ケイナの顔は恐ろしいほど平静で全く無表情だった。
「トリ、ちょっと休ませてやってくれないか」
アシュアが口を挟んだ。
「セレスが…… やばそうだ……」
セレスは顔色を青くしてかすかに震えていた。無理もない。自分と同じ緑色の髪と目の者の話なのだから。
「だ、だいじょうぶだよ……」
セレスは引きつった笑みを浮かべてアシュアを見た。
「そ、それより…… おれ、よく、ここに来れたなって思う…… みんな、おれのこと怖がってるんじゃないの?」
「ぼくが招き入れたんだから、大丈夫だと安心しているんだよ」
トリは気づかうように言った。
「で、でも、おれ…… おれはもしかしたらその…… グリーン・アイズかもしれないんじゃないの? ある日いきなり人を殺すことしか考えないように……」
トリは息を吐いて首を振った。
「ぼくには予見の能力があるけれど、今のきみとケイナを見ても何の警告も感じられない。昔の…… あの時のケイナはもっと禍々しさがあった。そばに近づいただけでぼくは肌が切れそうだった。毎日ケイナの悪夢を食べるのはものすごく体力のいることだったんです。でも、今のケイナにはそれがない。もちろん、セレス、きみにも何の負の力も感じないんだ」
「トリ…… マレークは…… どうして死んだ?」
ふいに口を開いたケイナの言葉にアシュアとセレスはぎょっとしてケイナを見た。
ケイナは無表情のまま床を見つめている。
「彼が生きているんなら…… 日記は見られないはずだろ……」
トリは辛そうに目を伏せた。
「ケイナ、きみが彼を殺した」
「トリ!」
アシュアは思わず口を挟んだ。
「大丈夫だよ」
トリはアシュアに言った。
「でも……」
アシュアはケイナがまだ暴走するのではと不安を覚えていたが、渋々口をつぐんだ。
「ぼくの父親のユードは機械を扱うのは得意だったけど、あんまり深くものを考えない人でね。余計なことばかりするんだ。人づきあいが下手だったのかな……。マークが時々父のやることにいろいろ困っているのを幼いながらもぼくは知っていた。剣をリアとケイナに与えたこともマークはかなりうっとうしく思っていたと思うよ。だけど、あんなことになったからって、父が作った剣を無碍に捨てることがマークにはできなかったみたいだ。父は手先が器用だったからね。剣の柄にも一生懸命細かい紋様を彫り込んで、リアにはピカピカに磨いた黒い石を、ケイナの剣には白い石をはめこんでやっていた。父なりの愛情だったんだ。マークにもそれは分かっていたんだろう。
彼はリールをしとめたその剣をずっとケイナの目の届かないところに置いていた。でも、ひょんなことからケイナはそれを見つけてしまったんだ。
剣を見た途端、ケイナはリールをしとめたときの高揚感を再び味わいたくなり、剣を持ったままテントの外に出た。そのまま獲物を探し始めたんだ」
セレスはケイナをちらりと見遣ったが、やはり彼は無表情のままだった。
しかし、その手がかすかに震えているのをアシュアもセレスも見てとった。右手で包帯を巻いた左手を掴んでいる。
そうだ、ケイナはアルのコテージで自分を押さえるためにこの手を傷つけた。
まさかまだケイナの中の邪悪な部分が出て来そうなのだろうか。
アシュアは眉を潜めた。トリの話をここで打ち切ったほうがいいのではないだろうか。
アシュアの不安をよそに、トリはそのまま話を続けた。
「早朝で…… まだ、誰も目覚めていなかった。ぼくは隣に寝ていたからケイナがいないことにいち早く気づき、マークを起こしてきみを探しに出た。そして最初に見つけたきみの獲物は…… ぼくだったんだ。
きみはぼくの姿を見つけて目を輝かせて剣を振りかざした。差し込んだ日の光に金色の髪を輝かせて……。きみの姿は美しくて…… 恐ろしかった……。ぼくはとてつもなく大声で叫んでいたみたいだ。声を聞きつけてマークが駆けつけ、ぼくが目を閉じて自分の命の終わりを覚悟したとき、剣の切っ先は彼の胸を貫いていた……」
トリは当時のことを思い出しているのか、うつむいた顔がかすかに青ざめていた。
「マークはぼくときみの間に立ちはだかって剣を体で受けていた。彼の後ろにいて、ぼくは彼の背中から見えている剣の切っ先から、彼の血がぽたぽたと垂れて足元の草を真っ赤に染めていくのを見ていた……。
マークは貫かれたまま最後の力を振り絞ってきみを抱き締めるとそのまま地面に倒れた。ぼくはきみの顔を見た。きみは全くの無表情だった……。足元のマークを見て、きみはひとことぽつりとつぶやいたんだ。『あっけない』と……」
トリは数回まばたきをして少しためらうような表情をし、そして続けた。
「それを聞いたとき、ぼくは全身の血が逆流したような気持ちになったんだ……。
ぼくは叫んでいた。『闇の淵へ落ちろ、ケイナ』と……。ケイナ、きみは無へ。二度と目覚めることなかれ……!」
「いっ…… つっ……」
ケイナがいきなり頭を押さえて椅子の上で体を折った。
アシュアががたんと立ち上がり、セレスは慌ててケイナを庇うように腕を彼の背に回した。
トリははっとしたように瞬きした。
「し…… 失礼…… 少し波を飛ばしてしまったかも……」
ケイナはすぐに身を起こすと、肩で息をついてトリを少し睨みつけた。
「申し訳ない…… 大丈夫かい?」
トリはすまなさそうにケイナを見た。ケイナはうなずいた。
この男、なんか妙な力を持っている。
カインも同じ予見の力を持っているのに、こんな危うい能力はなかった。
この男は危険かもしれない……。アシュアは思った。
「きみはその場に崩れ折れ、そしてぼくも意識を失った」
トリは話を続けた。
「あのときのグリーン・アイズは娘が葬った。本来なら同じグリーン・アイズでしか封じ込められなかったはずのきみの力を封じ込めたのは単に幸運だったからなのか、それともきみが金髪碧眼で、純粋にグリーン・アイズじゃなかったからなのか…… それは分からない……。
でも、自分に出せるすべての力を出し切ったぼくはしばらく廃人のようになった。きみは昏睡状態に陥っていたけれど、もし目覚めたらもうぼくにはきみを封じ込める力は残っていなかった。
それでも数か月間、きみは意識を失ったままで…… そしてある日、軍が私たちにコンタクトを取ってきたんです」
「ケイナを手放す決心をしたのか……」
アシュアの問いにトリはうなずいた。
「そうするしかなかった……。そうするしかなかったんです……」
アシュアは気づかわしげにケイナの顔を見た。ケイナは黙って目を伏せている。
その横顔からは何を考えているかは分からなかった。
「そんな忌まわしい記憶を作ったのに…… どうして……」
しばらくしてケイナは目を伏せたままつぶやいた。
トリはケイナを見つめて言った。
「きみの心はからっぽで……」
ケイナは思わずトリの顔を見た。
「からっぽっていうのは、何も考えていないのとは違うんだよ……」
トリは静かに言った。ケイナは戸惑ったように目を伏せた。
トリはアシュアとセレスを指差した。
「彼と、彼」
トリは笑みを浮かべた。
「きみの中にはふたりのことしかなくて…… 助けなくちゃ、助けなくちゃって、そればっかりで……」
アシュアが顔を伏せた。
ケイナ、おまえ……。
「ケイナ、ノマドは後悔をしている……。きみにだけじゃない。67年前のあのグリーン・アイズのときから、ずっと。……ぼくがどうしてコリュボスに来たか、分かりますか」
ケイナは黙ってトリを見つめた。
「本当にきみが来るかどうか、運命が本当にそのとおりに動くのかどうか、それを確かめるために1年かかった」
トリはケイナを見つめ返した。
「ぼくらはもう沈黙しない。ケイナ、ぼくらはきみを迎え、助ける。今度はもう諦めない」
トリは服の下から小さなディスクを一枚取り出した。
「これ、見せようか見せまいか、迷ったんだ……」
トリはためらいがちに言った。
「マレークは恥ずかしがりやというか…… 自分の姿を映像に残すことをひどく嫌がったんだ。人間は死んだら土に還る。自分の望みはこの星と一体になってこの星の養分となり命の一部分になることだって。そんなことを時々言ってた。生きているときの姿をいつまでも残すことは悔やみを残すことになるからって……。日記も最終的には誰にも見せるつもりはなかったんだろうね……」
トリは笑みを浮かべた。
「例のごとく、ぼくの父がいらぬお世話をしたんだよ……。マレークがさっきの日記以外で自分の姿を残したのはこれが最初で最後だった」
トリはディスクをレコーダーに入れた。
しばらくして金色の髪の小さな男の子が目の前に立ち、ケイナがぎょっとしたようにかすかに身をこわばらせた。
「ケイナだ……」
セレスがつぶやいた。
4歳くらいのケイナだろうか。頬を上気させている。誰もがケイナを見て幸せになったというのが分かるような気がした。目の前に立つケイナは幼く、あどけなく、その笑みは輝かんばかりだ。
『お父さん! お父さん!』
ケイナは呼んだ。続いて優し気な女性があらわれると、ケイナの髪についていた木の葉のくずを指でつまんで下に落した。
『マーマ!!』
ケイナは彼女に抱きつくと頬にキスをした。女性はきっとユサだ。豊かな黒い髪を太い三つ編みに編んで背に垂らしていた。
『ケイナ、お父さんは恥ずかしがりやね……』
彼女は幼いケイナを抱いてくすくす笑った。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
ケイナが叫んだ。
「やめ……」
セレスは横にいたケイナがかすかにつぶやいたように思った。
しばらくして渋面をしてマレークが現れた。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
再び幼いケイナが叫んだ。
「やめて…… くれないか……」
セレスが目を向けると、ケイナは両手を握りしめていた。
マレークは少し恨みっぽい目をこちらに向けた。
『ユード、きみはほんとに……』
『マーク』
ユサがたしなめた。マレークは目をしばたたせると口をつぐんだ。目の前の3人が抱き合った。
ケイナががたんと立ち上がった。
「やめろって言ってんだろ!!」
まん中のケイナにユサとマレークは両側からキスをした。
『おかえりー!』
幼いケイナの高い声が響き、ケイナは荒々しくテントから出ていった。
「ケイナ!」
セレスが追おうとするのをトリが引き止めた。
「ぼくが行くよ…… きみたちはテントに戻っていて……」
セレスはためらったが、不安な顔をしながらもうなずいた。
「トリ、ちょっと休ませてやってくれないか」
アシュアが口を挟んだ。
「セレスが…… やばそうだ……」
セレスは顔色を青くしてかすかに震えていた。無理もない。自分と同じ緑色の髪と目の者の話なのだから。
「だ、だいじょうぶだよ……」
セレスは引きつった笑みを浮かべてアシュアを見た。
「そ、それより…… おれ、よく、ここに来れたなって思う…… みんな、おれのこと怖がってるんじゃないの?」
「ぼくが招き入れたんだから、大丈夫だと安心しているんだよ」
トリは気づかうように言った。
「で、でも、おれ…… おれはもしかしたらその…… グリーン・アイズかもしれないんじゃないの? ある日いきなり人を殺すことしか考えないように……」
トリは息を吐いて首を振った。
「ぼくには予見の能力があるけれど、今のきみとケイナを見ても何の警告も感じられない。昔の…… あの時のケイナはもっと禍々しさがあった。そばに近づいただけでぼくは肌が切れそうだった。毎日ケイナの悪夢を食べるのはものすごく体力のいることだったんです。でも、今のケイナにはそれがない。もちろん、セレス、きみにも何の負の力も感じないんだ」
「トリ…… マレークは…… どうして死んだ?」
ふいに口を開いたケイナの言葉にアシュアとセレスはぎょっとしてケイナを見た。
ケイナは無表情のまま床を見つめている。
「彼が生きているんなら…… 日記は見られないはずだろ……」
トリは辛そうに目を伏せた。
「ケイナ、きみが彼を殺した」
「トリ!」
アシュアは思わず口を挟んだ。
「大丈夫だよ」
トリはアシュアに言った。
「でも……」
アシュアはケイナがまだ暴走するのではと不安を覚えていたが、渋々口をつぐんだ。
「ぼくの父親のユードは機械を扱うのは得意だったけど、あんまり深くものを考えない人でね。余計なことばかりするんだ。人づきあいが下手だったのかな……。マークが時々父のやることにいろいろ困っているのを幼いながらもぼくは知っていた。剣をリアとケイナに与えたこともマークはかなりうっとうしく思っていたと思うよ。だけど、あんなことになったからって、父が作った剣を無碍に捨てることがマークにはできなかったみたいだ。父は手先が器用だったからね。剣の柄にも一生懸命細かい紋様を彫り込んで、リアにはピカピカに磨いた黒い石を、ケイナの剣には白い石をはめこんでやっていた。父なりの愛情だったんだ。マークにもそれは分かっていたんだろう。
彼はリールをしとめたその剣をずっとケイナの目の届かないところに置いていた。でも、ひょんなことからケイナはそれを見つけてしまったんだ。
剣を見た途端、ケイナはリールをしとめたときの高揚感を再び味わいたくなり、剣を持ったままテントの外に出た。そのまま獲物を探し始めたんだ」
セレスはケイナをちらりと見遣ったが、やはり彼は無表情のままだった。
しかし、その手がかすかに震えているのをアシュアもセレスも見てとった。右手で包帯を巻いた左手を掴んでいる。
そうだ、ケイナはアルのコテージで自分を押さえるためにこの手を傷つけた。
まさかまだケイナの中の邪悪な部分が出て来そうなのだろうか。
アシュアは眉を潜めた。トリの話をここで打ち切ったほうがいいのではないだろうか。
アシュアの不安をよそに、トリはそのまま話を続けた。
「早朝で…… まだ、誰も目覚めていなかった。ぼくは隣に寝ていたからケイナがいないことにいち早く気づき、マークを起こしてきみを探しに出た。そして最初に見つけたきみの獲物は…… ぼくだったんだ。
きみはぼくの姿を見つけて目を輝かせて剣を振りかざした。差し込んだ日の光に金色の髪を輝かせて……。きみの姿は美しくて…… 恐ろしかった……。ぼくはとてつもなく大声で叫んでいたみたいだ。声を聞きつけてマークが駆けつけ、ぼくが目を閉じて自分の命の終わりを覚悟したとき、剣の切っ先は彼の胸を貫いていた……」
トリは当時のことを思い出しているのか、うつむいた顔がかすかに青ざめていた。
「マークはぼくときみの間に立ちはだかって剣を体で受けていた。彼の後ろにいて、ぼくは彼の背中から見えている剣の切っ先から、彼の血がぽたぽたと垂れて足元の草を真っ赤に染めていくのを見ていた……。
マークは貫かれたまま最後の力を振り絞ってきみを抱き締めるとそのまま地面に倒れた。ぼくはきみの顔を見た。きみは全くの無表情だった……。足元のマークを見て、きみはひとことぽつりとつぶやいたんだ。『あっけない』と……」
トリは数回まばたきをして少しためらうような表情をし、そして続けた。
「それを聞いたとき、ぼくは全身の血が逆流したような気持ちになったんだ……。
ぼくは叫んでいた。『闇の淵へ落ちろ、ケイナ』と……。ケイナ、きみは無へ。二度と目覚めることなかれ……!」
「いっ…… つっ……」
ケイナがいきなり頭を押さえて椅子の上で体を折った。
アシュアががたんと立ち上がり、セレスは慌ててケイナを庇うように腕を彼の背に回した。
トリははっとしたように瞬きした。
「し…… 失礼…… 少し波を飛ばしてしまったかも……」
ケイナはすぐに身を起こすと、肩で息をついてトリを少し睨みつけた。
「申し訳ない…… 大丈夫かい?」
トリはすまなさそうにケイナを見た。ケイナはうなずいた。
この男、なんか妙な力を持っている。
カインも同じ予見の力を持っているのに、こんな危うい能力はなかった。
この男は危険かもしれない……。アシュアは思った。
「きみはその場に崩れ折れ、そしてぼくも意識を失った」
トリは話を続けた。
「あのときのグリーン・アイズは娘が葬った。本来なら同じグリーン・アイズでしか封じ込められなかったはずのきみの力を封じ込めたのは単に幸運だったからなのか、それともきみが金髪碧眼で、純粋にグリーン・アイズじゃなかったからなのか…… それは分からない……。
でも、自分に出せるすべての力を出し切ったぼくはしばらく廃人のようになった。きみは昏睡状態に陥っていたけれど、もし目覚めたらもうぼくにはきみを封じ込める力は残っていなかった。
それでも数か月間、きみは意識を失ったままで…… そしてある日、軍が私たちにコンタクトを取ってきたんです」
「ケイナを手放す決心をしたのか……」
アシュアの問いにトリはうなずいた。
「そうするしかなかった……。そうするしかなかったんです……」
アシュアは気づかわしげにケイナの顔を見た。ケイナは黙って目を伏せている。
その横顔からは何を考えているかは分からなかった。
「そんな忌まわしい記憶を作ったのに…… どうして……」
しばらくしてケイナは目を伏せたままつぶやいた。
トリはケイナを見つめて言った。
「きみの心はからっぽで……」
ケイナは思わずトリの顔を見た。
「からっぽっていうのは、何も考えていないのとは違うんだよ……」
トリは静かに言った。ケイナは戸惑ったように目を伏せた。
トリはアシュアとセレスを指差した。
「彼と、彼」
トリは笑みを浮かべた。
「きみの中にはふたりのことしかなくて…… 助けなくちゃ、助けなくちゃって、そればっかりで……」
アシュアが顔を伏せた。
ケイナ、おまえ……。
「ケイナ、ノマドは後悔をしている……。きみにだけじゃない。67年前のあのグリーン・アイズのときから、ずっと。……ぼくがどうしてコリュボスに来たか、分かりますか」
ケイナは黙ってトリを見つめた。
「本当にきみが来るかどうか、運命が本当にそのとおりに動くのかどうか、それを確かめるために1年かかった」
トリはケイナを見つめ返した。
「ぼくらはもう沈黙しない。ケイナ、ぼくらはきみを迎え、助ける。今度はもう諦めない」
トリは服の下から小さなディスクを一枚取り出した。
「これ、見せようか見せまいか、迷ったんだ……」
トリはためらいがちに言った。
「マレークは恥ずかしがりやというか…… 自分の姿を映像に残すことをひどく嫌がったんだ。人間は死んだら土に還る。自分の望みはこの星と一体になってこの星の養分となり命の一部分になることだって。そんなことを時々言ってた。生きているときの姿をいつまでも残すことは悔やみを残すことになるからって……。日記も最終的には誰にも見せるつもりはなかったんだろうね……」
トリは笑みを浮かべた。
「例のごとく、ぼくの父がいらぬお世話をしたんだよ……。マレークがさっきの日記以外で自分の姿を残したのはこれが最初で最後だった」
トリはディスクをレコーダーに入れた。
しばらくして金色の髪の小さな男の子が目の前に立ち、ケイナがぎょっとしたようにかすかに身をこわばらせた。
「ケイナだ……」
セレスがつぶやいた。
4歳くらいのケイナだろうか。頬を上気させている。誰もがケイナを見て幸せになったというのが分かるような気がした。目の前に立つケイナは幼く、あどけなく、その笑みは輝かんばかりだ。
『お父さん! お父さん!』
ケイナは呼んだ。続いて優し気な女性があらわれると、ケイナの髪についていた木の葉のくずを指でつまんで下に落した。
『マーマ!!』
ケイナは彼女に抱きつくと頬にキスをした。女性はきっとユサだ。豊かな黒い髪を太い三つ編みに編んで背に垂らしていた。
『ケイナ、お父さんは恥ずかしがりやね……』
彼女は幼いケイナを抱いてくすくす笑った。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
ケイナが叫んだ。
「やめ……」
セレスは横にいたケイナがかすかにつぶやいたように思った。
しばらくして渋面をしてマレークが現れた。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
再び幼いケイナが叫んだ。
「やめて…… くれないか……」
セレスが目を向けると、ケイナは両手を握りしめていた。
マレークは少し恨みっぽい目をこちらに向けた。
『ユード、きみはほんとに……』
『マーク』
ユサがたしなめた。マレークは目をしばたたせると口をつぐんだ。目の前の3人が抱き合った。
ケイナががたんと立ち上がった。
「やめろって言ってんだろ!!」
まん中のケイナにユサとマレークは両側からキスをした。
『おかえりー!』
幼いケイナの高い声が響き、ケイナは荒々しくテントから出ていった。
「ケイナ!」
セレスが追おうとするのをトリが引き止めた。
「ぼくが行くよ…… きみたちはテントに戻っていて……」
セレスはためらったが、不安な顔をしながらもうなずいた。