少女は笑わない。

にこりと微笑むこともない。生気を失ったような目で古びた街を歩く。

その少女は、毎日、黒いワンピースを着て、黒い靴を履いている。貧しい家庭の女の子のように、服も靴もボロボロだ。

青白い顔に瘦せ細った体。小さな手に持っているのは、足がちぎれかけているクマの人形。

特徴的だと思うのは、青色の髪の毛だ。長い髪の毛をふたつ結びにしている。鮮やかな青色が、少女の青白い顔と、生気を失っているような瞳を際立たせている。

そんな少女を街人たちは、このように呼ぶ。


“死神の少女”


実際に人を殺めているところは見たことがないが、少女に関わった人間は翌日には姿を消している。そんな噂に街人たちは、少女と関わらないように日々を過ごしている。



「ねえ……」



今日も少女が街を歩いている。少女が街人に声をかけているようだが、全員が少女から目を逸らし、逃げていく。



「……」



少女はポツンと、独りぼっちだ。誰も声をかけたがらない。今日も少女は孤独に過ごしているのだろうか。

そんな少女を遠くから見つめている俺。声をかけてやりたい気持ちもあるが、声をかけてしまえば……、という気持ちにもなる。

俺は木の陰から、そっと少女を気にかけることしか出来なかった。



少女はいつものように街を歩いている。誰かに何かを求めているのか、いつもと様子が違う。死んだ魚のような目が、今日は何かを必死に訴えかけている。



「ねえ。クマさんの足が取れちゃったの……」

「ひいっ」

「洋服屋のおばさん。このクマさんを直して欲しいの……」

「ほ、他の人に頼っておくれっ! 私は忙しいんだよ!」



少女の訴えに、洋服屋を営んでいるその女性は慌てて店を閉めた。

残された少女は、小さな手で抱えているクマの人形をじっと見つめていた。

哀れな少女だ。自分の訴えを聞いてもらうことすらできないなんて……。あの女性は、幼い少女を恐れているようだった。やはり“死神の少女”の噂を信じているのだろうか……。

俺は耐えきれなくなって、少女に声をかけようと、木の陰から足を踏み出した。

その瞬間。



「ねえ。そのクマさん、足が取れちゃっているよ?」



少女に話しかけたのは、少女と同じ年くらいの少年だった。少女はうつむいていた顔を上げ、少年を見つめる。



「僕、直せるよ!」

「あなたが……?」

「うん! 僕、あそこの洋服屋の息子だから!」



そう言って、少年が指さしたのは、先程少女が声をかけた女性の店だった。あの女性の息子……。俺はなんだか興味深くなって、少女と少年の様子を見ることにした。



「針と糸を持ってくるから、待っていてね!」



そう言って、少年は走って店の中に入っていった。取り残された少女は、クマの人形をぎゅっと握りしめ、少年を待つ。

しばらくして少年が箱を抱えて戻ってきた。きっと、裁縫箱かなんかだろう。



「あそこの公園に行こ!」



少年はそう言って、俺の方向を指さした。

まずい……っ。このまま2人がこちらへ来てしまえば、俺の存在が見つかってしまう……。

俺は少年少女に見つからないように、そっと木の陰から離れた。

少年は少女の手を引き、公園のベンチに座る。少女は戸惑った様子だったが、どこか嬉しそうに見えた。俺が見るかぎり、“死神の少女”に話しかけてくれた少年は久しぶりだったのだろう。少女の目は少しずつ輝きを取り戻していた。



「クマさん、貸して! 取れちゃった足も持ってる?」



少年が問いかけると、少女はワンピースのポケットからクマの足を取り出した。少年はそれを受け取り、器用に胴体と縫い付けていく。少年とは思えないほど慣れた手つきだった。

俺は感動した。

“死神の少女”と噂される少女に、優しい目を向ける少年。その少年は心がきれいなのだろうと思った。



「ねえ、名前。なんて言うの?」



少年が少女に尋ねる。少女はなにかを少し悩んだ様子の後、口を開いた。



「……レイ。私の名前は、レイ、だよ」

「レイかぁ! 可愛い名前だねっ。僕はルイスだよ!」

「……ルイス」

「うん! よろしくね、レイ!」



ルイスという少年は、クマの人形を差し出す。

レイは胴体と足がくっついた人形を嬉しそうに受け取った。その目は、輝いていた。



「ありがとう、ルイス! このクマさんはね、パパにもらった宝物なの」

「どういたしまして! レイのパパはきっと、優しい人なんだね!」



ルイスはそういって人形の頭を撫でた。そんなルイスに、レイは優しく目を細めた。



「うん。パパは優しい人だから。私、パパのことが大好きなの」



レイの言葉に、俺の胸は熱くなる。

今まで笑うことのなかった少女が、こうして少年の言葉に微笑んでいる。

俺はこうして、レイの近くから様子を見ることしか出来ていない。だけど、少年は違う。

街の噂に流されずに、レイをひとりの女の子として見ている。その子供たちの純粋な心に俺は心を動かされた。



「レイはなんで、ボロボロの洋服を着ているの?」

「……」



ルイスの言葉にレイは口を閉ざした。言ってはいけないこと……。

そんな雰囲気がレイから伝わってきたのか、ルイスはそれ以上、聞くことはなかった。だけど、その代わりに。



「じゃあ、僕の家においでよ!」

「え?」

「僕の家は洋服屋だから、レイに似合いそうな洋服をプレゼントする!」



と、言った。

ルイスはレイの手を握ってベンチから立ち上がる。おいで、というように優しく手を引くルイス。だけど、レイは表情を曇らせている。



「でも……。迷惑じゃないの? 私、お金も持ってないし……」

「僕のママも優しいから大丈夫だよ!」



そう言って、ルイスはレイを連れて走る。俺は思わずふたりのあとを追いかけた。


興味があった。

ルイスがどんな少年なのか。レイがどんな表情を見せるのか。俺はレイの明るい表情を見られるような、そんな気がした。

俺がレイにできなかったことを、ルイスがしている。“人の優しさ”というものを、幼いルイスがレイに与えている。そんな少年少女の後姿が、少したくましく見えた。

ルイスが洋服屋の前で足を止める。レイは不安そうな表情ではあった。まあ、当然だろう。先程、この洋服屋の女性……。ルイスの母親に恐ろしいものを見るような目を向けられたのだから……。

そのことを知らないルイスは、閉じている店に向かって声をかける。



「ママー!」



ルイスの声が響く。その声は店内にいる女性にも聞こえたのか、女性は店の扉をそっと開けた。



「ルイスっ。……っひいっ!」



女性はルイスの隣に立っているレイに気が付くと、小さな悲鳴を上げた。



「どうしたの? ママ」

「ルイス! なんで、この子と手を繋いでいるの⁉ 離れなさい!」

「なんで、って……。レイは僕の友達だからだよ」



ルイスの言葉に、俺も女性も言葉を失った。

“死神の少女”と噂される少女のことを“友達”と呼ぶルイス。


“友達”


そう言われたのが初めてだったのだろうか。少女は、涙をこぼした。

白い頬に伝う、大粒の涙。



「レイっ! 大丈夫⁉」



ルイスが心配そうに声をかける。だけど、その心配は不要だろう。



「友達って言ってもらえたことが嬉しくて……」



レイの言葉にルイスは明るい笑顔を見せた。



「なに言ってんだよ。僕たち友達でしょ!」

「ありがとう……」

「だからママ。レイに洋服プレゼントしたいんだ! レイは可愛いから、なんでも似合うよ!」



ルイスのきらきらした目。それは純粋にレイのことが大好きなんだろう。

そんなルイスの気持ちが女性に伝わったのか、女性は初めて笑顔を見せた。



「……レイちゃん、ってお名前なのね。よく見ると、可愛いお顔しているのね」

「おばさん……」

「さっきはごめんなさいね。……おばちゃんが、洋服を見てあげるわ」



そう言って女性は、レイとルイスの背中を押し、店内に連れて行った。

俺は店内まで入ることは出来ない。だから、静かに様子を見ることしかできないのだが……。

出来るだけ近くで、レイたちの様子を知りたいと思った俺は、店の壁に張り付く。店内から響く、明るい声が微かに聞こえてきた。



「レイちゃんはお人形さんみたいに可愛いわぁ。ワンピースも似合うけど、こっちのスカートも似合うし……。あらっ、こっちのズボンも素敵かしらねぇ」

「ちょっと、ママ! レイは着せ替え人形じゃないんだよ!」

「あらぁ、ルイス。ルイスだって、レイちゃんの可愛い姿、見たいわよね?」

「それは……。見たいけど」



微笑ましい会話だ。最初はレイを怖がっていた女性が、ルイスの力でレイを受け入れている。

ルイスはすごい奴だ。……俺とは違って。

そんなことを俺が思っていると、洋服屋に近づく、男がいた。

周りの様子をうかがっているように、きょろきょろしている。黒い服を全身に身にまとい、黒い帽子を深くかぶっている。
いかにも怪しい男だった。


……強盗か?

そう思った瞬間、その男は銃を構え店内のガラスを打ち割った。


ガシャンっ!

ガラスが飛び散る音と悲鳴が聞こえる。



「きゃぁぁああっ!」

「うわぁぁああっ!」



これは危ない状況だ……っ!

俺は慌てて、男が入った店内へと向かった。

店内へ入った瞬間、俺は目を見開いた。

男はレイを人質に取るように、レイの頭に銃口を向けている。それを助けようとするルイスを止める女性。



「金になりそうなものはすべて出せ! 早くしろ!」

「……ひいっ!」

「じゃないと、このガキの頭とぶち抜くぞ!」

「ママ……っ」



ルイスは初めて恐怖に満ちた表情を見せた。女性も恐怖に怯えていた。青ざめた表情に、震える手。体も震えているが、それでも立ち上がり、店のレジへと向かった。



「それでいいんだ。レジ金も全て寄こせ!」



女性は震える手で、レジ金に手をかけた。

にたにたと笑う男は、近づく俺の存在に気が付いていない様子だった。



「……そこまでだ」



俺は男の銃を持っている、右手を掴んだ。



「なんだっ⁉」



男は自分の背後に立つ俺に気が付くと、怯みつつも声を荒げる。



「手を離せ! じゃないと、このガキの命がなくなるぞ!」

「……ほう」



俺の中で言葉にならないほどの怒りがこみあげてくる。ここまで怒りに満ちるのは久しぶりだった。男の手を握る手に力が入る。



「いててっ! 早く離せ! じゃないとこのガキを……っ!」



レイをどうするつもりだ。その小さな銃で殺す気か。

俺がそうはさせない。誰の命も傷つけたりはしない。許さない。

……この男以外の命は、俺が守る。



「命を落とすのは。……お前だ」



俺は男の手を離すと、小さく呟く。その瞬間に現れ、俺の手に握られたのは大きなカマだった。



「なんだ、そのデカいカマは⁉」



男は腰を抜かしたのか、レイから手を離した。レイは男から逃げ出し、俺の背中に隠れる。

レイの無事と、ルイス親子の無事を確認した俺は、男を睨みつける。



「……知らないのか? この街には“死神”が存在するという噂を」

「う、噂だろ! それに、あれは少女だろ!」



そう男が口にした瞬間、ハッとしたようにレイを見た。

青ざめていく男の顔。俺はそんな男に言う。



「……正確には“死神の娘”、だけどな」



そうだ。

俺は死神だ。死神であり、レイの父親だ。

だから、この男を許さない。レイの命を奪おうとしたこの男を。



「お前の寿命は残り26年だった。その寿命を、残り1分と変更する」

「は……っ、」

「言い残すことはあるか?」

「おい、待てよ……っ。こんなことで、寿命を変えられてたまるか!」



俺は持っていたカマで、その男の首を切った。



「こんなこと、だと……? 悪行を許すはずがないだろう」



最後まで許せない男だった。

男はパタリと倒れ、そのまま寿命を終えた。

……街の悪人を消していく。これが“死神”としての俺の仕事だ。

姿を隠し、生きていく。これが、俺と娘のレイの運命なのだ。



「パパ……」

「ごめんな、レイ。せっかく、友達が出来たのにな」



俺は振り返り、ルイスを見つめた。

女性はルイスを守るように抱きしめている。当然の姿だ。

母が子を守る。その姿は、自分にも重なって見えた。

俺はレイの手を引き、店をあとにしようとした。

その瞬間、ルイスのふり絞るような声が聞こえた。



「ぼ、僕は……っ!」



思わず足を止める、俺とレイ。

振り返りルイスを見ると、真っすぐにレイを見つめていた。



「僕は、レイが死神でも、死神の娘でも関係ない! レイは僕の友達だ!」

「……ルイス」

「それに、レイのパパはやっぱり、優しい人だ!」

「……」

「僕とママを守ってくれたんだから!」



ルイスの言葉にレイは涙をこぼした。俺も正直、泣きそうだった。

今まで、死神の娘であるレイを見守るために、レイの様子を陰から見守ってきたが……。これからは、その心配はなさそうだ。

レイにはルイスという友達がついてくれている。



「……そうね。レイちゃんと、レイちゃんのお父様。まだ、洋服選びも終わっていないわよ」



そう言って、女性が微笑む。

女性はルイスの手を取り立ち上がり、俺たちに近づいてきた。



「守ってくれてありがとうございます。大したお礼はできませんが、好きな洋服を選んでいってください」



女性の言葉に、嬉しそうな表情を向けるレイ。



「しかし……」

「お父様もその姿じゃ、街を歩きづらいでしょう。これからは、綺麗な服を着てレイちゃんの手を繋いで歩いてください」



俺は女性の心遣いに、思わず涙した。

死神はひっそりと生きる生き物だと思っていた。誰にも受け入れられることのない仕事。

だけど、この家族は違う。俺たち親子を受け入れ、温かい目を向けてくれる。

死神をやっていて良かったと思う瞬間だった。



「さあさあ、店内にある洋服、どれでもお試しくださいね」

「僕もレイに洋服選ぶ!」



ルイスは楽しそうに店内の洋服を手に取る。

俺はどうしていいのか分からない、という様子のレイの背中を押した。



「行ってきなさい」

「パパ……っ! ありがとう!」

「お礼はルイスと、ルイスのお母さんに伝えなさい」

「うん……っ!」



ルイスに駆け寄るレイの後姿に、俺は笑みをこぼした。


End.