「遺伝子分析……」
 セレスは不安そうにトリを見た。
「遺伝子分析って、何をするの?」
 トリの横にはちょうどセレスの兄ハルドと同じくらいの年齢の黒髪の男が立っている。
 名前をリンクといった。温厚そうな表情の青年だった。
 トリは笑みを浮かべた。
「きみたちに負担をかけるのは血液を採取させてもらうときだけですよ。ケイナは知っていると思うけれど……」
 トリがケイナを見たが、彼は浮かない表情だった。
「『グリーン・アイズ』の遺品が残っているはずなんです。彼の子どもは行方不明になってしまったけれど彼自身は『ノマド』の慣習どおりに遺髪は土に還らないように梱包されて埋葬されている。地球でエリドが探してくれています。かなり前のことなので、森も変わっています。でも、見つかったら連絡があるので、そのときにはリアに行かせようかと考えています」
 トリの言葉にケイナは無言だった。
 ケイナの表情がセレスには不思議でしようがなかった。昨日も検査のことを聞いても何も答えてくれなかった。ケイナの不安はなんなんだろう……。
「彼は…… リンクは臨床検査の技術があるんだ。医術の心得もある。11年前にやらなければならなかったことをこれからやるんだよ」
 セレスはうなずいた。
「任せるよ。おれ、まだ何がなんだかよく分かってないかもしれないけど」
 トリが目を向けたので、それを見たリンクは準備のためにテントを出ていった。
「遺伝子検査はいいけどよ、『コリュボス』も地球もカンパニーの手のひらに乗ってるのも同じようなもんだぜ。おれたちがここにいることだっていずれバレる。それまでに何かが分かって、何らかの手が打てるのか?」
 アシュアが腕を組んで言った。
「確かに今ここにカンパニーが来たら、ぼくらは何もできない。11年前と同じようにケイナとセレスを渡すしかない」
 トリは答え、そしてアシュアをちらりと見た。
「即戦力はきみたち自身しかいないから」
 アシュアが怪訝な顔をしたので、トリは笑みを浮かべた。
「剣を入手しよう。ここではそれが精一杯だけど最終的には地球に渡ることになるだろうし、あっちの『ノマド』なら銃も手に入るかもしれません。ほかの武器も」
「何をするつもりだ……?」
 アシュアは目を細めた。
「昨日言いましたよね。ぼくらはもう諦めないと」
「『ノマド』は戦力を持たないはずだろ? クーデターでも起こすつもりか?……」
「クーデターね……。まあ、そうかもしれない……」
 トリは目を伏せた。アシュアはケイナの顔を見たが、彼の表情からは何も読み取れなかった。
「とりあえず血液を取らせてください。リンクがあっちで用意をしているから」
 トリはそう言うと3人を促してテントを出ようとした。
「ちょっと待って……」
「トリ」
 アシュアが再び口を開こうとしたが、ケイナが口を挟んだ。
「要は『ノマド』も同じ立場だったってことか?」
 セレスとアシュアはケイナの顔を見た。彼が何を言っているのか分からなかった。
「あんた、長老になって、教えてもらってんだろ。 ……いや、ある年齢になるとみんな知ることになるのかな……」
「そうだよ」
 トリはかすかにうなずいて目を伏せた。
「彼らはぼくらと約束をした。もう二度と遺伝子操作した人間なんか作らないと。だけどそれを破った。だからぼくらも武器を持たないという約束を破るんだ」
「二度と遺伝子操作した人間なんか作らないって……」
 アシュアがつぶやいた。トリはちらりとアシュアを見た。
「ぼくらの祖先は遺伝子操作で生まれた人間だってことだよ」
「え……」
 アシュアとセレスが目を丸くした。
「……約束は絶対だと信じてた。思えば、ケイナがここに来たときに…… いや、『グリーンアイズ』が来たときに約束は破られてしまっていたのかもしれない……」
 トリはもう一度テント内に足を向けると椅子にこしかけた。
「良かったら、きみたちも座らない? お茶を入れるよ」
「お茶なんか飲む気分じゃねえからいいよ」
 アシュアがそう言ってトリの前に座った。トリは少し笑った。
「短命で次世代が続かない……。もともとはその改良が目的だったんです。だけど、最終的に純粋な地球人というのがいなくなって遺伝子を操作した者だけが生き残ったって何の意味もない……」
「遺伝子操作って、遺伝子治療とは違うの?」
 セレスがアシュアの隣の椅子に腰をおろしながら尋ねた。ケイナは仏頂面で腕を組んで立ったままトリを見つめている。
「遺伝子治療は治療でしょう? 病気などを治すということ。操作するというのは、生まれてくる世代に人為的な指令を遺伝子に与えて思うような人間を作るということだよ」
 トリは静かに答えた。
「誰がそんなこと……」
 セレスは目を細めた。
「政府と軍と研究者たち…… いや…… もう、軍と研究者と言ってもいいのかな……」
 セレスはトリの顔を無言で見つめたのち、突っ立ったままのケイナを見上げた。ケイナはやはり不機嫌そうな顔のままだ。もしかしたらケイナはこれからトリが言おうとしていることの察しがすでについているのかもしれない。
「遺伝子操作にはふたつあった。ひとつはほかの血が混じっても子孫永続を願った者たちへの闇の商品として。商品だからね。失敗は許されない。もうひとつは純粋に研究のための実験のための操作。こっちで彼らは何を作ろうとしていたんだろうね……」
 トリは息を吐いた。
「『リィ・カンパニー』の前身は医薬品と医療機器の開発から大きくなった組織でね。遺伝子操作をしながら自社の技術開発のデータにしていたのかもしれない。それとも、何かの能力に長けた人類らしからぬ人類を作ろうとでもしていたのかもしれない……。ぼくらはね、彼らが研究のために作った人種。突出した能力と引き換えに必ずどこかに負の遺伝子を持つんだ」
「負の遺伝子……?」
 アシュアが呟いた。
「そう。負の遺伝子。例えばリアは人より聴覚や嗅覚がとても優れてる。でも足と手に障害がある。ぼくは予見の力があるけれど走ることができない。心臓が弱いので。父は機械に異様に強かったけれど、感情不安定で、母はぼくと同じように予見の力があったけれど体力がなかった。マレークと結婚したユサは勘が鋭いけれど言葉がうまく出ない。……みんなどこかリスクを負ってる……。それでも三世代ほど経て少し改善されてきてはいるんだ」
 トリはかすかに口を歪めた。
「ぼくらは、失敗作だったわけだよ。逆を言うと、安定した遺伝子は人としての能力は平均化されてしまうんです。寿命も長くなるだろうし、体力もあるだろう。だけど、そんなに突出した能力を持つわけじゃない。一番安定していて成功例と言われたのはアライドのハーフだよ」
「アライドのハーフ?」
 セレスが声をあげた。
「アライドのハーフは遺伝子操作で生まれた人種なの?」
「そう」
 トリは答えた。
「今、アライド人と言われているのは本来ハーフで、今ハーフと言われている人はクォーターだよ。さらに元を正せば、アライド人はアライドの環境で世代を繋いだそもそもの地球人です。あの時期何万人もの人が遺伝子操作を受けたから、もう分からなくなってる。」
「じゃあ、カインは……」
 セレスはつぶやいた。
「遺伝子操作されて生まれたクォーター以降ってことになるな」
 アシュアが答えた。
「カインはそれを知ってるのかな」
「知るわけないだろう……」
 セレスの言葉にアシュアはぶっきらぼうに答えた。
「何にしても……」
 ケイナがふいに口を挟んだ。
「商品ではなく研究として作られた人種が反抗して、結局政府の側が折れたんだな……」
トリはうなずいた。
「正しくはカンパニーが折れたというべきかもしれない。あの時代に正式には『リィ・カンパニー』はなかった。いくつかの企業が集まった組織だった。それらを統括して立ち上がった『リィ・カンパニー』の創業者として知られるシュウ・リィ氏は創立と同時に研究の中止を決意したんだ。同時にぼくたちの祖先に永劫の保障を約束した。ぼくらは自由に生き、中央に決してとらわれることのない生き方を望んだ。それを約束してくれるなら、ぼくらは武器を持たないと誓った」
「『ノマド』が武器を持たないというのがそんなに威力を持つことなのか?」
 アシュアが怪訝な目でトリを見て言った。
「人の遺伝子をいじくった代償だよ。ぼくらを甘くみてはいけない。彼らはその恐ろしさを知ったから決意したんだよ。シュウ・リィは冷静な人間だったね」
「その約束を誰が破ったの?」
 セレスの言葉にトリは肩をすくめた。
「さあ……。今のカンパニーの総領はトウ・リィという女性だと思うけれど」
「トウは67年前には生まれてないぞ。『グリーン・アイズ』が来たときには」
 アシュアがすかさず口を挟んだ。
「では、彼女ではないのかもしれない」
 トリは答えた。
「何にしても、ケイナとセレスの遺伝子を調べれば何らかの結果が出ますよ」
「『グリーン・アイズ』との血縁が分かるっていうこと?……」
 セレスは不安をかくせない様子でトリを見た。
「血縁だけじゃない。人為的に触られた部分も分かる」
 ケイナの顔がこわばった。
「遺伝子検査にはどれくらいかかる?」
 彼はトリを見て言った。
「きみたちの検査は数日で。あとは『グリーン・アイズ』の遺髪がいつ届くかによるね。その間に剣の手配をしておきます。剣もたぶん数日で手に入るでしょうから、扱いに慣れる時間も作れると思います。しばらくは疲れを取るためにもご自由になさっていてください」
 ケイナは口を引き結んだ。
「あの…… とても疲れをとって自由にしている気分じゃないんだけど……」
 セレスが戸惑ったような顔で言った。
「おれたちに何かできることないの……」
 トリは笑みを浮かべた。
「気を使っていただかなくてもいいですよ」
「そうじゃなくて…… 頭が混乱して不安なんだ……。なんか、知らないことばっかりで……。おれ、今まで何にも知らなかった……。何にも知らなくて……。なんかやってないと分からないことでずーっと頭の中が堂々回りしてそうなんだ」
「また、話をするよ。心配しなくても、ぼくらはきみを助けるよ」
 セレスはそれを聞いて黙り込んだ。
「一気には無理だから…… また少しずつということにしよう。いずれは全部分かるよ」
 トリの諭すような口調にセレスはまだ納得いかないような顔していたが、やがてうなずくと立ち上がった。
 それを見たアシュアも立ち上がった。
 アシュアとセレスがテントを出たのを確かめたケイナはトリを振り返った。
「計算合わねえじゃねえか」
 トリはそれを聞いて笑みを浮かべた。
「そう?」
「シュウ・リィは稀に見る長生きで12年前に死んでる。97歳だ。リィ・カンパニーができた頃、シュウ・リィは9歳か10歳で組織の代表になったことになる」
「間違いなく彼は代表になってるよ」
 トリは答えた。
「リィ一族と最初に事業をしていたのは誰だ」
 ケイナは譲らなかった。
 トリはそんな彼の顔をしばらく見つめた。
「カート一族」
 トリは答えた。
「レジー・カートの四代前」
 ケイナは不機嫌そうに髪をかきあげた。
「11年前…… おれを引き渡したのは、保護をしてくれると思ったから?」
「結果的にそうじゃなかった。リィを押さえていたのはカート一族だったけれど、100年たって情勢が変わった。カートの権威は薄れ、リィは暴走してる」
 ケイナは黙っていた。何かを考え込むような顔をしている。
「外にコンタクトを取るのはもう少し待って欲しい」
 その顔を見てトリは言った。
「今、たぶん躍起になってきみたちを探してる。磁場を強化してるんだ」
「セレスの兄さんが…… レジー・カートの下で任務についてた。彼の安否を知りたい」
「カートがどこの味方かぼくにはまだ分からない。今は無理だ」
 トリは答え、ケイナはしかたなくうなずいた。