「そんなこと許せるわけがないでしょう!」
叔母のフェイはハルドの言葉を聞いて怒りで顔を赤くした。
「セレスはおまえと違って体も小さいし無茶をさせないで! お父さんと同じ教師や医者やそういうのならともかく軍なんて…… そういうこと、挑発しないで! ちゃんと言って聞かせてちょうだい!」
最後のほうは半ば懇願するような口調だった。
「母さん」
ハルドは画面の向こうで叔母を落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「セレスはもうすぐ14歳になります。ここ数年風邪ひとつひいてはいません。あいつがこんなにきっぱりと自分の意思表示をすることなんて滅多にないんだ。あいつの気持ちを尊重してやって欲しいんです」
「尊重してるわ。だからコリュボスに行きたいって言った時も許したじゃない。11歳の子を半分ひとり暮らしさせるなんて、どれだけの決心が必要だったと思うの」
フェイは思わず指で目をぬぐった。
彼女は心根が優しくて面倒見がいい。だが涙もろくてすぐに泣き出す。叔母に泣かれるのがハルドは一番苦手だった。
自分が『ライン』を志望したときもさんざん泣かれたのだ。
もっとも当時も、そして今のこの状態も、少なからず予想はしていたことであったが。
「母さん、ぼくが責任を持ちます。だから……」
ハルドは画面越しであることをもどかしく思いながら言った。指揮官のデスクから小さな通信機でかけているからしかたがない。休暇もあと二ヶ月はとれっこない。
「おまえの将来のことはどうなるの。いつまでもセレスがそばにいたんじゃ結婚できないわ」
フェイは形のいい眉をひそめ、またその話か、とハルドは思った。
「そんなこと心配しなくても大丈夫です。『ライン』に入ってしまったら家を出るのも同然だってことは母さんだって知ってるでしょう」
心の中では(結婚はしないかもしれないなあ…)と思ったが、もちろん口には出さなかった。
「もう…… 一生懸命育てても、子供ってわがままばかり言うんだから……」
叔母はつぶやいてうつむくと顔を覆った。ハルドはため息をついた。
叔母は父と母が死んだあと、わが子同然に愛情を注いで育ててくれた。
12歳だったハルドが両親の死のショックで拒食症になったときに必死になって治してくれた。
セレスが地球の『ジュニア・スクール』で緑色の髪というので苛めに遭ったときは大変だった。ハルドはもうスクールを修了していたのでどうしてやることもできなかった。
だけど、叔母の愛情があるからセレスは乗り越えたのだ。
感謝してる。セレスだって感謝しているはずだ。
だけど、セレスがあんな顔で自分に連絡してきたのは一緒に『コリュボス』に行くと言ったあの日以来だ。
顔がまるきり違った。
だから、叔母の説得は自分がすると引き受けたのだ。
さて、どうしたものか……。
「フェイ」
叔母の背後で声がした。叔父のケヴィンの声だ。叔母が振り返るのが見えた。
「もういいじゃないか。こっちに戻って来たって、 おまえのそばにずっといるわけじゃないんだし」
叔母が何か言おうとすると、強引に叔父が叔母を押し退けて画面に現れた。
「ハルド」
豊かな髪のほとんどが灰色になってしまっている叔父は言った。教育者という職業らしく顔つきがいかめしい。
ちょっと見ない間に老けてしまったな、 とハルドは思った。
「私も正直な話、セレスがこっちに戻って来てくれればまた賑やかになるのにと思ってはいたんだが…… フェイには私からゆっくり言い聞かせておくから手続きをしなさい。早くしないとテストに間に合わなくなる」
「お父さん、ありがとう」
ハルドは言った。
「お母さん、申し訳ない。セレスにもまた連絡させます」
叔父がうなずいたので、ハルドはすばやくスイッチを切った。そして大きな息を吐いて椅子の背に体をもたせかけた。
「弟さん、『ジュニア・スクール』を卒業かい?」
書類を持って部屋に入ってきた秘書のリーフがかすかに笑みを浮かべて言った。彼はハルドより4歳年上で頼りがいのあるいい青年だった。
「あいつを『ライン』に入れることにおれも完璧に賛成ってわけじゃないんだ」
ハルドは本音を漏らした。
「あいつ、なんだか人並み外れているところがあるから、 それがなんだかトラブルにつながりそうな気もして……」
「『ライン』にはカート司令官の息子さんたちもいるよ。次男のケイナは天才的らしい。きっと啓発されていい成長するんじゃないかな。大丈夫だよ」
「だといいんだけどね」
ハルドは苦笑した。
「その若さでまるで父親みたいだな。きみのほうこそ弟を信じるべきじゃないの?」
リーフの言葉にハルドは目をぱちくりさせた。そして笑った。
「そうかもな」
ハルドはそう言ってリーフの持ってきた書類に目を通し始めた。
そのとき彼はもちろん最初のその不安がまさか的中することになろうとは思っていなかった。
2ヶ月後、セレスはなんとかギリギリの成績でひっかかって『ライン』に合格した。
授業中居眠りばかりしているセレスに学科の試験の手ほどきをしたのはもちろんアルだ。
運動能力の試験はほうっておいても大丈夫だったが、学科試験だけはセレスの独学だけで間に合うはずがない。
アルの母親は息子がセレスの家にいりびたるのを好まなかったが、アルの好きなようにさせろと説き伏せたのは彼の父親だった。
これまで父親とはほとんど話すこともなくいつも遠巻きに見ていたアルだったが、急に父親の存在が身近に思えて嬉しかった。 何よりも父親がセレスを友人として認めてくれたのが嬉しかったのだ。
それにしても試験前一週間のセレスはすさまじかった。
アルが休日にセレスの家に行くと部屋中テキストが散乱していた。
テキストの山に埋もれるようにしてセレスは寝ていたりした。
「ゆうべここで寝たの? 試験までに体を壊しちゃうよ」
アルは散らばった紙の束を拾い上げながら言ったが、セレスはただ笑っただけだった。
こんなに集中力があるならもっと普段から真面目にすればいいのに、と優等生型のアルは思う。
セレスは最初の基本さえ言えばあとは全部理解してしまう。セレスが本気を出せば、きっとアルと一位二位を争う成績だっただろう。
前からそういうところはあったが、要領がいいのか、飲み込みが早いのか、コツコツと積み重ねて学習していくアルにとっては羨ましい限りだった。
そして試験の日を迎え、数日後に最初にセレスの合格通知書を手にしたのはアルだった。
彼は試験が終わって眠りほうけているセレスの家でこっそり彼より先に通知書をダウンロードしてプリントした。
「来月からは居眠りすんなよ」
セレスの目が覚めたとき、合格の通知書を手にアルがそれをひらひら振りながら言うとセレスは慌ててそれをひったくって眺め、そしてアルに抱きついた。
「ありがとう! アル! アルのおかげだよ!」
アルは笑った。セレスが喜んでいることが本当に嬉しかった。
「生殖機能検査はどうだった?」
アルが訊ねるとセレスはテーブルの上の紙束をひっくりかえして検査結果の通知表を取り出した。
「ダブルプラスからトリプルプラスの間…… 確定じゃないってさ。 2年後にまた検査が必要だって書いてある」
セレスは言った。
「そうか。ぼくはシングルプラスだったんだ。母さんと父さんがゼロポイントで治療したからぼくが生まれてるし、ぼくもそんなものだと思ってたけど治療を受けなくちゃならないのが面倒だよなあ。ライン3回生くらいになってないと途中でドロップアウトしかねないよ」
アルはため息をついた。
生殖機能治療は時間と手間がかかる。一ヶ月に数回検査を受けなくてはならないのだ。
『ライン』に入ってそんなふうに途中で何度も抜けることは致命的だった。
「アルなら飛び級ですぐにハイラインに上がるよ」
セレスの言葉にアルはにやりと笑った。
「いや、ぼくもそう思ってたんだけどね」
セレスはげらげら笑ってアルの頭を書類の束で軽く殴った。アルも大笑いした。
「ねえ、セレス」
アルは急に真面目な表情になって言った。
「十年後、ぼくらはいったいどんなふうになっているだろう」
セレスはふっと笑うのをやめ、アルを見た。そして目をそらせた。
「きみはお兄さんみたいに一流になっているかもしれない。ぼくは部下をひとりかふたりも持つ管理士になっているかもしれない。もしかしたらそれぞれ相手を見つけて子供がいるかもしれないね」
「……」
セレスは何も言わなかった。
「どうしたの」
アルは黙ったまま目をそらせているセレスを怪訝な顔で見た。セレスは少し笑ってアルを見た。
「変わるのはまわりだけさ。自分は10年後も20年後もそんなに変わらないよ」
アルはしばらく彼の顔を見つめたあとうなずいた。
「そうかもしれないね」
思えばこのとき、セレスは自分の近い未来を予測していたのかもしれなかった。
もちろん漠然とではあるが……。
しかしアルにはもちろんそのときにはそんなことは分からなかった。
叔母のフェイはハルドの言葉を聞いて怒りで顔を赤くした。
「セレスはおまえと違って体も小さいし無茶をさせないで! お父さんと同じ教師や医者やそういうのならともかく軍なんて…… そういうこと、挑発しないで! ちゃんと言って聞かせてちょうだい!」
最後のほうは半ば懇願するような口調だった。
「母さん」
ハルドは画面の向こうで叔母を落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「セレスはもうすぐ14歳になります。ここ数年風邪ひとつひいてはいません。あいつがこんなにきっぱりと自分の意思表示をすることなんて滅多にないんだ。あいつの気持ちを尊重してやって欲しいんです」
「尊重してるわ。だからコリュボスに行きたいって言った時も許したじゃない。11歳の子を半分ひとり暮らしさせるなんて、どれだけの決心が必要だったと思うの」
フェイは思わず指で目をぬぐった。
彼女は心根が優しくて面倒見がいい。だが涙もろくてすぐに泣き出す。叔母に泣かれるのがハルドは一番苦手だった。
自分が『ライン』を志望したときもさんざん泣かれたのだ。
もっとも当時も、そして今のこの状態も、少なからず予想はしていたことであったが。
「母さん、ぼくが責任を持ちます。だから……」
ハルドは画面越しであることをもどかしく思いながら言った。指揮官のデスクから小さな通信機でかけているからしかたがない。休暇もあと二ヶ月はとれっこない。
「おまえの将来のことはどうなるの。いつまでもセレスがそばにいたんじゃ結婚できないわ」
フェイは形のいい眉をひそめ、またその話か、とハルドは思った。
「そんなこと心配しなくても大丈夫です。『ライン』に入ってしまったら家を出るのも同然だってことは母さんだって知ってるでしょう」
心の中では(結婚はしないかもしれないなあ…)と思ったが、もちろん口には出さなかった。
「もう…… 一生懸命育てても、子供ってわがままばかり言うんだから……」
叔母はつぶやいてうつむくと顔を覆った。ハルドはため息をついた。
叔母は父と母が死んだあと、わが子同然に愛情を注いで育ててくれた。
12歳だったハルドが両親の死のショックで拒食症になったときに必死になって治してくれた。
セレスが地球の『ジュニア・スクール』で緑色の髪というので苛めに遭ったときは大変だった。ハルドはもうスクールを修了していたのでどうしてやることもできなかった。
だけど、叔母の愛情があるからセレスは乗り越えたのだ。
感謝してる。セレスだって感謝しているはずだ。
だけど、セレスがあんな顔で自分に連絡してきたのは一緒に『コリュボス』に行くと言ったあの日以来だ。
顔がまるきり違った。
だから、叔母の説得は自分がすると引き受けたのだ。
さて、どうしたものか……。
「フェイ」
叔母の背後で声がした。叔父のケヴィンの声だ。叔母が振り返るのが見えた。
「もういいじゃないか。こっちに戻って来たって、 おまえのそばにずっといるわけじゃないんだし」
叔母が何か言おうとすると、強引に叔父が叔母を押し退けて画面に現れた。
「ハルド」
豊かな髪のほとんどが灰色になってしまっている叔父は言った。教育者という職業らしく顔つきがいかめしい。
ちょっと見ない間に老けてしまったな、 とハルドは思った。
「私も正直な話、セレスがこっちに戻って来てくれればまた賑やかになるのにと思ってはいたんだが…… フェイには私からゆっくり言い聞かせておくから手続きをしなさい。早くしないとテストに間に合わなくなる」
「お父さん、ありがとう」
ハルドは言った。
「お母さん、申し訳ない。セレスにもまた連絡させます」
叔父がうなずいたので、ハルドはすばやくスイッチを切った。そして大きな息を吐いて椅子の背に体をもたせかけた。
「弟さん、『ジュニア・スクール』を卒業かい?」
書類を持って部屋に入ってきた秘書のリーフがかすかに笑みを浮かべて言った。彼はハルドより4歳年上で頼りがいのあるいい青年だった。
「あいつを『ライン』に入れることにおれも完璧に賛成ってわけじゃないんだ」
ハルドは本音を漏らした。
「あいつ、なんだか人並み外れているところがあるから、 それがなんだかトラブルにつながりそうな気もして……」
「『ライン』にはカート司令官の息子さんたちもいるよ。次男のケイナは天才的らしい。きっと啓発されていい成長するんじゃないかな。大丈夫だよ」
「だといいんだけどね」
ハルドは苦笑した。
「その若さでまるで父親みたいだな。きみのほうこそ弟を信じるべきじゃないの?」
リーフの言葉にハルドは目をぱちくりさせた。そして笑った。
「そうかもな」
ハルドはそう言ってリーフの持ってきた書類に目を通し始めた。
そのとき彼はもちろん最初のその不安がまさか的中することになろうとは思っていなかった。
2ヶ月後、セレスはなんとかギリギリの成績でひっかかって『ライン』に合格した。
授業中居眠りばかりしているセレスに学科の試験の手ほどきをしたのはもちろんアルだ。
運動能力の試験はほうっておいても大丈夫だったが、学科試験だけはセレスの独学だけで間に合うはずがない。
アルの母親は息子がセレスの家にいりびたるのを好まなかったが、アルの好きなようにさせろと説き伏せたのは彼の父親だった。
これまで父親とはほとんど話すこともなくいつも遠巻きに見ていたアルだったが、急に父親の存在が身近に思えて嬉しかった。 何よりも父親がセレスを友人として認めてくれたのが嬉しかったのだ。
それにしても試験前一週間のセレスはすさまじかった。
アルが休日にセレスの家に行くと部屋中テキストが散乱していた。
テキストの山に埋もれるようにしてセレスは寝ていたりした。
「ゆうべここで寝たの? 試験までに体を壊しちゃうよ」
アルは散らばった紙の束を拾い上げながら言ったが、セレスはただ笑っただけだった。
こんなに集中力があるならもっと普段から真面目にすればいいのに、と優等生型のアルは思う。
セレスは最初の基本さえ言えばあとは全部理解してしまう。セレスが本気を出せば、きっとアルと一位二位を争う成績だっただろう。
前からそういうところはあったが、要領がいいのか、飲み込みが早いのか、コツコツと積み重ねて学習していくアルにとっては羨ましい限りだった。
そして試験の日を迎え、数日後に最初にセレスの合格通知書を手にしたのはアルだった。
彼は試験が終わって眠りほうけているセレスの家でこっそり彼より先に通知書をダウンロードしてプリントした。
「来月からは居眠りすんなよ」
セレスの目が覚めたとき、合格の通知書を手にアルがそれをひらひら振りながら言うとセレスは慌ててそれをひったくって眺め、そしてアルに抱きついた。
「ありがとう! アル! アルのおかげだよ!」
アルは笑った。セレスが喜んでいることが本当に嬉しかった。
「生殖機能検査はどうだった?」
アルが訊ねるとセレスはテーブルの上の紙束をひっくりかえして検査結果の通知表を取り出した。
「ダブルプラスからトリプルプラスの間…… 確定じゃないってさ。 2年後にまた検査が必要だって書いてある」
セレスは言った。
「そうか。ぼくはシングルプラスだったんだ。母さんと父さんがゼロポイントで治療したからぼくが生まれてるし、ぼくもそんなものだと思ってたけど治療を受けなくちゃならないのが面倒だよなあ。ライン3回生くらいになってないと途中でドロップアウトしかねないよ」
アルはため息をついた。
生殖機能治療は時間と手間がかかる。一ヶ月に数回検査を受けなくてはならないのだ。
『ライン』に入ってそんなふうに途中で何度も抜けることは致命的だった。
「アルなら飛び級ですぐにハイラインに上がるよ」
セレスの言葉にアルはにやりと笑った。
「いや、ぼくもそう思ってたんだけどね」
セレスはげらげら笑ってアルの頭を書類の束で軽く殴った。アルも大笑いした。
「ねえ、セレス」
アルは急に真面目な表情になって言った。
「十年後、ぼくらはいったいどんなふうになっているだろう」
セレスはふっと笑うのをやめ、アルを見た。そして目をそらせた。
「きみはお兄さんみたいに一流になっているかもしれない。ぼくは部下をひとりかふたりも持つ管理士になっているかもしれない。もしかしたらそれぞれ相手を見つけて子供がいるかもしれないね」
「……」
セレスは何も言わなかった。
「どうしたの」
アルは黙ったまま目をそらせているセレスを怪訝な顔で見た。セレスは少し笑ってアルを見た。
「変わるのはまわりだけさ。自分は10年後も20年後もそんなに変わらないよ」
アルはしばらく彼の顔を見つめたあとうなずいた。
「そうかもしれないね」
思えばこのとき、セレスは自分の近い未来を予測していたのかもしれなかった。
もちろん漠然とではあるが……。
しかしアルにはもちろんそのときにはそんなことは分からなかった。