と面識があるた知っているからこそ彼の話題を出したのだろう。
 困り顔の撫子の、言葉に出さぬ言いたいことがなんとなく伝わってくるようだ。
 柚子はあえて口をつぐんだ。
「その中でも、先程姿を見せた長男の藤史朗は常識人に育ったと思っておったのだが、花嫁を得て花嫁中心の生き方に変わっていきおった。まあ、花嫁を迎え入れる自体は一族としても喜ばしいことなのじゃが、花嫁を得たあやかしは限度というものを知らぬ。花嫁が大事なあまり、少々やりすぎるのじゃよ」
 撫子は、はぁとため息をつく。
「わらわが、花嫁はまるで呪いのようじゃというのも、近いし身内にそれがおって、藤史朗を見てきたからでもある」
「菜々子様たちはあまり仲がよろしくはないのでしょうか?」
 柚子の問いに、撫子は苦い顔をした。
「あのふたりはのう……。なんというかいっそ面白いほどのすれ違いを起こしておるせいでもある。ふたりとも思い込みが激しくて、それが関係をややこしくしておる。まあ、それは孤雪家の問題。柚子が気にする必要はないので案じるな」
「はい」
 柚子は素直に頷いた。
「先程も言ったように、わらわには男児しかおらぬ上、花茶会をよく思っておらぬ長男がいるため、菜々子に花茶会の後継を任せるわけにもいかぬ。そんなことをしたら余計にあのふたりの関係がこじれかねない」
 再度困ったような息を吐いた撫子は、視線を柚子へ向ける。
「だから、柚子が引き受けてくれたのはほんに嬉しいよ。三者三様の花嫁たちをまとめるのは大変であろうが、頑張っておくれ」
「正直、自信はないですが、やれるだけのことはやってみます」
 本当に自信はないのだが、撫子にそこまで言われたら、そう返さざるを得ない雰囲気である。
「うむ」
 柚子の言葉に、撫子は満足そうに頷いた。
「さて、では本題に入ろうか」
「はい。まずは、先日の感謝を伝えさせてください。私の行方が分からなくなって、ご心配をおかけしました。撫子様が私を探すために尽力してくださったと聞いています。本当にありがとうございました」
 正座する柚子は畳に手をついて、深々と頭を下げる。
「かまわぬよ。わらわが勝手にしたこと。礼はいらぬ」
 頭を上げた柚子は困ったように微笑む。
 撫子ならそう言うと思ったのだが、やはり誠意は見せたかった。
 その件に関しては終わりというように、撫子の話題は変わる。
「それで、わらわに話とは、それが関係しておるのかえ?」
 柚子は幾度となく繰り返した状況の説明を行う。
「目が覚めると私は一龍斎の元屋敷にいました。そこで人間とあやかしの神様に会ったんです」
 神に会ったと話すと、撫子は大層驚き、前のめりになって問い返す。
「本当かえ!? あの方にお会いしたと?」
「はい」
「どのような方であったのじゃ!?」
「とても美しいのひと言です。社の周囲にあった桜の木が一斉に咲いたんです。そしたら桜の花びらが集まって神様になって。撫子様よりも真っ白な髪をした、桜の化身のような人でした」
 身振り手振りも交えながら、当時の状況を伝えると、撫子も興奮しているようだった。
「神様は撫子様のことをご存知のようで、会ってみたいとおっしゃっていましたよ」
「それはなんという誉れ! かように嬉しきことがあるだろうか」
 頬を紅潮させる撫子はまるで恋する乙女のようだ。
 実際は恋ではなく崇拝という言葉の方が相応しいだろう。
「突然のことだったので私もびっくりしてしまったのですが、龍も間違いなく神様だと」
「それはさぞ驚いたであろう。わらわならば卒倒しておるかもしれぬ」
 撫子は柚子の当時の気持ちを自分に置き換えて、柚子を憐れんだように話すが、その目はどこか羨ましそうだ。
「そこで神様に神器を探してくれと頼まれたんです」
「神器とな?」
「はい」
「もしや、その神器というのは、烏羽家に与えられたという……」
 やはり撫子は知っていたようだ。
 三つの家に神が与えられたもの。
 その話を以前にしていたのは撫子だ。
 花嫁を得た鬼龍院。分霊された社を得た孤雪。
 その時の撫子は、もうひとつの家を口には出さなかったが、そこまで知っているなら当然残りのひとつの家に与えられたものの情報を手にしていてもおかしくない。
「撫子様は神器がどんなものかもご存知なのですか?」
「いや、神器が烏羽家に与えられたことは記録にあるが、それがどんなものかまでは伝わっておらぬ」
「……花嫁へのあやかしの本能を奪ってしまうものらしいです」
「なんと……。それほど大事なものをあの方は烏羽家に渡していたというのか」
 撫子はひどく驚いて目を大きく見開くが、次の瞬間、その目を鋭くした。
「なるほど。柚子は穂香の離婚を気にしておるのじゃな?」
「はい」
 さすが撫子。柚子が多くを語らずとも、柚子が撫子との話し合いを望んだ理由を察したようだ。
「神様は烏羽家に神器はなく、悪用されているとおっしゃっていました。そのため、」
「ふむ。神器がなぜ烏羽家にないかは置いておくとして、それほどの重要なものを放置しておけぬな」
「龍によると、神様に探すと約束してしまったために、見つからないとマズイらしいです……」
「神とそのように簡単に契約をするとは……」
 撫子はあきれたような目を向けるが、柚子は知らなかったのだから仕方ない。
 誰もそんな重要なことは教えてくれなかったのだから。
 しかも柚子は『やれるだけのことをする』と言ったのだ。
 絶対見つけるとは言っていないのにそれでも神との約束となるなるなんて理不尽さを感じる。
「ということで、意地でも探さないといけないんですが、神器は形を変えるらしく、鬼龍院でも捜索が難航しているみたいで……」
「なんとまあ」
「でも、手がかりがないわけではないんです。神器が使われた可能性のあるあやかしがいて、彼の周辺を玲夜が調べてくれています。それに、今日穂香様の話を聞いて、穂香様の旦那様も同じように神器が使われたんじゃないかと思うんですが、撫子様はどう思われますか?」
 反応をうかがうように見る柚子に、撫子は少し考える様子を見せる。
「……そうじゃのう。確かにあの穂香が離婚したというのは違和感がある。わらわも最初は耳を疑ったぐらいじゃ。穂香の旦那を知っているが、花嫁を持つあやかしの中でもトップクラスに束縛の強い男であった。同性であるわらわにすら敵意を抱くほどに」
 パーティーで顔を合わせた時、花茶会をよく思っていない様子だったのを思い出し、柚子は頷く。
「玲夜に穂香様のことを調べてもらおうと思いますが、よろしいですか?」
 穂香を調べるなんて、穂香を疑うようなもの。
 花嫁のために花茶会を作るほどに花嫁たちを気にしている撫子には、ひと言告げておくべきだと思った。
 もちろん、沙良にものちほど話をするつもりだ。
 いや、沙良には神器のことがすでに伝わっているので、もしかしたらすでに穂香の離婚に疑いを持って、先に千夜に話をしているかもしれない。
「ああ、かまわぬよ。というより、穂香の離婚に疑問を持ったわらわは、すでに穂香の周辺を調べさせておる」
「そうなのですか?」
 柚子は大きく目を見開く。
「花茶会を主催する者として、花嫁たちの動向に気をつけるのは当然のことよ。柚子も、ただ茶会をすればよいというわけではないと覚えておくとよいぞ」
「はい」
 撫子の代わりをできるようになるのは、まだまだ遠そうだ。
「まあ、穂香の件でなにか分かったら、柚子にも報告しよう」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
 柚子は再度頭を下げた。
 神器の話はこれで終わりと、頭を上げた柚子は撫子に問いかける。
「それで、撫子様のお話とは?」
 撫子も柚子に話があるようだったなを思い出す。
「ああ、そうであったな。あの方の話ですっかり忘れ去っておったよ」
 扇広げ目尻を下げる撫子は、じっと柚子を見つめる。
 口も閉ざされ、一心に向けられる眼差しを柚子も静かに受け止める。
 撫子の話とはなんだろうかと考える柚子に、ようやく撫子が口を開いたが、その内容は予想外のものだった。
「そちは花梨を恨んでおるか?」
「へ?」
 思わず素っ頓狂な声が漏れる柚子は、一瞬理解することができなかった。
 頭が回り始めて、ようやく妹の花梨の姿が頭に浮かぶ。
「両親を乗り越えたそちだが、花梨とはいまだ会っておらぬであろう? あの子がしたことは許されるものではないが、まだ憎々しく思っておるか?」
 憎々しい……?
 その言葉が柚子にはすごく違和感があった。
 確かに、玲夜と出会うまでの柚子の生活は幸福とは言えないものだったかもしれない。
 いつも両親の顔色をうかがって、好かれたくて、自分を見て欲しくて仕方なかった。
 そして、自分とは逆に両親の愛を一身に受ける花梨が羨ましかった。
 妬ましさすら覚えるほどに。
 けれど……。
「撫子様。私は花梨を憎いと思ったことはありません。これまでも、これからも」
 ただひとりの妹。
 あれほど歪んでしまった姉妹の関係は、元を正すと両親が作り出した環境のせいではないかと柚子は思っている。
 そして、花梨は今はその両親と別の道を歩んでいるようだ。
 どんな心境の変化があったのか柚子には想像もできないが、柚子にはとことん甘く、柚子の害悪となるものを許さないあの玲夜が、会いたいなら会ってみるかと言い出すほどの変化があったらしい。
 柚子には驚くべきことだ。
 花梨が今どのような生活を送っているのか知らないが、花梨を応援したい。
「ほほほっ」
 撫子は機嫌がよさそうに笑う。
「やはり柚子はよい子じゃのう」
 撫子は柚子に近付くと、よしよしと頭を撫でる。
 されるがままになる柚子は問う。
「どうして突然そんなことをお聞きになるんですか?」
「それがのう。瑶太がなんとも不憫で見てられぬのじゃ」
「瑶太?」
 瑶太とは、孤月瑶太のことでまず間違いないだろう。
 柚子の妹である花梨を花嫁に選んだ瑶太だが、鬼に楯突いたのを理由に、花梨を花嫁として一族に認められなくなってしまった。
 その後、何度かかくりよ学園で顔を合わせたが、以降一度も会っていない。
「彼がどうかしたんですか?」
「今は孤雪家傘下の会社で働いておるのだがの、どうやらちょくちょく休みの日に花梨の様子を見に行っておるようじゃ」
「そうなんですか? ですが、花梨と彼は……」
「そう。花嫁とは認めぬと、当主たるわらわが決めた。それゆえ、直接会ってはおらぬようじゃ。こっそりと陰から花梨の様子をうかがっているだけらしい」
 こっそりと陰から……。
 どうやら瑶太はまだ花梨を忘れられずにいるらしい。
 同じく花嫁を手放したのちに、杏那という彼女を作った蛇塚とは別の道を歩んでいるようだ。
 ただ見ているだけ。
 その様子を思い浮かべるだけでなんとも不憫に感じる。
 あのふたりが離ればなれとなった原因に自分が関わっているため、柚子は他人事に思えない。
「何年経っても一途に恋慕し続ける。ほんに花嫁を想うあやかしの本能とは厄介なものよのう」
 撫子はややあきれた様子で苦笑する。
「撫子様はどうして私にその話を?」
 瑶太が花梨の様子を見に行っているのを知っていながら、どうやら注意はしていないようだ。
「あれから約五年の時が経った。もうそろそろよいのではないかと思っておるのじゃよ」
「それはつまり、花梨を再び花嫁として一族に迎えるということですか?」
「そうしたいと思っておるが、柚子は嫌か?」
「先程撫子様もおっしゃったように五年の月日が経っています。あやかしは変わらずとも、花梨の気持ちが変わっているのではないでしょうか?」
 五年という時はとても長い。
 ただの人間である花梨の気持ちが変わらないとは限らない。
 新しい恋人ができていてもおかしくはなかった。
「わらわもそう思っておったのだが、なかなかどうして、花梨もずいぶんと一途であった」
「と、言いますと」
「花梨もまた瑶太を忘れられずにいるようじゃのう」
 これには柚子もびっくりだ。
 花梨のことなので、自分から離れていった己の利益とならない瑶太などすぐに忘れていそうに思っていたのに、本気で瑶太を好きだったというのか。
「これだけ時が経ってもなお想い合うふたりを、無視できなくてのう。妖狐の中でも、瑶太の健気さに胸打たれてわらわに進言してくる者もいる始末じゃ。しかし、ふたりの仲を認めなかった理由も理由じゃ。千夜と若に伝えたところ、柚子の気持ち次第だと答えが返ってきた」
「私ですか?」
 柚子はきょとんとする。
「辛い思いをしたのは柚子だからとな。それゆえ、先程恨んでおるかと聞いたのじゃ」
「なるほど」
 花梨を一族に迎え入れないと判決を出したのは撫子だが、花梨と瑶太を見て、撫子の心が動かされたというのか。
 撫子はふたりを許してもいいと思っているようだ。
 しかし、柚子がどう思うのか。それが気がかりであり、柚子の判断で瑶太と花梨の今後が決まってしまうらしい。
 なかなかに難しい判断を迫られたが、答えはすぐに出た。
「花梨とは、これまでのあれこれを忘れて姉妹仲よくとは、いかないと思います」
 仲よくするには、いろいろなことがありすぎた。
 わだかまりはいつまでもついて回り、修復することはない。
 血のつながっただけの他人以上になることはないだろう。
「そうであろうな」
 撫子は少し残念そうに目を伏せる。
「けれど、撫子様が許してもいいと思われるほど花梨が変わったなら、私が花梨の幸せを決める権利もないと思います」
 柚子はそう言って微笑んだ。
 その微笑みにはたくさんのものを乗り越えた強さがにじんでいる。
 柚子の笑みを受けて、撫子もゆるりと口角を上げる。
「あい分かった。頃合を見計らって、瑶太に花梨を迎えに行く許可を与える」
「すぐではないんですか?」
「すぐではつまらんじゃろう? もう少し泳がせて、会いたくても会えないジリジリとした気分を味わわせてやらねばのう」
 先程瑶太が不憫と口にしていたのではなかったのか。
 なんとも意地が悪い。
 瑶太が少しかわいそうに思った。