高校の最寄り駅で、友人の夏音(かのん)を待っていた。
 スマホでニュースを見ながら時間をつぶす。

 数分後、優紀とは逆方向の電車から降りてきた夏音は、髪の短くなった優紀を見て、
「優紀……。どうしちゃったの?」
 驚いたように言った。

「いや。ただのイメチェンだけど」
 目線を反らしながら優紀は答える。無意味な強がりだった。

「あー、そっか。変なこと聞いちゃってごめん」
 夏音も察してくれたのだろう。少し気まずそうに言った。

 彼女にはよく恋愛相談に乗ってもらっていて、あらかじめ、昨日告白するということは伝えてあった。

 夏音は優紀にとって、何でも話せる唯一無二の友人だった。でもたぶん、夏音にとっての優紀は違う。

 夏音は可愛くて明るくて、友達が多い。優紀とは真逆の位置にいるような女の子だ。
 なぜ夏音みたいな人間が、自分なんかと仲良くしてくれるのか、優紀にはわからなかった。

 優紀と夏音はほぼ毎日、最寄り駅で待ち合わせをして学校へ登校していた。

 夏音は「他の友達はみんな自転車とかだし」と言ってくれているが、きっと友達が少ない自分に気を遣ってくれているのだろう……と優紀は考えていた。

 今日もいつも通り、学校までの道を、二人で並んで歩き出す。

「変……かな?」
 短くなった髪をなでるようにして、優紀は言う。

「いや、そんなことない。普通に似合ってるし、私はそっちの方が好きだな」
 夏音の言葉に胸が温かくなる。彼女はお世辞は言わない。
「うん。ありがとう」

「ところでさ、昨日の告白は……」
 夏音には珍しく、歯切れが悪い。優紀のいつも以上に沈んでいる様子を見て、だいたいの予想はついているのだろう。髪が短くなっていることも、その予想を強固なものにしている。

「ああ、うん。……ダメだった」
 何でもないように言うつもりだった優紀の台詞は、最後の方で口の端に引っ掛かったように震えた。

「そっか……」
「……」

 夏音は今、何を思っているのだろう。
 心配してくれているのだろうか。それとも哀れんでいるのだろうか。一緒に悲しんでくれているのかもしれない。

 優紀にはわからなかったけど、沈黙が息苦しく感じられた。
 二人で下を向きながら、しばらく並んで歩いた。

「ねえ優紀」
 高校に到着したところで、夏音が顔を上げて言った。暗い雰囲気を吹き飛ばすような、明るい声色だった。

「ん?」
「授業、さぼっちゃおうか」
 昇降口で上履きに履き替えながら、夏音は言った。
「え?」

「ほら、たまにはいいでしょ。普段は真面目なんだし」
 たしかに、二人ともクラスでは優等生の部類だった。

 ――じゃあ、今が一番楽しい時期じゃないですかぁ?
 ――三年生になったら進路とか考えなくちゃいけなくなりますからねぇ。
 昨日の美容師の言葉を思い出す。

「あ、無理はしなくていいから。ごめんね、変なこと言って」
 夏音が慌てたように続ける。

「……さぼる」
「え?」
 今度は夏音が戸惑う番だった。優紀の反応が意外だったのだろう。

「屋上とか、行ってみたい」
 失恋した翌日くらい、羽目を外してみてもいいと思った。
「おー、いいね。行こっか」

 優紀と夏音は静かに階段を上り、屋上へのドアを開けた。
「青春っぽいね」
「……そうだね」
 まさか普通に屋上へのドアが空くと思ってなかったので、優紀は驚いていた。

「空、青いねー」
「……うん」
「風、きもちいねー」
「……うん」

 屋上で感じる秋があまりにも爽やかで、急に心配になってくる。
 優紀は授業をさぼったことを、早くも後悔していた。

「あ、この眺め、サイコー」
 夏音は、座ったかと思えば、地面に寝そべった。

「ちょっと夏音、汚いって」
「いいじゃんいいじゃん。ほら、優紀もここ、寝そべんなよ」
 左手で地面を叩きながら、夏音は言う。

「わかったよ」
 躊躇いながらも、優紀はゆっくりと地面に腰を下ろす。足を伸ばして、上半身を傾けていく。

 コンクリートの固さを後頭部に感じながら、優紀は感動していた。
 吸い込まれるような、綺麗な空が視界いっぱいに広がっている。

 青い空をつかむように手を伸ばしてみると、抱えていた罪悪感も不安も、どうでもよくなってしまった。

「全部吐き出しちゃいなよ。空に向かって」
 隣から、夏音の声が聞こえた。

「全部って?」
 優紀は彼女の方を見ずに答える。

「ほら。失恋ってさ、つらいじゃん」
 夏音がわざと明るいトーンで言った。

「そう……だね。ってか、夏音も失恋したことあるの?」
 夏音が失恋するなんて、優紀には信じられないことだった。彼女は優紀から見ても、とても魅力的な女の子だった。

「うーん。失恋とはちょっと違うかな。私の好きな人には、好きな人がいたの」
「へぇ」
 優紀は内心で驚いていた。

 今までの二人の間での恋の話は、夏音が一方的に優紀の話を聞くという形だった。
 そっちはそういう話はないのかと夏音に聞いても「女の子は、秘密があった方が可愛いの」などと言って、ふざけて教えてくれなかった。

「好きな人に好きな人がいる。それって、ほとんど失恋みたいなものじゃない?」
 夏音の声は、悲しそうでも、寂しそうでもない。それどころか、少し嬉しそうだ。

「うーん。それはまだ失恋ではないんじゃない? 想いを伝えてみればいいんじゃないかな。夏音ならきっとうまくいくと思うよ」

「そうしてみてもいいかもね。でもそんなことより、今は優紀の話でしょ。失恋の痛みは叫んでどっかに飛ばすのが一番。だからほら。空に向かってさ。どーんって感じで」

「うん」
 すぅっと、優紀は大きく息を吸った。

「友達にしか見られない? 友達から始まる恋もあっていいじゃん!」

 久しぶりに大きな声を出した気がする。
 誰かに聞こえていたらどうしよう、という気持ちと、誰に聞かれてても別にいいや、という気持ちが半々くらい。

「うん」
 夏音が隣で相槌を打つ。

「自分なんかが釣り合うと思えない? そんなこと、こっちが好きって言ってんだから関係ないでしょ!」

「そうだね」
 どうしてか、夏音の声は楽しそうだった。

「あー、もう。青春のバカヤロー!」
「あはははははは」
 夏音がついに声を上げて笑い出し、今になって恥ずかしさがこみあげてくる。

「はぁ……。面白かった。優紀、落ち着いた?」
「ごめん」
 優紀は両手で顔を覆いたくなった。

「謝らないでよ。それよりさ、今度は私の話、聞いてくれる?」
「もちろん」
 優紀は空を見上げたまま答えた。

「私、優紀のこと、好きなんだけど」
「は?」
 首だけぐりんと回転させ、夏音の方を向く。頭がコンクリートにこすれて痛かった。

「私は、優紀のことが好き」
 夏音は表情を変えず、上を向いたまま言った。自分の言葉を確かめるように、ゆったりとした口調だった。
 綺麗な横顔だな、と優紀は思った。

「え。待って。……夏音のこと、そういうふうに見られないよ」
「あれ。さっき、友達から始まる恋もあるって言ったの、誰だっけ?」

「それは……そうだけどさ、()なんかが夏音と釣り合うわけ――」
「こっちが好きって言ってるんだから関係なくない?」
 余裕のある笑み。どうして告白されている側が不利になっているのだろうか。

「でもさ……俺はまだ、きのう失恋したばっかだし……」
「想いを伝えてみればいいんじゃないかなって言ってくれたし、私ならきっとうまくいくと思うって言ってくれたのはどこの誰でしょうか?」
「……」

「一つ、謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「何?」

「私、山中(やまなか)さんの気持ち、知ってた」山中というのは、優紀が昨日告白した女子だった。「なのにわざと盛り上げて、告白させた」

「それは、どうして?」
「失恋した直後って弱ってるから、告白も成功しやすいって思って。ちょっと、近道しちゃった」

 夏音らしかった。周到に作戦を立てるところも、それを正直に言ってしまうところも。

「そうなんだ」
 少しくらい、怒ってもいいかもしれないと思ったけど、やめておいた。

「それにしてもさ」夏音がこちらを向く。顔が近い。目が合う。「優紀、その髪型、すごく似合ってる。前も可愛くて好きだったけど、今のも好き。男の子みたい」

「男の子なんですけど」
 見つめ合うこと数秒。夏音の頬がうっすら赤く染まる。

 今はまだ、上手く気持ちを切り替える余裕はないけれど、微かに、新しく恋が始まる予感がした。