『トリが最近浮かない顔をする。
もともとあまり表情の出ない子なんだが、ケイナを見るときに悲しそうな顔をするんだ。
ケイナのことが嫌いなのかと聞いたら、そうじゃないって言うんだ。
ケイナはいい子過ぎて、いつかそれが大変なことになりそうな気がするって……。
ぼくにはよく分からなかった。
ケイナ、おまえは確かにいい子だよ。明るくてよく笑う。
小さな手でお父さん、お父さんとぼくのほっぺたを撫で回すんだ。
あの無愛想チェシャがおまえにだけはスリよっていく。おまえがしっぽを掴んでも怒らなかったな。
明日からドームの南側に移動することになった。しばらくは数カ月置きに転々とするんだそうだ。
少しずつでも緑が増えていくっていうことはぼくの夢だったし、やりがいがあるよ。
これも、おまえがぼくに与えてくれたんだなと思う……。
ケイナ、ぼくはおまえが大好きだ。
大変なことなんて…… 起こりっこない』
『ケイナが6歳になった。
ずいぶんと頭のいい子だ。びっくりしたよ。
ぼくが20歳くらいのときにやっと解いた数式を解いちまった。
親ばか…… かな。天才じゃないかと思ったよ。
リアとよく剣士ごっこをしている。
彼女は昔から棒っきれを振り回していて、ときどきユサがたしなめていたけど聞く耳持たなかった。
最近はケイナと遊んでも負けてばっかりみたいだ。負けず嫌いだから顔を真っ赤にして怒っているよ。
ケイナはリアに負けないくらい動きがすばやい。
どうも見ていると、リアが怪我しないように考えて動いているみたいだ。
リアは勘が鋭いからそのことをよく分かっていて、それが余計悔しいんだと思う。
ぼくはあんまりスポーツをしたことないからよく分からないんだけど、なんだかおまえは相手の動きを最初から読んでるような顔をする。
誰が教えたわけでもないのに、受け身の方法もちゃんと知ってる。
不思議な子だな……』
『ユードが刃はついていないけれど、金属製の剣をふたりに作ってやった。
まあ…… 刃がないんだから大丈夫だとは思うけれど、ぼくはちょっと不安だ……。
ユサも不安そうにしている。まだ子供だし…… 剣っていうのは戦うためのものだから…。
困った……。
ユードは悪気があるわけじゃない。だけど、あの人のやることは時々考えなしだから不安だよ。
長老のエリドは様子を見ようと言ってるからそれに従うことにする。』
ふっとマレークの姿が消えた。
次に現れたときの姿を見てセレスたちは目を丸くした。
憔悴しきって、まるで病気のような顔色の悪さだ。
彼はあらわれるなり大きく息を吐いた。
『リアが…… 高熱を出して寝込んでる。
……もう10日になるかな…… いや、もっとかもしれない。
脳に影響あるほどじゃないし、時々意識が戻るから、大丈夫だとは思うけど…… まだ小さいから早く下げてやらないと体力がもたないんじゃないかと思う。
ずっとユサがつきそって看病してる。
ユードはただうろたえてるだけだよ……。
あの人はほんとうにどうしようもない……。
ああ…… まずいな……。
こんな記録はもう誰にも見せられない……。
あとで消しておかないと……』
『剣なんか…… やめておけばよかったんだ……。
子供には棒っきれで充分だよ。
森の中にふたりでリールをしとめに行ったらしい。
クマの突然変異種で、夜行性なんだがけっこう気が荒い。
だけど、刺激を与えなければ人を襲うことなんかないと聞いた。
誘ったのはリアらしい。勝負をしたんだと。
自分が負けたら宝物の青い石をやる、だけど勝ったら唇にキスをしろ、とケイナに言ったんだそうだ。
森から帰ったときは錯乱状態で、聞き出すのがやっとだった。
ケイナ…… おまえは最後まで行かないと抵抗したそうだな……。
当たり前だ。
刃のない剣であんなものに挑むなんて正気の人間がすることじゃない……』
トリが見ていたから、教えてくれた。
慌ててエリドと腕っぷしの強いバークを連れて行ったよ。
見つけたときは、一瞬足がすくんで動けなかった。
リールは倒れていて、その上におまえは乗っていた。
リアは気が狂ったように大声で何か訳の分からないことを喚き散らしていた。
おまえの持っていた刃のない剣はべっとりと血で濡れていて、その血はおまえが嘗めたかのように、おまえの口にもついていた。
バークがリールの首根っこに剣のささった跡を見つけた。
刃のない剣が堅いリールの皮膚を突き破って致命傷になるほどの威力があるとは思えないって…… 言っていた……』
姿が消えて次に現れたマレークの姿は前よりも疲弊していた。
目は落ち窪み、げっそりと痩せている。
視線が落ち着かなげにふらふらと動いた。
『毎晩飛び起きて訳のわからないことを叫び散らして森の中へ走っていく……。
そのたんびに探しに行く。
ケイナ、おまえの小さな体が震えながら森の中にうずくまっているのを見つけても、ぼくには抱き締めてやることしかできない。
いったい何に怯えているのか、何がおまえを狂気に駆り立てるのか……
ケイナ、お父さんはここにいる。
ここにいると抱き締めてもおまえに声が届かないんだ……
ケイナ……。
お父さんの声が聞こえないか……。
以前のように笑ってくれ……』
『昨日からトリが添い寝をすると言ってきた。
自分ならケイナの悪夢を食べてやれると言うんだ。
半信半疑で言うとおりにしたら夜の奇行はなくなった。
だけど、毎日テントに篭りっきりで少しも外に出ようとしない。
目がぎらぎらして…… 以前のケイナの面影がない……。
ユサがひどく怯えてる……。
あんなにケイナを可愛がっていた彼女がケイナの傍に近づこうとしない。
しかたがないから…… ユードのテントでずっとリアを見るようにさせた。
ユードはしばらく長老のテントに行く。
ケイナのそばにはトリがいる。
だのに、ケイナはトリの顔を見ようともしない。
トリはずっとケイナの手を握ってる。
そしてぼくに言うんだ。
ケイナの横に緑色の目の人がいる、と……。
ほうっておいたら連れて行かれると……
ぞっとした……。
エリドに相談したんだ。
エリドはあんまり言いたくなさそうだったけれど、話してくれた。
50年ほど前に緑色の目と緑色の髪の少年がノマドにやって来たんだそうだ。
美しい顔立ちで、頭も良く、明るく屈託ない性格で、すぐに溶け込んだと。
20歳くらいでコミュニティの女性と結婚し、女の子が生まれた。
同じ緑色の目と緑色の髪を持つ美しい子だったそうだ。
だけど、その子が7歳になったときに事件が起こった。
親のグリーン・アイズが豹変した。
しばらく飢えた獣のように目をぎらぎらさせていた。
数日後、彼はコミュニティの人間を片っ端から殺していった。
彼は小さな料理用のナイフだけしか持っていなかった。
それで逃げまどう人を容赦なく彼は切り刻み、最後の一家族が犠牲になろうというとき、彼の娘が彼の前に立ちはだかった。
……そして彼を葬った……。
娘はただひとこと、「ノー」と言ったんだそうだ。
彼は自分で自分の首を切った……』
マレークの目から涙があふれた。
彼はぽたぽたとこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、肩を震わせていた。
『あのとき…… あの筒の中から聞こえた女性は言っていた。
……この子はこちらにいたら危険なんです、と。
そのことに早く気づいていれば良かった……。
外の世界が危険なのではなく、おまえ自身が危険だったのだ……。
ノマドはグリーン・アイズのことを知っていた。
エリドは気づいていたのかもしれない。
いや、金髪碧眼のおまえとグリーン・アイズを結びつけるのは難しかっただろうか。
親を葬った娘のグリーン・アイズは行方不明になったとエリドは言った。
おまえの中にはその血が入っているんだろうか。
ぼくには分からない。
だけど、ノマドの中にはたくさん術者がいるんだ。
もっと幼い頃におまえの中の危険な人格を閉じ込めることだってできたかもしれない。
でも、もう遅い……
いや、遅くない……
ケイナ、頼むから元に戻ってくれ。
私の息子だ。
元に戻ってくれ……。
戻ってくれるんなら、なんでもする』
マレークの姿が揺らいで消えた。
もともとあまり表情の出ない子なんだが、ケイナを見るときに悲しそうな顔をするんだ。
ケイナのことが嫌いなのかと聞いたら、そうじゃないって言うんだ。
ケイナはいい子過ぎて、いつかそれが大変なことになりそうな気がするって……。
ぼくにはよく分からなかった。
ケイナ、おまえは確かにいい子だよ。明るくてよく笑う。
小さな手でお父さん、お父さんとぼくのほっぺたを撫で回すんだ。
あの無愛想チェシャがおまえにだけはスリよっていく。おまえがしっぽを掴んでも怒らなかったな。
明日からドームの南側に移動することになった。しばらくは数カ月置きに転々とするんだそうだ。
少しずつでも緑が増えていくっていうことはぼくの夢だったし、やりがいがあるよ。
これも、おまえがぼくに与えてくれたんだなと思う……。
ケイナ、ぼくはおまえが大好きだ。
大変なことなんて…… 起こりっこない』
『ケイナが6歳になった。
ずいぶんと頭のいい子だ。びっくりしたよ。
ぼくが20歳くらいのときにやっと解いた数式を解いちまった。
親ばか…… かな。天才じゃないかと思ったよ。
リアとよく剣士ごっこをしている。
彼女は昔から棒っきれを振り回していて、ときどきユサがたしなめていたけど聞く耳持たなかった。
最近はケイナと遊んでも負けてばっかりみたいだ。負けず嫌いだから顔を真っ赤にして怒っているよ。
ケイナはリアに負けないくらい動きがすばやい。
どうも見ていると、リアが怪我しないように考えて動いているみたいだ。
リアは勘が鋭いからそのことをよく分かっていて、それが余計悔しいんだと思う。
ぼくはあんまりスポーツをしたことないからよく分からないんだけど、なんだかおまえは相手の動きを最初から読んでるような顔をする。
誰が教えたわけでもないのに、受け身の方法もちゃんと知ってる。
不思議な子だな……』
『ユードが刃はついていないけれど、金属製の剣をふたりに作ってやった。
まあ…… 刃がないんだから大丈夫だとは思うけれど、ぼくはちょっと不安だ……。
ユサも不安そうにしている。まだ子供だし…… 剣っていうのは戦うためのものだから…。
困った……。
ユードは悪気があるわけじゃない。だけど、あの人のやることは時々考えなしだから不安だよ。
長老のエリドは様子を見ようと言ってるからそれに従うことにする。』
ふっとマレークの姿が消えた。
次に現れたときの姿を見てセレスたちは目を丸くした。
憔悴しきって、まるで病気のような顔色の悪さだ。
彼はあらわれるなり大きく息を吐いた。
『リアが…… 高熱を出して寝込んでる。
……もう10日になるかな…… いや、もっとかもしれない。
脳に影響あるほどじゃないし、時々意識が戻るから、大丈夫だとは思うけど…… まだ小さいから早く下げてやらないと体力がもたないんじゃないかと思う。
ずっとユサがつきそって看病してる。
ユードはただうろたえてるだけだよ……。
あの人はほんとうにどうしようもない……。
ああ…… まずいな……。
こんな記録はもう誰にも見せられない……。
あとで消しておかないと……』
『剣なんか…… やめておけばよかったんだ……。
子供には棒っきれで充分だよ。
森の中にふたりでリールをしとめに行ったらしい。
クマの突然変異種で、夜行性なんだがけっこう気が荒い。
だけど、刺激を与えなければ人を襲うことなんかないと聞いた。
誘ったのはリアらしい。勝負をしたんだと。
自分が負けたら宝物の青い石をやる、だけど勝ったら唇にキスをしろ、とケイナに言ったんだそうだ。
森から帰ったときは錯乱状態で、聞き出すのがやっとだった。
ケイナ…… おまえは最後まで行かないと抵抗したそうだな……。
当たり前だ。
刃のない剣であんなものに挑むなんて正気の人間がすることじゃない……』
トリが見ていたから、教えてくれた。
慌ててエリドと腕っぷしの強いバークを連れて行ったよ。
見つけたときは、一瞬足がすくんで動けなかった。
リールは倒れていて、その上におまえは乗っていた。
リアは気が狂ったように大声で何か訳の分からないことを喚き散らしていた。
おまえの持っていた刃のない剣はべっとりと血で濡れていて、その血はおまえが嘗めたかのように、おまえの口にもついていた。
バークがリールの首根っこに剣のささった跡を見つけた。
刃のない剣が堅いリールの皮膚を突き破って致命傷になるほどの威力があるとは思えないって…… 言っていた……』
姿が消えて次に現れたマレークの姿は前よりも疲弊していた。
目は落ち窪み、げっそりと痩せている。
視線が落ち着かなげにふらふらと動いた。
『毎晩飛び起きて訳のわからないことを叫び散らして森の中へ走っていく……。
そのたんびに探しに行く。
ケイナ、おまえの小さな体が震えながら森の中にうずくまっているのを見つけても、ぼくには抱き締めてやることしかできない。
いったい何に怯えているのか、何がおまえを狂気に駆り立てるのか……
ケイナ、お父さんはここにいる。
ここにいると抱き締めてもおまえに声が届かないんだ……
ケイナ……。
お父さんの声が聞こえないか……。
以前のように笑ってくれ……』
『昨日からトリが添い寝をすると言ってきた。
自分ならケイナの悪夢を食べてやれると言うんだ。
半信半疑で言うとおりにしたら夜の奇行はなくなった。
だけど、毎日テントに篭りっきりで少しも外に出ようとしない。
目がぎらぎらして…… 以前のケイナの面影がない……。
ユサがひどく怯えてる……。
あんなにケイナを可愛がっていた彼女がケイナの傍に近づこうとしない。
しかたがないから…… ユードのテントでずっとリアを見るようにさせた。
ユードはしばらく長老のテントに行く。
ケイナのそばにはトリがいる。
だのに、ケイナはトリの顔を見ようともしない。
トリはずっとケイナの手を握ってる。
そしてぼくに言うんだ。
ケイナの横に緑色の目の人がいる、と……。
ほうっておいたら連れて行かれると……
ぞっとした……。
エリドに相談したんだ。
エリドはあんまり言いたくなさそうだったけれど、話してくれた。
50年ほど前に緑色の目と緑色の髪の少年がノマドにやって来たんだそうだ。
美しい顔立ちで、頭も良く、明るく屈託ない性格で、すぐに溶け込んだと。
20歳くらいでコミュニティの女性と結婚し、女の子が生まれた。
同じ緑色の目と緑色の髪を持つ美しい子だったそうだ。
だけど、その子が7歳になったときに事件が起こった。
親のグリーン・アイズが豹変した。
しばらく飢えた獣のように目をぎらぎらさせていた。
数日後、彼はコミュニティの人間を片っ端から殺していった。
彼は小さな料理用のナイフだけしか持っていなかった。
それで逃げまどう人を容赦なく彼は切り刻み、最後の一家族が犠牲になろうというとき、彼の娘が彼の前に立ちはだかった。
……そして彼を葬った……。
娘はただひとこと、「ノー」と言ったんだそうだ。
彼は自分で自分の首を切った……』
マレークの目から涙があふれた。
彼はぽたぽたとこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、肩を震わせていた。
『あのとき…… あの筒の中から聞こえた女性は言っていた。
……この子はこちらにいたら危険なんです、と。
そのことに早く気づいていれば良かった……。
外の世界が危険なのではなく、おまえ自身が危険だったのだ……。
ノマドはグリーン・アイズのことを知っていた。
エリドは気づいていたのかもしれない。
いや、金髪碧眼のおまえとグリーン・アイズを結びつけるのは難しかっただろうか。
親を葬った娘のグリーン・アイズは行方不明になったとエリドは言った。
おまえの中にはその血が入っているんだろうか。
ぼくには分からない。
だけど、ノマドの中にはたくさん術者がいるんだ。
もっと幼い頃におまえの中の危険な人格を閉じ込めることだってできたかもしれない。
でも、もう遅い……
いや、遅くない……
ケイナ、頼むから元に戻ってくれ。
私の息子だ。
元に戻ってくれ……。
戻ってくれるんなら、なんでもする』
マレークの姿が揺らいで消えた。