「あ、なるほど。脛をこするからスネコスリ、というわけですね?」
とはいえ、紬はハルに脛をこすられたことなんて一度もない。
想像すると確かに歩きづらそうではあるが、それを上回る愛らしさに思わず頬が緩んだ。
そんな紬の想像を見抜いたらしい浪子は呆れたように目を細める。そんな表情すらも絵になる彼女は、やはりカフェにいる男性客からも熱い眼差しを向けられていた。シンプルなワンピースで身を包み、緩く波打つ茶髪は今日は頭上でお団子にまとめている。
浪子は河童だ。
この建物の隣を優雅に流れる小樽運河を根城に、時に水流に身を任せながら、時に気ままに小樽の街を遊歩しながら暮らしているという。
ちなみに今の彼女の姿は、紬以外の人間にも見える状態になっているらしい。妖力の調整によるものらしいが、そのことひとつからも浪子のあやかしとしての力の高さがうかがわれる。
「まあ、伝承はあくまで伝承よ。あの子はむしろ、犬と同等かそれ以上の嗅覚を見込まれて紫苑くんに仕えているみたい。アタシが紫苑くんと見知ったときにはもう、あの子を連れ立っていたわ」
「そうなんですか。確かに二人は、本当に気心知れてる様子ですもんね」
「あっれー……それはもしかして自慢? 私は紫苑くんと一つ屋根の下で暮らしているから、そのくらいなんでも知ってるのよっていうアタシへのマウントかなあああ?」
「違います違います! マウントなんて滅相もありません……!」
泡を食って否定する紬に、浪子はどこか満足そうに笑みを浮かべる。
くるくると優雅にパスタを口に運ぶ浪子に倣い、紬も目の前の海鮮グラタンをやけどしないようにはふはふと息を吹きかけ食した。美味しい。嬉しい。家族以外の同性と食事を取るなんていつ振りのことだろう。
初対面でどうも嫌悪を持たれていると思われた彼女から「女子会しない?」と誘われたのは、数日前のことだった。
呆気に取られつつも了承した紬は、今日が来る日を秘かに待ち望んでいた。というものの、社会人になって以降、紬は新たな友人を作れたためしがないのだ。
そもそも会社が潰れたり、女性不在の部署に配属されたり、部署内の人間の交流が皆無だったり、男社会の勤務先に決まったりと環境的原因も様々ある。最後の男社会の勤務先というのは直近で辞めることになった不動産業の会社だが、せっかく入社してきた女性社員が起因となり紬の退社が決まった。
自分はもう二度と友人関係を築けないのかもと落胆しても無理はないと思う。
「環境も確かにそうだけどー、アンタのその無駄におどおどしたとこも、少なからず原因がある気がするけどねえ。せっかちな人間からすると、時にイライラさせられても不思議はないわよ」
「う。それは本当に仰るとおりですよね。自分でもどうにかしなければ、と思ってはいるんですが」
「……まあでも、その妙な間合いの取り方を気に入る物好きもいるわよ。きっと、たぶんね」
優しい。視線を逸らしながらさらりと告げられた言葉に、紬はじんと胸を温める。
「というかさ。アンタを辞めさせたっていう女性社員も、なかなかあくどいわね。話を聞くに、嫌がらせをでっち上げてアンタを会社から追い出したんでしょ」
「それが不思議なんですよね。私の何がそんなに気に障ってしまったのか」
「いやいやいやいや。別に理由なんてないから。ただ同性のあんたの存在が気に入らなかっただけだから。男にただただチヤホヤされたいだけだからその女!」
浪子さんが真顔で首を振る。そうはいっても、人にはそれぞれ感じ方が違うのは事実だ。自分の気づかない何かが原因で、彼女を傷つけた可能性もないとは言えない。
自信なくへらついた紬に、浪子ははあと大きな息を吐いた。
「なんかアンタと話してると、暖簾に必死に腕を押してる気分になるわ」
「……あはは」
浪子からのランチのお誘いはこれが最初で最後かもしれない。紬は落胆しつつ店をあとにした。
とはいえ、紬はハルに脛をこすられたことなんて一度もない。
想像すると確かに歩きづらそうではあるが、それを上回る愛らしさに思わず頬が緩んだ。
そんな紬の想像を見抜いたらしい浪子は呆れたように目を細める。そんな表情すらも絵になる彼女は、やはりカフェにいる男性客からも熱い眼差しを向けられていた。シンプルなワンピースで身を包み、緩く波打つ茶髪は今日は頭上でお団子にまとめている。
浪子は河童だ。
この建物の隣を優雅に流れる小樽運河を根城に、時に水流に身を任せながら、時に気ままに小樽の街を遊歩しながら暮らしているという。
ちなみに今の彼女の姿は、紬以外の人間にも見える状態になっているらしい。妖力の調整によるものらしいが、そのことひとつからも浪子のあやかしとしての力の高さがうかがわれる。
「まあ、伝承はあくまで伝承よ。あの子はむしろ、犬と同等かそれ以上の嗅覚を見込まれて紫苑くんに仕えているみたい。アタシが紫苑くんと見知ったときにはもう、あの子を連れ立っていたわ」
「そうなんですか。確かに二人は、本当に気心知れてる様子ですもんね」
「あっれー……それはもしかして自慢? 私は紫苑くんと一つ屋根の下で暮らしているから、そのくらいなんでも知ってるのよっていうアタシへのマウントかなあああ?」
「違います違います! マウントなんて滅相もありません……!」
泡を食って否定する紬に、浪子はどこか満足そうに笑みを浮かべる。
くるくると優雅にパスタを口に運ぶ浪子に倣い、紬も目の前の海鮮グラタンをやけどしないようにはふはふと息を吹きかけ食した。美味しい。嬉しい。家族以外の同性と食事を取るなんていつ振りのことだろう。
初対面でどうも嫌悪を持たれていると思われた彼女から「女子会しない?」と誘われたのは、数日前のことだった。
呆気に取られつつも了承した紬は、今日が来る日を秘かに待ち望んでいた。というものの、社会人になって以降、紬は新たな友人を作れたためしがないのだ。
そもそも会社が潰れたり、女性不在の部署に配属されたり、部署内の人間の交流が皆無だったり、男社会の勤務先に決まったりと環境的原因も様々ある。最後の男社会の勤務先というのは直近で辞めることになった不動産業の会社だが、せっかく入社してきた女性社員が起因となり紬の退社が決まった。
自分はもう二度と友人関係を築けないのかもと落胆しても無理はないと思う。
「環境も確かにそうだけどー、アンタのその無駄におどおどしたとこも、少なからず原因がある気がするけどねえ。せっかちな人間からすると、時にイライラさせられても不思議はないわよ」
「う。それは本当に仰るとおりですよね。自分でもどうにかしなければ、と思ってはいるんですが」
「……まあでも、その妙な間合いの取り方を気に入る物好きもいるわよ。きっと、たぶんね」
優しい。視線を逸らしながらさらりと告げられた言葉に、紬はじんと胸を温める。
「というかさ。アンタを辞めさせたっていう女性社員も、なかなかあくどいわね。話を聞くに、嫌がらせをでっち上げてアンタを会社から追い出したんでしょ」
「それが不思議なんですよね。私の何がそんなに気に障ってしまったのか」
「いやいやいやいや。別に理由なんてないから。ただ同性のあんたの存在が気に入らなかっただけだから。男にただただチヤホヤされたいだけだからその女!」
浪子さんが真顔で首を振る。そうはいっても、人にはそれぞれ感じ方が違うのは事実だ。自分の気づかない何かが原因で、彼女を傷つけた可能性もないとは言えない。
自信なくへらついた紬に、浪子ははあと大きな息を吐いた。
「なんかアンタと話してると、暖簾に必死に腕を押してる気分になるわ」
「……あはは」
浪子からのランチのお誘いはこれが最初で最後かもしれない。紬は落胆しつつ店をあとにした。