セレスは翌日になっても目を覚まさなかった。
呼吸も安定しているし、心拍数も血圧も正常、ケイナの剣を真正面から受けたのと、そのあとにひたすら彼を呼び続けたことの疲労困ぱい状態、とトリは言った。
ケイナはユージーに会いたいと言ったが、リンクに拒否された。
確かにユージーの顔を見ることはまだケイナには精神的に厳しいかもしれない。
ケイナは膨れっ面をしていたが、渋々リンクの言いつけ通り一日テントの中で安静にしていることを約束した。
嘘のようにコミュニティの中は平穏だ。
アシュアは走り回っている子供たちを眺めてふわりとあくびをかみ殺した。
きゃあきゃあと声をはりあげる子供の声は騒々しいくらいだったが、ぼんやり座って見ているとそのまま眠りの中に引きずり込まれそうだ。
リアが足を引きずりながら子供たちの相手をしている。
あいつ、足あんまり動かさないほうがいいのに。
アシュアは心の中でつぶやいた。
ヒステリックで勝ち気なリアがどうしてあそこまで子供には人気があるのだろう。
子供たちはリアの顔さえ見ればよっていく。そういえばセレスもそうだ。セレスは存在自体が子供みたいなものだから違和感もない。
子供が絶対近寄らないのがケイナだ。一番人懐こいクレスですら、ほかの誰かがケイナと一緒にいるときでなければ決して彼のそばには来ない。ケイナの恐ろしい部分を知っているのかもしれない。
子供は正直だ……。
「アシュア」
リアが近づいて来た。横にクレスがはりついている。
「ヒマそうね。剣の練習しようか」
「バカ言え。足あんまり動かすな」
アシュアは苦笑した。
「大丈夫よ。明日には包帯も取るから」
リアは笑って答えた。
「おじちゃん、あそぼう」
クレスが言った。
「お兄さんと言え」
アシュアは立ち上がると笑ってクレスを抱き上げた。肩に乗せてやると嬉しそうにアシュアにしがみついた。
「子供、好きなの?」
リアは不思議そうにアシュアを見上げた。
「別に好きとか嫌いとかはないけど……」
アシュアは自分の縮れた赤毛をを小さな手でひっぱるクレスに顔をしかめながら答えた。
「13歳くらいまで孤児の施設で育ってたから、下の子の面倒はよく見てたんだ。痛い、こら、やめろ、降ろすぞ」
アシュアの言葉に、クレスが降ろされまいとさらにアシュアの髪を握りしめた。
「へえ……」
リアはアシュアの顔をまじまじと見た。
「あんたの口から自分のことが出たの初めてね」
「え?」
そんなことを言われるとは思っていなかったアシュアは戸惑ったようにリアを見た。
「あんたの口から出るのは、いつもケイナかセレスのことばっかりだったわ」
「それはあんたがそのことばっかし聞いてくるからだろ」
アシュアは答えた。リアは肩をすくめて顔をそらせた。
「ねえ、リアは誰とけっこんするの?」
いきなりクレスがそう言ったので、リアが険しい目を向けた。
「ケイナなの? アシュアなの?」
「なに言ってんのよ、この子は」
リアが手を振り上げたので、アシュアが慌てて庇った。
「やめろよ、子供相手に」
「リアは絶対たたかないよ」
クレスはくすくす笑った。
「まねだけだもん」
アシュアが目を向けるとリアは顔を赤くした。
「ねえ、どっちとけっこんするの? どっちも好きなんでしょう?」
「へらず口たたいてると、本気で怒るわよ!」
リアがつかみかかったので、アシュアは思わず身をそらせた。クレスは高いところで振り回されて甲高い笑い声をあげた。
「アシュアはリアとけっこんするの?」
「おれは誰とも結婚しないよ」
クレスの言葉にアシュアは笑った。一瞬、リアの表情がこわばった。
「なんで?」
アシュアはクレスを抱き上げると下に降ろした。
「やらなきゃならねえことがたくさんあるんだ」
「おしごと?」
クレスはアシュアを見上げた。
「んん…… まあ、そんなとこかな」
アシュアは答えた。
「じゃあ、おしごと終わったらけっこんしたらいいよ」
「いつ終わるかわかんねえんだ。お嫁さんもらったら……」
アシュアは言葉を途切らせた。クレスは不思議そうな顔で見上げている。
自分の背に痛いほどリアの視線が注がれていることは感じていた。
「おれ、守ってやれねえし……」
「クレス、行くよ」
リアが促した。クレスはリアに走り寄ると彼女の手をとった。
悪いな。
アシュアはリアの肩で揺れる髪を見て思った。
毛布の中に抱き入れたのはおれだ。体中冷たくなって横になっててほっとくわけにいかないだろ。
あんなことしなきゃよかったかな。
あんたは悔しがりながらもセレスとケイナの手を離そうとしなかった。セレスに毛布をかけてやった。
たぶん、あんたのそんなところをケイナもセレスもおれも…… だいぶん前から知ってたのかもしれない。
ああでも言わなきゃ、ぐらつきそうなのはおれのほうだ。
アシュアはリアと子供たちに背を向けた。
トリがテントにやってきたのは夜もかなり更けてからだった。
アシュアは気配で目を覚まし、トリの表情に切羽詰まったものを感じて体を起こした。
ケイナに目をやると彼も起き上がって顔をこすっている。セレスは相変わらず目を覚まさない。
「なに?」
ケイナはトリを見た。顔が不機嫌そうだ。
「あの黒髪の…… カートの息子が思ったより早く覚醒しそうなんだ。今夜中に森の外に運ぶ。顔を見るなら今しかない」
ケイナはうなずいた。
「分かった。行く」
「ケイナ、今回はぼくたちで森の外に運んで行く。カートにコンタクトを取るのは諦めろ」
トリは気づかわしげに言ったが、ケイナはそれを無視して立ち上がった。アシュアもそれを見てベッドからおりた。
トリはため息をついた。最初から言っても無駄だと思っていたのかもしれない。
「じゃ、こっちに」
彼はふたりを促すと歩きだした。
一番外れの小さなテントの中にユージーは横たえられていた。リンクが外した点滴を片付けている。
ケイナは堅く目を閉じているユージーを見下ろした。
やつれきったユージーの顔は少し顔色が良くなったもののさほど変わらないように思える。
前はもっと精悍な感じだった。
いや…… 『ライン』の中でのユージーのことはあまり記憶にない。 暗示のせいでお互いに顔を認識していなかったからだ。
「彼はずいぶん強靱な体力の持ち主だね。こんなに早く覚めるとは思わなかった」
リンクはケイナの顔を見て言った。
「目が覚めてもおそらく何も覚えていないでしょう。たぶんきみのことも覚えていない。何らかの事故でショック的に記憶を失って放浪していたように思われるでしょうから、心配しなくてもいいと思いますよ」
ケイナはうなずいたが複雑な気分だった。
目が覚めたら何も覚えていない。ユージーの記憶からは自分の記憶は抹消されるのだ。
真っ黒な髪。引き締まった肢体。レジー・カートによく似た高い鼻。
「兄さん…… ごめんな」
ケイナはつぶやいた。
「そろそろ準備をするよ……」
遠慮がちにトリはケイナの背に言った。
「時間の問題なんだ。運んでいる途中で目が覚めるとまずい」
ケイナはうなずくと、ユージーから離れようと背を向けた。
次の瞬間、ぎくりとして凍りついた。
ケイナはゆっくりと振り返った。自分の左手を、ユージーは掴んでいた。
呼吸も安定しているし、心拍数も血圧も正常、ケイナの剣を真正面から受けたのと、そのあとにひたすら彼を呼び続けたことの疲労困ぱい状態、とトリは言った。
ケイナはユージーに会いたいと言ったが、リンクに拒否された。
確かにユージーの顔を見ることはまだケイナには精神的に厳しいかもしれない。
ケイナは膨れっ面をしていたが、渋々リンクの言いつけ通り一日テントの中で安静にしていることを約束した。
嘘のようにコミュニティの中は平穏だ。
アシュアは走り回っている子供たちを眺めてふわりとあくびをかみ殺した。
きゃあきゃあと声をはりあげる子供の声は騒々しいくらいだったが、ぼんやり座って見ているとそのまま眠りの中に引きずり込まれそうだ。
リアが足を引きずりながら子供たちの相手をしている。
あいつ、足あんまり動かさないほうがいいのに。
アシュアは心の中でつぶやいた。
ヒステリックで勝ち気なリアがどうしてあそこまで子供には人気があるのだろう。
子供たちはリアの顔さえ見ればよっていく。そういえばセレスもそうだ。セレスは存在自体が子供みたいなものだから違和感もない。
子供が絶対近寄らないのがケイナだ。一番人懐こいクレスですら、ほかの誰かがケイナと一緒にいるときでなければ決して彼のそばには来ない。ケイナの恐ろしい部分を知っているのかもしれない。
子供は正直だ……。
「アシュア」
リアが近づいて来た。横にクレスがはりついている。
「ヒマそうね。剣の練習しようか」
「バカ言え。足あんまり動かすな」
アシュアは苦笑した。
「大丈夫よ。明日には包帯も取るから」
リアは笑って答えた。
「おじちゃん、あそぼう」
クレスが言った。
「お兄さんと言え」
アシュアは立ち上がると笑ってクレスを抱き上げた。肩に乗せてやると嬉しそうにアシュアにしがみついた。
「子供、好きなの?」
リアは不思議そうにアシュアを見上げた。
「別に好きとか嫌いとかはないけど……」
アシュアは自分の縮れた赤毛をを小さな手でひっぱるクレスに顔をしかめながら答えた。
「13歳くらいまで孤児の施設で育ってたから、下の子の面倒はよく見てたんだ。痛い、こら、やめろ、降ろすぞ」
アシュアの言葉に、クレスが降ろされまいとさらにアシュアの髪を握りしめた。
「へえ……」
リアはアシュアの顔をまじまじと見た。
「あんたの口から自分のことが出たの初めてね」
「え?」
そんなことを言われるとは思っていなかったアシュアは戸惑ったようにリアを見た。
「あんたの口から出るのは、いつもケイナかセレスのことばっかりだったわ」
「それはあんたがそのことばっかし聞いてくるからだろ」
アシュアは答えた。リアは肩をすくめて顔をそらせた。
「ねえ、リアは誰とけっこんするの?」
いきなりクレスがそう言ったので、リアが険しい目を向けた。
「ケイナなの? アシュアなの?」
「なに言ってんのよ、この子は」
リアが手を振り上げたので、アシュアが慌てて庇った。
「やめろよ、子供相手に」
「リアは絶対たたかないよ」
クレスはくすくす笑った。
「まねだけだもん」
アシュアが目を向けるとリアは顔を赤くした。
「ねえ、どっちとけっこんするの? どっちも好きなんでしょう?」
「へらず口たたいてると、本気で怒るわよ!」
リアがつかみかかったので、アシュアは思わず身をそらせた。クレスは高いところで振り回されて甲高い笑い声をあげた。
「アシュアはリアとけっこんするの?」
「おれは誰とも結婚しないよ」
クレスの言葉にアシュアは笑った。一瞬、リアの表情がこわばった。
「なんで?」
アシュアはクレスを抱き上げると下に降ろした。
「やらなきゃならねえことがたくさんあるんだ」
「おしごと?」
クレスはアシュアを見上げた。
「んん…… まあ、そんなとこかな」
アシュアは答えた。
「じゃあ、おしごと終わったらけっこんしたらいいよ」
「いつ終わるかわかんねえんだ。お嫁さんもらったら……」
アシュアは言葉を途切らせた。クレスは不思議そうな顔で見上げている。
自分の背に痛いほどリアの視線が注がれていることは感じていた。
「おれ、守ってやれねえし……」
「クレス、行くよ」
リアが促した。クレスはリアに走り寄ると彼女の手をとった。
悪いな。
アシュアはリアの肩で揺れる髪を見て思った。
毛布の中に抱き入れたのはおれだ。体中冷たくなって横になっててほっとくわけにいかないだろ。
あんなことしなきゃよかったかな。
あんたは悔しがりながらもセレスとケイナの手を離そうとしなかった。セレスに毛布をかけてやった。
たぶん、あんたのそんなところをケイナもセレスもおれも…… だいぶん前から知ってたのかもしれない。
ああでも言わなきゃ、ぐらつきそうなのはおれのほうだ。
アシュアはリアと子供たちに背を向けた。
トリがテントにやってきたのは夜もかなり更けてからだった。
アシュアは気配で目を覚まし、トリの表情に切羽詰まったものを感じて体を起こした。
ケイナに目をやると彼も起き上がって顔をこすっている。セレスは相変わらず目を覚まさない。
「なに?」
ケイナはトリを見た。顔が不機嫌そうだ。
「あの黒髪の…… カートの息子が思ったより早く覚醒しそうなんだ。今夜中に森の外に運ぶ。顔を見るなら今しかない」
ケイナはうなずいた。
「分かった。行く」
「ケイナ、今回はぼくたちで森の外に運んで行く。カートにコンタクトを取るのは諦めろ」
トリは気づかわしげに言ったが、ケイナはそれを無視して立ち上がった。アシュアもそれを見てベッドからおりた。
トリはため息をついた。最初から言っても無駄だと思っていたのかもしれない。
「じゃ、こっちに」
彼はふたりを促すと歩きだした。
一番外れの小さなテントの中にユージーは横たえられていた。リンクが外した点滴を片付けている。
ケイナは堅く目を閉じているユージーを見下ろした。
やつれきったユージーの顔は少し顔色が良くなったもののさほど変わらないように思える。
前はもっと精悍な感じだった。
いや…… 『ライン』の中でのユージーのことはあまり記憶にない。 暗示のせいでお互いに顔を認識していなかったからだ。
「彼はずいぶん強靱な体力の持ち主だね。こんなに早く覚めるとは思わなかった」
リンクはケイナの顔を見て言った。
「目が覚めてもおそらく何も覚えていないでしょう。たぶんきみのことも覚えていない。何らかの事故でショック的に記憶を失って放浪していたように思われるでしょうから、心配しなくてもいいと思いますよ」
ケイナはうなずいたが複雑な気分だった。
目が覚めたら何も覚えていない。ユージーの記憶からは自分の記憶は抹消されるのだ。
真っ黒な髪。引き締まった肢体。レジー・カートによく似た高い鼻。
「兄さん…… ごめんな」
ケイナはつぶやいた。
「そろそろ準備をするよ……」
遠慮がちにトリはケイナの背に言った。
「時間の問題なんだ。運んでいる途中で目が覚めるとまずい」
ケイナはうなずくと、ユージーから離れようと背を向けた。
次の瞬間、ぎくりとして凍りついた。
ケイナはゆっくりと振り返った。自分の左手を、ユージーは掴んでいた。