ユージーを森の外に送るというときになって、リアとリンクがもめた。
重いユージーはアシュアが背負っていくしかないが、最短距離の道案内にコミュニティの人間がひとり必要だった。リアもリンクも自分が行くと言って聞かない。
「あんたが一緒に行くのが一番いいと思うんだけど……」
アシュアが顔をしかめてトリに言うと、トリは苦笑した。
「長老はコミュニティから離れてはいけない決まりなんです。申し訳ないけど」
「森の中はヤバイって言ったでしょ」
とうとうリアは剣を引き抜くとリンクの鼻先に切っ先を突きつけた。足の包帯はとっくに自分で切り裂いて取ってしまっている。しかし、リンクも負けてはいなかった。
「ケイナに何かあったとき、早急に適切な処置ができるのはぼくしかいない」
「プラニカは4人しか乗れねえよ」
いらいらしたように2人を見ていたケイナがとうとう口を挟んだ。
「ユージーは森の入り口に停めて来たプラニカで、エアポートまで運ぶ。運転できるのはどっち」
「わたしよ!」
「ぼくです!」
ふたり同時に答えた。
ケイナはふたりを睨みつけ、くるりと背を向けるとさっさと森の中に入っていった。構っていられないということだろう。
「リア、行きなさい」
とうとうトリが言った。
「これを持って行って」
そう言うとトリはリアの持っていた剣を自分の髪に当てると、ひと房髪を切った。
「懐に入れて、ケイナが危うくなったら手を繋いで。少ししか効果はないけれど出血は免れるかもしれない」
「分かったわ」
リアはトリの髪を受け取ると勝ち誇ったようにリンクをちらりと見てケイナのあとを追って走っていった。
やれやれというようにユージーを背負ったままそのあとを追おうとするアシュアにリンクは慌てて声をかけた。
「待って。これを持って行ってください」
アシュアが怪訝そうに振り向くと、リンクはアシュアの鼻先に赤いピアスを差し出した。
「これをどうしろって……」
アシュアは訝しそうにリンクを見た。
「こっちに戻って来る前にこれをケイナにつけてください。 一分でも一秒でも早いほうがいいんです。ぼくが行かないんなら、つけられるのはきみしかいない」
「おれが?」
アシュアは仰天した。
「冗談じゃねえ……」
「つけなきゃならないんですよ!」
リンクは小さく怒鳴った。
「トリの髪はリアの体を介して働くんです。だけどあれはトリにも負担をかけるんです。強制的でもなんでも、とにかくケイナに装置をつけて。これを使えば簡単につけられるから」
リンクは銀色の小さなV字型のクリップのようなものを取り出すと手早くピアスをセットした。
「とりあえず右脳用の大きい方だけでいい。右の耳にね。引っ張ってやらなきゃ歩くこともしないだろうけれど、とにかくこれで連れて帰って来てください」
アシュアは険しい目でクリップを見つめていたが、乱暴にそれを引っ掴むと背を向けた。
リンクはそれを見送って心配そうにトリの顔を見た。
「無事に帰って来るでしょうか」
「帰って来るのは帰って来るだろうけれど……」
トリは沈鬱な表情で答えた。
「レジー・カートがどう出るか、ぼくには全然読めないんだ。たぶん、ケイナのほうがそのことについては掴んでいるのかもしれない……」
「めずらしいですね。あなたが読めないなんて……」
リンクは目を細めてトリを見た。
「森の中が変なんだ。外のことを見るときに何かが邪魔をしてる」
「森の中が?」
リンクは思わず不安を感じてケイナたちが入っていった木立を見た。
「今すぐ何かがあるということはないと思う。ただ、正負の判断すらもつけられないほど何も読めないというのが腑に落ちない」
トリは考え込むような顔をした。
「リアに渡した髪が何かを見てくるかもしれない……。何にせよ、もう少し磁場を強くしておこう」
「分かりました」
リンクは答えた。
「ねえ、リンク」
早速テントに戻ろうとするリンクはびっくりして足をとめた。
「まだ何か?」
「ケイナに…… せめてプロジェクトの名前くらい言っておいたほうが良かったのかな」
「ああ……」
リンクは顔を歪めた。
「そんな余裕なかったし……。しかたないですよ」
「そうだね……」
トリは目を伏せた。
「やれやれ……」
鼻の頭に汗を光らせながらアシュアはつぶやいた。ユージーはやっぱり重い。ケイナの比ではなかった。
「セレスが寝ててくれて良かったぜ。あいつがいたらもっと問題ややこしくなりそうだった」
「あの子がついて来たって何の役にも立たないじゃないの」
リアの言葉に一瞬ケイナが怒るのではないかと思ってアシュアはひやりとしたが、ケイナは耳に入っていない様子で足元の草を見つめながら歩を進めている。
「さっき、森がヤバイとかって言ってたけど」
アシュアはリアに顔を向けた。
「よく分からないのよ」
リアは肩に垂れかかった髪を手で後ろに払い投げながら答えた。
「森の中が静か過ぎるの。何の気配もないの。動物の気配もよ」
「前から思ってたんだけど……」
アシュアは、よっ、と声をかけてユージーを背負い直しながら言った。
「人工衛星の『コリュボス』の森になんで動物がいるの。あんたらが放したのか?」
「直接わたしたちじゃないけど、どっかの群れが持って来たのよ。増えてるのは自然繁殖だわ」
「なんで、危険なリールまで持ってくるわけ?」
「リールは危険じゃないわ」
リアは笑った。
「人間がちょっかいかけるから危険なだけよ。あれがいることで森の生態系が守られるのよ。生物がいるから森も緑が増えるのよ」
「そんなもんかね」
アシュアは片手で汗を拭った。
「代わろうか」
ケイナがアシュアに目を向けた。
「おまえにゃ無理だよ。ユージーは重いぜぇ」
アシュアの言葉にケイナは苦笑した。
森の出口まで結局アシュアがひとりでユージーを背負い、2時間後、来るときに乗ってきたプラニカが見えたときにはさすがに彼は大きな息をついた。
アシュアはユージーを座席に放り込むと首を回した。
「リア、運転頼むぜ、おれ、もうだめだからな」
「どこに連れて行くの?」
「燃料があまりない……」
ケイナは運転席を覗き込んでつぶやいた。
「エアポートに行く。離発着側のほうなら人目にもつかない」
リアはうなずいて運転席に座った。
その隣にアシュアが座り、ケイナは後部座席に乗ってユージーを抱きかかえた。
30分ほど飛んで、リアは人目につかないエアポートの外の草地にプラニカを降り立たせた。
「このあたりなら照明の影になるわ」
リアは言った。
ケイナはユージーを抱きかかえると、プラニカから降ろしてそっと横たえた。
エアポートの建物の向こうに見慣れた『中央塔』がそびえ立っているのが見える。
あの光の斑点のどこかにレジー・カートがいる。『ライン』もあれから代わりなくあるのだろう。
一隻の船が頭上を低い唸りをあげながらエアポートに向かって飛んでいった。
ケイナはちらりとそれを見上げたあと、草の上にトリから渡された通信機を開き、その前に片膝をついて座った。
「……10時半…… ユージーの薬がきれるまで2時間か……」
ケイナは通信機についている時計を見てつぶやいた。ちらりとユージーに目を向けた彼は小さなキイを叩いた。
「カート司令官のプライベート回線か?」
アシュアが覗き込んで言った。
「全くの家族用で…… アクセスするとしたらおれかユージーくらいだ。おれは滅多にアクセスしたことがないけれど……」
ケイナは答えた。
「レジーはまだオフィスにいる時間だし…… 気づいて受け取るかどうかは…… 運だな……」
最後のキイを叩いたあと、ケイナはアシュアを振り向いた。そして腰の剣の柄を抜くとアシュアに差し出した。
「悪い。これ、持ってて」
アシュアは訝し気に突き出された柄を見た。
「なんで」
「何があっても絶対おれに剣を渡すなよ」
まじかよ……。
アシュアは顔をしかめてケイナの剣を受け取った。持ってたら何をしでかすか分からねえってことか?
そんなにショックなことが起こる可能性があるってことか?
アシュアはエアポートの灯りに浮びあがるケイナの横顔を見た。思いつめたような表情をしている。
呼び出しを伝える小さな緑色のランプが点滅していた。しかし一向にそれが消える気配がない。固唾を飲んで待つ3人には途方もない時間が流れたように思えた。
そしてふいに聞こえた。
「ケイナか?!」
押し殺しつつも明らかに驚愕しているレジー・カートの声だった。
「ここはまずい。部屋を変える。そのまま少し待て」
アシュアはちらりとケイナに目を向けた。かすかに顔を歪めている。痛みをこらえているような顔だ。
「ケイナ」
リアが声をかけた。
「嫌かもしれないけど、あたしと手を繋いで」
ケイナの険しい目がリアに注がれた。
「懐にトリの髪が入ってるの。わたしの体を介してトリが頑張って動揺を吸い取ってくれる。倒れるわけにはいかないでしょう?」
「投影型の装置だ。あんたの姿も向こうに映る」
ケイナは答えた。
「トリはもう覚悟してるわ。わたしもよ」
リアはそう言うと手を差し出した。ケイナは少し躊躇したのちその手を左手で握った。
アシュアはごくりと唾を飲み込んで2人を見つめた。
重いユージーはアシュアが背負っていくしかないが、最短距離の道案内にコミュニティの人間がひとり必要だった。リアもリンクも自分が行くと言って聞かない。
「あんたが一緒に行くのが一番いいと思うんだけど……」
アシュアが顔をしかめてトリに言うと、トリは苦笑した。
「長老はコミュニティから離れてはいけない決まりなんです。申し訳ないけど」
「森の中はヤバイって言ったでしょ」
とうとうリアは剣を引き抜くとリンクの鼻先に切っ先を突きつけた。足の包帯はとっくに自分で切り裂いて取ってしまっている。しかし、リンクも負けてはいなかった。
「ケイナに何かあったとき、早急に適切な処置ができるのはぼくしかいない」
「プラニカは4人しか乗れねえよ」
いらいらしたように2人を見ていたケイナがとうとう口を挟んだ。
「ユージーは森の入り口に停めて来たプラニカで、エアポートまで運ぶ。運転できるのはどっち」
「わたしよ!」
「ぼくです!」
ふたり同時に答えた。
ケイナはふたりを睨みつけ、くるりと背を向けるとさっさと森の中に入っていった。構っていられないということだろう。
「リア、行きなさい」
とうとうトリが言った。
「これを持って行って」
そう言うとトリはリアの持っていた剣を自分の髪に当てると、ひと房髪を切った。
「懐に入れて、ケイナが危うくなったら手を繋いで。少ししか効果はないけれど出血は免れるかもしれない」
「分かったわ」
リアはトリの髪を受け取ると勝ち誇ったようにリンクをちらりと見てケイナのあとを追って走っていった。
やれやれというようにユージーを背負ったままそのあとを追おうとするアシュアにリンクは慌てて声をかけた。
「待って。これを持って行ってください」
アシュアが怪訝そうに振り向くと、リンクはアシュアの鼻先に赤いピアスを差し出した。
「これをどうしろって……」
アシュアは訝しそうにリンクを見た。
「こっちに戻って来る前にこれをケイナにつけてください。 一分でも一秒でも早いほうがいいんです。ぼくが行かないんなら、つけられるのはきみしかいない」
「おれが?」
アシュアは仰天した。
「冗談じゃねえ……」
「つけなきゃならないんですよ!」
リンクは小さく怒鳴った。
「トリの髪はリアの体を介して働くんです。だけどあれはトリにも負担をかけるんです。強制的でもなんでも、とにかくケイナに装置をつけて。これを使えば簡単につけられるから」
リンクは銀色の小さなV字型のクリップのようなものを取り出すと手早くピアスをセットした。
「とりあえず右脳用の大きい方だけでいい。右の耳にね。引っ張ってやらなきゃ歩くこともしないだろうけれど、とにかくこれで連れて帰って来てください」
アシュアは険しい目でクリップを見つめていたが、乱暴にそれを引っ掴むと背を向けた。
リンクはそれを見送って心配そうにトリの顔を見た。
「無事に帰って来るでしょうか」
「帰って来るのは帰って来るだろうけれど……」
トリは沈鬱な表情で答えた。
「レジー・カートがどう出るか、ぼくには全然読めないんだ。たぶん、ケイナのほうがそのことについては掴んでいるのかもしれない……」
「めずらしいですね。あなたが読めないなんて……」
リンクは目を細めてトリを見た。
「森の中が変なんだ。外のことを見るときに何かが邪魔をしてる」
「森の中が?」
リンクは思わず不安を感じてケイナたちが入っていった木立を見た。
「今すぐ何かがあるということはないと思う。ただ、正負の判断すらもつけられないほど何も読めないというのが腑に落ちない」
トリは考え込むような顔をした。
「リアに渡した髪が何かを見てくるかもしれない……。何にせよ、もう少し磁場を強くしておこう」
「分かりました」
リンクは答えた。
「ねえ、リンク」
早速テントに戻ろうとするリンクはびっくりして足をとめた。
「まだ何か?」
「ケイナに…… せめてプロジェクトの名前くらい言っておいたほうが良かったのかな」
「ああ……」
リンクは顔を歪めた。
「そんな余裕なかったし……。しかたないですよ」
「そうだね……」
トリは目を伏せた。
「やれやれ……」
鼻の頭に汗を光らせながらアシュアはつぶやいた。ユージーはやっぱり重い。ケイナの比ではなかった。
「セレスが寝ててくれて良かったぜ。あいつがいたらもっと問題ややこしくなりそうだった」
「あの子がついて来たって何の役にも立たないじゃないの」
リアの言葉に一瞬ケイナが怒るのではないかと思ってアシュアはひやりとしたが、ケイナは耳に入っていない様子で足元の草を見つめながら歩を進めている。
「さっき、森がヤバイとかって言ってたけど」
アシュアはリアに顔を向けた。
「よく分からないのよ」
リアは肩に垂れかかった髪を手で後ろに払い投げながら答えた。
「森の中が静か過ぎるの。何の気配もないの。動物の気配もよ」
「前から思ってたんだけど……」
アシュアは、よっ、と声をかけてユージーを背負い直しながら言った。
「人工衛星の『コリュボス』の森になんで動物がいるの。あんたらが放したのか?」
「直接わたしたちじゃないけど、どっかの群れが持って来たのよ。増えてるのは自然繁殖だわ」
「なんで、危険なリールまで持ってくるわけ?」
「リールは危険じゃないわ」
リアは笑った。
「人間がちょっかいかけるから危険なだけよ。あれがいることで森の生態系が守られるのよ。生物がいるから森も緑が増えるのよ」
「そんなもんかね」
アシュアは片手で汗を拭った。
「代わろうか」
ケイナがアシュアに目を向けた。
「おまえにゃ無理だよ。ユージーは重いぜぇ」
アシュアの言葉にケイナは苦笑した。
森の出口まで結局アシュアがひとりでユージーを背負い、2時間後、来るときに乗ってきたプラニカが見えたときにはさすがに彼は大きな息をついた。
アシュアはユージーを座席に放り込むと首を回した。
「リア、運転頼むぜ、おれ、もうだめだからな」
「どこに連れて行くの?」
「燃料があまりない……」
ケイナは運転席を覗き込んでつぶやいた。
「エアポートに行く。離発着側のほうなら人目にもつかない」
リアはうなずいて運転席に座った。
その隣にアシュアが座り、ケイナは後部座席に乗ってユージーを抱きかかえた。
30分ほど飛んで、リアは人目につかないエアポートの外の草地にプラニカを降り立たせた。
「このあたりなら照明の影になるわ」
リアは言った。
ケイナはユージーを抱きかかえると、プラニカから降ろしてそっと横たえた。
エアポートの建物の向こうに見慣れた『中央塔』がそびえ立っているのが見える。
あの光の斑点のどこかにレジー・カートがいる。『ライン』もあれから代わりなくあるのだろう。
一隻の船が頭上を低い唸りをあげながらエアポートに向かって飛んでいった。
ケイナはちらりとそれを見上げたあと、草の上にトリから渡された通信機を開き、その前に片膝をついて座った。
「……10時半…… ユージーの薬がきれるまで2時間か……」
ケイナは通信機についている時計を見てつぶやいた。ちらりとユージーに目を向けた彼は小さなキイを叩いた。
「カート司令官のプライベート回線か?」
アシュアが覗き込んで言った。
「全くの家族用で…… アクセスするとしたらおれかユージーくらいだ。おれは滅多にアクセスしたことがないけれど……」
ケイナは答えた。
「レジーはまだオフィスにいる時間だし…… 気づいて受け取るかどうかは…… 運だな……」
最後のキイを叩いたあと、ケイナはアシュアを振り向いた。そして腰の剣の柄を抜くとアシュアに差し出した。
「悪い。これ、持ってて」
アシュアは訝し気に突き出された柄を見た。
「なんで」
「何があっても絶対おれに剣を渡すなよ」
まじかよ……。
アシュアは顔をしかめてケイナの剣を受け取った。持ってたら何をしでかすか分からねえってことか?
そんなにショックなことが起こる可能性があるってことか?
アシュアはエアポートの灯りに浮びあがるケイナの横顔を見た。思いつめたような表情をしている。
呼び出しを伝える小さな緑色のランプが点滅していた。しかし一向にそれが消える気配がない。固唾を飲んで待つ3人には途方もない時間が流れたように思えた。
そしてふいに聞こえた。
「ケイナか?!」
押し殺しつつも明らかに驚愕しているレジー・カートの声だった。
「ここはまずい。部屋を変える。そのまま少し待て」
アシュアはちらりとケイナに目を向けた。かすかに顔を歪めている。痛みをこらえているような顔だ。
「ケイナ」
リアが声をかけた。
「嫌かもしれないけど、あたしと手を繋いで」
ケイナの険しい目がリアに注がれた。
「懐にトリの髪が入ってるの。わたしの体を介してトリが頑張って動揺を吸い取ってくれる。倒れるわけにはいかないでしょう?」
「投影型の装置だ。あんたの姿も向こうに映る」
ケイナは答えた。
「トリはもう覚悟してるわ。わたしもよ」
リアはそう言うと手を差し出した。ケイナは少し躊躇したのちその手を左手で握った。
アシュアはごくりと唾を飲み込んで2人を見つめた。