セレスとケイナが血液を採取して2日後、剣ができあがってきたとリアが3人を呼びに来た。
 見せられたものを見て3人は目を丸くした。
「なんだよ、これ……。柄しかねえじゃないか……」
 アシュアの言うとおりだった。ケースに収められていたのは剣の柄だけだった。
「刃はその剣を持つ者にしか見えません。持ってみれば分かりますよ」
 トリの言葉にケイナはひとつ柄を取り出して持った。
 重い。これは柄だけの重さではない。
 やがて鋭い刃があることが分かった。見えているというより頭の中で認識している、という感じだ。柄の部分から頭の中で徐々に形づくられていく。
「長過ぎるし、重い……」
 ケイナはつぶやいた。
「それはアシュアのです」
 トリは笑って言った。
「きみのはこちら」
 トリはそう言って別の柄を取り上げた。ケイナから剣を受け取ったアシュアはどうなっているのか全く合点がいかないようで、剣をまじまじと見つめていた。自分の刃は分かるが、横のケイナを見てもその先には何も見えない。見えないということは、戦うときも相手には見えない。刃の見えない剣は脅威だろう。
「こんなの見たことないよ。これ、地球のものじゃないよね……」
 セレスは柄に彫り込まれた複雑な文様を見て言った。
「それはノーコメント。昨日こういうのが得意な者が君たち用に調整したんです」
 トリは笑みを浮かべたまま言った。
「『ノマド』は武器をストックしとかねえんじゃないのか? こんなもん、どうして 1日や2日で手に入る?」
「武器じゃありません。研究用です」
 アシュアの問いにトリは平然として答えた。
 どうだか、と思ったがアシュアは肩をすくめただけで何も言わなかった。
「兄さん、私も欲しいわ……」
 羨ましそうに見つめていたリアがねだるようにトリに言ったが、トリは首を振った。
「リアはだめだよ。きみには今腰に吊っている以上の武器は必要ない」
 リアは不満そうに口をへの字に歪めた。
「これ…… ほんとにすごい……」
 セレスは剣を見つめてつぶやいた。
「ずっと前から持ってたみたいに手になじむ」
 ケイナがふとセレスに目を向けた。セレスの声に何かを感じとったような表情だった。
「刃の威力はきみたちそれぞれの意思と生体エネルギーでコントロールされます。相手を殺したくなければ刃は対象物を切らないし、逆を思えば相応の殺傷力を発揮します。きれいな殺し方をしませんから使い方にはお気をつけて」
 トリは言った。
「およそ、あんたの口から出るような言葉じゃねえな」
 アシュアが首を振った。トリは笑った。
「事実ですから」
 セレスは剣をじっと見つめていた。
 そういえば今までは銃ばかりで接近戦用の武器は短剣程度のものだった。こんなに長い剣を持ったのは初めてだ。
 なんだろう…… まるで体中の血が逆流するような高揚感。何か切ってみたい……
 そう思ったとたん、次に起こったことをセレス自身はすぐには理解できなかった。
 気がついたらケイナに剣をはねとばされ、頬を思い切り殴られてテントの端に吹っ飛んでいた。
 そこにいたケイナ以外の全員が凍りついたように立ち尽くした。
「トリ……」
 ケイナは肩で息をしてセレスに剣を向けて言った。セレスが動いたらまだ戦闘モードに入るかのような雰囲気だ。
「セレスにはその剣を持たせちゃだめだ」
 トリははっとして床に転がったセレスの剣の柄をとりあげた。
 セレスはずきずきと頬が痛むのを感じながら口を手の甲で拭った。切れた口の端から流れた血がべっとりとついた。
「悪いけど、セレスにはリアと同じ剣を頼めるかな……」
 ケイナはセレスを立ち上がらせてテントの外に向かいながら言った。トリはうなずいた。
「いったいどうしたっていうの……」
 2人が出ていくのを見送りながらリアは兄の顔を見て言った。
「剣の持つエネルギーがセレスの血を呼び覚ますんだよ……。失敗した。ぼくには読めなかった……」
「なんてこった……」
 アシュアが呻くように言った。

「痛むか?」
 テントに戻ってベッドに座り、水で濡らした布で顔を冷やすセレスにケイナは尋ねた。
 まだ心臓がどきどきしている。何があったのかを知るのは怖かった。でも聞かずにはいられなかった。
「おれ…… みんなを殺そうとしてたの……?」
 自分の声が震えるのをどうしようもなかった。
「いや……」
 ケイナは目を伏せて答えた。
「そうじゃないけど…… おまえは我を忘れそうになってた……」
 セレスは布を取り落とすと手で顔を被って突っ伏した。ケイナはそれを黙って見つめた。
「やっぱり…… おれの中には……」
 セレスは体を震わせた。
「ケイナ…… 怖いよ、おれ……」
 ケイナは少しためらったのち、セレスの横に腰をおろし、彼の肩に腕を回した。
「おれが最初に気づいた。おれだけが気づいてた。あんなことはもう二度とない。絶対おれが気づいておまえを呼び戻す」
「ケイナだけが……」
 セレスは顔をあげてケイナを見た。
「カンパニーはいったいおれとケイナに何をしたんだろう。おれは剣を持っただけだよ…… だのに……」
「だからおれが気づいて止めるって言ってるだろう!!」
 ケイナは怒鳴った。
「おれが『止める』んだ! 何もない! それ以外は何もないんだよ!」
 ケイナは荒々しく立ち上がった。顔が怒りで真っ赤になっている。
「ケイナ……」
 セレスは呆然としてケイナを見上げた。
 ふいにケイナの手が伸びて自分を抱き締めたのでセレスはびっくりした。
 ケイナの中に入ったときに感じていたあの感触だった。彼のペパーミントの芳香とともに、柔らかな髪が頬に触れた。
「どんなことになっても、おれの声を聞け。お前を呼びつづけるから、おれの声を聞け。必ず正気を取り戻せ」
 セレスは目を閉じた。ケイナの声が体に振動となって伝わって来る。
「おれたちはこうやってお互いを呼び続けるんだ。絶対に負けない。生き残る……!」
 ケイナがいてくれると安心する。こうやってお互いを呼び続ける。ずっと呼び続けるんだ。
 セレスは思った。

 その夜、セレスはショックもあって疲れ切ってしまい、半ば気を失うように眠ってしまった。
 そんなセレスをちらりと見てテーブルの水差しに手を伸ばすケイナにアシュアは声をかけた。
「大丈夫か?」
「こいつはそんなやわじゃないよ」
 ケイナは答えた。
「セレスのことじゃないよ」
 アシュアは言った。
「おまえのことを言ってんだ」
 ケイナはアシュアに目を向けたがすぐに目をそらせ、カップに水を注いだ。
「ありがとう、アシュア」
「おまえにしちゃ、しおれた返事だな」
 アシュアは笑った。
「あの剣は能力者は見極めて使わないといけないんだとトリは言ってた。おまえはなんだかんだ言っても自分のことをあらかじめ知っているから無意識に剣を制御できるんだが、セレスは無防備だからすぐに捕らわれるんだと」
「こんなもん振り回してどこまで太刀打ちできるんだか……」
 ケイナは柄だけの剣を見てつぶやいた。
「この先何をどうすりゃいいのかさっぱり分からねえしな……」
 アシュアもうなずいた。
「遺伝子検査をすると、具体的に何が分かるんだ?」
「人為的に何らかの手を加えられた形跡は出てくると思う。それと、もし『グリーン・アイズ』の遺髪が手に入れば、彼との血縁関係も分かるだろう。彼からいったいどんな操作をされたのかもたぶん推測がつく」
 そして心の中で 『おれとセレスの関係も分かる』と付け加えた。
 気が重い。おれはセレスのことをどう思っているんだろう。
 ケイナには分からなかった。
 セレスはいつも必ず答えを求めようとする。返事をしても笑っても怒っても、セレスはそれが何をあらわしているのかを必死になって探ろうとする。
 ケイナにとってはそれがうっとうしくもあり、説明しうるだけの容量のない自分がとてももどかしかった。
 それなのにたまらなく愛おしくなることがある。あの緑色の目で見つめられると体中の血が逆流して全身の毛が逆立つような気分に陥ることがある。自分の中で訳の分からない独占欲と渇望が渦巻く……。
 これはいったいどういう感情なんだろう……。
「……でな……」
 アシュアの声にケイナは我に返り、水差しを持ち上げて答えた。中身がもうあまりない
「なに?」
「なんだよ、聞いてなかったのか?」
 アシュアが口を歪めた。
「腕の通信機をリアが壊しちまったんだが、トリに言ったら、軍の隠し機能を取り払って修理できる人間がいるっていうんだよ。それで一度カインに連絡を取ってみようかと思うんだ。もっとも、あいつが通信機を身につけていなけりゃ無駄に終わるがな」
「そうだな……」
 ケイナはうなずいた。
「カインは案外もうこっちに来ているのかもしれない」
「一度連絡をしてきてるしな……。例のごとく無茶なことをしてるんだろうさ」
 アシュアは頬杖をついてため息まじりに言った。
「水を汲んでくる」
 ケイナは水差しを持ち上げてそう言うとテントを出た。
 アシュアは無言でそれを見送った。

 飲料水は集落の一番外れのテントの中にある。独自にろ過消毒して汲み溜めているのだ。
 ケイナは水を汲んで戻りかけてふと人の気配に気づいて足を止めた。
 振り向くとリアが同じように水差しを抱えて立っていた。
「水がなくなったの? 言ってくれれば私が汲んであげたのに……」
 リアはケイナの手にある水差しを見て言った。ケイナは無言だった。
 ケイナが立ち去ろうとすると、リアはそれを引き止めるかのように再びケイナに声をかけた。
「ねえ」
 ケイナは足をとめてリアに目を向けた。
「このあいだ…… ありがとう。ちゃんとお礼を言ってなかったわ」
 一瞬何のことか分からなかったが、池で溺れそうになったのを助けたことだと悟り、ケイナは曖昧にうなずいた。
「セレスの様子はどう?」
 リアの言葉にケイナはやはり何も答えず目をそらせた。
 彼女と話をする気分ではなかった。今のケイナにはリアはうっとうしい部類に入る。
 リアはそんなケイナの顔を見て少しためらったのち口を開いた。
「あの…… こんなときこんなこと言うのは悪いかなって思うんだけど…… 今度あたしと手合わせしてもらえないかしら……」
 ケイナは思わずリアの顔を見た。
「ケイナは外で訓練を積んできてたんでしょ? あたしに手ほどきしてもらえない?」
「断わる」
 きっぱりとしたケイナの言葉にリアは口を歪めて目を伏せた。
「そう言うと思ったわ」
 リアは首を振った。
「でも、私、もっとちゃんと剣を使えるようになりたいのよ。それ以外に何もできることがないんだもの」
 ケイナは何も言わなかった。どう懇願されてもリアに剣の手ほどきをする気は毛頭なかった。
「悔しいの。私はハーブの知識もないし、医術も占術もできない。料理もできない。せいぜい子どもの相手をしてやれるってことくらいだわ」
「それでいいじゃないか」
 ケイナはリアを見つめて言った。
「子どもは『ノマド』でなくったって貴重な存在なんだ。その子供の相手ができるんなら十分だろ。教えてやれよ。『ノマド』での生き方を」
 そう言ってケイナは再びリアから目をそらせた。
「トリのそばにいてやれよ。兄妹なんだろ。彼はそんなに体が強くない」
「いくら兄妹でも、いつかは離れなくちゃいけないわ」
 リアは少しため息をついて足元に視線を落とした。
「兄さんだって、いつかは結婚するわ。あたしがいつまでもそばにいちゃ悪いわよ」
「それはお互いさまだろ……」
「ケイナ……」
 リアは思わずケイナが身構えそうになるまで近づくと、ケイナを見上げた。
「ほんとに何も覚えてないの?」
 ケイナは目を細めてリアを見た。
「昔のこと、あたしたちと一緒に暮らしたこと、何も覚えてないの?」
 リアの目にはすがるような色が浮かんでいた。
 ケイナはリアの目を見つめた。薄やみの中でリアの整った顔の造作がくっきりと陰影となって浮かび上がっている。気性が荒い癖に、彼女の表情はいつも泣き出しそうな感じだ。
「あたしたち、何も剣だけを振り回して遊んでいたわけじゃないのよ。森に行ってハーブも摘んだ。一緒に水あびもした。ケイナはあたしのことをきれいだと言ってくれたわ。あたしもケイナが大好きだった。夜はふたりで抱き合って眠った」
 これ以上リアにせっつかれるのは避けたかった。ケイナはリアから目をそらそうとしたが、リアはそれを許さなかった。視線の先に回り込むリアをケイナは睨みつけた。
「あたしたち、結婚しようって約束してたのよ。大人になったら結婚しようって」
「子供の頃の話だろ……」
 ケイナが口を挟もうとすると、リアはさらにケイナに顔を近づけた。
「子供の頃の話でも、ずっと待っていたのよ。必ず帰って来るって信じてた。急にいなくなって、毎日泣いて暮らしたのよ。一緒にいるってあなたは約束してくれたのよ」
 リアのかすかに花の香りを含んだ呼気がケイナの顔にかかった。
「ケイナはきれい……。ケイナの髪に指を絡めて眠るのが大好きだった。私たち、キスしながら眠ったのよ」
 リアはそっと指を伸ばすとケイナの髪に触れて言った。ケイナの目が険しくなった。
 細くしなやかな指先の感触は決して嫌悪をもたらすものではなかったが、どうしようもなく気持ちが苛ついた。
「キスしてよ。昔みたいにキスしてよ。どうして帰って来たのに知らん顔するの」
 そのリアの言葉にケイナは一瞬苛立ちの表情に顔を歪めたあと、リアの頭を掴んで自分に引き寄せた。