もうすぐ夜が明ける……
 カインは白み始めた空を見て思った。アシュアたちは今頃どうしているだろう。
「ちょっと待ってて」
 エアポートの片隅に停泊している小さな飛行艇の前で女はそう言うと、カインを置いて中に入っていった。
 しばらくして彼女に連れられて出てきたのは、彼女よりはひと回りほど年上に見えるがっちりした体格の男だった。目深に被った黒いキャップ型の帽子が大きな頭の上に窮屈そうに乗っている。
「この子を乗せてやって欲しいの。また手伝ってあげるからさ。それでお願いできない?」
 男はカインの頭の先から足の先までをじろじろと眺めた。
「中央に追われてるやつは最近まずいんだ」
 当たらずとも遠からずだった。今頃病院中大騒ぎになっているだろうからだ。
「こんな品のいいお坊っちゃんがそんな人間なわけないじゃない。恋人が『コリュボス』にいるらしいのよ」
 カインが黙っているので、女が助け船を出した。男は不審そうに目を細めた。
「おまえの顔、どっかで見たことがあるような気がするんだよなあ……」
 男は思い出せない、というように首をかしげた。
「あら! あんたにこんな貴公子さまの知り合いがいたなんて初耳ね」
 女はそう言うとけらけらと笑った。
「おれの知り合いじゃねえよ。なんか、どこかで…… マスコミかなんかがらみじゃねえかな……」
「最近の子はみんなきれいな顔立ちをしてるもの。あんた、歌手とか俳優とかと間違ってるんじゃない?」
 女は再び笑ったが男は解せない様子で訝し気にカインを見つめていた。
 カインはマスコミに顔を出したことはなかったが、もしかしたらカンパニーがらみの仕事をした人間なら自分の顔を知っている可能性はあった。トウに息子がいることは誰もが知っていたからだ。
 しかし、一般人はほとんど知らないはずだ。『ビート』に配属してからはなおのこと自分の顔は伏せられていた。カインは男が思い出さないことを願った。
「とにかくもう船が出るんでしょ? 頼むわよ。恋人が待ってるんだから」
 女はそう言うと、男の背を押した。男はしぶしぶカインに向かって船に乗るよう顎をしゃくった。
「下の倉庫になるぜ。そこだとセンサーがないんだ。狭いが3時間の辛抱だ」
 男は船の下に続く細い階段を指差して言った。
「乗組員はおれだけだし、乗ってる荷物は一般家庭に送る個人荷物だ。検疫、検閲をすませてるからよっぽどでない限り向こうに着陸して船の中をチェックされることはないが、ごくたまにもう一度検閲が入ることがある。そのときはもうどうしようもないから覚悟しな」
男はカインに言った。カインはうなずいて船のステップの上にもう一度顔を出して女を見た。
「無事に着くことを祈ってるわ。恋人に会えるといいわね」
 女は笑みを見せていった。
「いろいろどうもありがとう」
 カインは女に礼を言った。
「名前だけでも教えてくれませんか」
「名前なんかどうだっていいじゃない」
 女ははにかむような笑みを見せた。
「もう二度と会うこともないでしょうし」
「でも……」
「私を探そうなんて思っちゃだめよ。あんたがこっちに戻ってきても、私はもうあのアパートにはいないわ。よく引っ越しをするの」
 カインはしばらく女の顔を見つめた。
「どうして見も知らぬぼくにこんなによくしてくれたんです?」
 カインの言葉を聞いて女は肩をすくめた。
「看護婦をしてたって言ったでしょ? 父の病院なの。小さい頃は父の仕事をちょっとだけ手伝ってただけなんだけど、場末の小汚い病院には不釣り合いなきれいな女の人が来たことがあるのよ。東洋系のすごくきれいな人だったわ。姉と妹で連れ立って来てて、あんまりきれいだからぼーっとして見とれちゃったの。あんなふうになれたらいいなってずっと思ってた。ま、だめだったけどね」
 女はくすくすと笑った。
「おい、そろそろ中に入ってくれ。ステップを片付けるから」
 男が促したので、カインはしかたなく倉庫に降りる階段に足をかけた。
「あんたの顔がね、その女の人にちょっと似てるの!」
 追いかけるようにかけられた女の言葉にカインは思わず振り向いた。
「その女性の名前は?」
 カインの言葉に女は目を丸くした。
「知らないわ。子供の頃のことだし」
 カインは再び口を開こうとしたが、男がステップを切り離して船室のドアを閉めるところだった。
「早く中に入れよ」
 男はカインの背を押した。
「あ、でも、片方の女の人が名前みたいなのを言ったわ。変わった名前だった」
 女はぽん、と手をたたいた。
「トウ……」
 船室のドアがばたんと閉じられた。
 カインは呻いて急いで近くの窓を探すと駆け寄った。船室中荷物が高く詰まれ、顔が少し覗く程度の窓も半分荷物で隠れていた。
「名前はトウなのか?!」
 カインは怒鳴った。
 しかし外の女に聞こえるはずはなかった。
 彼女は手を振っていた。
 船のエンジンが響き、カインは思わずこぶしを握り締めていた。

 カインはしばらくまんじりともしないで外の暗い空間を見つめていた。
 見慣れた『コリュボス』のドームが見えてきたとき、思いをふっきるように立ち上がった。
 エアポートのチカチカと光るライトが次第に大きくなり、やがて船はエアポートの一番隅に着陸した。
「しばらくじっとしてな。検閲が入るかどうか、様子を見るから」
 男の声が頭の上から聞こえた。
 10分ほどして男が船室と操縦室のドアを開けて顔を覗かせた。
「ラッキーだったな。今日はチェックがないらしいぜ。もう出てもいいぞ」
「どうもありがとう」
 カインは男に言った。男はしばらくカインの顔を見つめていたが、かすかに笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ほんとなら渡航代で50万必要なんだよ。あんたはベックが個人的に頼んで来たやつだから例外中の例外でタダにしておくよ」
 そう言ってから、はっとして気づいたようにカインを見た。
「今、言ったことは忘れろよ。地球に戻ってからあいつを探そうと思うなよ。そんなことをするとあいつの身が危なくなる」
 カインが彼女の名前をベックと記憶したことを男は読んだらしかった。
「彼女に会って確かめたいことがあるんです」
 カインは言ったが、男は首を振った。
「諦めるんだな。おれも、二度とおまえには会わない。今日通った航行ルートも今日が最後だ。明日からは同じルートを通らない。船も変える」
「そこまでしてなぜ密航の手助けをするんです?」
 カインの言葉に男はにやりと笑った。
「金になるからだよ。荷物運びをしているよりもずっとな。今回は金にならなかったけど」
 そしてカインの顔を見た。
「儲かるからだよ。『コリュボス』の警備局のきつさはあんただって知っているだろう? それをかいくぐってで運んでやるんだから当然だ。あんたみたいな見るからに育ちの良さそうな坊ちゃんをタダで運ぶなんてこた、まずねえな」
 カインは目を伏せた。その表情を見て男は言った。
「裏で動く人間は慈善事業はしない。こっちも命をはっているからだ。あんたがもしおれたちのような人間に何かを頼みたいと思ったら、次は金を用意しておけ。それがたとえ情報を得たい場合でもな。だが、仲間を陥れるような情報は一切流さないぜ。それだけは頭に入れておけよ」
 男は顎をしゃくって、出ろ、という素振りをした。カインは船室を出た。
「じゃあな」
 男はそう言って船のドアを閉めた。
 カインは船をしばらく見つめて踵を返して歩き始めた。
 今頃地球では大騒ぎをしているだろうが、まさか『コリュボス』に渡っているとは誰も想像できないだろう。
 とはいえ自分のアパートにいくらなんでも戻るわけにはいかない。
 どこに行けばいいだろう……。
 カインの頭にふと思いついた人物がいた。
「ドクター・レイ……」
 カインはしばらく思案したが、それしか方法がないと思った。彼なら自分の味方についてくれる。
 しかし、ドクターの家までは遠い。無一文だからトレインにも乗れない。
 歩き通せるだろうか、と思いつつカインは空港をあとにした。