「ケイナが泣いている……」
アシュアがケイナの顔を見てびっくりしたように言った。
目を閉じて横たわるケイナの目から一筋の涙が流れていた。
ジェニファは首を振った。
「何が起こってるのか判断のしようがないわ……」
アシュアは横で眠っているセレスを見た。かすかに眉がひそめられているような気がする。
アシュアはそっと手を伸ばしてケイナの涙を指で拭った。
「ふたりがお互いを信じていさえすれば…… そう…… それだけなのよ、頼みの綱は……」
ジェニファはつぶやいた。
セレスは気が遠くなるほどの思いにとらわれていた。
おれは最初っからこれを望んでいたんだろうか……。
ケイナにキスをされると体中から力が抜けていくようだった。
吐息にミントの香りを感じる。
(地球に行きたい……)
ケイナの声が聞こえたような気がした。
(おまえと、地球に行きたい…… 本当の海が見たい……)
違う……!
セレスは目を開けた。夢中で目の前のケイナの頬を殴った。
ざっくりと何かを切るような鈍い嫌な音がして、ケイナは後ずさりすると呻いて両手で顔を覆った。
セレスは顔を覆ったまま苦しそうに水の中に膝をつくケイナを見つめた。
何がこんなに彼にダメージを与えたんだ?
自分の右手を見ると、持っていた水晶玉が手のひらにめりこんで皮膚と一体になっているのが目に飛び込んできた。
ケイナは顔をあげてセレスを見た。唇からも左頬からも血が流れている。
押さえていた手も真っ赤に染まっていた。その量が尋常ではないのでセレスは震え上がった。ぽたぽたと垂れた血がどんどん水に広がっていく。
「ケ…… ケイナ……」
思わず声が震えた。
「なぜこんなことを……」
ケイナはそう言うと立ち上がった。同時にセレスは水に浸かったままあとずさりした。
「どうしてこんなことができるんだ……」
ケイナは言った。
「どうして……?」
セレスはかぶりを振った。
「だってあんたは本当のケイナじゃない……」
涙があふれてくるのをどうすることもできなかった。
「ケイナが好きだ…… 彼に触れていたい、ずっとそばにいたいって思ってた。それは今も変わらない。でも、人間の心の中にはいろんな思いがあるんだよ…… 本能だけだったり、理性だけだったり、そんなもんじゃないんだ……」
セレスは水晶のない左手で顔を拭った。
「おれが好きなケイナはいろんな部分をいっしょくたに持ってて、でも、それを自分の中で一生懸命消化していこうとしてるケイナなんだ…… ケイナは表に出さないけど、おれにはよく分かるよ。あんたは違う…… あんたは自分の思うことを相手に無理矢理消化させようとしてる…… それはケイナじゃない……」
「人間はそんな美化されたもんじゃない。いつも自分の思うままに生きたいと思っているんだ」
ケイナは血を流しながら言った。肩が真っ赤に染まっている。
頬はえぐりとられ、骨の白い色が光っていた。
セレスは本当のケイナを傷つけたような錯覚に陥りそうになる自分を必死に押しとどめた。
「たとえば、こいつはどうだ」
ケイナはいきなり後ろを向くと、何もないはずの空間に腕を伸ばした。
「こいつだ……!」
ケイナは空間を掴むような仕種をし、そしてそれをぐいと引いた。
セレスは呆然とした。空間の中からケイナに胸ぐらを掴まれて姿を見せたのはカインだったからだ。
カインは水の中に勢いよく崩れ込んだ。
ケイナはカインの胸ぐらを再び掴むと自分に引き寄せて言った。
「こいつだ!」
「ケ…… ケイナ……?」
カインは何がなんだか訳がわからず、呆然と血を流しているケイナを凝視していた。
「カイン!」
セレスは叫んだ。
「そいつは本当のケイナじゃない!」
「セレス……?」
カインは面くらったようにセレスを見て、そして再びケイナに目を向けた。
「ここはきみの意識の中なのか……?」
ケイナはカインに顔を近付けた。
「おまえの大好きなケイナ・カートがこんな目に遭っているのを見て、どんな気分だ?」
カインは何も言えずにただ黙ってケイナを見つめた。
「あいつはおれを殺そうとしている…… こんなに好きなのに。 おまえのように恋焦がれていたのに」
カインは必死で身じろぎすると、ケイナから離れた。
左腕が動く。それが有り難かった。
そしてケイナを油断なく見つめながら、セレスに近づいた。
「ジェニファが何かキーワードになるようなものを指定しなかったか」
カインはケイナから目を離さずにセレスに言った。
「キーワード……? これのこと?」
セレスは水晶がめりこんだ手を差し出した。
「水晶か…… それで彼をあんなふうにしたのか……」
「そんなふうに言わないで。しかたがなかったんだ……!」
セレスは言った。
「分かってるよ」
カインは答えた。
「分かってるわけない」
ケイナは言った。
「おまえの心の中は、今どうしようもなく苛立たしさでいっぱいのはずだ。大切なケイナにどうしてこんなことをしたと思ってるはずだ」
セレスが何か言おうとしたので、カインはそれを押しとどめた。
「口車に乗るな。なんとかしてこっちの冷静さを奪おうとしているんだから」
「偽善者」
ケイナは血の流れ込んだ口を開いて笑みを浮かべた。そしてセレスに目を移した。
「セレス、彼はずっと前からおまえにフィメールの部分があることを知っていたんだ」
「え?」
セレスは思わずカインを見た。カインは何も言わなかった。
「だのに誰にも言わなかった。どうしてだか分かるか?」
「カイン、どういうこと?」
「セレス、あいつの口車に乗るなと言っただろう」
カインは苛立たし気に言った。
「彼は知っていた。でも隠していた。ケイナ・カートの心が さらにおまえに傾くことが許せなかったからだ。カイン・リィはケイナ・カートを自分のものにしたくてしようがない。だのに、彼はセレス・クレイに目を向ける。こいつはそれが悔しくてしようがないんだ……」
ケイナは血を流したままさらに笑みを広げた。ぞっとするような顔だった。
「そうじゃない!」
カインは叫んだ。
「……」
セレスは呆然としてカインを見つめた。
「違う。そうじゃない」
カインは呻いた。
「ぼくは確かにきみに心を奪われてた」
カインは苦しそうに言った。
「セレスが両性だと分かったらカンパニーはセレスを逃さない……。でも、ぼくにはできなかった。そんなことを報告すればきみは絶対ぼくを許さなかっただろう。ぼくはきみに憎まれたくはなかった」
「好きだから」
目の前のケイナはあざ笑うように言った。
「おれだけが『ホライズン』に入ればいやでも一緒にいられるようになる。誰からも邪魔されずに、おまえはリィの息子として一生おれのそばにいられる。それを望んだんじゃなかったのか」
「違う…… やめてくれ……」
カインは顔を歪めた。セレスは何も言えずにカインと血を流すケイナを見つめていた。
ケイナはカインに近づいた。そして彼の手をとった。
その手を彼は自分の血に染まった顔に押し当てた。
「う……」
カインは手から伝わる血と骨と肉の感触を感じて思わず身じろぎした。しかしケイナは彼の手を離さなかった。
「ほら、おまえが触れてくれただけでおれの傷は癒えるんだ……」
しばらくしてカインの手を頬から離すと嘘のように傷あとは消えていた。
「おまえの思いがおれに流れるんだ。大切なケイナ。ぼくだけのケイナ……」
カインは体中を震わせてケイナを見つめていた。
セレスはとてつもない恐怖を感じた。頭の中に警報が鳴り響いていた。
命の危険……
「おれとずっと一緒にいたいと思わないか?」
「やめてくれ」
カインは掠れた声でそう言うとケイナの手を振り払おうとした。ケイナはそのままカインに耳打ちするように顔を近付けた。
「おれを解放してくれ。そうすればおまえのことを大切にするよ。一生そばにいる……」
「やめてくれ!!」
カインは呻いて顔を背けた。しかしケイナはやめなかった。
「あいつを殺してくれないか? ほんの数十秒のことだ。首を絞めてこの湖に沈めればいい。 あっという間だ。それだけでおれはおまえのものになる」
ケイナは優しく囁きながらセレスを指差した。
「カイン!」
セレスは叫んだ。
「口車に乗っちゃいけないって言ったのは、あんただよ!」
「行け!!」
ケイナは怒鳴った。あっと思う間もなく、セレスはカインに首を掴まれていた。
セレスはものすごい力で首を絞めるカインの腕を掴んだ。しかしぴくりとも動かない。
ものすごい力だ。カインにこんな力があったっけ……?
「カイン…… 頼むよ、正気にもどっ…… て……」
セレスは首を絞められたまま、 じりじりと体が水に沈められていくのを感じて必死になって言った。
ジェニファ、こんなときはどうすればいいんだよ……!
ジェニファ!!
セレスは必死に抵抗しながら頭の中で叫んだ。
アシュアがケイナの顔を見てびっくりしたように言った。
目を閉じて横たわるケイナの目から一筋の涙が流れていた。
ジェニファは首を振った。
「何が起こってるのか判断のしようがないわ……」
アシュアは横で眠っているセレスを見た。かすかに眉がひそめられているような気がする。
アシュアはそっと手を伸ばしてケイナの涙を指で拭った。
「ふたりがお互いを信じていさえすれば…… そう…… それだけなのよ、頼みの綱は……」
ジェニファはつぶやいた。
セレスは気が遠くなるほどの思いにとらわれていた。
おれは最初っからこれを望んでいたんだろうか……。
ケイナにキスをされると体中から力が抜けていくようだった。
吐息にミントの香りを感じる。
(地球に行きたい……)
ケイナの声が聞こえたような気がした。
(おまえと、地球に行きたい…… 本当の海が見たい……)
違う……!
セレスは目を開けた。夢中で目の前のケイナの頬を殴った。
ざっくりと何かを切るような鈍い嫌な音がして、ケイナは後ずさりすると呻いて両手で顔を覆った。
セレスは顔を覆ったまま苦しそうに水の中に膝をつくケイナを見つめた。
何がこんなに彼にダメージを与えたんだ?
自分の右手を見ると、持っていた水晶玉が手のひらにめりこんで皮膚と一体になっているのが目に飛び込んできた。
ケイナは顔をあげてセレスを見た。唇からも左頬からも血が流れている。
押さえていた手も真っ赤に染まっていた。その量が尋常ではないのでセレスは震え上がった。ぽたぽたと垂れた血がどんどん水に広がっていく。
「ケ…… ケイナ……」
思わず声が震えた。
「なぜこんなことを……」
ケイナはそう言うと立ち上がった。同時にセレスは水に浸かったままあとずさりした。
「どうしてこんなことができるんだ……」
ケイナは言った。
「どうして……?」
セレスはかぶりを振った。
「だってあんたは本当のケイナじゃない……」
涙があふれてくるのをどうすることもできなかった。
「ケイナが好きだ…… 彼に触れていたい、ずっとそばにいたいって思ってた。それは今も変わらない。でも、人間の心の中にはいろんな思いがあるんだよ…… 本能だけだったり、理性だけだったり、そんなもんじゃないんだ……」
セレスは水晶のない左手で顔を拭った。
「おれが好きなケイナはいろんな部分をいっしょくたに持ってて、でも、それを自分の中で一生懸命消化していこうとしてるケイナなんだ…… ケイナは表に出さないけど、おれにはよく分かるよ。あんたは違う…… あんたは自分の思うことを相手に無理矢理消化させようとしてる…… それはケイナじゃない……」
「人間はそんな美化されたもんじゃない。いつも自分の思うままに生きたいと思っているんだ」
ケイナは血を流しながら言った。肩が真っ赤に染まっている。
頬はえぐりとられ、骨の白い色が光っていた。
セレスは本当のケイナを傷つけたような錯覚に陥りそうになる自分を必死に押しとどめた。
「たとえば、こいつはどうだ」
ケイナはいきなり後ろを向くと、何もないはずの空間に腕を伸ばした。
「こいつだ……!」
ケイナは空間を掴むような仕種をし、そしてそれをぐいと引いた。
セレスは呆然とした。空間の中からケイナに胸ぐらを掴まれて姿を見せたのはカインだったからだ。
カインは水の中に勢いよく崩れ込んだ。
ケイナはカインの胸ぐらを再び掴むと自分に引き寄せて言った。
「こいつだ!」
「ケ…… ケイナ……?」
カインは何がなんだか訳がわからず、呆然と血を流しているケイナを凝視していた。
「カイン!」
セレスは叫んだ。
「そいつは本当のケイナじゃない!」
「セレス……?」
カインは面くらったようにセレスを見て、そして再びケイナに目を向けた。
「ここはきみの意識の中なのか……?」
ケイナはカインに顔を近付けた。
「おまえの大好きなケイナ・カートがこんな目に遭っているのを見て、どんな気分だ?」
カインは何も言えずにただ黙ってケイナを見つめた。
「あいつはおれを殺そうとしている…… こんなに好きなのに。 おまえのように恋焦がれていたのに」
カインは必死で身じろぎすると、ケイナから離れた。
左腕が動く。それが有り難かった。
そしてケイナを油断なく見つめながら、セレスに近づいた。
「ジェニファが何かキーワードになるようなものを指定しなかったか」
カインはケイナから目を離さずにセレスに言った。
「キーワード……? これのこと?」
セレスは水晶がめりこんだ手を差し出した。
「水晶か…… それで彼をあんなふうにしたのか……」
「そんなふうに言わないで。しかたがなかったんだ……!」
セレスは言った。
「分かってるよ」
カインは答えた。
「分かってるわけない」
ケイナは言った。
「おまえの心の中は、今どうしようもなく苛立たしさでいっぱいのはずだ。大切なケイナにどうしてこんなことをしたと思ってるはずだ」
セレスが何か言おうとしたので、カインはそれを押しとどめた。
「口車に乗るな。なんとかしてこっちの冷静さを奪おうとしているんだから」
「偽善者」
ケイナは血の流れ込んだ口を開いて笑みを浮かべた。そしてセレスに目を移した。
「セレス、彼はずっと前からおまえにフィメールの部分があることを知っていたんだ」
「え?」
セレスは思わずカインを見た。カインは何も言わなかった。
「だのに誰にも言わなかった。どうしてだか分かるか?」
「カイン、どういうこと?」
「セレス、あいつの口車に乗るなと言っただろう」
カインは苛立たし気に言った。
「彼は知っていた。でも隠していた。ケイナ・カートの心が さらにおまえに傾くことが許せなかったからだ。カイン・リィはケイナ・カートを自分のものにしたくてしようがない。だのに、彼はセレス・クレイに目を向ける。こいつはそれが悔しくてしようがないんだ……」
ケイナは血を流したままさらに笑みを広げた。ぞっとするような顔だった。
「そうじゃない!」
カインは叫んだ。
「……」
セレスは呆然としてカインを見つめた。
「違う。そうじゃない」
カインは呻いた。
「ぼくは確かにきみに心を奪われてた」
カインは苦しそうに言った。
「セレスが両性だと分かったらカンパニーはセレスを逃さない……。でも、ぼくにはできなかった。そんなことを報告すればきみは絶対ぼくを許さなかっただろう。ぼくはきみに憎まれたくはなかった」
「好きだから」
目の前のケイナはあざ笑うように言った。
「おれだけが『ホライズン』に入ればいやでも一緒にいられるようになる。誰からも邪魔されずに、おまえはリィの息子として一生おれのそばにいられる。それを望んだんじゃなかったのか」
「違う…… やめてくれ……」
カインは顔を歪めた。セレスは何も言えずにカインと血を流すケイナを見つめていた。
ケイナはカインに近づいた。そして彼の手をとった。
その手を彼は自分の血に染まった顔に押し当てた。
「う……」
カインは手から伝わる血と骨と肉の感触を感じて思わず身じろぎした。しかしケイナは彼の手を離さなかった。
「ほら、おまえが触れてくれただけでおれの傷は癒えるんだ……」
しばらくしてカインの手を頬から離すと嘘のように傷あとは消えていた。
「おまえの思いがおれに流れるんだ。大切なケイナ。ぼくだけのケイナ……」
カインは体中を震わせてケイナを見つめていた。
セレスはとてつもない恐怖を感じた。頭の中に警報が鳴り響いていた。
命の危険……
「おれとずっと一緒にいたいと思わないか?」
「やめてくれ」
カインは掠れた声でそう言うとケイナの手を振り払おうとした。ケイナはそのままカインに耳打ちするように顔を近付けた。
「おれを解放してくれ。そうすればおまえのことを大切にするよ。一生そばにいる……」
「やめてくれ!!」
カインは呻いて顔を背けた。しかしケイナはやめなかった。
「あいつを殺してくれないか? ほんの数十秒のことだ。首を絞めてこの湖に沈めればいい。 あっという間だ。それだけでおれはおまえのものになる」
ケイナは優しく囁きながらセレスを指差した。
「カイン!」
セレスは叫んだ。
「口車に乗っちゃいけないって言ったのは、あんただよ!」
「行け!!」
ケイナは怒鳴った。あっと思う間もなく、セレスはカインに首を掴まれていた。
セレスはものすごい力で首を絞めるカインの腕を掴んだ。しかしぴくりとも動かない。
ものすごい力だ。カインにこんな力があったっけ……?
「カイン…… 頼むよ、正気にもどっ…… て……」
セレスは首を絞められたまま、 じりじりと体が水に沈められていくのを感じて必死になって言った。
ジェニファ、こんなときはどうすればいいんだよ……!
ジェニファ!!
セレスは必死に抵抗しながら頭の中で叫んだ。