「重い……」
2時間ほど森の中を歩いたあと、アシュアはそうつぶやいて近くの木の根元にケイナをおろし、自分も座り込んだ。
「体中完全に脱力してっから、重くってしようがねぇ」
アシュアは首を回してうめいた。
「おれがケイナを背負おうか……」
セレスの言葉にアシュアは笑った。
「馬鹿言え。おまえだったら10分ももちゃしねえよ」
「ケイナはあとどれくらいで目が覚めるんだろう」
セレスはぐったりとしたままのケイナを見てつぶやいた。
「さあな…… 何にしても夜どおし起きて動いてんだ。おれもちょっと疲れた」
アシュアは大きなあくびをひとつすると辛そうに肩を回した。足元も良いわけではないので、かなり疲れたのだろう。
「夜明けまであとどれくらい?」
セレスは暗闇に包まれたままの周囲を見回して言った。
「1時間そこそこだろうけど、森の中に光が入るのはまだ先だろうな……」
アシュアは答えた。
「しかし腹も減ったし、『ノマド』に辿りつくまでに飢え死にするんじゃねえかな……。ほんとに1週間このままだったらヤバイぜ」
「そんな状況だったらジェニファは『ノマド』に行け、なんて言わないよ」
セレスはケイナの隣に腰をおろして言った。顔を覗き込んでみたが、やはり堅く目を閉じたままだ。
「それでも2時間は歩いてるんだ。おまえは何も分からないのか? ノマドの血をひいてるかもしれないんだろ?」
「そんなのまだ分かんないじゃん…… ケイナの目が覚めるの待つしかないよ……」
「いっそ殴ったら起きんかな」
アシュアは冗談めかしてこぶしを握り、次の瞬間身を強張らせた。ケイナが身を起こしたからだ。
「殴ったら倍返しにしてやる……」
ケイナはだるそうにうつむいて額をこすった。
「おお、やっとお目覚めか」
アシュアがほっとしたように言った。もう背負わなくていいと安心したようだ。
「大丈夫?」
セレスはケイナの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ」
ケイナはまだ意識のはっきりしないようなくぐもった声で答えた。
「大丈夫だけど…… 頭ががんがんする……」
「おれ、もう背負うのはいやだぞ」
アシュアがすかさず言った。
「自分で歩けるよ」
ケイナはアシュアをじろりと見た。アシュアは肩をすくめた。
「なんか、いっぱい人の声がするような感じなんだ」
ケイナはそうつぶやいてがしがしと頭を掻いた。
「うるさくって……」
「人の声なんて聞こえないよ」
セレスは周囲をうかがって言った。
「行こう」
ケイナはだしぬけにそう言うと立ち上がった。
「行くって……?」
セレスはびっくりしてケイナを見上げた。ケイナはふたりを見て力のない笑みを見せた。
「呼んでる。辿りつくまで延々頭の中で呼び続けられるみたいだ。だから早く行こう」
彼はそう言うと少しふらつきながら歩き始めた。
アシュアとセレスは顔を見合わせ、慌ててそのあとに続いた。
1時間ほど歩いた頃、ケイナはふいに膝をついて目の前の倒木に手をついた。
「ケイナ!」
後ろを歩いていたセレスがびっくりしてケイナに近づいた。
「体が…… 思うように動かない……」
ケイナは荒い息でつぶやいた。
汗が顔中からしたたり落ちている。こんなに消耗しているケイナはめずらしかった。
「少し休もうよ。どこかに水はないかな……」
セレスはアシュアを振り向いた。
「水が流れているような音はしないな……」
アシュアは周囲を見渡しながら答えた。少しずつ森の中に光が入り込み始めていた。
「ちょっと待ってな」
アシュアはそう言うと草をかき分けて森の奥に入っていった。
しばらくして彼は自分の手首ほどの太さもある青い草の茎を数本抱えて持って戻ってきた。
「湿っぽい匂いがしたから湿地があるのは分かったんだ。ちょっと青臭いけど、こいつに水分が含まれてる」
アシュアはそう言ってひとつをケイナに渡し、もう一本をセレスに渡した。
「切り口のところに口をつけて吸うんだ。下じゃないぞ。少し細くなってる上のほうから」
アシュアはやってみせた。セレスはしばらく躊躇したのち思い切ったように口を近づけたが、うっと呻いてすぐに吐き出した。
「うまいだろ?」
アシュアはにやにやして言った。
「すごい味…… 青臭くて…… 泥水飲んでるような感じがする……」
セレスは泣き出しそうな声で言った。
「もとは泥水なんだから仕方ねえだろ」
何を当たり前のことを、というようにアシュアは言った。
「こいつは根の部分で水を浄化して吸い上げるんだ。完全じゃないが殺菌もしてくれる。だからにおいさえ我慢すれば体に害はねえよ」
「どうしてこんなことを知っているの?」
セレスはアシュアを見た。アシュアは笑った。
「サバイバル訓練なんざ、いやっちゅうほど受けたさ」
彼はそう言うとまるでミネラルウォーターでも飲むようにうまそうに茎から水を飲んだ。
セレスは咽が渇いていたが、とてももう一度口をつける気になれなかった。
ケイナに目を移すと、彼は茎を手に持ったまま木にもたれかかって座り込んでいた。
「ケイナ、大丈夫?」
セレスは自分も膝をついてケイナの顔を覗き込んだが、返事はなかった。
薄暗い中でもはっきりと分かるほど、彼の顔色は悪かった。意識が朦朧としている様子に見える。
セレスはアシュアを見上げた。
「ケイナは…… いつから水を飲んでないかな」
アシュアはつぶやいた。
「え?」
セレスは目を細めた。
「こいつ、人よりずいぶん水分補給しないともたないんじゃないか? ゆうべ水飲んだのっていつだったっけ」
「一眠りしてからは…… 飲んだと思うけど……」
アシュアは困ったような顔をした。
「うーん…… こんだけ汗かいてりゃもたねぇ…… おい、しっかりして飲めよ。こいつは吸い上げねえと水出て来ねえぞ」
アシュアが青臭い茎を押しつけたが、ケイナは反応しない。
アシュアは少し躊躇したが、やがて思いきってぐいっと茎から水を自分の口に含むと、あっという間にケイナに直接水を流し込んでいた。セレスは仰天した。
「うぐっ……」
ケイナはごほごほとむせたが、水はなんとか飲んだようだった。
「何…… しやがる!!」
ケイナは口をぬぐってアシュアを睨みつけた。
「正気に戻ったか」
アシュアは平然として言った。
「ちったあしっかりして自分で水分がとれるようにしな。ここで行き倒れたらもともこもないだろうが」
ケイナは怒りの燃えた目をアシュアに向けていたが、やがて目をそらせた。
そして茎から水を飲み干すと立ち上がってアシュアに茎を投げつけ、再び歩き始めた。
怒りのせいなのか、水分をとったからなのか、彼の顔色はさっきよりもだいぶん良くなっていた。
「びっくりした。いくらなんでも口移しは……」
セレスはケイナのあとに続きながら小声でアシュアに言った。
「脱水は命に関わるんだぞ。今度あんなふうだったら今度はおまえがやれ。300ミリくらいは飲んだだろうが、普段のケイナの摂取量からすりゃかなり少ない。歩き続けてりゃ、またすぐに脱水を起こす」
アシュアは仏頂面で答えた。
「冗談じゃない」
セレスは顔をしかめた。
「ケイナに殴られるのなんかごめんだ」
アシュアはふん、と鼻を鳴らした。
「それより、見てみな」
アシュアは腕につけていた通信機をセレスに見せた。セレスは怪訝な顔をして覗き込んだ。
小さな画面が真っ赤になっている。
「どうしたの、これ……」
セレスはびっくりして言った。
「どうも強い磁場がはりめぐらされてるみたいなんだ。こいつは軍仕様の通信機だからちょっとやそっとの磁場の影響は受けないはずなんだが、どうやら完璧にイカレちまったみたいだな」
「強い磁場があるって…… それじゃあ、おれたち同じところをぐるぐる回って……」
セレスは思わず周囲を見回した。森の中はどこも似たような風景だ。
「ジェニファは『ノマド』たちがおれたちを受け入れてくれなかったら勝手に入り口にまた戻ってくるって言ったよな。あれから何時間も歩いていて戻ってないってことはとりあえず近づいているとおれは思ってる。ケイナも『ノマド』の集落に向かっていってるんだよ」
アシュアは言った。セレスは先を歩いていくケイナを見た。時々足元をふらつかせている。
「つまりな、あいつがしっかりしててくれなきゃ、おれたちはいくら近づいていたって体力があるうちに辿りつけないってわけだ」
アシュアはセレスの肩をたたいた。
「何よりもな、この3人の中で一番行き倒れる確率が高いのはおまえなんだよ」
「ばかにすんなよ」
セレスはむっとしてアシュアに言った。
「だったら手に持ったまんまのそいつから水分を取れ」
アシュアはセレスが手にしている草の茎を指差した。
セレスはしぶしぶ口をつけ、一気に飲み干すと 吐き気をこらえながらいまいましそうに茎を草むらにほうった。アシュアはそれを見て笑った。
それにしてもどんどん夜が明けていくのに、『ノマド』の気配さえもなかった。
ほんとうに辿り着くのだろうか。セレスはケイナの背を見つめながら思った。
2時間ほど森の中を歩いたあと、アシュアはそうつぶやいて近くの木の根元にケイナをおろし、自分も座り込んだ。
「体中完全に脱力してっから、重くってしようがねぇ」
アシュアは首を回してうめいた。
「おれがケイナを背負おうか……」
セレスの言葉にアシュアは笑った。
「馬鹿言え。おまえだったら10分ももちゃしねえよ」
「ケイナはあとどれくらいで目が覚めるんだろう」
セレスはぐったりとしたままのケイナを見てつぶやいた。
「さあな…… 何にしても夜どおし起きて動いてんだ。おれもちょっと疲れた」
アシュアは大きなあくびをひとつすると辛そうに肩を回した。足元も良いわけではないので、かなり疲れたのだろう。
「夜明けまであとどれくらい?」
セレスは暗闇に包まれたままの周囲を見回して言った。
「1時間そこそこだろうけど、森の中に光が入るのはまだ先だろうな……」
アシュアは答えた。
「しかし腹も減ったし、『ノマド』に辿りつくまでに飢え死にするんじゃねえかな……。ほんとに1週間このままだったらヤバイぜ」
「そんな状況だったらジェニファは『ノマド』に行け、なんて言わないよ」
セレスはケイナの隣に腰をおろして言った。顔を覗き込んでみたが、やはり堅く目を閉じたままだ。
「それでも2時間は歩いてるんだ。おまえは何も分からないのか? ノマドの血をひいてるかもしれないんだろ?」
「そんなのまだ分かんないじゃん…… ケイナの目が覚めるの待つしかないよ……」
「いっそ殴ったら起きんかな」
アシュアは冗談めかしてこぶしを握り、次の瞬間身を強張らせた。ケイナが身を起こしたからだ。
「殴ったら倍返しにしてやる……」
ケイナはだるそうにうつむいて額をこすった。
「おお、やっとお目覚めか」
アシュアがほっとしたように言った。もう背負わなくていいと安心したようだ。
「大丈夫?」
セレスはケイナの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ」
ケイナはまだ意識のはっきりしないようなくぐもった声で答えた。
「大丈夫だけど…… 頭ががんがんする……」
「おれ、もう背負うのはいやだぞ」
アシュアがすかさず言った。
「自分で歩けるよ」
ケイナはアシュアをじろりと見た。アシュアは肩をすくめた。
「なんか、いっぱい人の声がするような感じなんだ」
ケイナはそうつぶやいてがしがしと頭を掻いた。
「うるさくって……」
「人の声なんて聞こえないよ」
セレスは周囲をうかがって言った。
「行こう」
ケイナはだしぬけにそう言うと立ち上がった。
「行くって……?」
セレスはびっくりしてケイナを見上げた。ケイナはふたりを見て力のない笑みを見せた。
「呼んでる。辿りつくまで延々頭の中で呼び続けられるみたいだ。だから早く行こう」
彼はそう言うと少しふらつきながら歩き始めた。
アシュアとセレスは顔を見合わせ、慌ててそのあとに続いた。
1時間ほど歩いた頃、ケイナはふいに膝をついて目の前の倒木に手をついた。
「ケイナ!」
後ろを歩いていたセレスがびっくりしてケイナに近づいた。
「体が…… 思うように動かない……」
ケイナは荒い息でつぶやいた。
汗が顔中からしたたり落ちている。こんなに消耗しているケイナはめずらしかった。
「少し休もうよ。どこかに水はないかな……」
セレスはアシュアを振り向いた。
「水が流れているような音はしないな……」
アシュアは周囲を見渡しながら答えた。少しずつ森の中に光が入り込み始めていた。
「ちょっと待ってな」
アシュアはそう言うと草をかき分けて森の奥に入っていった。
しばらくして彼は自分の手首ほどの太さもある青い草の茎を数本抱えて持って戻ってきた。
「湿っぽい匂いがしたから湿地があるのは分かったんだ。ちょっと青臭いけど、こいつに水分が含まれてる」
アシュアはそう言ってひとつをケイナに渡し、もう一本をセレスに渡した。
「切り口のところに口をつけて吸うんだ。下じゃないぞ。少し細くなってる上のほうから」
アシュアはやってみせた。セレスはしばらく躊躇したのち思い切ったように口を近づけたが、うっと呻いてすぐに吐き出した。
「うまいだろ?」
アシュアはにやにやして言った。
「すごい味…… 青臭くて…… 泥水飲んでるような感じがする……」
セレスは泣き出しそうな声で言った。
「もとは泥水なんだから仕方ねえだろ」
何を当たり前のことを、というようにアシュアは言った。
「こいつは根の部分で水を浄化して吸い上げるんだ。完全じゃないが殺菌もしてくれる。だからにおいさえ我慢すれば体に害はねえよ」
「どうしてこんなことを知っているの?」
セレスはアシュアを見た。アシュアは笑った。
「サバイバル訓練なんざ、いやっちゅうほど受けたさ」
彼はそう言うとまるでミネラルウォーターでも飲むようにうまそうに茎から水を飲んだ。
セレスは咽が渇いていたが、とてももう一度口をつける気になれなかった。
ケイナに目を移すと、彼は茎を手に持ったまま木にもたれかかって座り込んでいた。
「ケイナ、大丈夫?」
セレスは自分も膝をついてケイナの顔を覗き込んだが、返事はなかった。
薄暗い中でもはっきりと分かるほど、彼の顔色は悪かった。意識が朦朧としている様子に見える。
セレスはアシュアを見上げた。
「ケイナは…… いつから水を飲んでないかな」
アシュアはつぶやいた。
「え?」
セレスは目を細めた。
「こいつ、人よりずいぶん水分補給しないともたないんじゃないか? ゆうべ水飲んだのっていつだったっけ」
「一眠りしてからは…… 飲んだと思うけど……」
アシュアは困ったような顔をした。
「うーん…… こんだけ汗かいてりゃもたねぇ…… おい、しっかりして飲めよ。こいつは吸い上げねえと水出て来ねえぞ」
アシュアが青臭い茎を押しつけたが、ケイナは反応しない。
アシュアは少し躊躇したが、やがて思いきってぐいっと茎から水を自分の口に含むと、あっという間にケイナに直接水を流し込んでいた。セレスは仰天した。
「うぐっ……」
ケイナはごほごほとむせたが、水はなんとか飲んだようだった。
「何…… しやがる!!」
ケイナは口をぬぐってアシュアを睨みつけた。
「正気に戻ったか」
アシュアは平然として言った。
「ちったあしっかりして自分で水分がとれるようにしな。ここで行き倒れたらもともこもないだろうが」
ケイナは怒りの燃えた目をアシュアに向けていたが、やがて目をそらせた。
そして茎から水を飲み干すと立ち上がってアシュアに茎を投げつけ、再び歩き始めた。
怒りのせいなのか、水分をとったからなのか、彼の顔色はさっきよりもだいぶん良くなっていた。
「びっくりした。いくらなんでも口移しは……」
セレスはケイナのあとに続きながら小声でアシュアに言った。
「脱水は命に関わるんだぞ。今度あんなふうだったら今度はおまえがやれ。300ミリくらいは飲んだだろうが、普段のケイナの摂取量からすりゃかなり少ない。歩き続けてりゃ、またすぐに脱水を起こす」
アシュアは仏頂面で答えた。
「冗談じゃない」
セレスは顔をしかめた。
「ケイナに殴られるのなんかごめんだ」
アシュアはふん、と鼻を鳴らした。
「それより、見てみな」
アシュアは腕につけていた通信機をセレスに見せた。セレスは怪訝な顔をして覗き込んだ。
小さな画面が真っ赤になっている。
「どうしたの、これ……」
セレスはびっくりして言った。
「どうも強い磁場がはりめぐらされてるみたいなんだ。こいつは軍仕様の通信機だからちょっとやそっとの磁場の影響は受けないはずなんだが、どうやら完璧にイカレちまったみたいだな」
「強い磁場があるって…… それじゃあ、おれたち同じところをぐるぐる回って……」
セレスは思わず周囲を見回した。森の中はどこも似たような風景だ。
「ジェニファは『ノマド』たちがおれたちを受け入れてくれなかったら勝手に入り口にまた戻ってくるって言ったよな。あれから何時間も歩いていて戻ってないってことはとりあえず近づいているとおれは思ってる。ケイナも『ノマド』の集落に向かっていってるんだよ」
アシュアは言った。セレスは先を歩いていくケイナを見た。時々足元をふらつかせている。
「つまりな、あいつがしっかりしててくれなきゃ、おれたちはいくら近づいていたって体力があるうちに辿りつけないってわけだ」
アシュアはセレスの肩をたたいた。
「何よりもな、この3人の中で一番行き倒れる確率が高いのはおまえなんだよ」
「ばかにすんなよ」
セレスはむっとしてアシュアに言った。
「だったら手に持ったまんまのそいつから水分を取れ」
アシュアはセレスが手にしている草の茎を指差した。
セレスはしぶしぶ口をつけ、一気に飲み干すと 吐き気をこらえながらいまいましそうに茎を草むらにほうった。アシュアはそれを見て笑った。
それにしてもどんどん夜が明けていくのに、『ノマド』の気配さえもなかった。
ほんとうに辿り着くのだろうか。セレスはケイナの背を見つめながら思った。