自分のブースでバックを開けて身の回りのものを取り出し衣類をクローゼットに入れ、こまごましたものを片づけ終わったあとバックを閉めようとして、セレスはふと両親の写真と父親のブレスレットのことを思い出した。
 なくすといけないので、家に置いていこうかと考えたのだが、思い直してバックに入れたものだ。
 しばらくそれを見つめたのち、セレスはそれをデスクの抽き出しに入れた。
「あんた、ハーフ?」
 いきなり背後で声がしたので、セレスはびっくりして振り向いた。
 ジュディがブースの外に立っていた。
「アライドとのハーフ? それとも突然変異?」
 彼は両手をポケットにつっこみ、顔を斜めにかしげてこちらに顔を向けていた。目だけを動かしてじろじろとセレスの頭の先から足までを眺めている。
「違うよ。昔はよく言われたけど」
 セレスはバックを閉めながら答えた。
「でも、髪と目が緑色だ」
「違うんだからしようがないだろ」
 セレスはバックをクローゼットに放り込み、バタンと扉を閉めた。
「遺伝子検査した?」
 セレスは少しむかっとして少年を見た。高飛車な彼の物言いは神経を逆撫でするものだった。彼の背後でトニが心配そうな顔をこちらに向けている。
「してないなら別にいいよ。聞きたかっただけだ」
 彼はそう言うとさっさと自分のブースに戻っていった。
 向かいのトニに目をやると、トニはセレスに大袈裟に首を振って顔をしかめてみせた。
 なんだか妙なやつと一緒になっちゃったよな、と言いたげだ。
 部屋の扉が開く気配がしたのはそのすぐあとだった。ルームリーダーが来たらしい。
 セレスとトニは顔を見合わせ、ブースから出て同時に「あっ」と小さく声をあげた。
「新入生、こっちに集合」
 目の前を通っていったのはまぎれもないケイナ・カートだったのだ。
(まさか…… 彼がルーム・リーダー?)
 セレスは心臓が飛び出すのではないかと思うほど激しく動悸をうつのを感じた。
 こんなに早く会えるとは思ってもみなかった。
「聞こえないのか!」
 呆然としているセレスとトニを見てケイナは怒鳴った。
 ジュディはすでにケイナのいる共用スペースに立っている。
 ふたりは慌ててブースを飛び出した。
「座っていいから」
 ふたりをじろりと睨んだあと、ケイナは三人に椅子を顎で示した。 震えあがりそうなくらい怖い目だ。
 彼はそれぞれに分厚いファイルを手渡すと自分も椅子に腰かけて長い足を組んだ。
 こんなくだらないことは早く終わらせたい、と言わんばかりの渋面をしている。
「今日から半年間、きみたちのお守をさせてもらうことになった。名前はケイナ・カート、四回生だ。そのファイルはきみたちそれぞれのこれからのカリキュラムと全体の規則が入っている。あとでゆっくり読んでおくように」
 ケイナは口早にそう言って自分のファイルをめくり始めた。 ページをめくるなにげないしぐさがぞっとするほど優雅だ。 ラフな専用のトレーニングウェアを着ていなければ、やっぱり誰も軍科志望などとは思うまい。
「この部屋は軍科生がふたり、情報科がひとりになっている。トニ・メニは…… きみか。 あとのふたりは軍科だな」
 セレスはジュディが軍科だと聞いてびっくりした。てっきり情報科だと思っていたのだ。
 トニも同じことを考えたらしい。思いがけないといった顔でジュディを見ていた。
「あとで見れば分かると思うけれど、カリキュラムの中のRPという項目は ルームリーダーによる補充カリキュラムだから、セレス・クレイとジュディ・ファントは おれの担当になる。トニ・メニはそのファイルに書いてあるから確認しておけ」
 ケイナはファイルからほとんど目をあげない。
 各共同の部屋のことや、風紀に関する規則、こまごました生活の規則を淡々と事務的に話した。
「今日は入所式が終わったらあとはフリータイムだそうだ。こういう日は明日以降ほとんどないから、有意義に使っておくんだな」
 ケイナは最後にそう言うとぱたんとファイルを閉じた。
「質問は?」
 初めて彼は三人の顔を見回した。
 セレスは自分の顔を見ても何の反応もないケイナにがっかりしていた。
 覚えていてくれていることを期待していた。会えば「よく来たな」くらい言ってもらえるかもと思っていたのだ。
 数カ月も前のほんの数時間一緒にいただけのことだから彼は忘れているのかもしれない。
 でもあんなにすごい力で腕を掴んだのに……。
 「忘れるな」と言ったのは彼だったのに……。
「何にもないなら最後に言っておくが、基本的におれはきみたちの普段の行動については何も干渉しない。おれも干渉されたくない。何か分からないことがあればいつでも聞いてきてもらってかまわないが、できるだけ個人の行動は個人で規範を持ってやってくれ。他人のカリキュラムに影響を及ぼすようなことがあれば容赦しないからな。 二、三発ぶんなぐられる以上のことを覚悟しておけよ」
 何がおかしかったのかジュディがかすかに笑みを漏らしたが、ケイナはそれを無視した。
 そしてさっさと立ち上がると部屋を出ていってしまった。
 三人は座ったまま黙ってケイナを見送るしかなかった。
「びっくりした……」
 トニはほっと息をついてつぶやいた。
「しょっぱなからケイナ・カートの部屋になるなんて思いもしなかった」
 まったくだ、とセレスも思った。
 しかし、ジュディはかすかに顔をしかめていた。
「あれがケイナ・カート? もう少しできそうな人かと思ったよ」
「彼は『ライン』で優秀だよ」
 トニが言うとジュディはかすかに笑った。
「だといいけどね」
 そう言うと自分のブースに戻っていった。
「なんか、いやなやつ」
 トニは小さな声で毒づいた。そしてセレスを見た。
「ケイナはきみのことを忘れてるみたいだね。見学会で担当だったはずだろ?」
「きみは彼のこと、よく知っているの?」
 セレスはトニに尋ねた。トニはちょっと目を伏せた。
「うん…… まあね。『ジュニア・スクール』で一緒だったから」
「そう……」
 ケイナは『ジュニア・スクール』時代いったいどんな生徒だったのだろう。
 あの時の約束を本当に忘れてしまっているのだろうか。
 必ず来い、と言っていたのに。だから頑張れたのに。
 セレスは口を引き結んだ。

 翌日からケイナの言ったとおり、初日のフリータイムが天国だったと思えるような日々が始まった。
 起床は5時。6時までに朝食を終え、午前中一杯は講議、午後はトレーニング、夜は講議のまとめ、就寝はいつも日付けが変わった。
 前日の講議は翌日必ずテストされ、それに合格しないと次に進めない。
 14歳の少年たちにとっては苛酷ともいえるスケジュールだった。
 ケイナはいつもまっさきに部屋を出て夕食を終えるまでは戻って来なかった。
 夕食のあとはブースにこもりっきりで机に向かったあと、10時くらいに再び部屋を出て、次に戻ってくるのは日付けが変わっていた。何かあれば聞いてきてもいいと言っていたが、とても声をかけられる雰囲気ではない。
 そんな中でなぜかジュディだけは平気でケイナに質問を浴びせた。
 聞いていることはいつもくだらないことばかりだ。
 個人通信はどこでやるのかとか、食事の時間にどうしても遅れる場合はどこでとればいいのかとか、セレスやトニに聞いてもこと足りるようなことをいちいちケイナに聞きに行く。
 いつかケイナが怒り出すんじゃないかとセレスとトニはハラハラしたが、不思議なほど彼は冷静に答えてやっていた。それを見る限りでは彼はそんなに人に対して邪険な態度を取るわけではないように思えた。
 もっとも、返事自体はかなりぶっきらぼうだったけれど。
 その日もジュディは待ち構えたように夕方ケイナが部屋に入ってくるなりケイナに自分の図書貸し出しカードがうまくコンピューターに入らないと言い出した。
「そんなもん、ライブラリの係員に言え」
 ケイナがそう言ったので、セレスとトニは心の中で拍手をした。
「でも、係の人がいないんです。ぼく、明日までにレポート書かなくちゃならなくて」
 ジュディは細かいことをケイナに言って、彼を試しているようでもあった。
「どこの文献がいるんだ」
 ケイナが自分の書架に手を伸ばした時、ふいに外の廊下でものすごい音がした。
 何かがぶつかって割れるような音だ。
 トニとセレスはブースの中から思わず互いの顔を見合わせた。
 ジュディも扉のほうを見ていたが、ケイナは全く動じていない。
「おい、なんの文献だって聞いてんだよ!」
 あわててジュディが答えようとすると、ケイナのデスクの通信用モニターがけたたましく鳴った。
 何を話しているのか聞こえなかったが、ケイナは苛立った足音を残してブースを飛び出すと部屋を出ていった。
 次の瞬間、申し合わせたようにセレスとトニは部屋のドアに突進していた。
 そんなふたりをジュディはしらけた目で睨み、自分のブースに戻っていった。
「自分だって気になるくせに」
 トニが小さな声でジュディに悪態をついた。もちろん、セレスにだけ聞こえるように、だ。
 外を見てふたりは仰天した。
 部屋という部屋から新入生たちが顔を覗かせている。
 セレスは向かいの部屋からアルが半分泣き出しそうな顔で立っているのを見た。
 赤い髪の少年と、彼よりもひとまわりも体の大きなスキンヘッドの少年がお互いの胸ぐらを掴んでいる姿がほんの数メートル先に見えた。スキンヘッドは少年というより、もう大男に近い。壁にかけてあったプレートが床で粉々に砕けていた。大きな音の原因はこれだったらしい。
 赤毛の少年もかなり大柄だが、スキンヘッドと比べると大人と子供に見えた。そのふたりを黒い髪の少年が必死になって引き離そうとしている。
「やめろ! ふたりとも反省室送りだぞ!」
 黒髪の少年はスキンヘッドの少年を後ろから引き離そうとしたが、彼の太い腕に顔面を直撃され後ろの壁にたたきつけられてしまった。
 彼はいまどきめずらしいメガネをかけていたから、それが床に吹っ飛ぶのがセレスには見えた。しかし、床に落ちてもレンズは割れなかった。
「ケイナ! 頼む、こいつらなんとかしてくれ!」
 黒髪の少年はケイナの姿を見て叫んだ。
 ケイナの態度は不思議だった。
 彼らより少し離れて止めようともせず黙って見ている。
 スキンヘッドの少年が赤毛の少年の顔面をものすごい勢いで殴りつけた。鈍い音がして、彼の鼻から血が飛び散った。
「うわ……!」
 トニは自分が殴られたかのように顔をしかめた。
 仰向けに倒れた赤毛の少年にスキンヘッドの少年は何発もこぶしを浴びせた。
 しかし赤毛の少年も負けてはいなかった。両手を組み合わせて相手の横っ面を殴りつけると、相手が離れたところで口にたまった血を思いっきり吐きかけた。それが相手をよけいに殺気立たせた。
 スキンヘッドはポケットからナイフを取り出し赤毛の少年に踊りかかった。誰もが赤毛の少年の胸にぶっすりとナイフが突き刺さると思った。
 しかしそうはならなかった。
 ケイナの動きは誰もが予想をしえないものだった。
 彼は瞬時に黒髪の少年の腰に吊ってあった訓練用の銃を抜き取り、それをスキンヘッドの少年の耳元にぴたりと突き付けたのだ。
 まるで最初からスキンヘッドがナイフを抜いたらそうしようと思っていたかのような動きだった。
 スキンヘッドの動きが止まった。
「終了」
 ケイナは言った。
「アシュアから離れろ」
「ぶっ殺されてえか」
 スキンヘッドの少年が目だけをぎろりとケイナに向けて言った。
 片腕は床に仰向けになっている赤毛の少年の肩を掴んだままだ。
「おれやアシュアを刺すよりもおまえの耳を吹っ飛ばすほうが早い」
「そんなことをしてみろ、おまえも反省室送りだ」
「反省室なんかこわかない」
 ケイナは冷ややかな笑みを浮かべた。
「言ったろ、おれのほうが速いって。おまえの耳吹っ飛ばして一ヶ月間反省室送りになるのなんか、たいしたことじゃない。自分の心配をしな」
 スキンヘッドの少年は明らかに動揺していた。
 こめかみのあたりがひくひくと痙攣を起こしている。
「耳は吹っ飛ばされないよ……」
 セレスはつぶやいた。
「どうして」
 トニはセレスを見た。
「訓練用の銃はそういうふうにできてるんだ。せいぜい火傷するくらいだ。それでもあの距離なら相当痛いと思うけど……」
「なんでわかるの?」
 トニは不思議そうな顔をした。セレスは肩をすくめた。兄が昔そんな事を言っていたのだ。
 訓練用の銃は『点』という名前で、殺傷能力はない。
 人体に発砲してもセンサーが働いてせいぜい軽い火傷を負う程度。
 セレスはじっとなりゆきを見守った。
 スキンヘッドも『点』のことを知らないわけではないだろう。彼が妙にケイナの向けた銃口に緊張しているのは、おそらくケイナの殺気のせいだ。『点』を撃ったあと殺気まみれのケイナがどういう行動に出るのか彼には想像がつかないのだ。
 スキンヘッドの表情が幽かに動いたとき、ものすごい怒鳴り声が響き渡った。
「またおまえたちか!」
 声の主は体つきのがっしりした男だった。30代後半くらいの男で、教官服を着ている。
 教官の中では若いほうだ。セレスは彼の顔を知っていた。
 自分の筋力トレーニングと、まだ始まっていないが射撃の訓練を担当することになっているジェイク・ブロードだ。
 彼はいつも生徒を怒鳴り散らしていた。
 ブロードの訓練はほかのどの教官よりも厳しいと評判だった。
 いつも眉間に皺をよせ、彼が笑みを浮かべた顔を見たことがない。
「立て! 望み通り反省室に送ってやる!」
 ブロードは乱暴に赤毛の少年とスキンヘッドの腕をつかんだ。そして『点』を持つケイナに目をやったので、黒髪の少年が慌てて言った。
「彼、撃ってません。バッガスがナイフを出したので威嚇しただけです」
「『点』は誰のだ。」
 ブロードは言った。
「ぼくのです。すみません。射撃室から飛んできたもので……」
 黒髪の少年は答えた。ブロードはケイナから『点』をもぎとると彼に渡した。
「アシュアは3日間反省室に入れるぞ。今度やったら地球に送り返す」
 ブロードはケイナに言った。ケイナはうなずいた。
 ブロードは怒りまくった様子で赤毛の少年とスキンヘッドをひきずるようにして連れていってしまった。
 さすがに教官の前では抵抗しないのは、ふたりともそれが除名を決定づけることだと知っているからだろう。
 ケンカが終わってしまったので見物の少年たちも次々に部屋の中に戻っていった。
 アルは最後にセレスにちょっと手をあげて部屋に消えた。
 トニはケイナがこちらに戻ってきたのを見て大慌てで自分のブースの中に走っていったが、セレスはそのまま彼をドアのところで待った。
「どうせなら病院送りにしてやればよかったのに」
 セレスは部屋に入ろうとするケイナに言った。トニが仰天してブースの陰から顔を覗かせた。ジュディも振り向いている。ケイナは立ち止まってセレスを見下ろした。
「あっちが先にナイフを出したんだ。正当防衛だよ」
「何が言いたいんだ」
 ケイナの顔は不機嫌そうだ。セレスは怖じ気付いた様子を気取られないよう、つとめて冷静なそぶりをした。
「カケをしたね。教官が来なかったらどうするつもりだったの」
 それを聞いてケイナはかすかに口を歪ませて笑みを浮かべた。
「勝つとわかっているカケなんかない」
「残念だな。あんたの銃の腕をまた見たかった」
 その途端、ケイナの手がセレスの胸ぐらをつかんだ。
「だったら……」
 ケイナはセレスに顔を寄せた。
「だったら、早くハイラインにあがってきな」
「行くよ」
 セレスは自分の声がかすかに震えているのを感じた。
「絶対あんたのそばに行くよ」
「おれはあと2年しかここにいないぜ」
「覚えてるよ」
 セレスはケイナの顔を睨みつけながら言った。ケイナはセレスの目をひたと見つめ返した。
 前と同じようにミントの香りがした。
「ほめてやるよ」
 彼は手を離すとブースに戻りかけて再びセレスを振り向いた。
「もうひとつおまえが見落としたカケを言っといてやるよ」
 セレスはケイナを見た。
「ケンカで相手を病院送りにしたら、謹慎一ヶ月じゃなくて、除名だよ」
 ケイナはそこでくっくと笑った。
「だけど、あいつにはおれを除名にする勇気なんかない。おれを除名にしたら病院送りじゃなくて命がないからな」
 ケイナはブースに入ってタオルを取ると、バスルームに入っていった。
 セレスがそれを見送って自分のブースに戻るとトニが真っ赤な顔をして飛んできた。
「どうしちゃったのさ。ケイナにあんなこと言うなんて、どうなることかと思ったよ!」
「うん……」
 セレスはあいまいに答えて疲れ切ったようにベッドに腰をおろした。
「大丈夫?」
 セレスがケイナにつかまれたところをさすっているので、トニは心配そうに言った。
 相変わらずケイナの握力はものすごい。首が締まるかと思った。
「ケイナが笑ってたね…… びっくりしたよ」
 トニは息を吐いて言った。
「ぼくはてっきりきみが殴られると思った」
「自分でもびっくりしてる。なんであんなこと言ったのか分からないんだ」
セレスは答えた。
「気がついたらしゃべりかけてた」
「ケイナ・カートはここに来て、ちょっと変わったのかもしれない。前は特定の人にあんなに必要以外のことをしゃべったりしなかったよ」
「……」
 セレスはトニの言葉を聞いていなかった。心の中でケイナの言葉を反すうしていた。
『ほめてやるよ』
 ケイナは覚えてた。
 見学会のことを覚えていたんだ……。
 それが無性に嬉しかった。