「ここまで、どうやって来たんです?」
カインが尋ねるとジェニファは肩をすくめた。
「アパートにヴィルを持ってる人がいるの。ちょうどいたから助かったわ。でも、もう帰りは歩いて帰るわ。空の上なんて金輪際ごめんよ。怖くて怖くてたまらなかったわ」
カインは思わず笑った。そしてすぐに真顔に戻った。
「ケイナの催眠療法はうまくいったんですよね」
ジェニファはちらりとカインを見てうなずいた。
「ええ…… たぶんね。でも、ケイナの中の余計な人格は根本から消えたわけじゃなくて、とりあえず出なくなるようにした、ということなんだけど……。ケイナが自分でそういう自信がつけばいいということなの。セレスが一緒にいればたぶん問題ないと思うわ」
「良かった」
湖を見つめながらつぶやくカインの横顔をジェニファは見た。
「あなたはケイナの中に入ってきたでしょう」
カインはうなずいた。
「ええ……。ちょうど吸入系の鎮痛剤を使ったんです。怪我をしてたので勧められて。たぶん、それで引き込まれたんでしょう」
「なるほどね。それで納得いくわ。タイミングが合ってしまったのね」
ジェニファは大きくうなずいた。
「ケイナはかなり無理をしたのよ。術に逆らって必死になってセレスを助けようとしてた」
「ええ…… 知ってます」
カインは目を伏せた。ケイナの声はあのときかすかに聞こえていた。
「あんなアクシデント、予想もしていなかったからびっくりしたけれど、結果は良かったんだから私はこれでいいと思うわ」
ジェニファはそう言うと笑みを浮かべた。
「それで、何が知りたいの? 彼らのいる場所?」
彼女の言葉にカインはうなずいた。ジェニファは少し息を吐いた。
「『ノマド』のコミュニティに行けばって勧めたのよ。サウス・ドームの森よ。辿りつけなければ嫌でも森の外に出てくるから、行くだけでも行ってみればって」
「たぶん、そうだろうと思っていました」
カインは答えた。
「出てきた気配がないから…… 辿り着いたんだ思うわ。でも、あなたは行くのは無理よ」
ジェニファの言葉にカインは彼女に目を向けた。
「あなた…… カンパニーの人間なのね。悪いけど…… 『ノマド』はカンパニーを受け入れないと思うわ」
そして慌てたように手を振った。
「いえ、あなた自身に敵対心を持ってる、というわけじゃないのよ。でも、あなたがカンパニーを捨てたというなら話は別だけど、そういうわけではないんでしょう?」
カインは俯いた。そういう答えは予想していたことだった。『ノマド』がカンパニーの人間を近付けるわけがない。いくら自分がカンパニーのことを心良く思っていなくても、リィの跡取りであることが消えているわけではないからだ。
「はっきりとは分からないんだけど、おそらく今、あの森にいるのは昔ケイナのいたコミュニティから分岐した群れだと思うの。彼と波長が似てたのよ。だから行くように勧めたの。きっと何か分かるかもしれないと思って。ただ、私にもそこまでのことしか分からない。私ももう『ノマド』の人間じゃないから。彼らと交信できるのは、シエルが亡くなったときのような場合だけよ……」
ジェニファは申し訳なさそうに言った。
「ぼくひとりで森に入っても無駄だということですね」
カインの言葉にジェニファはうなずいた。
「あなたが一緒でもだめなんですか?」
「私が?」
ジェニファは目を丸くした。そして顔を背けた。
「私はだめよ。もう『ノマド』を離れたの。戻れないわ……」
カインは彼女の顔に強固な意思を感じて諦めざるをえないことを悟った。
どうすればいいだろう……。
困惑したようなカインの表情をジェニファはしばらく見つめたのち、ポケットから小さな水晶玉を取り出した。
「これで試してみる? 私が『ノマド』にいた頃の精を留めている唯一のものなのよ。もしかしたら迎えが来てくれるかもしれないわ。もしかしたら、よ。保証はできないけど」
カインはジェニファの手のひらに乗った水晶玉を見つめた。
「ケイナたちが行ったコミュニティはたぶん感応者の多いコミュニティだと思うの。もうだいぶん衰えてる精だからうまくキャッチしてもらえるかどうか分からないけれど……」
「大切なものじゃないんですか?」
カインはジェニファの顔を見た。ジェニファは笑みを浮かべた。
「もう持ってたってしようがないわよ。こっちではこっちの水晶を持ってるんだし」
カインはゆっくりと水晶玉を受け取った。
「それからね……」
ジェニファはふいに言いにくそうに目をそらせた。
「あれからよく水晶板で見るんだけど…… ケイナは必ずしも『ノマド』に行ったからって平穏無事でもないようだわ…… 水晶はあそこにいれば数年は追手から逃れるように示しているけれど……」
「なぜ?」
カインはどきりとしてジェニファを見た。ジェニファは目を伏せた。
「ケイナを飲み込もうとする黒い影が消えないのよ……。あの子の中の余分なものを閉じ込めたのに影が大きくなってる。どうしてなのか分からないの」
「黒い影……」
カインはつぶやいた。ケイナの病状はもしかしたら進行しているんだろうか。
「あなたには何か見える?」
ジェニファの声にカインは首を振った。
「いえ…… 全然……」
ジェニファはがっかりしたように顔を背けてうなずいた。そして再びカインに目を向けた。
「あなたが私にコンタクトを取ってきたとき、水晶に少し動きがあったの。あなたを示す影に黒い影が怯えたように身を縮込ませた。あなた、何かキイを担っているんじゃないかしら……」
「キイ……?」
ドクターのくれた治療ディスクだろうか……。
「ただし、微妙よ。あなたのこれからの動きが黒い影に勝つか、それとも飲み込まれるかは、これからのあなたの行動次第だと思うわ。よく考えてから行動することね」
カインは口を引き結んだ。
勝つか、飲み込まれるか……。ぼくの動き如何でケイナの運命が変わってしまうのか?
「あなたがケイナのことを大切に思っている気持ちはよく知ってるわ」
ジェニファは言った。
「たぶん、ケイナもあなたのこと、同じくらい大切に思っていると思う。あなたが無茶をすると彼は本気で怒るわよ。そのことが足を引っ張りかねないからね」
カインは思わずジェニファを見た。ジェニファは笑ってカインの左腕を差した。
「ずいぶんひどい怪我をしたみたいね。私の目には燃えてるみたいに見えるわよ」
「薬をもらったから大丈夫ですよ」
カインは答えた。ジェニファはうなずいた。そして湖に目を向けた。
「ここは、ケイナの意識がずいぶん残ってるわね……」
「ええ……」
カインは目を伏せた。
ケイナがひとりでここに来ては湖を見つめていたときの寂しさとも怒りともつかない思いが砂浜に座っていると痛いほど感じられた。ジェニファもきっと同じことを感じているのだろう。
やがてふたりは立ち上がり、ジェニファはカインがバイクを停めた場所まで一緒に歩いて来ると、バイクに乗るカインに言った。
「うまくいくように願ってるわ」
「ありがとう。ジェニファ」
カインは答えた。
「それと…… 4つの点のうち、ひとつが消える……。あなた、見てた?」
ジェニファの言葉にカインは一瞬ぎくりとした。
「ええ…… 知ってます……。」
気づかないふりをしていようと思ったのに……。カインはくちびるを噛み締めた。
4つの点。
その光が見え始めたのはいつからだっただろう。
明確に意識したのはついさっきだ。
もしかしたらもっと前から見えていたのだろうか。
本能的に不穏に思えてあえて見まいとしていたのかもしれない。
「予見は絶対的なものじゃないのよ。予言じゃないの。啓示でもない。いくらでも変わるものなのよ。それだけは信じていなさいね」
ジェニファは丸い目でカインをひたと見つめて言った。
カインはその目をしばらく見つめ返したあと、ジェニファの口の端に顔を近づけてキスをした。
「あら……!」
ジェニファの目がさらに大きく見開かれた。
「ノマド式の一番親愛の挨拶でしたよね」
カインは言った。
「ケイナがよくやってた」
ジェニファは嬉しそうに顔を赤らめた。カインは笑みを浮かべた。
そしてヴィルを飛び立たせた。
ジェニファはカインの姿が見えなくなるまで、ずっと湖のほとりに佇んでいた。
カインが尋ねるとジェニファは肩をすくめた。
「アパートにヴィルを持ってる人がいるの。ちょうどいたから助かったわ。でも、もう帰りは歩いて帰るわ。空の上なんて金輪際ごめんよ。怖くて怖くてたまらなかったわ」
カインは思わず笑った。そしてすぐに真顔に戻った。
「ケイナの催眠療法はうまくいったんですよね」
ジェニファはちらりとカインを見てうなずいた。
「ええ…… たぶんね。でも、ケイナの中の余計な人格は根本から消えたわけじゃなくて、とりあえず出なくなるようにした、ということなんだけど……。ケイナが自分でそういう自信がつけばいいということなの。セレスが一緒にいればたぶん問題ないと思うわ」
「良かった」
湖を見つめながらつぶやくカインの横顔をジェニファは見た。
「あなたはケイナの中に入ってきたでしょう」
カインはうなずいた。
「ええ……。ちょうど吸入系の鎮痛剤を使ったんです。怪我をしてたので勧められて。たぶん、それで引き込まれたんでしょう」
「なるほどね。それで納得いくわ。タイミングが合ってしまったのね」
ジェニファは大きくうなずいた。
「ケイナはかなり無理をしたのよ。術に逆らって必死になってセレスを助けようとしてた」
「ええ…… 知ってます」
カインは目を伏せた。ケイナの声はあのときかすかに聞こえていた。
「あんなアクシデント、予想もしていなかったからびっくりしたけれど、結果は良かったんだから私はこれでいいと思うわ」
ジェニファはそう言うと笑みを浮かべた。
「それで、何が知りたいの? 彼らのいる場所?」
彼女の言葉にカインはうなずいた。ジェニファは少し息を吐いた。
「『ノマド』のコミュニティに行けばって勧めたのよ。サウス・ドームの森よ。辿りつけなければ嫌でも森の外に出てくるから、行くだけでも行ってみればって」
「たぶん、そうだろうと思っていました」
カインは答えた。
「出てきた気配がないから…… 辿り着いたんだ思うわ。でも、あなたは行くのは無理よ」
ジェニファの言葉にカインは彼女に目を向けた。
「あなた…… カンパニーの人間なのね。悪いけど…… 『ノマド』はカンパニーを受け入れないと思うわ」
そして慌てたように手を振った。
「いえ、あなた自身に敵対心を持ってる、というわけじゃないのよ。でも、あなたがカンパニーを捨てたというなら話は別だけど、そういうわけではないんでしょう?」
カインは俯いた。そういう答えは予想していたことだった。『ノマド』がカンパニーの人間を近付けるわけがない。いくら自分がカンパニーのことを心良く思っていなくても、リィの跡取りであることが消えているわけではないからだ。
「はっきりとは分からないんだけど、おそらく今、あの森にいるのは昔ケイナのいたコミュニティから分岐した群れだと思うの。彼と波長が似てたのよ。だから行くように勧めたの。きっと何か分かるかもしれないと思って。ただ、私にもそこまでのことしか分からない。私ももう『ノマド』の人間じゃないから。彼らと交信できるのは、シエルが亡くなったときのような場合だけよ……」
ジェニファは申し訳なさそうに言った。
「ぼくひとりで森に入っても無駄だということですね」
カインの言葉にジェニファはうなずいた。
「あなたが一緒でもだめなんですか?」
「私が?」
ジェニファは目を丸くした。そして顔を背けた。
「私はだめよ。もう『ノマド』を離れたの。戻れないわ……」
カインは彼女の顔に強固な意思を感じて諦めざるをえないことを悟った。
どうすればいいだろう……。
困惑したようなカインの表情をジェニファはしばらく見つめたのち、ポケットから小さな水晶玉を取り出した。
「これで試してみる? 私が『ノマド』にいた頃の精を留めている唯一のものなのよ。もしかしたら迎えが来てくれるかもしれないわ。もしかしたら、よ。保証はできないけど」
カインはジェニファの手のひらに乗った水晶玉を見つめた。
「ケイナたちが行ったコミュニティはたぶん感応者の多いコミュニティだと思うの。もうだいぶん衰えてる精だからうまくキャッチしてもらえるかどうか分からないけれど……」
「大切なものじゃないんですか?」
カインはジェニファの顔を見た。ジェニファは笑みを浮かべた。
「もう持ってたってしようがないわよ。こっちではこっちの水晶を持ってるんだし」
カインはゆっくりと水晶玉を受け取った。
「それからね……」
ジェニファはふいに言いにくそうに目をそらせた。
「あれからよく水晶板で見るんだけど…… ケイナは必ずしも『ノマド』に行ったからって平穏無事でもないようだわ…… 水晶はあそこにいれば数年は追手から逃れるように示しているけれど……」
「なぜ?」
カインはどきりとしてジェニファを見た。ジェニファは目を伏せた。
「ケイナを飲み込もうとする黒い影が消えないのよ……。あの子の中の余分なものを閉じ込めたのに影が大きくなってる。どうしてなのか分からないの」
「黒い影……」
カインはつぶやいた。ケイナの病状はもしかしたら進行しているんだろうか。
「あなたには何か見える?」
ジェニファの声にカインは首を振った。
「いえ…… 全然……」
ジェニファはがっかりしたように顔を背けてうなずいた。そして再びカインに目を向けた。
「あなたが私にコンタクトを取ってきたとき、水晶に少し動きがあったの。あなたを示す影に黒い影が怯えたように身を縮込ませた。あなた、何かキイを担っているんじゃないかしら……」
「キイ……?」
ドクターのくれた治療ディスクだろうか……。
「ただし、微妙よ。あなたのこれからの動きが黒い影に勝つか、それとも飲み込まれるかは、これからのあなたの行動次第だと思うわ。よく考えてから行動することね」
カインは口を引き結んだ。
勝つか、飲み込まれるか……。ぼくの動き如何でケイナの運命が変わってしまうのか?
「あなたがケイナのことを大切に思っている気持ちはよく知ってるわ」
ジェニファは言った。
「たぶん、ケイナもあなたのこと、同じくらい大切に思っていると思う。あなたが無茶をすると彼は本気で怒るわよ。そのことが足を引っ張りかねないからね」
カインは思わずジェニファを見た。ジェニファは笑ってカインの左腕を差した。
「ずいぶんひどい怪我をしたみたいね。私の目には燃えてるみたいに見えるわよ」
「薬をもらったから大丈夫ですよ」
カインは答えた。ジェニファはうなずいた。そして湖に目を向けた。
「ここは、ケイナの意識がずいぶん残ってるわね……」
「ええ……」
カインは目を伏せた。
ケイナがひとりでここに来ては湖を見つめていたときの寂しさとも怒りともつかない思いが砂浜に座っていると痛いほど感じられた。ジェニファもきっと同じことを感じているのだろう。
やがてふたりは立ち上がり、ジェニファはカインがバイクを停めた場所まで一緒に歩いて来ると、バイクに乗るカインに言った。
「うまくいくように願ってるわ」
「ありがとう。ジェニファ」
カインは答えた。
「それと…… 4つの点のうち、ひとつが消える……。あなた、見てた?」
ジェニファの言葉にカインは一瞬ぎくりとした。
「ええ…… 知ってます……。」
気づかないふりをしていようと思ったのに……。カインはくちびるを噛み締めた。
4つの点。
その光が見え始めたのはいつからだっただろう。
明確に意識したのはついさっきだ。
もしかしたらもっと前から見えていたのだろうか。
本能的に不穏に思えてあえて見まいとしていたのかもしれない。
「予見は絶対的なものじゃないのよ。予言じゃないの。啓示でもない。いくらでも変わるものなのよ。それだけは信じていなさいね」
ジェニファは丸い目でカインをひたと見つめて言った。
カインはその目をしばらく見つめ返したあと、ジェニファの口の端に顔を近づけてキスをした。
「あら……!」
ジェニファの目がさらに大きく見開かれた。
「ノマド式の一番親愛の挨拶でしたよね」
カインは言った。
「ケイナがよくやってた」
ジェニファは嬉しそうに顔を赤らめた。カインは笑みを浮かべた。
そしてヴィルを飛び立たせた。
ジェニファはカインの姿が見えなくなるまで、ずっと湖のほとりに佇んでいた。