食事をとり、セレスが湯を浴びて戻ってくるとすでにアシュアもケイナの隣のベッドで高いびきをかいていた。
 どうやらこのふたりはこのままで寝てしまうらしい。
 セレスはなんだか目が冴えてとても横になる気がしなかった。
 テントの中にいても何もすることがないので、しかたなく外に出てみることにした。
 外はうって変わってたくさんの人がテントの外に出ていた。
 女たちが洗濯物を干しているし、テントの外に出したテーブルの上で何やら図面を前に話し込んでいる男たちもいる。
 走り回っている子供もいた。
 セレスを見ても誰も何も言わない。目が合うとにっこり笑ってくれるが、セレスが前からここにいたかのような表情だった。
 見たところみな若い者たちばかりのようだ。どんなに年をとっていても兄のハルドより5歳も上の者はいないだろう。
 そういえば兄は今頃どうしているだろう。
 セレスはぼんやりとあたりを見回して歩きながら考えた。
 木立の向こうに小さな道が続いていた。
 集落からそんなに離れなければ大丈夫だとケイナは言っていた。セレスは行ってみることにした。
 しばらく歩くと水の音が聞こえ、足元を横切るように小さなせせらぎが茂みの奥に続いていた。
 顔を巡らせると小さな池の面が光に反射するのが見えたので、茂みに足を踏み入れた。
 茂みの先には狭い平地があり、直径が20メートルにも満たない小さな池が森の木々に取り囲まれるようにして光っていた。
 池を覗き込んでみてセレスはびっくりした。水の透明度があまりにも高かったからだ。
 一番深いところでも2メートルというところだろうが、どこに目をやっても池の底が見えていた。
 ゆらゆらと動く水草もはっきり見える。
 セレスは池のほとりに膝をついてそっと手をつけてみた。思ったより冷たくはない。
 森の中にこんな場所があるなど想像もしたことがなかった。
 きっと『ノマド』だけが知っている聖域なのかもしれない。
「ケイナはこんなきれいな景色を見て育ったのかな……」
 セレスは腰をおろして自分が生まれ育った荒れ果てた地球の風景を思い出してつぶやいた。
 ドームの中こそきれいに整備され空気は清浄化されているが、一歩外に出ると砂塵が舞い、川は汚れ、海はヘドロまみれだった。
 あんな場所にケイナを連れていって、いったいどうするつもりだったんだろう……
 ふと、顔をあげた。
 そして次の瞬間、身を翻して身構えた。
「もう……」
 セレスはうんざりした様子で言った。
「なんでおれにそうやって剣を向けるんだよ!」
 リアがさっきまでセレスがいたところに剣を突き立てていた。
「ひとりだったらとりあえず自分で身を守れるのね」
 リアはくすくす笑って地面に刺さった剣を引き抜いた。
「アシュアが怒る気持ちが分かるような気がする。あんた、感じ悪い」
 セレスは手についた泥をはらいながら言った。
「アシュア?」
 リアは剣を腰の鞘におさめて言った。
「彼はしょせん普通の人よ」
「アシュアは訓練を積んだ人だよ。あんたがそんなふうに言うことじゃないよ」
 セレスは思わずむっとして言った。
「あなたも気を許すと隙だらけよ。もう少し私が気配を隠したらきっと怪我してるわ」
 リアは豊かな髪をを手で後ろにはらってセレスを見た。
「いったい何が言いたいんだよ」
 セレスは眉をひそめてリアを見た。
「おれにケンカ売ってんの?」
「ケンカ?」
 リアは目を丸くしてセレスを見た。そしてくすくすと笑い始めた。
「ケンカになんかなるわけないじゃないの。能力が違い過ぎるわ」
「な……!」
 セレスは険しい目でリアを見た。そして苛立たしそうに彼女に背を向けると茂みの中を戻り始めた。
 リアはそれを見て慌てた。
「待ってよ!」
「いいかげんにしてくれよ!」
 腕をつかむリアの手をセレスは振り払った。
「あんたのこといい人だって思おうとしてたけど、これ以上しゃべってるとおれ、切れちゃいそうだ。せっかく苦労して来たんだから、ケンカなんかしたくないよ」
「悪かったわ! ごめんなさい!」
 リアは言った。セレスはリアがそんなふうに言っても怒りがおさまらなかった。
「ああ…… これだからトリに怒られちゃうのね」
 彼女はセレスを上目づかいに見て肩をすくめた。
「外から来た訓練を積んだ人ってどんなものか、この目で確かめたかったのよ。本気出してくれてないんだもの、隙だらけで当たり前よ」
 セレスは胡散臭そうな目でリアを見つめた。
「謝るわ。もう剣を向けたりしない。ほんとにごめんなさい」
 リアはそう言うと先に立ってさっさと戻って行ってしまった。セレスはやり場のない怒りの目で彼女の後ろ姿を見送った。
 テントの前まで戻るとさすがにぐったりしていた。
 まあ…… これで眠れるかもしれないけれど。
 リアは決して本気ではなかったし、たぶん剣の切っ先をよけそこねても、彼女ならきっとすんでのところで前のようにぴたりと止めるほどの腕を持っているのだろう。しかし、それまでの殺気はすさまじいものだった。
 アシュアの首に剣を突きつけたときもそうだった。アシュアが警戒するのも無理はない。
 たとえ戯れにでもあんなふうに襲いかかられてはたまったものではない。
 テントの中に入ると意外にもケイナが起き上がって両手で顔をこすっていた。
「もう起きたの?」
 セレスはびっくりして言った。ケイナはかぶりを振った。
「起きたというより起こされた…… 変な殺気を感じた……」
 どきりとしてケイナを見つめた。
 もしかして、さっきのリアの殺気を感じたのだろうか。テントからはかなり離れていたというのに……。
「おまえ、何かあったか?」
 ケイナは立ち上がると、テーブルの上の水差しからカップに水を注ぎながら言った。
「ううん…… 別に」
 そう答えるよりしかたがなかった。
 さっきのことを言えばケイナが怒るような気がしたからだ。これ以上のごたごたはごめんだった。
 しかし、ケイナは水を飲んで大きく息を吐いてつぶやいた。
「リアの殺気はうっとうしい」
「……分かってたの?」
 セレスは自分も水をカップに注ぎながら言った。ケイナは果物の皿からりんごのような果実をひとつ取るとカシリと歯を立ててかすかにうなずいた。
「傷つける気なんかないくせに試すように殺気を向けてくる…… アシュアに剣を突きつけたときもそうだ。何も言わなかったけど、心の中では自分の気配に気づかなかったアシュアをバカにしてる」
「アシュアはそれに気づいてたから怒ってたのかな」
 セレスは高いびきをかいて大の字になって寝ているアシュアを見た。
「気づいてないわけがないだろ…… アシュアにだってプライドってもんがあるから口に出して言わないだけだよ」
 ケイナは手元を見つめて答えた。
「でも、なんで……」
 セレスは自分も果実を取りあげた。
「リアの動きは自己流だよ」
 ケイナは言った。
「彼女はきっと先天的に戦闘系のタイプなんだろう…… だけど、訓練を受けたわけじゃない。『ノマド』には戦闘法をレクチャーするようなシステムがない。ちょっと高度な訓練を受けた相手や、もっと優れた能力の人間が相手だとすぐにアラが出る……」
 セレスはさっきのリアの言葉を思い出していた。
(外から来た訓練を積んだ人ってどんなものか見たかったの……)
「また何かちょっかいかけてくるに決まってる」
 ケイナは髪をかきあげて言った。
「リアはもうしないって言ってたけど……」
 セレスの言葉にケイナはくすくす笑った。
「しないようにしてやるよ」
 セレスは目を丸くした。
「どうやって?」
 ケイナは含み笑いをしたまま何も言わなかった。