「おぎゃあ、おぎゃあ…!」

 病室の脇に植えられた紫陽花もしとどに濡れて、雨だれを激しく打ち付けるように沢山の雨が降っている。
 活き活きと輝くのは雨粒を受ける植物だけで、気分までもが滅入るような薄暗い曇天のことだった。
 時期として六月。梅雨入り真っ只中であった夜明け頃に、私はめでたくしてこの世に生まれ落ちる事になる。

 迎えた親子感動の対面。母子共に健康体で終えた出産に、立ち合いで息も絶え絶えだった父はここで漸く一息つくことが出来たらしい。
 瞬く間に母の腕に抱かれる事になった私は、勿論ただひたすらに声を上げて泣いていた。酸素を必死に取り入れて、生きるために声を上げる。それも次第に落ち着けば、次に起きた変化は皺まみれの目蓋が震えたこと。

「あ、ほら秋陽さん泣いてないで見て。この子、目が開きそう」

 母の茜が泣きじゃくる父の腕を突く。娘に負けない勢いで泣き崩れていた父はやっとの思いで深呼吸をした。
 そしてそのタイミングを見計らったかのように、睫毛も生え揃っていない薄い目蓋が開かれて。

「……!」

 赤子が初めて目にしたのは父か、母か、あるいは医者や看護師であったかもしれない。何一つ識別することの出来ないその瞳は、それでも懸命に光を追って瞬きを繰り返す。
 そんな時。誰の声かも分からぬ声が、ぼんやりと雨の中に佇む病室に響いた。

「…茜色」

 不自然に視線が注がれた先。小さく無垢な赤ん坊が一人、呑気な欠伸を零している。
 涙の膜を纏った瞳が、白熱灯に光を受けてぱちぱちと弾けるように涙の粒を飛ばした。眠気にとろけた両の目は、明らかに日本人離れした色彩で。

「まっかな、目…?」

 夕暮れ時にも似た色合い。優しく温かなその色は、まさしく茜色に相応しい色味を持つ。
 言葉を失った両親が、見間違いだろうと自分たちの目元を擦って瞬きをした。しかしその一瞬のうちに、赤子はすやすやと夢の世界へ旅立ってしまっている。

「見間違い…じゃなさそうね」

 戸惑いを孕んだ母が言う。

「びっくりするくらい綺麗な色だったけどな」

 見当違いな反応を示したのは父だ。

 赤子が眠ってしまった今、残された両親に瞳を確認する術は無い。
 疑念や疑惑、戸惑いだけを残して波乱な誕生を迎えたこの赤子。これこそが後に『凪沙』と名付けられた、私の誕生譚だったりする。