『花冠があれば幸せよ』
 お姉様の言ったその言葉に嘘はないだろう。
 お姉さまにとって『花冠』がいかに重要なものなのか、私だってよく分かっている。
 
 ウェディングドレスを見せてくれたあの日、お母様は私達にこの名前を付けた理由を教えてくれたのだ。
 お母様が結婚する際にお父様から贈られたのはウェディングドレスだけではない。お母様の名前でもあるマーガレットの花冠も贈られたのだ。

 それもお父様の手作りのものを。
 お父様は手先が器用ではない。私に流れる不器用の血はおそらくお父様から受け継いだものなのだろう。見せてもらった絵に写っていたのは少し歪な形をした花冠だった。
 絵なのだから実物よりも綺麗に描くことだって出来ただろうに、お母様にとって大切なのは『マーガレットの花冠』ではなく『お父様が贈ってくれた花冠』だったのだ。それはお父様がお母様のためだけに、お母様を想って作ってくれたものだから。

 それがお母様は嬉しくてたまらなかったらしい。

 
 だからお母様は、お姉様には『ローゼ』、私には『アイヴィー』というどちらも花が由来の名前を付けたのだと教えてくれた。
 
 お母様がお父様に巡り会えたように、私達もお互いを大切に思えるような男性に巡り会えるように。
 

 幼い私はその意味がよくわからなかった。思えばこの時からオトメゴコロというものが人よりも少なかったのかもしれない。
 けれど私と違って、お姉様はいつか白バラの花冠を頭に乗せて、好きな男性の隣に並ぶことを憧れるようになった。
 幼い頃から『好きな男性』が明確に決まっていたというのも関係しているのかもしれない。その好きな男性はもちろんジャックである。
 だから私は昔からジャックに花冠のことをしっかりと吹き込んである。いかに重要なものなのか、そして贈るのは絶対にバラでなければならない、と。
 そんなことをしなくても無事に結ばれたお姉様の口から教えてもらったらしい。薔薇は薔薇でも白バラがいいと聞きだしたのはジャック本人である。
 ちなみにそんなジャックはお父様と違って手先が器用で、お姉さまに似合うのはもちろんのこと、ドレスにも合うようなデザインで作ってみせる! と今から意気込んでいる。
 前に品種をどれにするか~と手紙に書いてあったから、もしかしてドレスを選ぶのがメインじゃなくて、確認するのが一番なのかしら?
 
 どちらにせよウェディングドレスと花冠は失敗できない、重要なミッションだから手を抜けないわね!
 
 こんなに愛されているお姉様は結婚式では一層綺麗になるのだろう。幼い頃にお姉様が夢見た、幸せな光景がきっと広がってくれるはずだ。
 

 枯れつつある妹の私とは違って隣には愛する人が……。
 

 ……よし、明日は服以外を見ることにしよう!
 そしてあわよくば何か新しい趣味を見つけるぞ!!
 
 なんか努力の方向が間違っているような気がしなくもないが、色恋について考えるよりはいい。……主に私の精神面の問題で。
 
 明るい未来に歩んでいけることを祈って、私は箒を片手にえいえいおーと天井に手を突き上げた。
 
「何を、しているんだ?」
 ……ところをタイミング悪く、ディートリッヒ様に発見されてしまった。これは気まずい……というか勤務中にお前は一体何をしているのだという話だ。
 
「……おかえりなさいませ、ディートリッヒ様。今は、その……玄関を掃除しております」
 
 せめてもの救いは、考え事をしていても手はちゃんと動かしていたことだ。目の前にまとめたものを除けば一面を見渡しても、埃や砂は全く残っていない。メイドたるもの同時進行なんて朝飯前である。こんな時に自慢するようなことでもないが、まさかこんなところで生きるとは人生何が生きてくるかわからないものである……。
 
 精一杯に笑顔を作って、そしてこれ以上、突っ込まないでくれ……と祈る。
 そして主人の帰りをベルモットさんに伝えるべく、もといこの場から一刻も早く立ち去るべく身体を翻す。
 
 けれど私の願いはいとも簡単に散っていった。
 
「そうか。それでなぜ拳を天井に突き上げていたのだ?」
 気になりますよね……。
 眉間にシワを寄せるディートリッヒ様から理由を告げずに逃げ切ることは不可能だろう。
 城付きメイドならともかく、今の主人は他でもない目の前の彼なのだから。
 
「少し、気合を入れておりました。仕事中でありながら、ほかに考え事をしてしまい申し訳ありません……」
 こんな時は正直に謝るしかない。腰を直角に曲げて頭を下げる。すると頭上からは小さな声が聞こえてくる。けれど許しを待ちながら視点は床に固定しているせいか、ディートリッヒ様が何を話しているのかはわからない。
 
 お叱りにしては声が小さすぎる。
 いつもはハキハキと話すディートリッヒ様にしては珍しい。ダメなことだと分かりながら、勝手にほんの少しだけ頭と視線をあげさせてもらう。するとディートリッヒ様は視線を彷徨わせながら、なにかを言いよどんでいた。
 
「考え事というのは……その……」
 きっと私の頭が上がっていることなど、ディートリッヒ様の視界には入っていないのだろう。言いづらそうに首を掻くディートリッヒ様の視線は、私の後ろにある階段の、それも上の方を何度も行き来しているのだから。
 
 城では何度か、ディートリッヒ様が部下を叱る姿を目にしたことがある。
 大抵は一歩間違えればシンドラー王子のケガにつながりそうな時であったり、他人に迷惑をかけた時である。決して気分任せに叱りつけることはなかったし、ディートリッヒ様の部下はいつだって王子の傍に居続けるにふさわしい、誠実かつ真面目な人が多かった。
 
 だからどう怒っていいのか迷っているのかもしれない。過去に考え事に耽っていたなんて者はいなかったのだろう。
 
 ならばディートリッヒ様の結論が出るまで、私はただただ頭を下げるだけだ。
 忙しい日々でこんなに早く帰って来られることなどほぼないだろう。なのにこんな勿体ない時間を過ごさせてしまって……私ってメイド失格だな。
 
 給料が高すぎることや自分の無趣味に悩むより、次の仕事先に悩む方が先かもしれない。
 
 せっかく紹介してくれたシンドラー王子や、仕事を教えてくれたベルモットさん、それに何より私を採用してくれたディートリッヒ様には申し訳ないけれど……。手の中の箒の柄の部分を強く握りしめて、自分の行動を悔やむ。
 
 けれどしばらくしてからディートリッヒ様の口から続いた言葉はお叱りの言葉ではなかった。
 
「お姉さんのことか?」
「え?」
「君が考えていたのは……お姉さんのことか?」
 なぜそんなことを聞くのか気にはなったものの、ここで嘘をついても仕方がない。
 頭を上げて、ディートリッヒ様の目を見つめてからゆっくりと「はい」と返事をする。言っていないこともあるが嘘ではない。

 するとディートリッヒ様は安心したとでも言うように力が抜けたように「そうか」と笑った。

 まさかこのタイミングでディートリッヒ様の笑みを再び見ることになるとは思ってもみなかった。あまりの出来事に私の思考は何があったのか理解することが出来ず、ただただ手の中の箒を落とさないようにぎゅっと握る。

 そんな私の横を通り過ぎて、ディートリッヒ様はベルモットさんの名前を呼びながら奥へと進んでいく。
 なぜか急に上機嫌になったディートリッヒ様の足取りは、お疲れとは思えないほどに軽いものに見えたのは私の見間違いではないだろう。