「もうちょっと気を入れてやれよ!!」
 アシュアは怒鳴った。
 リアはむっとした顔をすると、いらだたしげに持っていた木の棒を地面に叩き付けた。
「ふざけないで!! やってらんないわよ、こんなお遊びみたいなこと!!」
 もう3日もリアは剣を持たずに木の棒っきれを持って振り回していた。
 確かにアシュアの言うことは的確でリアは自分の基礎のなさを認めざるをえなかったが、まるで幼少時代に戻ったかのようなこの扱いには我慢がならなかった。
 アシュアはしばらくリアの怒りで真っ赤になった顔を見つめていたが、やがて無言で彼女が投げつけた棒を拾い上げると、彼女に差し出した。リアはそっぽを向いて受け取ろうとしなかった。
「相手を傷つけることができる武器を持つってことは、自分も傷つく可能性があるってことなんだぜ」
「そんなことは分かってるわ」
 リアは吐きすてるように言った。
「だったらなんでおれのこの棒っきれが受けられないんだよ。あんたこの3日間、やまほど棒を消費してる」
「ちゃんと受けてるわ。あんた自分の持つほうを頑丈にしてるんじゃないの?」
 リアは負けじと言い返した。アシュアの目が細くなった。
「あんた、本気でそう思ってるのか?」
 アシュアは言った。リアは返事をする代わりに口を歪めて笑みを浮かべてみせた。
 アシュアはそれを見ると、リアの持っていた棒をとりあげ、彼女の目の前で自分の棒を放りあげ、地面に落ちる前に振り下ろした。
 鈍い音がして、アシュアの持っていた棒はあっけなく折れて跳ね跳んでいった。
「あんた、何にも分かっちゃいねえ。あんたすばしっこさに乗じて逃げてるだけなんだ。受けの姿勢ができてないと 相手の剣は自分の剣もろとも自分に襲いかかってくるぜ。そのときにもし長丁場になっててあんたのスタミナがなくなってたら、あんたはあっという間にあの世行きだ。接近戦てなそういうもんなんだぜ」
 リアは何も言わずに唇をかんで、まっぷたつに折れた棒を見つめていた。
「あんたはケイナに教えてもらいたかったからそんなふうにやる気がないんだろうけど、ケイナはあんたがどんなに拝み倒しても絶対にあんたには手ほどきはしねえよ」
「どうしてそんなことが分かるのよ」
 リアはアシュアを睨みつけて言った。アシュアは肩をすくめた。
「ケイナは自分でどういうふうに動いているのか自分で分かっていないんだ。あいつは頭で考えるよりも先に体が動いているやつなんだよ。相手が次の行動を起こす前にあいつはもうその次、そのまた次を読んでるし、見える。それを自分で分かった、と認識する前にもう体が動いているやつなんだ。自分が無意識でやっていることを人に順序立ててレクチャーなんかできねえんだよ」
「……」
 リアは口を引き結んで無言だったが、まだ納得できないようだった。アシュアはため息をついた。
「例えばな、あんた、人に息の吸いかたって教えられるか? 難しいだろ? まばたきの仕方は? おんなじことなんだ。確かにあいつだって『ライン』で基礎を教えてもらってる。けれど、あいつは基礎のほんのさきっぽだけ教えてもらったら、あとは全部自分で展開できちまう。『ライン』で上にあがると下の人間に基礎を教えたりすることがあるんだけどな、あいつの評価、あんまりよくないんだよ。教え方が悪いってんじゃなくて、素っ気無さ過ぎるんだと。自分がなかば本能で習得していることをどう教えていいのかも分からなかったんだろうな。だからおざなりなカリキュラムどおりのことしかできないんだ。本気にもなれなかっただろうしな。ただひとりを除いては」
「ただひとりを除いて……?」
 リアは眉をひそめた。
「セレスだよ」
 アシュアは言った。
「セレスはケイナとよく似たところがある。だからケイナも教えやすかったんだ。普通の奴なら伝えるのに難しいことも、セレスになら言葉ひとつ、それもニュアンスだけでいい。あのふたりはそんな関係なんだ」
 リアは言いようのないもどかしさを感じて目を伏せた。
 セレス、セレス、セレス、セレス……。
 あんな子供がどうしてケイナと同じなの。
 どうしてすべてにおいて私はあの子に太刀打ちできないの。
 私の目の前にいるのは、こんなぶしつけな大男であっていいはずがないわ。
 そんなリアの心のうちを知ってか知らずか、アシュアはわずかに口を歪めてリアを見下ろした。
「そんなに悔しいんなら、おれを一度でも倒してみな。一度でもおれを本気にさせてみな。 あんたはおれのことを相当小馬鹿にしているようだけど、悪いがな、おれこそあんたの戦いかたが子供の剣士ごっこにしか見えねえんだよ」
 リアの顔にかっと血が昇った。次の瞬間、彼女の手がアシュアの頬に向かって飛んだが、アシュアはついと顔を動かしてそれをやり過ごした。リアの手は空しく彼の髪をかすっただけだった。
「こういうことだ。読まれてる」
 アシュアは言った。
 リアは怒りに体を震わせるとくるりと身を翻した。背を向けて足早に行く彼女をアシュアは黙っ見送った。

 セレスは子供たちと地面に座り込んで木細工をしてやっていたが、ふいにクレスが立ち上がったので顔をあげた。
「リア」
 クレスはそう言って駆け出した。猛然とテントの間を突っ切ってくるリアの姿をセレスは見た。
「リア! 一緒に遊ぼう!!」
 クレスがしがみついてきたので、彼女は足をとめた。
「リア?」
 クレスは不思議そうにリアの顔を見上げた。リアの目は涙に濡れていた。
「どうしたんだ?」
 セレスは彼女の異変に気づいて近づいた。
「アシュアが何かした?」
「ほっといて」
 リアは即座に言った。
「でも……」
「ほっといて!」
 リアは怒鳴った。
 間違ってもセレスになぞ話したくはなかった。セレスになんか。
 そして彼女はトリのテントから出てくるケイナの姿を見つけたのだった。
 ケイナはこちらの姿に気がつくと、怪訝な目をして足をとめた。
 リアの目からぽたぽたと涙が落ち、次の瞬間、彼女はケイナの胸に飛び込んでいた。
 全員が呆然として彼女の姿を見つめていた。
 一番仰天したのはもちろんケイナだ。彼は戸惑ったようにちらりとセレスの顔を見た。
「何があったんだ……」
 ケイナは困惑して言ったが、セレスにはわからない。リアはただ泣きじゃくるばかりだ。
 ケイナはしかたなく彼女を抱きかかえるようにして再びトリのテントに引き返して行った。
「リア、どうしたの?」
 クレスがセレスの手を握って見上げたが、セレスの耳には入らなかった。
 何だろう、この感覚。不安とも焦燥感ともつかない、頼りない気持ちだった。
 ケイナの自分を伺い見るような目を見たのは初めてだった。
 ケイナ、何を考えてる? なんでおれの顔をそんなふうに見るんだよ……。いつものように堂々としていろよ。
 リアの髪の香りがまだセレスの周囲にまとわりついていた。

 セレスはしばらく子供たちの相手をしてから自分のテントに戻った。
 ケイナはあのあとすぐにトリのテントから出てきたが、セレスには目もくれずにさっさと別のテントに入っていった。リアにすがりつかれる前からそのつもりだったようだ。その横顔には何の変化も見られなかった。
 自分のテントに戻るとアシュアが山のような棒きれを積み上げて、一本一本斜めにしたり横にしたりして選り分けていた。明日からのリアの特訓に使うのだろう。
「アシュア、今日、なんかあったの?」
 セレスはテーブルの上の水差しを取り上げながら言った。
「なんかって?」
 アシュアは手を止めずに答えた。
「リアが取り乱して泣いてたよ。彼女に何か言った?」
「別に。そのまま事実を言っただけだ。あのまんまじゃ、プライド高いわがままなお嬢ちゃんでしかねえからな」
 セレスはため息をついた。アシュアはきっと相当に厳しいことを言ったに違いない。
「リアは女の人だよ。ちょっとは気をつけてもの言いなよ」
 セレスは椅子に腰かけてアシュアを非難するように言った。その言葉にアシュアがぎろりとセレスを見た。
「何、甘ったれたこと言ってんだ。おまえは知らないだろうが『ライン』の女性部隊だって相当きついんだぞ? 修了して混合部隊になってから相応の動きしなきゃならねえんだから。あのまんま自己流で剣を振り回してたら怪我するのがオチだ。あれでいいって思ってるやつの価値観をくつがえさなきゃならねえのに、お情けなんか必要ねえぜ。本人がいいってんならもう別に教えねえよ。でも、そうじゃないんだろ?」
 別にと言いつつ、アシュアも相当溜まっていたらしい。弾丸のように零れる言葉に怒りが籠っていた。
「そりゃ、そうかもしれないけれど……」
 そのたんびにケイナに泣きつかれちゃ困るじゃないか……。
「トアラっていう人が、明日森に入るから護衛をしてくれないかって言ってたぞ」
 アシュアはぶっきらぼうにそう言って最後の棒を選び終わると立ち上がった。
「森へ? なんで?」
 セレスは怪訝な顔をした。
「子供たちにハーブや薬草の見つけ方をレクチャーするんだと。そんな遠くには行く予定はないらしいが、最近、なんていったかな…… ああ、そうだ、リールが目覚めてる時期なんだとよ。夜行性だから大丈夫だと思うが念のためらしい」
「リール…… あのケイナがやっつけたっていう……」
 セレスはつぶやいた。
「ああ、そうだな」
 アシュアはいらなくなった棒を捨ててくるつもりなのか、木の枝をかき集めて答えた。
「おまえもしばらく体を動かしてねえから、ちょっと何かやっといたほうがいいぞ。ケイナが戻ってきたら手合わせしてもらえや」
「ケイナはいつ戻ってくるか分からないよ。アシュアやってくんない?」
「おれはごめんだね。もうあのお嬢ちゃんの相手でくたくただ。おれも明日おまえとは反対側の森のほうへあのお嬢ちゃんと行かなきゃならねえ。もうメシ食ったら寝るわ。朝も早いし」
 アシュアはそう言うとさっさとテントを出ていってしまった。セレスは肩をすくめてそれを見送った。
 ほとんど入れ違いにケイナがテントに戻ってきた。 ケイナの表情はいつもと変わらない。
「いつもずっとコンピューターに向かいっぱなしだけど、何やってるの?」
 セレスはそんなケイナに声をかけた。ケイナはいつものように水を飲むと、疲れたように椅子に腰をおろした。
「おまえとおれのDNA分析。やたらとデータがややこしい……」
「何か分かった?」
 セレスの言葉にケイナはちらりとセレスを見た。
「明日の朝、『グリーンアイズ』の遺髪が届くらしいから、それでもっと詳しく分析する」
「ああ…… それで、アシュアがリアと一緒に出るんだ……」
 セレスはつぶやいた。そして彼の表情をうかがうようにケイナを見た。
「あの…… リアはどうしてた?」
「知らない。どうせアシュアにしごかれて頭に血が昇ったんだろ」
「あれから様子を見てないの?」
 ケイナは訝しそうな目をセレスに向けた。
「なんでおれが様子を見なきゃならないんだよ」
「あ、いや、別に…… その…… ずいぶんショックを受けてたみたいだから…… リアがさ。アシュアもなんか全然気遣いしないみたいだし……」
「手加減はしても、気遣いなんてしてたら訓練できねえよ」
 ケイナは何をバカなことをというように素っ気ない。
「おまえとクレスがそばにいたから、なんかガキの喧嘩で泣いたのかと思った」
 あのとき、ちらりとこちらに目を向けたのはそういうことだったのか……
 セレスは安堵とも恥ずかしさともつかない気持ちにとらわれた。
「あ、あの…… 明日、おれ子供たちを森に連れて行くのに護衛しなくちゃならないんだ。リールが起きてるって。ケイナ、少し体を動かすのにつき合ってくれないかな……」
 セレスがそう言うと、ケイナはくすりと笑った。
「おまえはもう前もって準備する必要なんかないよ」
「でも、アシュアはそうしてもらえって……」
「大丈夫だよ。たぶん、必要があれば自分の体が勝手に動いてくれる」
「そうかな……」
 セレスはつぶやいたが、ケイナはそれ以上何も言わなかった。
 そのとき、テントの覆いをあげて誰かが入ってきた気配がした。振り向くとリアが仏頂面で立っていた。
「アシュアは?」
 リアはテントの中を見回して言った。ケイナは振り向きもしない。
 しかたなくセレスは口を開いた。リアの顔を見るのは何となく苦痛だった。
「さっきまで棒っきれを選ってた。いらないやつを捨てに行ったんじゃないかと思うけど……」
 リアはそれを聞いて目を伏せた。
「そう……」
「何か用?」
「……トリが ……謝って来いと言うから……。それと明日の打合せをしておけって……」
 セレスはちらりとケイナの顔を見た。ケイナは無表情のまま知らん顔をしている。
「すぐに帰ってくると思うよ」
 セレスはリアがこのままここで待つことになると、何となく気まずいと思いながら言った。
 リアは何か言いたそうだったが口を開く勇気がないらしい。
 ふいにケイナが振り返った。
「時間あるか?」
 リアの目が細められた。ケイナはかすかに笑みを浮かべてセレスを見た。
「剣、持って来い」
 セレスにそう言うとケイナはリアに目を向けた。
「あんたの剣貸してくれ」
 リアは怪訝な顔をして腰の剣を引き抜くとケイナに渡した。
「ちょっと軽いな…… まあ、いいか」
 ケイナはつぶやいた。
「どういうこと? 何をするの?」
 セレスはケイナの真意が図りかねたが、ケイナがさっさとテントを出ていったので、慌てて自分のベッドから剣を取り上げると、リアをちらりと見やって彼のあとを追った。