どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい──こんな自分のことが大嫌いだ。
もし生まれ変わりというものがあるのなら、わたしはわたしじゃなくなりたい。
生きたい、そう思うことはなくなった。
この世界には、生きたくても生きられない人がたくさんいるなか、そんなことを考えるなんて甘えでしかないことは分かっている。
死ぬのは怖い。生きたいと思うことはなくても死にたいとも思わない。
だからわたしは色のない世界を、変わらない毎日を生きている。
両親から虐待をされているわけでも、学校でいじめを受けているわけでもない。
わたしを取り巻くのは、いたって"普通"の日常。
当たり前の日常を当たり前に送れていること。
きっと、これほど幸せなことはないだろう。そう分かっているから、それ以上に何かを望むなんて、そんなのは強欲だ。
けれど、ひとつよくばりを言ってもいいのなら。
「……行ってきます」
「……」
───…愛情、が欲しかった。
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『おはよう───…ゆめ。』
『……っ、おはよう』
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三日月が照らす夜道をゆっくりと歩く。どこまでも静かな夜だ。
毎日見ている景色のはずなのに、夜になると街は顔を変える。小さく灯る街灯をたどりながら、どこへ行くでもなくひたすら歩みを進めた。
いつからだろう。両親がわたしを見てくれなくなったのは。
小さい頃からこうではなかった。
それなりに笑顔を向けてもらっていたし、頭を撫でられた記憶もおぼろげながらある。
それなのに、今は心底どうでもいいような顔を向けられるようになってしまった。
冷めた目。たいして動かない表情。
会話をすることすらなくなって、目線が絡まることもなくなって、「ああ、両親は心が死んだのだ」と気づいた。
何がきっかけだったのか、そんなことは分からない。けれどわたしの知らないところで、両親の間に何かあったのだということだけは、なんとなく理解できた。
家族なのだ。言われずとも、雰囲気から察することはできる。
嫌でも、分かってしまう。
悲しかった。
それでも、両親は今まで通りを選んだ。離れることもなく、仲良くすることもなかった。
ゆっくり、ゆっくり。
家族が廃れて、崩れて、壊れていく。
暴力を振るわれるわけではなかったし、食事をとらせてもらえないわけでもなかった。
高校にも通わせてくれて、何不自由なく生活できているのだ。だからもう、これ以上を望むのはとっくに諦めた。
学校に友達はいない。無視をされるわけでもいじめらしき行為をされるわけでもない。話しかければみんなちゃんと応じてくれる。
ただ、話しかけられることはないというだけ。
どちらかというと、無関心、というやつだった。
必要最低限の話さえできて学校生活に支障がなければそれでいい。
そう、思っていたはずだった。
「は……っ」
けれど最近、心は意外にも脆いことを知った。
自分は大丈夫だと思っていても、心は悲鳴を上げていた。これ以上抉られては無理だよ、と。
抉られている自覚はなくても、心にはわたしが思っているよりもずっと負荷がかかっていたらしかった。
朝起きて、学校に行って、勉強して、帰って、課題をやって、そして。
────夜眠れなくなった。
布団に入って目を瞑っても、一向に眠れない。静かな中で聴こえてくるかすかな音に、敏感に反応してしまう。安眠グッズと呼ばれるものをひととおり試してみたけれど、全然だめだった。
最初は意地でも眠っていた。目を閉じて、神経を寝ることだけに集中させた。
けれど今思えば、寝るために神経を使うなど、まったくもって無意味なことだった。
寝ているはずなのに寝た気がしない。そんな日が続き、わたしはついに、夜寝ることをやめた。
街が眠っている時間、あるのは街灯と月明かりだけ。そんな頼りない光だけに縋って、散歩をすることにしたのはここ最近のこと。
深夜徘徊は補導の対象になる。そんなことは分かっていた。
けれど、少し空気を吸うだけならなんて、そんな勝手な言い訳を自分で考えて、毎夜わたしは夜を旅する。
都会とは言えないこの街は、夜になるとわたしだけが存在しているような、そんな錯覚を起こさせる。歩いていても、誰にも会わない。この夜だけは、きっとわたしの時間。
ほら、今日も。
「────あれ、お前何歳?」
「……っ!」
それなのに、今日は違った。
やばい、と思うより先に身体が動きだす……はずもなく、わたしは呆然とその場に立ち尽くしていた。
「大人……には見えねえけど」
夜に浮かぶその姿は、男性のもの。暗めの髪がストンと下に落ちている。
年齢は、二十代前半、といったところか。同じ学生には見えなかった。
Tシャツにジーンズというラフな格好に身を包む彼は、少し距離のあるところからわたしを見ていた。
「……え、あ……っ」
補導される?通報される?
ぐるぐると頭の中をまわったのはそんな言葉だけだった。焦って飛び出したのはか細い声だけ。
足がすくんで動けない。声を上げることもできず、ただじっと彼を見ていることしかできなかったわたしに近づいてきたその人。
どうしよう。逃げなきゃ。
頭では分かっているのに、身体はちっとも動いてくれない。
「こんな時間に出歩くなんて度胸あるね。しかも、ひとりで」
「……っ」
わたしの前に立った彼をそろりと見上げると、黒だと思っていた髪は夜に光る金色だった。わたしよりも頭一個分ほど高い彼は、わたしを見下ろすなり、にやりと口角を上げた。
「ちょっと話さ……」
「お願いします!通報は、通報だけはやめてください……っ!」
彼の言葉が聞こえてくるより先に叫ぶように言って、がばっと深く頭を下げた。
緊張がパアンととけたように、身体が自由になる。
自分の靴の先を見つめて、彼の言葉を待つこと数秒。
「……っ!?」
ぐいっ、と。
顔が上がるよう引き寄せられたかと思うと、次の瞬間には彼の腕に抱きしめられていた。
「わ………っ」
ふわりと香る石鹸の香り。久しぶりに感じた"他人のにおい"に心臓が意味もなく鼓動を速めていく。
絡み合った視線。
彼の瞳の中には、夜があった。
どこまでも広がる闇、それなのに数々の光が映り込んでいる、とても美しい夜が。
そんな夜に見つめられて、頬に熱が集まっていくのが分かる。
「……ふっ、」
静かに笑った彼は、視線を逸らしてわたしを離した。
まだ心臓がうるさい。
彼はとてつもなく美しい顔をしていた。切長の目、鼻筋の通った高い鼻。薄い唇。陶器のように白い肌。
そして、夜風に揺れる金髪。
どれをとっても美しかった。
どう考えてもそんな美貌はわたしにとっては致死量で、頭がくらくらするような気がする。
「通報、って。そんなに怖いなら出なきゃいいのに」
こぼされた正論にどうしようもなく俯く。すると、頭にポン、と大きな手がのった。
「通報なんてしねえよ。てか、夜道に男と出会って気にするのがそこか。純粋っつーか、隙があるっつーか……なんだかな」
なにやらぶつぶつと呟かれる言葉に顔を上げると、そこにはひどく綺麗な微笑みがあった。
ドクンッと鼓動が身体中に響く。
「なんでこんなとこにいるんだ?親御さんが心配するだろ」
小さく首を傾げて問いかけてくる彼。
────なぜだかは分からない。けれど、気づけば口に出していた。
「両親は、わたしに興味がないんです」
ああ、どうしてわたしは。
今までずっと抱えてきたものを、得体の知れない彼に話してしまうのだろう。
どうして彼は、いとも簡単に話させてしまうような、不思議な瞳を持っているのだろう。